世界が灰色に見える僕に、君だけが色をくれた。

堤さん

第1話 灰色の朝

 電車の中で、誰もがスマホを見ていた。

 その光の反射が、窓に映る自分の顔を照らしていた。

 灰色の瞳。灰色の髪。灰色の街。

 この世界には、もう“色”なんて残っていない。


 有馬凌は、ふと窓の外を見た。

 通勤時間を外した午前十時。

 休職中という肩書きだけが、自分を社会から切り離していた。


 広告代理店の仕事は嫌いではなかった。

 でも「いいね」を稼ぐために誰かの感情を操作する毎日が、

 いつの間にか、息をすることよりも苦しくなっていた。


 今日も何をするでもなく街を歩く。

 気づけば足が止まっていた。


 「……あれ?」


 路地裏の向こうに、古びた喫茶店の看板が見えた。

 “アトリエ”と書かれた木製のプレート。

 扉のガラス越しに、ひとりの少年が座っていた。



 店内は静かだった。

 磨かれた木のテーブルと、壁一面に貼られた絵。

 けれどどれも、色がなかった。

 白と黒だけで描かれた風景画。


 「すみません……」

 声をかけると、少年が顔を上げた。

 髪は淡い銀色で、瞳の奥にわずかに青が見えた。


 「……あ、初めての人?」

 「え?」

 「ここ、よく誰も来ないから。珍しいなって。」


 少年は微笑んだ。

 その笑顔だけが、ほんの少しだけ“色”を持っていた。



 「君の絵、全部モノクロなんだね。」

 「うん。色が、怖いんだ。」

 「怖い?」

 「昔は描けた。でも、事故のあとから見え方が変わって……

  色を塗ると、壊れちゃう気がする。」


 有馬は、何も言えなかった。

 “見えなくなった色”

 それは、自分と同じだった。


 その瞬間、胸の奥で何かが静かに動いた気がした。


 世界はまだ灰色のまま。

 けれど、この喫茶店の中だけは――

 ほんの少し、あたたかい色があった。

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