第3話「戦闘」

 寝る時に暗いのは、別に瞼の裏側を見ているからじゃない。

 だって、目を閉じたまま無理やり手で瞼を開けたけど暗かったから。少なくともアタシがやった時は少ししか明るさを感じなかった。


 だから、この暗さは見知らぬ暗さだ。


 目隠しされたのは初めてで、猿ぐつわを噛まされるのももちろん初めてだった。感想としてはよだれ止まんねーなーってくらいっス。

 手は後ろ手に縛られてて、足首にも何かが巻かれている感覚がある。力を入れて身じろぎしても椅子の背が軋むだけ。これっぽっちも解ける気はしない。


「あ? まだつけてんのそれ。外しちまえよ邪魔くせぇなぁオイ」


 ハスキーな男の人の声が聞こえたと思えば、目隠しが外された。外したのはあの大男だった。次いで猿ぐつわも外してくれた。

 暗い。目隠しをしていて、暗いのには慣れていたはずなのに。それでも奥が見えない。どうやら廃墟? っぽい。打ちっぱなしのコンクリートの床がひび割れている。


 目だけ動かすと、男の人が五、六人。その中に、一人なんか違う人がいた。

 逆立つ金髪のおじさん。寒がりなのか、室内なのに黒のコートを羽織っている。その顔には鳥のトライバルタトゥー。

 たぶん、この人がボスっぽいっスね。


「向井さん、これを」


 大男さんが、向井と呼ばれたリーダーらしい金髪の人にスマホを手渡す。


「おぅ。……あ〜? かぁ! そういうことねハイハイ」


 向井さんと呼ばれた人はそれを見て、なんか納得したみたい。そしてスマホを持ってきた大男を撃った。


──え? 撃った?


 大男は何も言わずそのまま後ろへ倒れていく。


「名前で呼んでんじゃねぇよバァカ。せっかく"シンビル"っつーイカした名前があんだからよ、そっちで呼べや」


 倒れた男は何も答えず。ただ床を赤く染めている。


 人が撃たれるって、こんな感じなんだ。

 音も聞こえたんだか、聞こえなかったんだかわからない。ドラマや映画でみるようなのと少し違っていて、ずっと静かに感じた。

 ただアタシの鼓動だけがうるさくて、でもなんだかそれすら嘘っぽくて。よくわからない。まとまらない。


「かーっ! 参るよなぁ。娘を使ってつまんねぇ横槍野郎をやっちまおうってのに『娘は今も私の前で食事中だが?』だとさ。連絡が遅ぇ時点でそんな気はしてたんだよな俺ぁ」


 通報されてんだろうなぁ多分、と愚痴りながら向井さんがアタシの目の前に来る。コートを皺にするのも構わないで、地面に座った。


 誘拐犯。アタシの頭にそんな言葉がよぎる。

 それも、失敗した誘拐犯。やっちゃダメなを起こしたことに気づいてしまった犯人が、目の前にいる。


「さて、お嬢ちゃん。君は誰だ? 春日井桜子じゃあないよな」

「う、ウス! 自分は桜ちゃんじゃなくて、北山心春っス!」


 え? アタシってば桜ちゃんに間違われてるっスか?

 いやーたしかに服似てたけど……ってか本名答えちゃったけど、もしかしなくてもヤバいっスよね。


「そっか。心春ちゃんか。いや〜道理で冴えねぇ魚顔じゃなく、おめめパッチリのお胸もバッチリだなと思ってたんだよ」


「……ウス! あざっス! 実家は魚屋さんっスけど、魚さんには似ませんでした!」


 よくわかんないけど、なんか褒められてるっぽいっス。見逃してくれないかな。

 アタシはお母さん似だ。魚の娘じゃなくて魚屋さんの娘だから、当たり前っちゃ当たり前だけど。


「ははっ! 面白ぇな嬢ちゃん。いやぁ殺したくねーわ」


「……やっぱ殺されちゃうカンジっスか?」


 薄々そんな気はしていた。

 見られないように、騒がれないようにと目隠しなんかしてたはずなのに外すなんて。そんなの、ってなった証だ。


「ま、そりゃあねぇ〜。どっかのバカが人違いやっただけじゃ飽き足らず、俺の名前まで言っちゃったし。男の口なんてねぇほうがいいよな、まったく」


 後ろで倒れる大男を顎でしゃくる。


「えーっと、なんとか勘弁ならないっスか?」


「お、命乞いしちゃう? いいぜ、オジサンそういう無駄な足掻きは嫌いじゃないよ。死人に口なしでも、女の子のお口なら大っ歓迎!」


「いやいや結局アタシ死んじゃってるじゃないっスか……」


 無駄な命乞いとか死人に〜とか、明らかアタシが死ぬことを含んで話が進んでる。


「ハハハハァ! マジでノリいいなぁお前! 男に乗るのも上手かったりすんのかぁ?」


「……いやーフラれちゃったんで、よくわかんないっスねぇ」


 それセクハラっスよ、と喉まででかかった言葉をなんとか飲み込んでおちゃらけてみる。向井さんの気が変わるかもしれないし、それに──そうでもしないと、泣いてしまいそうだから。


 銃がこちらを向く。小さな鉄の一つ目が、こちらを睨んでいる。


「嬢ちゃんになんもせんでもいい気ィすっけど。残すのも面倒だからまぁ殺すわ。悪りィね」


 あ、やば。もう無理かも。全力で走った後みたいに心臓がめちゃめちゃ早い。終わりまでのカウントダウンなのか、どくどく鳴ってる。


 嫌だ。止まる。フィクションじゃない弾丸が、アタシの終わらせる。


「相変わらずですね。シンビル」


 アタシのドキドキを止めてくれたのは、めっちゃ聞き慣れた声だった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「遅れましたが、ウチのバイトを引き取りに参りました」


 久闊きゅうかつをわびる仲でもないが、その人を食ったような凶相は相変わらずだった。


「お? お〜! お前オクかぁ!? いやぁひっさしぶりだなぁ。いつ振りだ? あん時は……ASWJアル・スンナ・ワル・ジャマーとか出たぐらいだっけか」


 覚えられていたか。この暗がりでも判別できるとは、さすがに夜目が効くな。てっきりは前髪を下ろしているから、きっと気づかないと思っていた。

 バレているとなれば、こうして隠す必要もないか。


「そうそう! 殺し損ねたお前をぶち殺すのも、この街に来た目的の一つだったんだよなぁ! 嬉しいぜぇまったくよ!」

「……オクもそろそろ引退ですかね。方々に弓引くのも疲れましたから」


 もう一度、あの頃を呼び戻す。私は前髪を掻きあげるよう撫でつけ、何年もこの髪の下に隠した傷を曝け出す。


 残りは九人。厄介なのがシンビルはもちろん、銃を持つ人間もいる。一人は不意打ちでノせたが、目視で確認した限りまだ四人いた。


 それでは、状況を始めよう。


 北山さんの横にシンビル。他の連中はV字になって広がり、さながら俺を食い殺すあぎとのようだ。

 照準が定まるより早く、俺は駆けた。


 ヤツらがこちらに銃口を合わせ、セーフティを外すよりも先に中心に潜り込んだ。これでもうロクに撃てない。


「引き金、重いだろ? 銃を持ってるのに、この狭さで鶴翼は悪手だぞ」


 この暗闇の中、こんな混戦では同士討ちの形になる。彼らも闇の恐ろしさは知っているようだ。

 誰かが撃てば、誰かに当たる。暗がりで撃たれたヤツもまた引き金を引く。そうなればもう戦場はパニックだ。連鎖的に弾丸は飛び交い、どこかで人が死ぬ。


 いじらしくもヤツらは同士討ちを避け、ナイフに持ち替えた。全員で囲んで叩く肚だろう、その判断はいい。

 が、練度が低い。


 一見して白兵戦に慣れていない。ナイフを順手ハンマー・グリップで持つな。そう持つと、斬るか突くかしかないだろう。なにも体を両断して殺すわけじゃないんだ。撫でるように当てるだけで肌は切れるし、血は噴き出す。逆手アイスピックでいい。


 男が飛びかかってきた。その手に握るナイフが、刺突が迫る。

 あげた両手。そのまま男の手首を掴み、下に引くようにして横へいなす。

 体勢を崩した男に膝、肘と入れて蹴り飛ばす。


 時間差をつけて、二人目三人目と襲いくる。

 横薙ぎに振るわれるナイフ。遮るように出した手で、その肘と手首を掴む。肘を抑え支点にし、手首を思い切り回す。呆気なく乾いた音を響かせ、肘が破壊される。

 その手を離さず、この呻く男を接近する三人目との間に差し込む。ナイフじゃどうやっても人一人を貫通できず、私には届かない。

 呻く男を引き倒し、踏みつける。


──

 二十世紀の半ば、戦時下で生まれた近接格闘術である。最大の特徴として、武器を手にした対多数戦を想定していることが挙げられる。

 武器を持った相手を無力化することに長け、その反射を利用した動きは素早く護身へと繋げることができる。


 俺が使うのもそれだ。この技術を駆使すれば、この程度容易い。

 同時攻撃もこうしてしまえば形無しだ。

 再び攻撃の息を整えようとする三人目に近づき、蹴りを喰らわす。前屈みになった頭を上から押し、後退りさせたところで顔を蹴り抜いた。


 後ろに近づいていた四人目が大振りの山刀を振り上げる。

 近くなのにそんな振りかぶるなよ──


「こうやって、相手に間を詰められたらどうするつもりだ?」


 ぴったりと鼻先に近づいてやると、男の山刀は行き先を失った。再び振り下ろそうと、わざわざ距離を空けてくれた。


 愚策。距離が出来たなら、俺にも攻撃できるということだ。靴を履いたまま行う喧嘩術ストリートファイト生まれであるサバット。その流れを汲むクラヴ・マガには、蹴り技も多様にある。


 蹴りで膝を外に押してやる。関節が曲がってるから、壊せてはいないだろう。けれどバランスが崩れたならそれで重畳。

 よろめく男の股間を蹴り上げる。ちょうど足も広がっていたから、えらくガラ空きだった。男は悶絶し、うずくる。


 一気に半数を無力化されたヤツらは、最初の攻勢が嘘のようにたたらを踏む。


 その足踏みが許されるほど、戦場は甘くない。


 手近の一人に肉薄し、横蹴りシャッセで内腿を打つ。爆竹のような音が鳴る。体勢を崩した男の頭をヘッドロックに極め、そのまま首投げで叩きつける。


 残り少なくなったことで焦ったのか。ナイフを腰だめに構えた男が雄叫びをあげて迫り来る。

 さ、次は──


 廃墟に響く、二発の銃声。


「ハッハー! ダメだろ!? 銃とはぶっ放してナンボってガキでも知ってるぜ? タマナシ野郎」


 ナイフ男ごと撃たれた。腰の辺りをかすめたのと、腹に一発。致命傷ではないが、この傷は戦闘に差し支える。

 俺のミスだ。忘れていた。この男はこういう人間だった。

 暗闇を恐れず、混乱に陥ろうが同士討ちだろうが構いやしない。殺せると思えば躊躇わず引き金を引く。そういう男だったからこそ、あの戦場を生き残れた。

 

「あ? どした、お前ら。ほら、相手は手負いだぞ? 早くいけよ」


 シンビルは銃で残る二人に合図するが、誰も動かない。

 当然だろう。今しがた目の前で一人撃たれているのだ。私を襲いに来ればまた自分ごと撃たれかねない。


──まぁ、それならこちらから向かうだけだが。


 シンビルの発砲に目を奪われている男の横面に肘をかち当てる。その一撃で意識を刈り取り、気絶させる。


 膝をつく音で残った一人がこちらに振り向くが、遅い。


 爪先蹴りを鳩尾にめり込ませる。よたよたと二、三歩後ろに下がる男の顎を蹴り上げた。


「おいおい勘弁してくれよ……。ブラック・フラッグともあろう連中が揃いも揃って白旗あげてんじゃねぇよバァカ!」


 銃が睨みを効かせている。それを握るのは、かのシンビル。ヤツの目を掻い潜り接近するのは不可能だろう。

 蹴りも届かぬ距離、ここからヤツに届きうるのはアレと言葉くらいか。


「シンビルと恐れられたのも昔、ということか」


「────あ?」


 鳥が撒いた餌に食いついた。

 わかりやすいヤツだ。俺は心の裡でほくそ笑む。


「かつてソマリアで名を馳せた鳥は、既に死んでいたのかって言ってるんだ。梟雄と恐れられたのも今は昔、ただのテロリストに成り下がったな」


「──んだよ。そんなにが見てぇんなら、早く言ってくれよ」


 そう言って銃を捨て、シンビルはその背から取り出す。


 は羽を広げた鳥のように。


 あるいは三日月をいくつも互い違いに合わせたように。

 ウォシェレ、マンベレ、フンガムンガ……。呼び名は様々であり、部族によっても変わる。だが、その邪悪な形状とこの鉈鎌が投擲武器であるということは通じている。


 このねじくれた刃こそ、シンビルなのだ。


 状況を再開する。

 敵はシンビル。彼我の距離はおよそ3m、二間弱といったところ。得物は右手に握ったマンベレ。最接近時に想定されるのは退

 あの形状だ。その刃の一つに引っかかりでもしたら、タダではすまない。腹部からの出血も併せて、それで戦闘不能だろう。


 ならば取るべき行動は一つ、距離を空けて隙を窺うこと。


 開けた戦場ではない。マンベレが投擲されることはまずないと考えていいだろう。そのまま追ってきてくれて、北山さんから少しでも離れてくれると楽だが──


「おいどうしたぁ? 腰が引けてんぜぇ。お姫様助けに来たんだろぉ!? ナイト様ァ!」


 怒声と共に、得物を大きく振りかぶったシンビルがこちらへ突っ込んでくる。

 リーチを考えればマンベレに分がある。まずその刃を蹴り飛ばし、それから組みついて──


 俺は頭の中で近づいてくるシンビルを無効化する算段をつけていた。そのシミュレーションはいつも通り問題なかった。


 その時、鳥が飛んだ。


 この密室で投擲はない。そうタカをくくっていた俺を嘲笑うように、マンベレの鋭利な嘴が肩へ突き刺さる。


 鋭い痛みに意識が引き剥がされそうになりながら、必死に歯を食いしばり意識に噛みつく。気を昂らせろ! 決して、ほんの一瞬も手放すな。死に物狂いで喰らいつけ!


 これは牽制の投擲ではない。シンビルは俺を弱らせ、その手で確実にトドメを刺すつもりだ!


 このコンディションで、シンビルを怯ませるだけの蹴りが放てるか!? ヤツが打撃で来るかどうかもわからない、組み合う距離になってしまえば俺は負ける。

 なんたって、ヤツはこの肩口のマンベレをと下げるだけで俺を殺せるんだからな!


──覚悟を決めろ。


 俺はマンベレを引き抜いた。

 その複雑な形状のため、傷口はさらに広がり血は噴き出す。


 そんなことに構わず、マンベレを振り下ろす。

 その腕と、シンビルの腕とが激突する。もう片方の手で態勢を崩しにかかるが、シンビルも鏡合わせのように手を伸ばしたため、交差する形で押し引き合う。

 鎬を削り合う刃のように、その手が互いの命に届く距離だ。


「クハッ! かっこい〜! マジかよ! 普通そんな早さで刺さったモン引っ張り出して斬りかかるかよ!?」


「お前相手に無傷でいられるとは思ってない!」


 押し返そうと力を込めるが、力が血と一緒に流れ出しているのか押し返される。


「必死かよ!? ──ただまぁ、その必死もいつまで続くかなぁ」


 シンビルの哄笑が廃墟に響く。俺と違ってえらく元気らしい。


「血を流しすぎだな。気合いでどうにか動かしたとこで、あと三分……いや二分くらいか?」


 シンビルの見立ては概ね当たっている。このパフォーマンスで動けるのも多く見積もって二分が限界だろう。

 今だって、マンベレを手放してしまいそうだ。


──いっそ、離してしまうか。


 手を開き、その刃を落とす。そして徒手となった利き手でシンビルの肘を掴む。

 この距離ならば投げられる。

 武器を持った肘を曲げさせ、そのまま捻ってナイフを無効化しつつ投げる。


 そのはずだった。


 梟雄は殺し合いのプロである。


 超至近距離での。鉄板の仕込まれた爪先が俺の頭を蹴り抜いた。

 俺を支えていた膝から力が抜け、片膝をつく。俺が掴んでいた手は離れ、シンビルに腕を掴みあげられた格好になった。


「ハハハハッ! 格闘術はお前の十八番じゃねぇってなぁ!」


 死に体の俺を確実に殺そうと一歩踏み込んだのを軸足に、大きく左足を振りかぶる。


「離した得物から目を離すなんて、らしくないじゃないか」


 俺は最後の力を振り絞り、片膝立ちの状態から跳ねるようにして右足で蹴り上げる。

 蹴り倒す力は必要ない。ただヤツの蹴りよりも速く。先に振り抜けられればそれでいい。

 が、シンビルの体を切り裂いた。


「て、めええぇぇ! 何しやがるッ!」


 シンビルの膝蹴りが乱れ打つ。銃弾で抉られた腹に当たる。体の内側からせり上がった血を口から吐き出す。

 お返しに、俺も膝蹴りを放つ。だが、もう力は残っておらず、ただ階段をのぼるよう足を出しただけだった。


 それで十分だ。足に突き刺さったマンベレの特異な刃が、ヤツの腿を縦に裂いた。


「あああぁ痛ってぇ! ざけんなよテメェ!」


 その口から血と唾を飛ばしながら、シンビルは大きく後ろに跳び退いた。


「あぁ痛ぇ。いてぇな〜畜生! おら動くな! ハハ、手ぇあげろってヤツだ」


 そして、北山さんのこめかみに銃を押し当てる。瀕死の俺から逃げるように跳んで、やったことは人質か。


「……これはまいったな」


 これで勝負は決した。


「クハハッ! オラお手上げなら態度で示そうよ〜、ってなァ! とっとと手上げろよ!」


 俺はゆっくりと、胸元から離し言われた通りに手を挙げる。

 その手にカーボン製の大矢を握りながら。


「おい待て。なんだそりゃ。何を持ってやがる」


「あぁ、まいったよ。俺はかの梟雄シンビルと戦ってるつもりだったんだ。けど違ったらしい。お前は鳥頭ナイフマンベレを捨て、銃を取った。……しかも、その銃も俺に向けてない」


 その時点で、狂気の梟雄ではなくなった。羽を捨て、銃を手にした瞬間に人間・向井むかいあきらに成り果てた。


「かつてのお前だったら戦闘中に敵から目を背けなかっただろう。向井、お前はシンビルであったことも捨てたから負けたんだ」


 向井は銃口をこちらに向けるが、もう遅い。


「──俺はオクの名まで捨てた覚えはない」


──

 その引き金を引くより早く、打根うちねが向井を貫いていた。これで十人。全員片した。


 状況終了。口の中でそう呟くと、どっと力が抜けた。出血がひどいのか、立ちくらみまでする。


 ……遠くサイレンが聞こえる。発砲音を聞いた通行人が通報でもしたのだろう。

 警察にあれこれ詮索されるのも面白くない。もはや私に後ろ暗いところはないが、この状況を説明するには些か骨が折れる。これだけ満身創痍なので、それは勘弁願いたい。


 足を引きずりながら、北山さんに近づく。足に刺さったマンベレを引き抜き、手足を縛るロープを切ってやる。


「北山さん、立てそうですか?」


「は、はは。……腰抜けちゃって無理っスね」


 無理もない。普通の女子大生が、こんな戦塵浴びる距離にいたのだから。

 少し悩んだが、やむを得ない。私は北山さんの脇の下に頭を入れ、右手右足を持ちお腹を担ぐようにして抱え上げる。


「いや! ちょっ、ちょっちょっ!? 矢上さん何してんスか!」


「何って、ここに置いてくわけにもいかないでしょう? 警察が来ますよ」


 意識があり、体に掴まってくれるのなら背負い搬送おんぶでいい。けれど腰が抜けてしまっているなら、消防士搬送ファイヤーマンズ・キャリーのほうが適している。


「だからって……運び方は他にもおんぶとかお姫様だっことかあるじゃないっスか! これじゃ米俵っスよ米俵!」


 北山さんの抗議も聞かず、私は歩を進める。


 少し行った所で、自然と足が止まる。

 この多量の出血のせいか、それとも久方ぶりの戦闘の匂いがそうさせたのか。

 改めて浮かんだ決別の言葉が、なんとなしに口をついた。


「私はあなたと違って、これからも引きずって生きていきますよ。矢上やがみわたるとしてね」


 私の上で騒ぐ北山さんを尻目に、倒れた向井にそう吐き捨てた。

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