幕間:狂戦士、誕生前夜
これは、一人の極めて真面目な受験生が、操作不能の
午前6時00分。
電子音のアラームが、静寂に満ちたワンルームアパートに正確無比に鳴り響いた。
彼の視線の先、壁には「打倒! 帝都大学!」という力強いスローガンの下に、1分単位で緻密に計算され尽くした学習スケジュール表が掲げられている。彼の世界は、計画と規律によって完璧に統治された、静謐なる王国だった。
父親の海外転勤に伴い、両親は現在日本にいない。この静かな城で、京介はただ一人、受験という名の巨大な
栄養バランスを考慮したシリアルと低脂肪乳の朝食を、咀嚼回数まで意識しながら摂取し、食後は即座に机へと向かう。全ては計画通り。そう、この日の昼下がり、彼の計画をわずかに乱す一つの荷物が届くまでは。
ピンポーン、と、静寂を切り裂くようにインターホンのチャイムが鳴った。
「……予定時刻より3分早い。計画外の偏差だな」
京介は眉間にわずかな皺を寄せつつ、玄関のドアを開ける。宅配業者が彼に差し出したのは、大小二つの段ボール箱だった。
一つは、ずしりと重い。彼の完璧な計画性を象徴する『災害時用備蓄セット』。万が一の首都直下地震に備え、一ヶ月分の水と非常食をストックしておくのが、彼の周到な流儀なのである。
そしてもう一つは、拍子抜けするほどに軽い箱。彼の完璧な計画の中に、唯一紛れ込んだ『バグ』とも言うべき衝動買い――最新型VRMMO『ミステイク・ダストボックス・オンライン』と、その専用ヘッドセットだった。
無機質なラベルが貼られた2リットルのペットボトルと、未来的なデザインが施されたゲームのパッケージ。そのあまりにも対照的な二つの物体を前に、京介は少しだけ照れくさいような、それでいて微かな罪悪感にも似た不思議な感情に包まれた。
まず、京介は災害用備蓄セットを手際よく開封し、クローゼットの奥、定められた保管場所へと寸分の狂いなく収納していく。完璧な備え。これでいつ災害が起きても、彼の計画は揺らがない。
そして、まるで秘宝の箱を開ける
箱から現れたのは、滑らかな曲線で構成された、流線形の美しいフォルムを持つデバイス。未来そのものを切り取って形にしたかのようなガジェットを手に取り、彼は付属の説明書にゆっくりと目を通した。そこには、最新技術をこれでもかと謳う、自信に満ちた文句が並んでいた。
「――プレイヤーの皆様に、誰にも邪魔されない、最高のゲーム体験を。没入感を極限まで高める『完全没入型セーフティロック』を搭載。プレイ中は外部からの物理的干渉を完全に遮断し、プレイヤーはゲーム世界に完全に没入できます」
「なるほど。論理的だ。これなら集中できる」
京介は素直に感心する。これならば、彼の計画した「息抜き」も、より質の高いものになるだろう。そして、彼の運命を決定づける、決定的な一文が目に飛び込んできた。
「――安全のため、ロックは正規のログアウト手順を踏むことで、自動的に解除されます」
この時の彼は、知る由もなかった。この親切極まりない最新の安全機能が、明日から自分自身を永遠に閉じ込める、悪夢の鉄の
彼はただ、「これで息抜きも計画的に、集中してできる」と、その非の打ち所がない高性能ぶりに、静かな満足感を覚えるだけだった。
その夜、京介は新しい数学の参考書を計画通り15ページ進めた後、ベッドに横になりながら、明日プレイするゲームのことに思いを馳せた。
友人とのメッセージアプリには「お前もついに始めるのか!」「ああ、息抜きにな」といった、ごくありふれた高校生らしい、気軽なやり取りの履歴が残っている。
彼の計画では、明日の息抜きはきっかり90分。キャラクターを作成し、少しだけ序盤の街を散策する。それ以上は絶対にやらない。これはあくまで
(よし、明日は楽しむぞ。もちろん、計画通りにな)
胸の中に芽生えた小さな期待を、スケジュール帳の片隅に書き留めるかのようにきっちりと管理しながら、京介はいつものように、規則正しく穏やかな眠りについた。
彼が、己の自由な意志で安らかに眠り、そして己の自由な意志で目覚めることができる、最後の夜だとも知らずに。
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