焚き火
平松たいし
焚き火
夜。川のせせらぎにマツムシのリズミカルな声が混ざる。肌を掠める夜風に、月明かりが茂るススキを照らす。男は一人、河原に立ち尽くしていた。手には少しばかりの枝木と一つのマッチ。一つポツンとある岩に腰を下ろし、どこか遠くを眺め一息ついた。そして手に持つ枝木を円錐状に立て、その中に周りから拾い集めた少々の枯葉で絨毯を作った。マッチ棒を三本の指で挟み、マッチの頭薬を手前から奥に向かって勢いよく擦り付けた。シュッと擦れる音と同時に、ジリジリと音を立てながら燃えあがり、やがて音と共に火も落ち着く。男はそのマッチ棒を絨毯の上に投げ入れ、少しの間その灯りを眺めた。ときたま夜風に吹かれ火が揺れる。やがて火は、まるで自分の中の悲しみのように少しずつ馴染み広がっていく。男は軽く口を窄ませ、徐々に息を吹きかけた。火は大きく傾き、やがて他の枝木にも燃え移る。しかし息を吹くことを辞めると、途端に音が消え、火も弱まっていった。男は、休むことなく息を吹き続けた。
やがて、初めに用意しておいた枝木にはおおかた燃え広がり、先端は赤くなり奥深くでは黒くなり灰へと化している。いつの間にか、せせらぎと虫の声に違和感なく溶け込むパチパチといった火の音も作り上げられていた。火が安定したのを確認し、男は咄嗟に立ち上がると素早く周りに落ちる枝木を拾い集めた。その間も火はパチパチと音を立てながら燃え上がり続ける。男は再び腰を下ろし、立ち上る火の上からまるで火を押さえつけるかのように枝木を置いた。そしてそこからまた、男は懸命に息を吹き続けた。先ほどまで涼しく感じていた夜風も、今ではさほど涼しく感じなくなり、次第に男の額には汗が滲んでいた。時折、火が消えかかりそうな危機もあった。しかし、男はこの火を絶やさせまいと必死に息を吹き続けた。酸素が足りなく意識が朦朧としようとも、それでも必死に吹き続けた。汗は顔全体へと広がり、足元には水滴の滲んだ跡で石の色が濃くなっていた。
やがて、火はもはや炎と言わんばかりに成長していた。足元にも及ばなかった小さな火種が、今では対面して話せるほどに成長していた。男の顔は汗で光り輝き、炎の赤を薄らと反射していた。
「ああ......これで十分、立派だ。」
男はにやりとした満足げな表情を浮かべ、大きく息を吐きながら夜空を見上げた。そこには満天の星が広がり、三つの星からなる夏の大三角が探さなくとも見て分かった。美しい月はまるで男を称賛するほどに光を照らしていた。男はそのまま数秒の間目を閉じ、髪を靡かせながら呼吸を整えた。そして、目の前に立ち上る炎に目をやった。自身で一から作り上げた炎を眺め、これまた満足げな赤い表情を浮かべた。
男はしばらく炎を眺め続けた。炎は弱まることを知らないほど燃え上がっていた。耳には川のせせらぎとマツムシのリズミカルな声と焚き火の音が混じり、心を安らかにした。いくら耳を澄まそうとも、人の声も車の音も生活音も、人工的な音が何一つ聴こえてこなかった。快い情景だった。男はまるで我が子のように、一度も目を離すことなく炎を眺め続けた。
しかし、それでも炎は気付かないうちに徐々に徐々に小さくなり、気がついた頃には小さくなっていた。笑みを浮かべていた男の顔には今では何も残っていなかった。それだけでない。あの満足感、達成感、喜び......それらが全て、焚き火と共に燃えていた。あれだけ勢いよく燃えていた炎も、次第に小さくなり少しの風で揺れていた。もはや炎とは呼べなかった。男は燃え尽きた枝木を眺めながら空虚を感じていた。
やがて火はますます小さくなり、いつの間にか耳にもせせらぎと虫の声だけが感じられるようになった。手をかざすと、もはや熱すらも感じられなかった。赤い火の粉が残り、風が吹くたびに灰が舞い上がりやがて消えていく。そして、男の目からは色が消え、灰だけが映っていた。
「ああ......。」
男はその灰をしばらく眺めた後、ゆっくりと立ち上がりどこかを目指すでもなく歩き始めた。頬を掠める風ももはや何も感じない。男は歩き続け、やがて闇へと消えて行った。少し前までは間違いなく燃えていたはずだった。しかし、そこにはもうあの熱も勢いも活力も何も無かった。
焚き火 平松たいし @Takeshiel_dreemurr
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます