柘榴坂のモダンガールは英語がお得意

浅川 六区(ロク)

2分で読める短い物語


柘榴坂ざくろざかを登った先には、旧教系カトリックの教会があった。

その隣には、最近出来たばかりのフルーツパーラー「巴里屋パリや」があり、

硝子張りの扉が陽をはね返し、とても華やかで、まるで異国への入口のようだった。

 

午後の課業が終わる時間になると、女学生や若い書生たちが列をなして入ってゆく。


その中に彼女はいた。


紫色をした矢絣やがすり柄の羽織と、紺色の袴姿。和装だけれども髪は短くしていて、倫敦ロンドンで流行っているショウトヘアと呼ばれる髪型をしていた。

口紅べにはほんのりと色付く程度。

 

彼女の名は七瀬といった。とても綺麗な女性だ。


七瀬は洋書を片手に、パーラーの窓辺に腰かけ、銀色のさじでプリンアラモウドという洋菓子を口に運ぶ。その姿をボクは市電の窓越しに何度も見かけていた。

時代の風をそのまままとい、誰よりも早くこの国の未来を見ているような女性だった。


七瀬の友人から仕入れた情報では、高等女学校を卒業したら英語のタイピストになりたい夢を持っているらしい。

女性の社会進出を真剣に考えているなんて、さらに英語の勉強もしているなんて…

とても優秀な人だ。


電信無線学校に通うボクなんかとは到底釣り合うはずもなく、高嶺の花だな…と、

ただ遠くから見つめることしか出来なかった。


そんなある日の夕暮れ、ボクは思い切って七瀬に声をかける覚悟を決めた。


パーラーの扉を開け、七瀬の元へゆっくりと歩み寄る。

店内は涼しく冷やされ、蓄音機から流れる西洋音楽が優しい音色を刻んでいた。

息を整えるボク…「よ、よく、…この店に来られるんですね」


七瀬はボクの言葉に驚くことはなく、静かに匙を置き微笑んで答えてくれた。

「…はい。…市電の中から見たワタクシは、どうでしたか。あなたには、ちゃんと“モガ”に見えておりましたか?」彼女はふふふと笑う。


「え、ボクが、いつもあなたを見ていたこと…知っていたのですね」ボクの鼓動が早くなった瞬間だ。


硝子窓の外では、市電がチリンっと鐘を鳴らして走り過ぎてゆく。

テイブルの上に置かれている舶来製照明器の蝋燭ろうそくの火が、ゆらりと優しく揺れた。何かが始まる気配を感じた。



ボクらは店を出て柘榴坂をゆっくりと下って行った。薄暗く沈みゆく町の背景の中に、橙色だいだいいろ瓦斯ガス灯が二人の影を長く伸ばしている。


七瀬は言った。

「この国はきっと変わってゆくわ。いつか女性も男性も…もっと自由に恋愛が出来る時代が来るよ」

「そうだね」ボクも頷いた。


七瀬は下を向いて言った。

「…今から、ワタクシ達だけでも、恋愛の男女格差を無くしても…良いですか」


ボクは七瀬に訊いた。英語で「うん。そうしよう、ボク達の間で恋愛の男女格差なんて無くそう」って、何て言うの。と


すると七瀬はちょっと考えて、恥ずかしそうな表情でボクに教えてくれた。


「はい、英語でそれは“I love you , Nanase”と言うのです。一度、声に出して練習してみませんか?あ、英語の勉強をしていることを、周りの方々に知られないように、ワタクシの耳元でコソッとささやくように言って下さいませんか?」


ボクは教わったまま、その通りに、七瀬の耳元で小さな声で練習をした。


七瀬は頬を赤く染めて「それでは今の練習の採点をします」と言うと、

今度はボクの耳元に唇を寄せて、すごく小さな声で「ワタクシもです」と、

採点結果を教えてくれた。


                                  Fin

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柘榴坂のモダンガールは英語がお得意 浅川 六区(ロク) @tettow

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