過保護な僕ら

雨なのに

第1話(1)「オープニングアクト」

スターダスト。地方にある年季の入ったライブハウス。


いつもどおり、11時。

扉を押して入ってくる二人の青年。


薄暗いカウンターを挟んで流れるようにそれぞれの位置につく。


一人は頬杖をつき、もう一人は棚から焼酎瓶を出し、冷蔵庫のミネラルウォーターを取り出す。

1:10か、いや0.5:10の極薄い水割り。


カウンターで昼間から酒を飲むのは蟹江奏太(かなた)。彼を尻目にロングソバージュをなびかせながら細い体で淡々とモップをかけ始める蛍井透真(とおま)。


「今日どうする」


蟹江と蛍井は2ヶ月ほど前にプロデビューに向けたバンドを結成した。持ち歌はボーカルの晶叶(あき)が持っていた4曲のみ。曲数もファンもまだまだ足りないため、練習がてらに透真のバイト先であるスターダストでオープニングアクトとして演奏している。


4曲のうち、2曲がバラードのため実際に演奏しているのは2曲のみ。

持ち時間は15~20分。とすればあと1.2曲演奏できるのだが今まではMCでごまかしていた。


それが先週末にとうとうクレームが入った。


蟹江たちのバンドのボーカルのMCがぼそぼそ話していて聴き取れずイライラすると言うのだ。演奏も曲もボーカルの声もいいのだからもう1,2曲演ってくれればいいのにと。


クレーム?それを聞いた蟹江は逆に嬉しくなってしまった。MCより演奏を増やしてほしいと言われるのはありがたい。俄然やる気がでる。


正直MCにそんなに力を入れてないし演奏で魅せたい。蟹江も蛍井もこのバンドを作る前に在籍していたバンドは自称地域ナンバーワンだった。メンバーが就職したから無くなったけれど。一度みんなと同じく就職した蟹江は、息抜きに訪れたスターダストで他のバンドを見てやっぱり自分にはドラムしかないと蛍井に相談した。ならば一緒にプロを目指してバンドをやろう。そうして集めた仲間たちとSODA FISHを結成したのだ。地元で全員他のバンドをやっていたおかげで各々知名度はあるものの、曲がないので今は蛍井がバイトをしているスターダストの前座をやっている。前座バンドに意見を言ってくれることそのものが光栄だと二人は思っている。


しかし────────


できれば晶叶に喋らせないで終わらせようとするとあと一曲は客を温めるような曲がほしいところだ。


「晶叶次第よねえ」

シャイな彼は、もともとしゃべることが得意ではない。歌ってくれといえばそっちのほうが楽だと言いそう。


「まあ、セトリって言っても2曲しかないか」ぎゃははと笑ってまた酒をのむ。ほぼ水だけど。蟹江はバンドの年長者でドラム担当。リーダーでもある。


「ただこう…流れちょっと変えてみない?飽きたっていうか。カバー曲入れてもいいし」

2曲だけだと客の飽きも速い。長くスターダストで演奏している蟹江と蛍井のバンドということで固定客も少なからず居る。来てくれるのにいつも同じでは申し訳ない。


「カバー曲か。いいね、それ。やってみたい。けど今夜でしょ?えびがまだ来てないし」


「えびは来てから言ってもなんとかなるんじゃない?短い曲なら」


「連絡入れとく?」


「晶叶が歌える曲だから洋楽かGALAXYの何かだろ?」


GALAXYは晶叶が好きなバンドで学生時代に全曲カバーしたほど。彼のギターケースにはGALAXYのフロントマンであるJINOさんのサインが直筆で書かれており、彼はそれをとにかく大事にしている。


「晶叶いつ来るかな」


「連絡してみる?milkでバイトしてるかRec.で寝てるでしょ」


milkは晶叶が働く喫茶店。Rec.は掛け持ちバイト先のレンタルスタジオ。ほぼそこに寝泊まりしてるようだ。


蛍井はモバイルで早速晶叶にメッセージを送る。


「今日のセトリ、一曲カバー入れたいんだけど何がいい?」


しばらくするとモバイルが鳴る。通話申請だ。


「はいはい、ごめんね。バイト中だった?」


蛍井は蟹江にも聴こえるようにスピーカーのアイコンをタップする。


「カバーて何」

質問をすっ飛ばして本題。忙しいのか、苛ついているような声音。


「…うん。持ち歌少なすぎるし、いつも同じ順番だし飽きたって。」

相手を落ち着かせるようにゆっくりと、優しい声で答える。

一生懸命やっているMCにクレームが入ったことを蛍井は言わない。蟹江もうんうんと頷いている。


「誰が?」


声のトーンの低さに機嫌損ねたかと心配になるがこういうときには…………、酒を飲んでる蟹江に目配せをする。


「俺俺!GALAXY歌ってるときのあきって俺らの曲のときと違って色気あるし。ギャップで盛り上がると思って。」


い、色気?!蛍井はギョッとして蟹江を見る。


天然で言ってる顔だわ、これは。


「かにくん?え、い、いろ……?、…大して変わらないと思うけど」


明らかに照れたようにぼそぼそと小さな声。


晶叶が焦ってる顔が容易に想像できる。

憧れのドラマーにそんなこと言われたら舞い上がるに決まってるよな。


実はこのバンドに入る前、晶叶は蟹江のドラムのファンだった。蛍井は気づいていたが敢えて蟹江には伝えていない。


「全然!全然違う。後ろから聴いてて俺はそう思うね」


「……、そうかな。まあ…GALAXYの曲だったらなんでも歌えるけど」


「バラードまではいかないけどそこそこ盛り上がれる感じのがいい」


スポットライトを浴びた晶叶の身体の線が、薄いシャツを透かして浮かび上がる。


艶のある高音と、ゆらゆら揺れる腰。


どんな顔して歌ってるのか、ドラムのポジションからでは見えないけど、好きな人の曲を歌うその後ろ姿を眺めていると、抱きしめて羽交い締めにしたくなる。

何考えてんだ、男にまで欲情するなんて元気すぎだろ。と笑ってしまう。そんなこと、あるわけない。しかも他の男の曲だ。


「オレはサビの声が特に響くとこはわざとくっついて聴きたいね」


蛍井がとどめを刺す。


 「透真くんまで…。そういうのいいって。もう…、、とりあえずバイトもうすぐ上がれるから、スタダス行くね?行くまでに考えるから。


 蟹江にとっては6歳年下の晶叶。

かわいいんだよなあ。男なんだけどなあ。後ろから俺のドカドカ系のドラムで心臓を揺さぶってやりたくなる。………いや、やめておこう。我を忘れるようなあの叩き方はもう辞めたんだ。


GALAXYのCDはすぐ手の届くところにある。晶叶が煮詰まったときによく聴くからだ。プレイヤーで流す。しゃがれた声じゃないけどチリチリと響くように歌う歌い方は、晶叶のそれに近い。

だけど俺は晶叶の声のほうが好きなんだよな。

ポップで可愛らしい声、

「かにくんのドラム、うるさい。オレの声、客に聴こえてなくない?」

と唇を尖らせて抗議してくる彼に

「そんなの、晶叶がもっとデカイ声で歌えばいいだけだろ」

と笑って返した。

そしたら次はほんとにデカイ声で歌ってきて。後ろから見てても口が大きく開いてるのが見えた。可愛かった。客のほうもでかい口をぽかーんと開けて晶叶に魅了されていた。蟹江はそれを気に入ってしまった。


俺のドラムが晶叶の魅力を引き出せる。

細くてかわいい声が、チリチリと響いた芯の太さみたいなものを手に入れたような気がした。

うるさいと言われる俺のドラムでもしっかり耳に届くデカくて響く声。


あの声で歌ってくれるなら、いつか、もしかしたら自分も。

そう、思っていた。

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