第5話
王城に、姉がいる。そう分かっただけで、浮ついていたヨシュアの心は確かな目的を持って落ち着いた。
だが――そんなヨシュアの意志に立ちはだかるかのように、戻った先のパピヨンでは、新たな事態が幕を開けていた。
夕刻、浮かれて戻った二人を迎えたのは、珍しくパピヨンの外に見張りとして立っていたメンバーだった。
事情は中に入れば分かると言って地下に通され、そこで二人が目にしたのは、断末魔の、怨嗟の声を上げ続けるファライナと、自らも手傷を負っているにも関わらずファライナを懸命に手当するリリだった。
「くやしい、くやしい……くやしい……っ」
呪詛のような言葉が繰り返される。
ファライナは賭博部屋に急遽用意したシーツの上に寝かされていた。その脇にはリリが付き添っている。
真紅のドレスが、どす黒く変色している。血だった。
リリが必死でその出所たる腹を抑えているが、出血が多すぎてもはや手の打ちようがないことは自明だった。
カイルや他のメンバーがリリの手当てをしようとするが、まるで手負いの獣のように唸り、それを拒む。そして泣きながら、ファライナの傷口を押えていた。
「ごめんなさい。わたしがいたのに……!」
リリのドレスも血に染まっている。だが、どうやら負傷しているのは腕だけで、他の血はファライナもしくは誰かの返り血のようだった。
「どしたの、これ」
ミゲルが近くの男を捕まえて問いかける。
「ユーリェン公司との顔合わせが、罠だったそうだ……」
「あー……」
「ユーリェン公司との待ち合わせ場所で、襲われたそうだ……リリが必死にここまで連れて帰ってきたが……アジトが割れた可能性も高い。終ったら、場所を移さないと」
隣の男がそう言い終えた瞬間、リリが激高してふり仰ぐ。
「終ったらなんて、言うな!!」
言い終えた瞬間、涙がぽろりと零れ落ちる。失言した男は降参のポーズを取ってからどこかに行ってしまった。
「ファライナ姐さん。災難だったね」
横たわるファライナの横に膝をつくミゲル。リリが一瞬牙を剥こうとするが、ミゲルの目が思いの外優しいことに気づき、ゆっくりと手を下げる。
ミゲルはファライナの頬に手を添える。だが、死に瀕したその美しい女は、ただ薄暗い天井を睨みながら、呪詛を吐き続けることしかできないようだった。
「あの男……絶対に、殺すって、誓った……のに……」
「姐さん……」
虚空を彷徨った手は、やがてミゲルの顔を掴む。
「い……っ」
長い爪が食い込み、美貌を抉っていく。
「赦さない、ぜったいに……王子め……」
何とか引きはがそうと苦戦しているうち、やがてファライナの力が抜け、仮面のようにミゲルの顔を覆っていた手が、呆気なく離れた。
そして、ずるりと落ちた後、力なく倒れていく。シーツに落ちる直前、ミゲルが手首を掴んでから、ゆっくりと横たえる。
肺に含んでいた空気が、抜けていく。
リリが息を呑み、ミゲルが悲痛に俯き、周囲では沈痛な溜息が漏れる。
ファライナが、こと切れたのだ。
「ファライナ……ファライナっ!」
リリが血まみれのまま取り乱し、ファライナの亡骸に縋りつく。静まり返った空間に、少女の嗚咽が響く。
少しの間そのままリリに好きにさせていたが、やがてカイルが落ち着いた声で発言する。
「……この場所が割れた可能性もある。はやめにアジトを移さなければならない」
「そうは言っても、他に場所なんかあるのか……?」
メンバーの一人の言葉に、カイルは難しい顔をして返事をした。
「元々、ファライナが一人で立ち上げて金も場所も、何もかも用意していた集まりだからな……今更だが、それに甘えすぎていた」
「……じゃあ、どうする……?」
カイルが沈黙する。
その場に居るのは日頃からこのパピヨン地下にたむろしていた10人ほど。他にも王都内に数十人のメンバーが居るものの、ファライナのように求心力・行動力のある頭領たりえる人物も、そして組織を支えるための土台も、今すぐに思い浮かぶものは無かった。
少女のすすり泣きだけが響く中、立ち尽くすメンバー達。
ヨシュアもまた、何も言えずに誰かの声を待つことしかできなかった。
そんな中。不意に、階段をコツコツと速足で降りる足音が聞こえてきた。
「――!」
警戒の姿勢を取るメンバー達。その見守る中、ギィと軋んだ音を立てながら、出入り口の一つの扉が押し開かれた。
顔を出したのは、上で見張りをしていた男だった。狼狽えた顔をしており、ファライナを見やってからあたりを見渡し、ようやく見つけたカイルに向かって声をかけた。
「あ、ええと……今、ユーリェン公司の使いってやつが上に……」
「!」
瞬間、リリが傍らのナイフを掴む。怒りに燃える顔で立ち上がろうとした彼女の腕を、ミゲルが何とか掴んで制止した。
「離せ……っ」
「待ちなよ、今度のは罠じゃなくて、本物かもしれないだろ」
じたばたと暴れるリリを何とか抑えこむミゲル。
「本物だったら、なんで、もっと早く来てくれなかったの!」
八つ当たりのようにミゲルの腕を拳で叩くリリ。
そこに、突然滑らかな声が入り込んできた。
「おや、内輪もめでございますか」
ぬめるような、耳に液体として入り込んでくるような独特の声だった。途端にその場が静まり返る。リリですら挙動を止め、その声の主を見やる。
見張りがおずおずと道を開け、扉をくぐって中に入ってきたのは、柔和な顔をした中年の男だった。黒い髪を後ろに撫でつけ、結えている。ここらではあまり見ない出で立ちで、異国の者であることが窺えた。
「わたくし、ユーリェン公司の使いの者でございますが、シュレーフェン叛乱軍のリーダーのファライナ様は……おや」
にこにこと笑みを崩さないまま、男は横たえられたファライナのなきがらに目を止める。
「これはこれは、お悼み申し上げます。
して、次の代表の方はどちらに?」
そう言って、男はゆっくりと左右を見渡す。だが、誰も返事をしようとしなかった。カイルですら、突然の闖入者に対応をしあぐねている。
「先日ファライナ様より書簡をいただきまして、此度は商談のお誘いに参りましたが……どうやら、お呼びでなかったようですな?」
「いや……今こんな状態で、悪いが日を改めてもらえると助かるのだが」
カイルが弁明すると、男は柔和な笑みを深める。
「ほう。ですが、こちらありがたいことに多くの取引を抱えておりまして多忙の身でしてね。組織がまとまっていない上に予定すら決まらないとなれば、改めて初めから手順を踏んでいただくことになりますが、よろしいかな?
ちなみにファライナ様とは一年間ほど書簡のやり取りをさせていただいたうえで本日わたくしが参る段取りとあいなりましたが」
「…………」
目の前に、実際にユーリェン公司の名を騙る罠にかかり命を落とした者が居る中、突然訪れた公司の使いを名乗る者の真贋を見定められる者は、誰も居なかった。
本物か、罠か。
本物ならば、武器を供給するにあたって最大のパイプを手に入れることができる。だが、罠ならばファライナのようになるのみ。
少しの間返事を待っていた男は、誰も発言しようとしないことを悟り、僅かに鼻で笑い、ゆっくりと頭を下げた。
「それでは、これにて失礼いたします。ファライナ様は残念なことでございましたな」
顔を上げた男が踵を返そうとしたそのとき――
「おれが……おれが、代表になる」
そう言って一歩を前に踏み出したのは、新入りの年端もいかぬ少年――ヨシュアだった。
いまユーリェン公司とのつながりが切れれば、叛乱を起こすまでの道が――つまり、姉に至る道が遠ざかることになる。
そう考えると、居てもたってもいられなかった。
拳を握りしめ、唇を噛んで、メンバー達の怪訝な眼差しを一手に引き受けるヨシュア。
「ヨシュア……」
「……よろしいので?」
公司の使いの男は、ヨシュアとカイルを交互に見やる。この中でカイルが最もトップに近い立場であると見抜いていたのだろう。
「誰もならないなら、おれがやる」
ヨシュアがまるで自分に言い聞かせるかのようにそう言うと、カイルは暫時思案していたが、やがてヨシュアを真っ直ぐ見つめて確認をする。
「きみが、これからこの叛乱軍の代表になる。それでいいんだな? 最終目標は、王を殺めることだ。そこに至るまでにも多数の血が流れるし……ファライナのように罠にかかったり、返り討ちにあって命を落とすかもしれないんだぞ」
「分かってる」
大きく頷くヨシュア。睨み合うように視線をぶつけ合っていたが、やがて折れたのはカイルの方だった。
「……それならば、異論はない。公司の方、かれが代表だ」
その場が一瞬どよめくが、だれも表立って反対しようともしなかった。
「承りました。それでは、明後日、こちらの場所にてお待ち申し上げております。おひとりでおいで下さいませ」
男はするりと人をかいくぐりながらヨシュアのもとに来て、一枚の封書を手渡してきた。妙に重いそれは、血のような紅い蝋で封印がしてあった。
「これにて失礼いたします」
ヨシュアが返事らしいことを何も言う暇もなく、男は再びするすると人の合間をくぐって、出て行ってしまった。
残された面々は、カイルとヨシュアを眺めながら次なる反応を待つのみ。
互いに言い出しにくそうに視線を絡ませていると、やがて横から能天気な声が割って入る。
「ヨシュア、本当に大丈夫かぁ~?」
ミゲルだった。いつの間にか落ち着きを通り越し、放心してへたりこんでいるリリを置いて、立ち上がる。
「……こうでもしないと、ダメになりそうだったから」
「ま、そうだな。あれだけ怪しい人なら逆に罠じゃないのかもな」
ヨシュアの側まで来たミゲルは、ぽんぽんと肩を叩く。
「きっと、大丈夫。よく言ってくれたよ。姐さんのやってきたことが台無しになるところだったんだもんな。
といっても、姐さんみたいにできるわけじゃないし、とりあえず、あんたが仕切ってくれるんだろ?」
「ああ。そうなるだろうな。すまん、ヨシュア。罠の可能性を考えて即答できずにいたんだ」
ミゲルの眼差しを受けて、カイルが頷く。
場の空気を操るのが本当に上手な男だった。ミゲルの言により、周囲からのヨシュアへの眼差しはいささか和らいだようだった。
「とにかく、ユーリェン公司とのつなぎだけは君にお願いすることになるが……」
「分かった」
返事をしたヨシュアは、手にしていた封書に目を落とす。
吉と出るか凶と出るか。何にせよ、こうなってしまった限りはこの封を開けなければならない。
裏返すと、まるで本物の血のように紅く、鈍く艶を放つ封蝋がある。押印されている優美な花の紋章はユーリェン公司のマークなのだろう。
ヨシュアは覚悟を決め、震える手でそれに手をかけた。
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