小灯

夏目凪

小灯

 机の上には小さな灯りが点っている。その上で開かれた教材は、自習室で辛うじて進めた数問だけ埋まっていて、あとは空欄だ。かれこれ10分はこうしていた。

 幸せになりたいんじゃなくて、幸せにして欲しい。だから、自分の未来のための勉強というものにどうも身が入らない。彼氏が欲しいなんて言ったりする。でも、それは幸せにしてくれそうな典型が男だから彼氏と言ってみるだけで、私にそれを与えてくれるのなら女だっていい。死後の世界に住む怪物だって構わない。

 勉強机に突っ伏した。母親に似ているところを見つける度に死にたいと思う。嫌なことがある度に癇癪を起こして物に当たる。目の前でバスが行ったとか、宿題が終わらなかったとか。そういうことがある度に涙が滲む。そして、大抵理解されないか、中途半端な共感だけ示されるから更に自暴自棄になる。ADHDの人にみんな忘れ物するから大丈夫だよ、なんて言ったところで慰めにはならない。それと同じだ。

 どうしても勉強する気持ちにならないので教材をしまった。やる気は始めれば着いてくると言うが、どうも私にそれは当てはまらないらしい。メンタルが不調だと、勉強を始めて30分で辞めてしまうなんてざらにあった。

 パソコンを立ち上げた。ゆっくりとした起動は、また私を苛立たせる。どんな話を書こう。少女が不幸になる話を書こうか。読む時はハッピーエンドが好きだけど、書く時はバッドエンドが好きだ。書く時は主人公と自分を同一視しないからだろう。それは他人の幸福マウントのように思える。自分の作品の主人公の幸福は、私に幸福をもたらさない。

 昼間でもカーテンを閉めて暗い部屋の中で灯りが点っている。これでは目は悪くなる一方だが、このくらいの陰鬱さが私にはピッタリだった。何故だか暗闇が好きだった。

 一文目を書き始めた。300字ほど書いてから、気に入らなくて全部消した。心のまま書くことも、決められたレールの上で文字を遊ばせることも、どうも気に入らなかった。私を責めるような、机上の僅かな灯りだけが心の癒しだった。本を読むより、愛を語るより、何もしないまま無機物に責められている気になっていることが一等幸せだった。スカートを巻き上げる四角い箱、傘に刺さる透明な槍、近づくと逃げていく(ように感じる)枯葉の一枚一枚。そればかりが私の心を占める。

 きっと、私は明日教室にいる。何事も無かったかのように、この小説を書き始める。好きな男と結ばれる幸せな女の子の話。作者でさえ好きになれない、駄作の誕生。

 パソコンを閉じた。今日の気分はとことん落ち込んでいるようだった。それは窓の外の雨の所為かもしれないし、テストの結果が悪かったからかもしれない。ああ、でもきっと、今夜の雨の所為だ。そうでなくては赦されない。

 手から数センチ離れたところでバイブ音が鳴った。机の上で、光るスマホ画面に映る通知が君からのものだったら良い。そんなことを考える自分も嫌いだ。ここにいる限り、君の存在すら掴めないというのに。

 通知を確認の内容を確認する気も起きなくて、そのまま電話を掛けた。昨日の通知の所為で、何を見るにも怖かった。

「なんか連絡来てたけど、なんの用事?」

小灯シャオドン?」

「どうかした?」

「いや、電話がかかってきたから」

 彼女は明らかに電話口で戸惑っていた。たしかに、普段ならば私が電話をかけることはない。相当に今日は落ち込んでいるようだった。

「で、なんか用事あって連絡よこしたんじゃないの?」

「ああ、来週日本に行くからその荷物一緒に買いに行こうって誘おうと思ってさ。小灯の好きな子を射止める服も選んだげるからさ」

「余計なお世話なんだけど。まあたしかに買い物は一緒に行こうか」

 そうして二言三言、世間話をして電話を切った。やっぱり私は言えなかった。彼、付き合ったらしいよ。だから、諦めようと思ってて。そもそも、留学中に付き合えなかったんだから諦めるべきだったんだって。

 心の中に小さく灯る光を消せないから、私は今日も苦しいまま、何かに責められているのに、きっかけさえ与えられても、私は何も変われない。代われないままに独りで。

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小灯 夏目凪 @natsumenagi

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