第1話 声への応援コメント
「拾ってほしかった草の花」「拾ってほしかった白いりすのような生きもの」、外側にある命たちもまた、生きたかった自分の形を代弁しているように思えます。
「自分」と呼んだとき。その直後「わたし」と呼んだとき。
前者には客観がたくさん。後者はただ内側の意識があるだけ。そう感じます。
眠りと死は、大昔から並んでいるもので似ていると言われてきたそうですね。
だから目覚めの声は、生まれの声。
夢の声は、ほんとうの、言いたかったさけび。
そういうふうに、読みました。
作者からの返信
紅戸ベニ様。ありがとうございます。そうなんです。最後の「自分」と「わたし」の対比、これが分かりにくかったです。「自分」は「他者と自分」の「自分」。「わたし」は他者との関わりを離れた「わたし」そんなものがあるとすればなんですが、それをどこかに忘れてきてるような感覚があって、それを読んでみたかったのです。おっしゃるように、その「わたし」には、本当に言いたかった「さけび」があったかもしれない。
第1話 声への応援コメント
皆さんのコメント読ませていただきますと、恥ずかしくて。
いつも的🎯外れなコメントしてます。すいません。
もし、これがふみそのさんの気持ちなら、誰でも、気づかぬうちに踏みつけた物や見過ごしてしまった物はあります。
自分を大好きになる、私を愛するのは難しい難問です。
これをいとも簡単にやってのける人は、愛情たっぷり注がれた人ではないでしょうか。
注いでもらってたら、きっと自分、私を好きで愛せるような気がしますよ。
作者からの返信
菜の花のおしたし様。ありがとうございます。私を愛するのは難問。そうですよね。わたしには、作った(あるいは作られた)自分しか見えていないのだから。まずわたしを探すことから始めないと。ずっと私に成れないまま終わってしまう。でもね、今気づいたけど、そんな、わたしを見つけられない情けないわたしも愛おしいじゃないですか。付き合ってあげなきゃね。最後まで。