雨男との密会
猫小路葵
雨男との密会
式典のあと、立食パーティーが催された。
場所は都会の真ん中にあるホテル。
午後の庭は少し肌寒い。
少し歩いたところから建物を振り返ると、大きなガラス越しに室内がよく見える。
天井のシャンデリアからは惜しみなく光がばらまかれていた。
このパーティーに、諒は嫌々出席した。
在籍するデザイン事務所の所長から「おねがい!」と拝まれたら断れなかった。
「わたしを助けると思って!」
日頃所長には世話になっているし、彼女のつらい立場もわかるから。
けれど、長時間いると息が詰まりそうだった。
女性たちの香水や化粧の匂いに酔いそうだったのだ。
そこで、手洗いに行く振りをしてこっそり脱出した。
歩いているとベンチがあったので、諒はそこに腰掛けた。
立ちっぱなしだった脚にじわりと血が巡るようで、ようやく一息つくことができた。
シャツのボタンをひとつはずし、襟を緩める。
ひんやりとした空気が首元を撫でた。
すると、向こうからもう一人、同じような人間が歩いてくるのが見えた。
――あいつもきっとパーティーから逃げてきたに違いない。
彼は諒がここにいるのを知っていたように、まっすぐこちらにやってきた。
諒は、近づいてくるそいつ、
「抜けてきていいの?」
「おまえこそ」
水脈は諒の隣に腰を下ろした。
『みお』という女みたいな名前だが、水脈は紛れもなく男で、しかも文字通り『水も滴るいい男』というやつである。
事務所の同僚である水脈も、諒と同じく所長から手を合わされたクチだった。
所長いわく、水脈や諒がいると『場が華やぐから先方が喜ぶのよ』とのこと。
出席してくれと所長から頼まれたとき、諒は「水脈も行くなら行ってもいいですよ」と言った。
そしたら所長が「ほんと? 水脈も同じこと言ってたよ、諒が行くなら行くって!」と言うではないか。
「じゃあ二人とも出席で決まりね!」
所長はその場で、諒たちの気が変わらないうちに、先方にその旨を連絡した。
そのことを今また蒸し返して、諒は愚痴った。
「水脈が余計なこと言うから……」
「諒だって同じこと言ったくせに」
「まあ、そうだけどね」
いつもの調子で軽い会話を交わし、二人で笑った。
先ほどまでの息苦しさは、もう感じなくなっていた。
水脈といると、どんな場所にいても息がしやすい気がした。
ここからも会場内の様子が見えた。
何人かの女性が何か話しながらキョロキョロしていて、人を探しているようだった。
「ほら、水脈のこと探してるよ」
「諒を探してるんじゃないの?」
「いやいや、そりゃあ水脈様でしょうよ」
お目当てが消えて、女性たちはがっかりしているだろう。
少し気の毒に思ったけれど、今すぐあそこに戻る気にはならなかった。
しかし、自分たちから会場が見えているということは、向こうからも同様だろう。
諒は水脈に尋ねた。
「ここにいたら見つかるかな」
すると水脈は言った。
「じゃ隠れなきゃ」
水脈が先に立ち上がり、諒の腕をとってベンチから立たせた。
どこ連れてくつもり?
そう聞こうとしたとき、頬にぽつりと雨粒が落ちた。
二人して空を見上げる。
ぽつり。
少しして、またぽつり。
「出た、水脈の雨男!」
そう、水脈は水が滴るだけでは飽き足らない、自他ともに認める雨男だった。
世の中には強烈な晴れ男や晴れ女が存在するが、水脈もなかなかの筋金入りだ。
行く先々で雨が降る。
パーティーの出席者には晴れ勢もいたかもしれないけれど、今日のところは水脈に軍配が上がったようだった。
「戻る?」
尋ねた諒に、
「戻らない」
水脈は答えた。
水脈は諒を木の陰に連れ込んだ。
少々の降りなら凌げそうな枝の下。
「今日は水脈の勝ちだったね」
雨が降ったことを諒がからかうと、雨の申し子は指先で諒の唇に触れ、囁いた。
「だったら雨男に勝利の美酒をください」
すかしたことを言う水脈の目は笑っている。
「よくそんな台詞がすぐに出るな」
感心しながら諒も笑った。
水脈の指先は、諒のシャツの首元に移動する。
諒は水脈の目を覗き込んで言った。
「色男の雨男」
雨音のリズムがさっきよりも早くなった。
雨男との密会 猫小路葵 @90505
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