第6話 紅葉通り

 翌朝、町は透き通るような青空に包まれていた。

 雨上がりの空気は澄みきっていて、木々の葉が朝の光を受けて金色に輝いている。風が吹くたびに、紅葉した葉がゆっくりと舞い落ちた。その音は、まるで時間の砂が静かにこぼれていくようだった。


 悠は、丘へ向かう道の途中にある〈紅葉通り〉を歩いていた。十年前、紗月と何度も通った場所。並木道の両脇には古い家々が並び、木漏れ日が赤や橙の絨毯を作っている。

風が通り抜けるたび、葉が舞い、世界がゆっくりと色づいていく。


 ポケットの中には、昨日の手紙が入っている。

『風の丘へ行ってください。そこに、私の最後の灯りを置いてきました』


その言葉を胸に刻みながら、悠は足を進めた。


 通りの途中に、見覚えのあるベンチがあった。

木製の古びたベンチ。そこに、ふたりで腰を下ろし、缶コーヒーを分け合った記憶が蘇る。


——あの日も、こんな風だった。

紅葉が風に舞い、陽だまりが柔らかくて、紗月の髪が光っていた。


「悠、風ってね、少しだけ切ないね」

「なんで?」

「だって、通り過ぎたあと、何も残さないから」


 その時の彼女の声が、今も耳に残っている。悠はベンチに腰を下ろし、しばらく目を閉じた。風の音、木々のざわめき、遠くの鳥の声。すべてが懐かしくて、胸が温かくなった。


 ふと、ポケットの中のマフラーを取り出す。

紗月の編んだ、あのえんじ色のマフラー。

光に透かすと、ひとつの糸が細くほどけかけていた。指でなぞると、そこだけ少し柔らかい。まるで、紗月の指先が触れた跡のようだった。


 そのとき、背後から声がした。

「それ……紗月ちゃんのマフラーじゃない?」


 振り向くと、見覚えのある男性が立っていた。高校の同級生、圭介だった。

十年ぶりの再会。彼もまた、少し老けてはいたが、あの頃の優しい目をしていた。


「やっぱり、帰ってきたんだな」

「……ああ。紗月のこと、まだ信じられなくて」

「俺もだよ。あいつ、最後まで笑ってた。病室でも、外の風の音を聞きながら、

『きっとまた秋に会える』って言ってたんだ」


 圭介の言葉に、悠は何も言えなかった。

胸の奥で何かがほどけるような感覚。

彼女の笑顔が脳裏に浮かび、喉が熱くなる。


「紗月が亡くなる前の週、ここに来たんだよ」圭介がベンチの下を指さした。

そこには、小さな木箱が置かれていた。

落ち葉に覆われて、気づかずに通り過ぎていたのだ。


 木箱の蓋を開けると、中には古びた写真とメモが入っていた。写真には、紅葉の中で笑う紗月と悠の姿。その裏に、小さく文字が書かれている。


「風の丘で、灯りを見つけたら、もう泣かないで」


 悠は唇を噛みしめ、目を閉じた。

指先に木箱の冷たさが残る。それはまるで、彼女が残した“最後の道しるべ”のようだった。


 圭介は静かに言った。

「行ってやれよ。あいつ、きっと待ってる」


 悠はゆっくりと頷いた。


 空を見上げると、紅葉の葉が一枚、風に舞い上がった。それが太陽の光を受けて、金色に瞬く。まるで、紗月の笑顔そのものだった。


 風が吹き抜け、マフラーの端が揺れる。

その揺れを見つめながら、悠は再び歩き出した。風ノ丘まで、あと少し。紅葉通りを抜けるその足取りは、もう迷いではなく、祈りに近かった。

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