消えたひと

てつ

交わらない二人

教室の隅、二列目の窓際。

高橋悠真は、誰にも話しかけず、話しかけられず、ひとりで昼食をとっていた。

アニメ雑誌を開くと、隣の席の女子が小さく呟く。


「・・・これ、二期やるんだよね。」


その一言から、世界が少し変わる。

白石紗耶という名前の小柄な女子生徒。

目のすぐ上までの揃えられた前髪、黒いマスク。素顔はうかがい知れない。

その沙耶もまた、誰とも関わらないタイプだった。


放課後の図書室で話すようになり、

お互いに“居場所”を感じていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


梅雨特有のしとしと降る雨の中、

気になる悠真は、彼女の家へ行った。


その門前で、沙耶が降る雨に傘もささずに立ち尽くしていた。

家の中からは怒鳴り声。


悠真の方へ向き直り、

「聞こえたでしょ?」

「ん」

「うるさいよね、この世界」


翌日から彼女は遅刻が多くなり、登校しない日も増えてきた。

彼女はその日から、変わった・・・


ノートもとらず、聞いているのか?どこかうわの空のように見える。


ある日、悠真は勇気を出して聞いてみた。

「大丈夫か?」

沙耶は少し考えるようにして言った。

「大丈夫・・・でも、もうすぐ限界かも」

それが最後の沙耶との会話だった。


ある朝のHRで

「家庭の事情で転校した」とだけ告げられた。

どういう事情なのかは明らかにされない。

彼女が気になっている悠真は

――どうしてだろう?――


昼休み、職員室で聞いても「解らない」

「個人情報だから」その一点張り、なにも教えらない。


「個人情報保護法っていう法律があるからね。解るよね」



彼女のSNSは消え、図書室の机の落書きだけが残った。

そこには一行――


“この世界の音が、うるさすぎた。”


悠真は、それを指でなぞる。

どんな言葉をかければよかったのか、

いまでも分からない。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

数年後。

大学生になった悠真は、駅前のカフェで働いていた。


ある雨の日、店に現れた客。

傘をたたんで顔を上げた瞬間、

心臓が止まった。


――白石紗耶。


短く切った髪。

落ち着いた表情。

もう、別の世界の人のようだった。


彼女は静かに言った。

「この世界、前よりは少し静かになったよ。」


二人は街を歩き、

少しだけ話した。

もう昔のように心を開けはしない。

けれど、言葉の端に、かすかな温度が残っていた。


別れ際、彼女は小さく笑った。

「ありがとう。あの時、声をかけてくれて。あれで少しだけ生きようと思えた。」


残されたレシートの裏には、細い字でこう書かれていた。


“あの世界から、やっと抜け出せたよ。”


雨の音が、静かに響いた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

秋。

デザイン専門学校の卒業制作展。

紗耶は、自分の展示の前に立っていた。


テーマは「静かな場所」。

すべての絵に、小さな少年の姿が描かれている。

夜の教室、雨上がりの駅、図書室の窓際――

どの絵にも、彼がいた。


少年の名は「ユウマ」。

説明には書かない。

けれど、紗耶の中でははっきりしている。


午後三時。

会場のベルが鳴り、彼が現れた。


二人は何も言わず、絵を見つめた。

彼は小さく頷いて言った。

「描いてくれて、ありがとう。」


それだけで十分だった。


彼が去ったあと、紗耶は展示を見上げた。

光の中、“ユウマ”が微笑んでいた。


世界はまだ少しうるさい。

けれど、もう怖くはなかった。





彼と彼女は、もう交わらない。

けれど、確かに互いの世界の中に、

小さな居場所を残した。


それが「救い」と呼べるものかは分からない。

ただ、あの日、“この世界の音がうるさすぎた”と呟いた少女は、


もう――静かな音の中で、生きている。



完結

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消えたひと てつ @tone915

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