第22話

 その時──空気が裂けた。


「……え?」


 斧を振り上げていた同盟員の巨体が、唐突に傾き、崩れ落ちた。

硬い地面に頭が叩きつけられ、血の飛沫が土を濡らす。


 倒れた男の向こうに、狼の耳と尾を持つ女戦士が立っていた。

灰銀の髪が風に揺れ、口元には悪戯っぽい笑み。


「なんだこの斧? 木こり用か? 刃がガタガタじゃん」


 ライカは自分の斧を背に収め、落ちていたそれを片手で拾い上げた。

軽く握りを確かめるように振ると、目の前の同盟員に向かって笑う。


「ほら、受け取れよ!」


 投げられた斧が空を裂く。

刃の鈍い光が一瞬だけ炎を反射したかと思うと──鈍い音が響いた。


「ぐうわっ!」


 悲鳴とともに、別の同盟員が膝から崩れる。

額には、さっきの“プレゼント”が深々と刺さっていた。


「なんだよ、ちょっと渡しただけだけなのに。

 “受け取れ”って言ったじゃん?」


 クスクスと笑うその表情は、狩りの最中の獣そのものだった。


狼の戦士──ライカ。


「じ、獣人じゅうじんだ!!」


 誰かの悲鳴が引き金だった。

次の瞬間、広場は阿鼻叫喚の渦に変わる。

子供たちが泣き叫び、浮浪者たちは転げながら逃げ惑う。

鍋が倒れ、熱いスープが土の上に散った。


「か、構えろ!」


 ベニスが指示を飛ばすが、声は裏返っていた。


 浄蹄同盟じょうていどうめいは民間の集まり──

鍬を持つ手で剣を握る農民、棒を構えるだけの素人兵。

臆病な獣人じゅうじんをいたぶることはできても、

戦場を知る者の殺気に耐えられるはずもない。


 そして、戦場を知るライカが敵前に一人で現れるわけがなかった。


「……フッ」


 短く息を吐く音。

木の枝が軋み、黒い影が落ちた。


 オイレだった。

鋭い鉤爪が閃き、男の悲鳴が喉の奥で潰れる。

彼の頭と喉を掻き裂きながら、オイレは静かに着地した。

血が爪から滴り、土に濃い染みを作る。


「こいつ!!」


 両脇の同盟員が叫び、こん棒を振り上げた。


──隙だらけ。


 オイレは一歩も動かず、ただ手首を滑らせた。

短刀と投げナイフが空を切り、二人の喉を正確に貫く。

音もなく倒れた彼らの身体が、ほぼ同時に地面に落ちた。


「はぁ……ライカ! 勝手をするな!」


 オイレは苛立ちを隠さず吐き捨てる。


「ヴェロニカ様の指示はまだだったぞ!」


 怒りの声に応えるように、遠くで狼の笑い声が響いた。


「さ、下がれ! 獣人じゅうじん共め! これが見えぬのか!」


 同盟員の影に隠れながら、ベニスが震える手で聖蹄免状を掲げた。

羊皮紙の金の印章が、焚き火の赤に照らされて鈍く光る。


「これは、恐れ多くも、太陽聖教より賜った──」


 その言葉の途中。


パチンッ。


 静寂を裂く小さな音が森の奥から響いた。

指を鳴らす音──ただそれだけ。


 だが次の瞬間、聖蹄免状は赤々と燃え上がった。

炎は風もなく立ち昇り、紙を食い尽くすように揺らめく。


「ひ、ひぃい!!」


 ベニスは慌ててそれを放り投げ、後ずさった。


「あらあら……駄目じゃありませんか?」


 森の闇を背景に、柔らかな声が響く。


「大切な書類を粗末にするなんて。怒られてしまいますよ?」


 木々の隙間から現れたのは、杖を手にした猫の獣人カーター。

そしてその隣──


 黒髪を肩で揃え、内側だけ紅に染めた異様な女。

夜の闇よりも黒いコートを肩にかけ、

貴族の舞踏会にでも出るようなハイヒールで、堂々と土を踏みしめていた。

腰には場違いな刃──艶やかで残酷なナタ。


「な、何者だ……?」


 ベニスがかろうじて声を絞り出す。


 女は唇に笑みを浮かべ、視線だけで彼を射抜いた。


「呼ばれたから来たのですよ」


 そして、ゆっくりと両手を広げる。


「ええ──お待たせしましたわね。

 私が“獣王様”よ。」


 炎の残り火が頬を照らし、ヴェロニカは心底楽しそうに笑った。

その笑顔は、神をも侮辱する女王のそれだった。


「さぁ、みんな。同盟員を殺しなさい。一人も逃がしては駄目よ」


 ヴェロニカの一声が、その場の空気を変えた。

そして同時に、斧は振り上がり、短刀は閃き、杖は火を孕んで前へと突き出された。


「セ、セリューネ様! あの女が獣王ですか!?」


 デュノールの声が震える。剣先が微かに揺れた。


 セリューネは一瞬だけその女を凝視した。伝承にある獣王像――山のような獅子、轟く咆哮。目の前の女はあまりにも違って見える。

だが、顔つきや声色の“らしさ”だけが本物の証ではないことも、彼女は知っていた。


 トウジンが無意識に髭を撫でる。呑気な振る舞いだが、

その目だけは冷たくヴェロニカを射抜いていた。何かを見届けようとしている。


 セリューネの手がランスの柄に確かに触れる。王の命令、町の安全、

そして――目の前の命。

兎の獣人が、取り残されていた。


「先ずは、彼を助ける。邪魔をする者は切り捨てる。続け!」


言葉は短く、命令は冷たい。だがそこに迷いはなかった。

セリューネはランスを真っ直ぐに前へ突き出し、仲間と共に駆け出した。


 地面を蹴る蹄の音。金属が空を裂く音。森の端で、二つの意思がぶつかる──

獣人たちの怒りと、王に仕える騎士の決意が、今、交差する。




「まったく……減点よ、ライカちゃん。いきなり飛び出すんだから」


 私は腰に手を当ててため息をついた。

焚き火の明かりに照らされたライカちゃんは、反省の色もなく尻尾を振っている。


「え〜、いいじゃん? 兎の獣人は助けられたんだからさ~」


「困ったわねぇ。反省という言葉、知ってる?」


「ライカ……そのせいで、かしらを取り逃がしたんだぞ?」


 オイレが血のついた爪を払って、冷たく言った。


「あと数秒待っていれば、私が仕留めたものを……」


「オイレちゃん?」


 私は半眼で彼女を見た。


「あなたも包囲に時間をかけすぎ。減点よ、二人まとめて」


「す、すまない……ヴェロニカ様。……つ、次は上手くやる」


 オイレちゃんは飾り羽を伏せて項垂れる。可愛いわね。素直な子は好きよ。

ライカちゃんも少しは見習ってほしいところだけど……。


「獣王様!! 俺なんかの言葉を聞き入れてくれるなんて!! 噂通りだ!!」


 足元に平伏する兎の獣人が涙を流している。

その……「獣王、獣王」とあまり連呼しないで欲しいのだけど。

バレてしまうじゃない。まぁ……私自身も言ってしまったけど……


「完全にバレてしまってますね。……どうしましょう?」


 カーターくんが小声で言う。尻尾が不安そうに揺れていた。


 私は微笑んで肩をすくめる。


「どうしましょう、ねぇ……」


 視線の先には、こちらを睨みつけているケンタウロスの女騎士たち。

彼女たちの蹄が石を砕き、月明かりの下で息づいていた。


「……ほんと、どうしましょう?」


 いつもの調子で笑いながらも、ヴェロニカの目だけが獣のように光った。


──続く。

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