第20話

 こんにちは。みんなのお姉さん、ヴェロニカさんよ。


 覚えているわよね?

可哀想な奴隷さんを、悪い商人から“助けて”あげた話。

……ええ、洗脳して手駒にしたとか、降伏した相手の命を奪ったとか、

細かいことを並べるのは趣味が悪いわ。

そういうの、嫌われるわよ。お姉さんからの人生アドバイスよ。


 ともあれ、私たちは次の街へ向かうことにしたの。

まだ見ぬ獣人ビースト・マンを救うために――

もちろん、反乱の捜査と“懸賞金”から逃げてるわけじゃない。本当に。信じて?


……ほら、道標の掲示板に紙が増えてる。白い蹄章の印──


「不逞の獣人とその女、探索スル」


 ね? ぜんっぜん逃げてないでしょ。ただ、ちょっとだけ急ぎ足なだけ。



 掲示板の木札に、白く塗られた蹄の印。紙はまだ新しく、角を蝋で留めてある。


「白い蹄章……浄蹄同盟じょうていどうめいですね……」


 猫のカーターくんが囁く。丸い鼻先のひげがぴくりと揺れた。

……可愛いわね。


「はて? 浄蹄同盟? 初耳ね」


「……ヴェロニカ様。そいつらはただのクズだ。

 神敵って言葉を免罪符にして、獣人ビースト・マンを狩る連中」


 オイレちゃんの声は低い。珍しく感情が滲む。


 掲示の下には“炊き出し 本日夕刻、身寄りなき者に寝床を”の文字。


「炊き出し、物資の融通、寝床の提供──立派なことね」


 偽善の匂いがする。いやな匂い。


「まぁ、オイレの言う通り。ウチらも何度か痛い目を見た。

 嫌な奴らだよ。気をつけたほうがいいよ、お姉さん?」


 お姉さん? 私のこと?


「……ライカちゃん。私は一応、獣王なの。少しは畏れってものを──」


「うーん……獣王様って感じがしなくてさ」


「じゃあ、どう見えるのよ?」


 腕を組み、考えた末にでてきた言葉が


「面倒くせぇ女」


 唖然。


 ほ、ほう……この私を面倒くさい呼ばわりね? いい度胸だわ。


「なんかさ、休みの日に一人で酒やって、炒り豆ぽりぽりしてそう」


「べ、別に! オフに何しようと私の勝手でしょ! 文句は受け付けません!!」


……異世界で図星を刺されるとは思わなかったわ。誤解しないで。

相手がいなかったわけじゃないの。選んで一人なの。


 友達がいないわけじゃないわ……


「はいはい。お喋りはここまで」


 私はポスターを指で弾いた。


「炊き出しと集会のルートに金の匂いを感じるわ。

 夕刻の炊き出しに行ってみましょう。

 悪いことをしていたら──お仕置きよ」


 カーターくんがこくりと頷く。


「浄蹄が、まともなことをしているとは思えません」


 オイレちゃんは爪を鳴らし、短剣を確かめる。


「……そのとおりだな」


ライカちゃんはにやりと笑った。


「了解、面倒くせぇ獣王様」


 そして、私は、


「……ピーナッツでもあればいいわね。祝杯のつまみになるわ」




 炊き出し──いつの世でも、貧困は心を細くする。

湯気の立つスープは腹だけじゃない、従順も温める。

皿に盛られた毒と一緒に、ね。


 白い蹄章の腕章。薄い塩味、よく煮えた根菜。

木のお玉を握る男は笑っている。


「さぁ! たっぷりとお食べ」


「ありがとう! おじさん!」


 そう答えた子どもに、彼はパンの端切れを一切れ、おまけした。


「神様に祈りを忘れないようにな。

 悪い獣人じゅうじんから、守ってくれるようにね」


「わかった! ありがとう、おじさん」


 優しくされた者は、優しくしてくれた者を信奉する。

食事に寝床に、宗教。わかりやすい餌を与えれば、群れは並ぶ。


 “悪くて、弱いから叩いていい存在”──獣人ビースト・マン

祈りと悪意を同じ鍋で煮込めば、正義の味がするというわけ。


 あらあら……本当に血なまぐさい世界だこと。

剣と魔法の世界でしょう? もっと仲良く、楽しく──できないのかしら?


……滾ってしまうじゃない。

そう、こういう歪みは私の商売道具。

鍋の底に沈んだ“毒”の配合、一匙だけ私のレシピに変えてあげる。

さぁ、浄蹄同盟さん。今夜はお姉さんが味見係よ。


「……お姉さん。配置についた。アイツラをやっちまえばいいんだろ?」


 茂みの影から、ライカちゃんの低い声。


 炊き出し会場は、街道に面した場所に作られたキャンプ。

鍋の匂いと人のざわめきが、夜気に溶けていた。

カーターくんは瓦礫の陰で魔法の杖を構え、

オイレちゃんは木の上から周囲を見張っている。


「あらあら、乱暴者なんだから。別に殺しはしないわよ――今のところは、ね?」


 唇を指で押さえながら、私は囁く。


「そうなのか? ウチはてっきり……」


「困っている人たちに、ご飯や服を配っているのよ?

 それを邪魔するなんて、悪いことじゃないかしら?」


「う~ん……でも、アイツら、浄蹄だぞ? 信じられないけどなぁ」


 うふふ……ライカちゃんは鋭いわね。

本当に困っている人を純粋な気持ちで助けられる人間が、

この世にどれほどいるのかしら。


 暖かいスープを渡しながら、同じ手で鞭を握る。

それを“信仰”と呼べるのなら、確かに彼らは善良なのかもしれない。


「本当に優しいって……胡散臭いわよね」


 私の声音は、暗い夜に溶けていった。





 街道を、三つの影が風を切って駆けていた。

夜風を裂く蹄音。土が爆ぜ、木々が揺れる。

──馬ではない。


 頭には人の上半身、腰から下は四本の脚。

ケンタウロス族。

その疾駆は、馬すら追い抜くほどの速度だった。


「姫? 急ぎすぎではありませんか?」


 並走する老ケンタウロスが声をかける。

彼の名はトウジン。セリューネが生まれた時から仕える家老だ。


「王は怠惰を嫌う。ぐずぐずしていれば、同胞が皆殺しになる」

 

 先頭を疾走るのはセリューネ。

息を乱さず言い放つ。

その横で、若い騎士デュノールが低く笑った。


「同胞……ですか。そう思っているのは我々だけでしょう。

 人間に従った我々は、裏切り者ですから」


「……そうかもしれない。しかし、見捨てる理由にもならない」


 セリューネの声には、一瞬の迷いがあった。


獣王──


 獣人ビースト・マンを率いて世界を征した、伝説上の存在。

もしそれが本当に復活しているのだとしたら……

自分は、同胞に残された最後の希望を、この手で奪うのかもしれない。


「──急ぐぞ」


 考えを振り払うように、セリューネは身を沈め、さらに速度を上げた。

蹄が地を叩くたび、夜気が裂け、星明かりが揺れた。

その先に、運命の影が待っているとも知らずに──


 街道の先に、焚き火の煙が立ち上っていた。

粗末な布を張った炊き出しのキャンプ。

浮浪者や困窮した民たちが列を作り、湯気の立つ鍋の前に並んでいる。


「おっと、あれは……浄蹄同盟の旗ですね」


 歩みを緩めたトウジンが言った。


「うわぁ、嫌な奴らに会いましたね」


 若いデュノールが肩をすくめる。


 浄蹄同盟──獣人ビースト・マンを「神敵」と呼び、排除を正義とする団体。

名誉王国民たるケンタウロスですら、彼らの偏見から逃れられない。


「そう言うな。民のために食事を配る。なかなか出来ることではない」


 セリューネはそう言って、少し離れた丘の上から見下ろした。


 焚き火の明かりの中で、腕章をつけた男がパンを配っている。

痩せた子どもたちは小さな手を伸ばし、パンの欠片を取り合う。

男は笑いながら、もう一切れを差し出し、優しく頭を撫でた。


──良い光景だった。

誰もが、困った者を助け合う世界。

願わくば、その輪の中に獣人ビースト・マンも入れてくれればと、

セリューネは叶わぬ夢を見る。


 だから──聞こえなかった。

焚き火のはぜる音に紛れて、あの男が子どもたちに何を囁いたのかを。


「いいですか、子どもたち。

 暴力を振るっていいのは――獣人じゅうじん共だけです」


 パンを受け取った小さな手が、嬉しそうに握り締めた。

それが、どれほど冷たい教えなのかも知らずに。


──続く。

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