第15話
「なっ……なんてことを……」
コルストンは目を見開き、声を失った。
牢番たちがざわめき、指示を求めるように彼の顔を見つめる。
「コ、コルストン様! ど、どうするんですか!?」
──指示など、あるはずがなかった。
今さら命令しても意味はない。
あれほどの暴虐を受けた獣人たちが、人間に従うはずがないのだ。
待っているのは、ただ一つ。
復讐。
それだけ。
「コルストン? ねぇ、どうするの? 何か──“ある”のでしょう?」
モーティシアの声には、かすかに焦りが混じっていた。
彼女も、ようやく理解し始めたのだ。
「……身体が……」
「……魔法が、解けた……?」
「動ける! 首輪の効果がなくなってる!」
ざわめきが広がり、鎖の音が部屋に満ちる。
獣人たちは一斉に首輪を引き千切った。
金属音が連なり、まるで鎖そのものが悲鳴をあげているようだった。
それは、屈辱の象徴を破る音。
奴隷であることを拒絶する音。
「さあさあ……どうなさいます?」
女が、踊るように一歩、また一歩と前に出る。
ヴェロニカ。
無骨なマチェーテを片手に、汚れた床を軽やかに踏みしめる。
振り向くたび、黒の髪がふわりと舞った。
その姿は、まるで舞踏会の主役。
「大変なことになってしまいましたねぇ?」
くるりと回って、優雅に一礼。
だが、その仕草には敬意の欠片もない。
あるのは──侮蔑。
そして、死にゆく者たちへの哀れな笑み。
紅い唇が、美しく歪んだ。
「……た、助けてくれるのか?」
一人の獣人が震える声で問う。
その瞳には、恐怖と希望がないまぜになっていた。
ヴェロニカはゆっくりと微笑む。
血の雫が頬を伝って落ちるのを、まるで涙のように拭った。
「ええ──助けますとも。
私はすべての
あなた達を、檻の中から解き放つ者です」
ざわめきが広がった。
「その……獣王様……らしい」
ライカが自信なさげに言う。
「じ、獣王様……?」「ま、まさか……そんな……」
獣王──その名は、伝承に刻まれた言葉。
かつて大地を支配した獣たちの王。
自由の象徴、誇りの具現。
彼らは互いに顔を見合わせ、震える手を握りしめる。
ヴェロニカは静かに頷いた。
「ええ、そうです。私が、あなた達を救いに来たのです。
そして──
“罰”という言葉が、獣人たちの胸に炎を灯す。
抑え込まれていた感情が一気に溢れ出す。
そうだ。
あの日の屈辱を、思い出せ。
踏みにじられた誇りを、奪われた物を──取り戻せ。
「ふふふ……いい子達ですね」
ヴェロニカは微笑む。
その声は優しく、けれど底知れぬ冷たさを孕んでいた。
「そう……思い出しなさい。
自分達が、何をされてきたのかを──ね?」
獣人たちの手に、震えが走る。
握られた武器の刃が、怒りと憎しみに共鳴するように光る。
やがて、それは祈りのような殺意へと変わっていった。
そして──
彼らの手に握られているのは、凶器ではなく“誇り”そのものだった。
「まっ、待ってくれ! 降参だ! 降参する!」
「そうだ! 俺たちは雇われただけだ! 悪く思わないでくれ!」
「頼む! 助けてくれよ!」
コルストンの護衛を務めていた牢番三人が、次々に武器を投げ捨てた。
金属音が床に散る。
「き、貴様ら! どういうつもりだ!」
コルストンが怒鳴る。
「そうよ! あなた達、そんな真似が許されると思っているの!」
モーティシアの声は怒りに震えていたが、もはや誰も聞いていなかった。
牢番の一人が、かすれた笑いを漏らす。
「へへ……知らねぇよ。
あんたらは、もう終わりだ」
彼らがそう言えたのは、階下に立つ女が笑っていたからだ。
あの異様な女──ヴェロニカ。
彼女はまるで舞台の観客を誘うように、静かに手を差し伸べた。
血に濡れた指先で、優雅に──手招きする。
“こっちへおいで”と。
牢番たちは、救いを見たように顔を輝かせ、
コルストンとモーティシアを置き去りにして階段を駆け下りていった。
モーティシアは震える唇を押さえながら叫ぶ。
「……私達を……見捨てるつもり!?」
その問いに、誰も答えなかった。
ただ、下の階から、女の笑い声だけが響いていた。
階段を駆け下りた牢番たちは、媚びたような笑みを浮かべていた。
獣人たちの憎悪の視線をすり抜けるように、
震えながらヴェロニカの傍を通り過ぎる。
その先には壊された扉。
外の光が差し込み、まるで救いが待つように見えた。
──助かった。
そう思った瞬間、指の鳴る音が響いた。
パチン。
「ぐぅわッ!!」
ライカの斧が、鋭く背中に食い込んだ。
骨が砕ける音と共に、男は地面に崩れ落ちる。
「ぎゃあああ!」
もう一人の胸から、刃の先が突き出る。
背後には無表情のオイレ。短刀を深く突き立て、ただ静かに息を吐いた。
残された最後の牢番は腰を抜かし、這うように逃げようとした。
「な、何をするんだ!? た、助けてくれるんじゃなかったのか!?」
ヴェロニカは首を傾げて微笑む。
「あら? 何を言ってるんでしょう。
あなた達が勝手に武器を捨てただけでしょう?」
冷たい声。
それでいて、どこか歓喜すら滲んでいた。
「それよりも──同族以外は生かしておかないという言葉、
覚えていてくれて嬉しいです」
その言葉に、ライカとオイレは無言で頷く。
儀礼のように。命令を待つ信徒のように。
「ふ、ふざけるな! 俺達は武器を──ぐっ、あ、あぁ……!」
牢番は喉を押さえ、苦しみ始めた。
目に見えぬ力が首を絞めている。
杖を構えたカーターの魔法だった。
息を吸うたびに、喉の骨が軋み、血の泡が溢れる。
「目立たない魔法……ふふふ。
カーターくんも、ちゃんと覚えていてくれたのね?」
ヴェロニカは柔らかく笑い、彼の頭を撫でる。
その毛並みを、まるで可愛い子猫を愛でるように指先で梳いた。
目の前で男が痙攣し、地に崩れる。
それでもヴェロニカは、手を止めなかった。
──撫でるたび、男の息が弱まり、やがて止まった。
静寂が訪れる。
その中でヴェロニカだけが、満足そうに囁いた。
「いい子ね。とても、いい子です」
──続く。
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