第五話 盤上の駒たち

 祭が終わって三日。

 白い粉は雨に洗われ、村はいつもの色を取り戻していた。

 だが、静けさの下では金と情報が渦を巻いている。

 王都から届く便りの速さが倍になった。

 噂は風より早く、法令より重い。



「ライル様、王都の“書き手”から伝言です!」


 ティナが駆け込んできた。

 紙束には墨の香りがまだ残っている。

 俺は封を切り、一瞥した。

 書き出しの一行で、すべてを理解した。


『白花祭にて“白幕軍師”現る――貴族たち動揺』


 笑いを噛み殺す。

 噂は武器になる。誰が仕掛けたかは明白だ。

 王都の“書き手”――つまり記録屋が記事を流すには、王家の黙認が要る。

 ディランだ。王都の“監視”を、俺の“宣伝”に変えた。


(棋士の一手を、兵に見せて士気を上げる……さすがだな、ディラン)


 俺は紙を折り、焚火に放り込んだ。

 噂を燃やすのもまた、盤上の手筋のひとつ。


「ティナ。ホブを呼べ。次に動く駒を決める」



 夕刻、ホブ商会の商人がやってきた。

 油の染みた帳面と笑い皺を持ち込んで。


「“白花の粉”が王都で跳ねたぞ。倍値だ。だが面倒も増えた。貴族連中が“裏取り引き”を仕掛けてきやがる」


「誰が先頭に立ってる?」


「エリオット侯。お前を追放した連中の一人さ」


 俺は短く頷き、机に広げた地図の一点を指した。

 王都の外れ、倉庫街。そこに小さな印を記す。


「彼の倉庫、警備は?」


「緩い。税の抜け道を使ってるらしい。兵に賄賂を渡してる」


「なら、兵を“飢え”させろ」


「は?」


「倉庫の粉を一晩“風に晒す”だけでいい。湿気れば量は減り、値も下がる。腹を減らした兵は、明日パンを求めにくる。――そのパンを売るのは我々だ」


 ホブが破顔した。「お前、やっぱり悪魔みてぇだな!」


「黒幕という名は、伊達ではない」



 夜。

 帳面の灯を落とし、外に出る。

 畑の端、白花の残骸が風に舞っている。

 遠くから、蹄の音。

 灰衣の徴税官グレイが馬を引いて現れた。


「ライル殿、王都から新布告だ。“粉庫手形”の流通が“貨幣行為”と見なされれば違法になる可能性がある」


「つまり、合法であるうちは合法だな」


「……言葉の綾で逃げ切れると思うか?」


「言葉の綾で結んだのは、王都自身だ。

 祭を後援し、徴税官の印を押した時点で、布告は自縄自縛になっている」


 グレイは小さく笑った。

 「やはり、あなたは参謀だ。だが……王都にはもう一つの手がある」


「もう一つ?」


「“婚約破棄の真相”を探る委員会が立ち上がった。あなたの名が再び議事録に載る」


 風が、冷たくなった。

 婚約破棄――あの日の舞台が、また呼び戻されようとしている。

 アメリアを責める形で。


「……ディランの仕業か?」


「おそらくは違う。彼は止められなかったのだろう。王都には、まだ“古い駒”が残っている」


「なるほど。なら、盤をもう一段広げよう」


「どうするつもりだ?」


「アメリアを盤上に戻す。王都が駒を動かすなら、こちらも“王”を置く」



 翌日。

 俺はアメリアを呼んだ。

 白花祭の余韻がまだ残る作業小屋で、彼女は白い外套を畳んでいた。

 その動作は丁寧で、まるで祈りのようだ。


「王都が動いた」

「ええ、聞いたわ。……“真相”の名を借りた粛清でしょう?」


「そうだ。君を“嘘の悪役”ではなく“本物の罪人”に仕立てるつもりだ」


 アメリアは唇を噛んだ。

 だが、その瞳は揺れなかった。


「なら、嘘を上書きすればいい。本物の“婚約破棄”を演じ直すの。

 今度は――“悪役令嬢”ではなく、“裏切られた聖女”として」


「……それは危険だ。君が矢面に立つ」


「私には、役しか残っていないもの。あなたが“黒幕”を演じるなら、私は“白幕”になる」


 彼女は微笑んだ。

 白と黒、盤上の両極が並び立つ瞬間。

 俺は短く息を吸い、頷いた。


「よかろう。――だが、その舞台は王都ではない。“交易会”だ。

 白花祭を拡張し、王都の商人と貴族を呼ぶ。

 表向きは“新粉の展示”、裏では“信用の取引”。」


「裏舞台、ね。……あなたの得意分野だわ」


 アメリアの声は、どこか誇らしげだった。



 三日後。

 王都に“白花交易会”の告知が流れた。

 後援――ヴァーミリオン侯家、グレン村。

 主催――“黒幕軍師”ライル・グラン。


 人々は笑い、貴族は眉をひそめ、商会は走った。

 盤上に散らばる駒が、いっせいに動き出す。

 それは、戦でも革命でもない。

 “信用”という見えない兵を使った、知略の戦いだ。


 俺は窓辺で、白花の花弁を指で潰した。

 粉が風に乗って舞い上がる。

 その粒は、誰の手にも掴めない。

 だが確かに、世界を少しずつ覆っていく。


(――次の手は、王都のど真ん中で打つ)


第5話・完。

次回 第6話「辺境連合、蜂起す」

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