第三話 密使と密約

 白花祭の準備が始まって三日。

 村の丘は白い花粉と粉塵で霞んでいた。

 パンの白、衣装の白、花の白――どれも祝祭の色であり、同時に煙幕でもある。

 白いものほど、裏を隠すには都合がいい。


 今日も俺は、広場の片隅で交易路の地図を眺めていた。

 “粉庫手形”は既に周辺四村へ流通し、王都の銅貨より早く回り始めている。

 手形の裏には印、印の意味は商品ではなく“約束”。

 つまり、この辺境で流れているのは貨幣ではなく――信義そのものだ。



「ライル様、客です。南の橋から来ました」


 ティナが駆けてきた。

 橋? 南は隣国への街道筋。王都が監視するはずのルートだ。

 そこから来る客は、歓迎すべき者でもあり、最も警戒すべき者でもある。


 やがて、褐色の外套を纏った二人組が現れた。

 背には蜂の刺繍。――隣国トリネアの養蜂商、通称〈蜜の商人〉だ。


「辺境の黒幕さんとお見受けします」

「名を知られるとは光栄だな」


 互いに微笑しながら、探るような視線が交差する。

 商人の一人――年配の男が、革袋を卓上に置いた。

 甘い香りが立ちのぼる。蜜と薬草の混合物。


「王都で“蜂蜜税”が上がりましてね。逃げ場を探しておりまして」

「ここは逃げ場ではない。始まりの地だ」


 俺は袋を開け、指で少しすくう。

 粘度、香り、結晶化の具合。

 この蜜は高純度。だが混ぜ物がない分、足がつく。

 合法の品を偽装するより、偽装した合法品を流すほうが安全だ。


「税率はいくらだ」

「二割五分」

「なら、一割で仕入れよう」

「……赤字ですよ」


「赤字ではない。蜜を粉と交換しろ。粉庫手形の刻印を“花印”に変える。蜂の印と重なれば、税関の目は蜂蜜を“白花祭の供物”と誤認する。つまり――免税だ」


 男の目が細くなる。もう一人の若者が息を呑んだ。

「供物……王都がそんな詭弁を許すと?」

「許さなくても“見逃す”。供物を取り締まれば信仰を傷つける。王都の宗務庁は、それを恐れている」


 俺は白花の冠を手に取った。

 パンに飾る花の一部を乾かして粉に混ぜる。それを“聖粉”と呼ぶ。

 この祭りの本質は、信仰でも収穫でもない。“合法の抜け道”だ。


「……この取引、王都にはどんな顔で?」

「“文化交流”だ。隣国から聖蜜を献上し、代わりに辺境の粉を贈る。書面は俺が書く。王都の執行役ディラン・ヴァーミリオン宛だ」


 蜜商たちは顔を見合わせ、やがて笑った。

「腹の中が真っ黒なお方だ」

「白い粉の国では、黒がよく映える」


 契約は握手一つ。

 彼らが去ると同時に、空気が少し冷えた。

 遠くの街道から、灰色の羽織が風に翻るのが見えた。



 徴税官――グレイが再び村を訪れた。

 彼は馬を降りると、迷いなく俺の前に立つ。

「ライル殿、王都の命を伝える。白花祭は“王都後援”として開催せよ、とのことだ」


「……ほう。王都が後援、とは」

「名目上は祭の保護。実質は“監視”だろうな」

 グレイは淡々と告げた。

「さらに、王都から執行役が派遣される」

「名は?」

「ディラン・ヴァーミリオン」


 俺は微笑んだ。

 アメリアの家の名――予想通り。

 家を守るための監視役であり、同時に“使者”でもある。

 つまり、彼もまた駒の一つ。


「歓迎しよう。彼が来る前に、準備を整える」

「……準備?」

「祭の裏側に、もう一つ“密約”を」



 夜。

 倉庫の奥で、俺とグレイ、そしてホブ商会のホブが卓を囲んでいた。

 三人の前には、三つの印章――粉、塩、蜜。


「三つの印を重ねれば、“白花盟約”だ」

 俺は言いながら、羊皮紙に線を描く。


 ――粉庫手形:商業経路

 ――蜂蜜契約:宗教経路

 ――徴税協定:法的経路


 三者を重ねれば、王都の支配構造を“合法的にすり抜ける”三重構造ができあがる。


「この契約、王都が知れば?」

「知っても破れない。なぜなら、彼らが破ることは“法の自殺”だからだ。徴税官の印がある以上、王都は自らの権威を否定できない」


 ホブが唇を歪める。「抜け道どころか、裏街道だな」

「街道は人が通れば正道になる」


 火が灯り、赤い影が地図の上を踊る。

 その瞬間、外から蹄の音が響いた。

 グレイが眉を寄せる。「早いな……」


 扉が開く。

 灰色ではなく、黒い外套。金糸の刺繍。

 王都の紋章が胸で光る。

 男はまっすぐ俺を見た。


「久しいな、ライル」

「――ディラン・ヴァーミリオン」


 元上官、そしてアメリアの兄。

 かつての戦友が、今は監視役として立っている。


「祭を開くとは聞いた。王都の承認なしに“盟約”を結んだそうだな」

「承認は得た。貴族の印もある」

「徴税官と商人の印で、王都を出し抜けると思うな」


 彼の声には苛立ちよりも焦りがあった。

 アメリアの名を出せない――それが彼の弱点。

 彼女の“婚約破棄”が芝居だと知っているのは、家の者だけだからだ。


「ディラン。俺はただ、この辺境を守りたいだけだ」

「ならば王都に戻れ。お前の知略はまだ必要だ」

「王都の戦場は血で塗れる。俺の戦場はパンで塗る」


 短い沈黙。

 彼は机上の“白花盟約”を見つめ、息を吐いた。


「……この紙、正式な通達として預かる。王都は内容を精査する」

「その代わり、一つ頼みがある」

「なんだ」

「アメリアを守れ。たとえ俺が敵になっても」


 ディランの目がわずかに揺れた。

 だが何も言わず、紙を持って出ていく。

 扉が閉まる。

 残された空気に、火が小さく爆ぜた。



「ライル様……これで本当に、勝てるのですか」

 ティナの問いに、俺は微笑んだ。


「勝つ? 違うさ。勝敗はとっくに終わっている」

「え?」

「王都が“白花祭”を後援すると宣言した時点で、もうこちらの勝ちだ。

 あの名の下で何を流そうと、誰も咎められない」


 白花の冠が夜風に揺れる。

 蜜の香りが漂い、遠くで笛が鳴る。

 その旋律は、まるで新しい国歌のようだった。


「盤上の花は、もう咲いた。次は――実を結ばせる番だ」


第3話・完。

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