伯爵、レスター・セラム・アルバーネ
アルバーネ伯爵家に受難の時が来た。儂は顎髭を撫でつつ、外を眺める。数十年を過ごしたシリッサは、今日も変わらず晴れている。
紫の蝶が一匹、窓を横切った。嫌な気分だ、あの少女を思い出す。初めて相対した上位貴族、その中でも圧倒的な権勢を誇る七大。数週も経ったが、未だ初めて会った時の印象が忘れられぬ。
伯爵位、当主になって幾年も経つ。新しいものなぞ、もう無いだろうと思っていた。上位貴族とて、我々の延長。しかも十六の少女、話に聞くとはいえ、舐めていなかったと言えば嘘になる。
「うぅむ……」
手元に届いた書類。内容は簡潔だった。メーザリー常備兵を貴族の会計監査へと動員せよ。少女が早速一手を打ってきた。
新式の帳簿が導入されつつある、と臣下から報告があった。中身はシンプルだが、格段に不正が行い難い方式。押さえつけるのではなく、制度で縛る。上手い手だ。
「……試されている」
お前は、どっちだ。ここで断れば容赦なく消されるだろう。西方の事件、知った顔が幾つも消え去ったのは記憶に新しい。巧く不正の出来ぬ愚者共、そう思っていたが……。まるで笑えん。
従えば命は残るだろう、だが上は目指せぬ。抗えば、あの少女は一族全員を殺し尽くすだろう。処刑の心得が全くないと言えば嘘になるが、あれ程は出来ぬ。
「こちらから……攻めるか?」
地の利、手勢はあるが……。しかし、危険過ぎる。上手くいったとて、次はフェロアオイと戦う事になるだろう。どう足掻いても勝てん。そも失敗すれば我が一族はどうやっても消える。
「どうすれば……」
弱音など、いつ振りだろう。兄との家督争いが最後か。兄よりも小さく、か弱く、女。だが、強い。最初に出会った日の恐怖は忘れられぬ。最早、あの顔のどれが演技かも怪しいものだ。
そう考えていると、ドアがノックされる。
「お爺様。僕です」
「入ってよい」
入って来たのは孫のラルフ。いい顔をしておる。いずれ、アルバーネ伯爵家を統べて貰う予定の孫。我が息子は平凡だったが、孫は違う。あの少女と同じ歳にして、ロンディルト貴族学校への入学資格を持っておる。
あの少女は学校なぞ行かぬだろう。そこが貴様の限界よ、才能だけの統治には限界がある。この街で、それを知るがよいわ。勇んでみるも、どうにもしっくりこない。
「ラルフ。どうだ、勉学は」
「もう教えることは無いと先生が」
「そうかそうか。それは良い」
やはり優秀よ。我が一族はこの程度で終わらぬ。いずれ、上位貴族へと登り詰めるのだ。儂はそう、信じておる。
「孫よ」
「なんでしょう?」
「軍に一番必要なのは、何だと考える?」
頭を悩ませる孫を視界の隅に捉えつつ、儂は昨日会った少女を思い出す。陸軍の様子を見たい、と突然駐屯地へとやって来たのだ。申し訳程度の謝罪はあったが、わざと通告なしで来たのだろう。我々はそれに逆らえない。
普通に考えれば、貴族の求心力を失う事を恐れるはずなのだ。だが、少女は違う。反乱などまるで恐れておらぬ。十六歳にして、人を数として見ておる。あり得ん。
この質問は昨日、少女に問うたものと同じ。孫よ、お前はどう考える?
「英雄、かと」
「ほう……。何故だ?」
「兵は英雄と共に戦ってこそ、兵なのです」
「なるほど……」
悪い回答とは思わぬ。だが、有能の回答だ。優れているが、突出してはおらん。失望は無いが、苦々しさは残る。
あの少女は言った。統制、それだけだと。綿密に組まれた規律の前においてようやく、人は兵士足りうると。何人の貴族が、これを言えるのか。儂でさえ、勇猛であると思っておったのだ。
「どうでしょうか?」
「儂も同意見よ」
「そうでしたか!嬉しいです!」
笑顔を浮かべる孫、儂はその目を見てやれぬ。これほど優秀だと思っておった孫でさえ、あの少女に勝てるとは思えん。
恐らく段階が違うのだ。有力貴族と、国家の一翼。あの歳で辺境侯になるとは、まさしく人間の範囲ではない。フェロアオイ公爵家が任せたのも頷ける。
「……用向きを聞いておらんかったな」
「そうでした!男爵の皆様や軍の方が来られております!」
「……通せ」
「了解しました!」
面倒ごとだ。甘い汁を吸わせてやっていた連中も、そろそろ気付き始めた。そうだ、我々の首は絞められている。周りはそれに、どこまで気付いているか。
「アルバーネ卿!」
「伯爵殿!」
「アルバーネ様!」
ええい喧しい!どいつもこいつも声だけはデカくて困る。様々な年代の男が数人押しかけてきた、理由は勿論辺境侯だろう。
「新しい帳簿と監視のせいで、我々の収入が……」
「分かっておる」
とはいえ、どう対策すればよいのだ。表立った敵対や不正は、儂の首を切り飛ばすだろう。しかし、受け入れれば子飼いの貴族は立ち行かぬ。それ即ち、アルバーネ伯爵家の力が落ちると言う事だ。
「あの女、我々を何だと……!」
「平民から絞ることの何が悪い!」
貴族達が言う。偶然見逃されただけの馬鹿共が、口々に吠えよって。儂がメーザリーを失脚させれば、貴様らはどうせ一掃されていた。辺境侯はそれを早めたに過ぎん。
「伯爵様」
「どうした」
「辺境侯の私兵に関して、至急お耳に入れたいことが」
騎兵長が儂を呼ぶ。こいつは優秀だ、誰に付けばいいのか分かっている。だからこそ、危うい。儂が有利な内は味方だが、後は怪しい。
「百程度だろう?」
「全員、魔法銃兵です」
「馬鹿な!?」
思わず叫ぶ。ありえん!銃兵ではなく、魔法銃兵……!?銃兵なら解る、この街に赴任するならその程度は連れてくるだろうと読んでいた。だが、話が違う。
魔法銃兵は維持費も高く、何より編成費が高過ぎる。魔甲騎兵ほどではないが、魔法の素養に軍人としての素質、高品質の装備。何より銃身に溝の掘られた、独特な形で機構の銃を持つ。
「訓練に向かった所を尾けさせ、発見いたしました」
「見つかってはおらんだろうな?」
「勿論です」
本当だろうな?見つかっていれば、流石に顔は出せんか。しかし不味い、これで暗殺も格段にやり辛くなった。奴らと市街戦になれば、まず勝てん。遠距離から撃ち殺されて終わるだろう。
政治的にも直接的にも暗殺は難しい。反乱など起こせば、待っていたと言わんばかりにフェロアオイの本軍がやってくる。頭を過るのは、詰みの一言。
「港湾の荒くれ共に、力を借りては?」
「ほう?」
「海を荒せば、奴の財政は回りますまい」
なるほど……。悪くはない案だ。だが、ギルドや商会からの反発が凄まじいだろう。そして何より、発覚すれば死ぬ。恐怖が、何をするにも纏わりついてくる。
辺境侯は本気でやるだろう。西方で何十人も、首に縄を掛けられて露と消えた。普通の令嬢が言うなら、鼻で笑い飛ばすが……。この少女は違う、もうその手は血に塗れているのだ。
「……考えておこう。今は、連帯が必要だ」
「アルバーネ卿」
「何だ」
「裏切り者が、この場に居ります」
「何だと……?」
弧を描くように儂の周りへと集まっていた一人が手を上げた。若い男、確か男爵だったか。騒めきの中、申して見よと言わんばかりに顎で差す。
「騎兵長、貴方です」
「何を言う!?」
指をさされ、信じられないと頭を振る騎兵頭。そんな事がある訳なかろう、少女の私兵を暴いた此奴が?言い出した貴様の方が怪しく見えるが?
「疑うのも無理はありませぬ」
「そういうには、理由があるんだろうな?」
「勿論」
左手を胸に置き、自信ありげに語る男。この様な喫緊の時に、もしふざけたことを言うなら……結束の為に犠牲になって貰うが?
「まず一つ目の嘘、尾行が発覚していない」
「真実だ」
「嘘」
「証拠は?」
「貴方の部下、数日前から頭数が減っている」
「真か?」
その場にいた歩兵長に問う。彼は少し悩んだ後、口を開いた。もしこれが真実なら、陸軍内部にも既に少女の手が入っているという話になる。であれば、状況は遥かに悪い。
「確かに数名……姿を見ておりませぬ」
「嘘を言うな!」
「いえ、真実です」
一斉に全員の目が騎兵長へと向けられる。裏切者は貴様か、口に出してないだけで皆そう言っていた。儂も当然、見る目が厳しくなる。
「伯爵様!私を疑うのですか!?」
「弁明は?」
「ありますとも!そもこの男、兵営へと来た事などありません!」
「偶然、見かけたのです」
「私の配下を何故知っている?」
「式典で見ておりますので」
必死に弁明する騎兵長。涼しい顔で受け流している男爵。さて、どっちが裏切り者だ。……ん?待て、そもそも歩兵長が言っていたではないか。数名、いないと。
「歩兵長は言った。数名、姿を見ておらぬと」
「……!?」
「貴様一人と、男爵に歩兵長。儂は一より二を信じる」
「伯爵様……!呑まれてはいけませぬ!これこそが、辺境侯の策です!」
「もうよい。連れていけ」
歩兵長と他の兵士数人に連れていかれる、騎兵長。内通者め。しかし、どうすればよい。彼を捕らえ、引きずり下ろした所で所詮は鼠一匹。更に挿げ替えたことで、少女に状況を知らせることになる。
そして何より不味いのは、この件で結束が乱れた事だ。どこかにまだ鼠がいる、儂も含めて此処にいる全員がそう思っただろう。自身の派閥でさえ、この有様なのだ。まだ儂の方は統制が取れている方だが、他はもう駄目だろう。これでは、陣営で纏まるなど夢のまた夢。
「諸君、落ち着け。気持ちは分かる」
「ですが!」
「こうして疑い合わせる事が、辺境侯の策だ」
「……承知いたしました」
明らかに不満気な子飼い達。これだから愚か者は困るのだ、物事を考えるを知らぬ。しかし、どう手を打てばよい。数週間にして、我々は飲み込まれつつある。この速度、恐らく現地に入る前から根回しが始まっていたのだろう。見逃したのは、明らかに儂の不明だ。上位貴族を舐めていた。儂の対策など、無いに等しかっただろう。悔やんでも仕方ないが、もう少し対策を打っておけば。
「大丈夫だ。小娘一人に負ける訳が無かろう」
儂がそういうと、貴族と軍人達は声を上げて勇んだ。語った儂が、一番自分を信じておらぬのだろうな。虚しい確信が、胸の中に乾いた風を吹かせていた。
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