第6話



◆幕間


 報道陣の声が、波のように押し寄せていた。


 フラッシュが金色に弾け、マイクが何本も突き出される。


 煌(コウ)と流生(ルイ)は、神殿の階段下に立っていた。


 背後にそびえる劇場は、まるで神々の記録庫だった。


 白大理石風の外壁が夕陽を受けて金に染まり、バビロニア風の柱が天に向かって伸びている。


 頂部には、スポンサーのロゴが神話の紋章のように刻まれていた。


 それは神々の支援者であり、同時に現代の祭司でもあるかのようだった。


 階段は広く、踏むたびに記録帳の頁をめくるような音が響く。


 屋根は半円ドーム型。上空から見ると、ひとつの巨大な“目”を形作っている。


 ──神々がこの場を見下ろしている。


 そんな錯覚を、誰もが抱かずにはいられなかった。


 記者の声が壁に反響し、質問はまるで神々の審問のように響いた。


「ギルガメッシュ役、どう感じてますか!」

「舞台の反響、すごいですね!」

「次回作の予定は?」


 流生は笑顔で応じる。


 煌は、無表情のまま立っていた。


 フラッシュの光が金色に跳ねる。


 舞台は大好評。SNSは絶賛。


 記者たちは次々と質問を投げかけ、熱気が階段を這い上がる。


「今回の舞台、まさに神がかってましたね!」

「ギルガメッシュの再現度、鳥肌でした!」


 煌は芸能人として最低限の礼を守る。


 口角だけを上げ、目はどこか空虚に。


 「ありがとうございます。皆さんのおかげです」


 流生が隣で微笑み、空気を整えるように受け答える。


「演出も素晴らしかったですが、やはり主演の存在感が圧倒的でしたよ」


 煌はゆっくりと頷く。


 「──神話は、演技じゃなくて回帰ですから」


 その一言に、記者の一人が食いついた。


「ただ、先日の公演でセリフが飛んだ場面がありましたよね。

あれは演出ですか? それとも……何かトラブル?」


 次の瞬間、煌の表情が抜け落ちた。


 笑顔が消え瞳が冷え、口元がわずかに歪む。


 芸能人の仮面が剥がれ、舞台袖の“誰か”が顔を覗かせる。


 「……演出じゃない。俺に、台本なんて関係ない」


 空気が凍りついた。


 記者たちがざわつき、カメラのシャッター音が一斉に止まる。


 夕陽が雲に隠れ、階段の金が血のような赤に変わる。


 流生が慌てて割って入った。


 「彼は役と深く融合してるんです。

セリフが飛んだんじゃなくて、神話が彼を通して語ったんですよ。

舞台は魂の場ですから。人間の言葉じゃ追いつかない瞬間もあるんです」


 言葉は芝居の延長のようで、どこか祈りにも似ていた。


 記者たちは曖昧に頷いた。


 納得したような、しかし何かを悟ったような顔でメモを取る。


 けれど──煌はもう、誰も見ていなかった。


 視線の先には、光も影もなく、ただ一冊の“記録帳”だけがある。


 その頁が、赤黒く揺らめく照明の中で静かに開いた。


 《仮面の崩壊》

 《庇護の選択》







 テーブルに豪華な料理が並ぶ。


 主役の楽屋は、劇場の中でもひときわ広く、壁際には花束とワインが並べられている。


 だが煌は箸を持ったまま、料理を見つめていた。


 手は動かない。


 湯気の立つ皿の中で、ソースが静かに冷めていく。


「味覚あるか?」

 流生が笑いながら言った。

「舞台は体力だぞ」


 煌は無表情のまま、箸を戻す。


 鏡に映る自分の顔が、誰か他人のように思えた。


 流生は少し黙り、柔らかく続けた。


「……あの頃は違ったよな。

地方の子役だったお前が、初めて東京に来たとき。

母親の弁当、うまそうに食ってたじゃん」


 煌の目が、わずかに揺れる。


 沈黙が落ち、楽屋の照明が少しだけ暗く見えた。


 ノックの音がして、扉が静かに開く。


 黒いワンピースのミステリアスな女──クオンが現れる。


 芸能関係者のように通され、無言で席に近づいた。


「久しぶりね」


 クオンの声は低く、乾いていた。


「君が前の事務所にいた頃、私は“君はギルガメッシュの転生者だ”と告げた。……あれは、間違いだった」


 煌が顔を上げる。


「間違い? 俺は選ばれた。神話の器として」


 クオンは静かに首を振る。


「選ばれたのは、君の魂じゃなくて、君の顔だ。

その顔に、政治家とスポンサーが“神話”を貼り付けたんだよ」


 流生の箸が止まる。


 空気が変わった。


「君が移籍したのは、舞台のためじゃない。

舞台を“造る”ために、君が神話の契約に組み込まれた」


 煌は笑う。


 その笑いには、熱も響きもなかった。


「俺の神話に、政治なんて関係ない」


 クオンの瞳がわずかに光る。


「でも、君の舞台は“政治的神殿”だ。

君が動くたび、スポンサーが動き、国が揺れる。

それはもう神話じゃなくて、神話の模倣だ」


 沈黙。


 煌はゆっくり立ち上がる。


 背筋を伸ばしたまま、出口へ向かう。


「俺は模倣なんかじゃない」


 その背に、クオンの声が落ちる。


「だが、君が信じている“神話”は、もう君を食い尽くしてる」


 扉が閉まる。


 照明が赤黒く揺れ、記録帳が刻む。

 《拒絶の選択》



 クオンは、静かにルイへ向き直った。


「君だけが、彼を止められる」


 流生は顔を上げる。


「でも、ヤツは、もう……壊れてる」


 クオンは一歩、近づく。


「友情は、ギルガメッシュを変える唯一の鍵だ。

けれど、その鍵は“使う意志”がなければ開かない」


 その瞳は、まるで記録帳の頁をめくるように深く、古かった。


「君は、エンキドゥの生まれ変わりだ」


 流生の目がかすかに揺れる。


「……そうだろうと思ってた。

 アイツの相手、できるの俺だけだから」


 クオンの声が淡く響く。


「半神も、分霊も、記憶にはロックがかかっている。

君は知らない。彼も知らない。

でも魂は覚えている。

君の魂は彼と共に長く輪廻を繰り返し、そして共に腐った。

カルマを、消化しなかったせいで。

君のパートナーは近い将来、とんでもない化物になる」


 流生は息を呑む。


 クオンは、最後に囁くように言った。


「もし君が死ぬなら、この世は終わる。

でも君が信じるなら──未来は、まだ変えられる」


 静寂。


 赤い照明が、ゆっくり白へと溶けていく。








 実家の玄関を開ける。


 柔軟剤の匂い。


 古い壁掛け時計の音が、懐かしいほど正確だった。


 母がキッチンに立ち、包丁の音が響いている。


 テレビの音が遠くで混じる。


 その全てが、彼には異国の神話のように遠かった。


 コウは、少しだけ声を震わせて言う。


「……お前の料理が食べたい」


 母は驚いたように振り返る。


「久しぶりに、甘えるじゃない」


 コウは笑わなかった。


 ただ、椅子に座る。


 湯気が上がる。


 白い光が、金色の幻を溶かしていく。









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