第十二話 満点の星空

 俺も姫乃咲さんも、昼食は車で移動しながら軽食を食べただけで、空腹状態だ。空腹は最上の調味料。その上、外ご飯効果も加われば相乗効果は計り知れない。まさに至福。俺達は肉と酒を思う様喰らい、楽しんだ。


「いや〜飲んだし食ったしで、満足な一日だったなぁ」


「楽しんでもらえた様で何よりです」


「あとは風呂入って寝るだけか。そういえば、このキャンプ場ってお風呂あるんだよね。看板に案内が書いてあったけど」


「えぇ、お風呂だけじゃなくシャワー室もあるんで好きな方使えますね。じゃあ、片付けたらいきますか」


 焚き火もだいぶ下火になってきた。食材も今回は程よく消費できたので、後片付けも楽でいい。辺りはすでに真っ暗だ。街灯なんてあるわけもなく、遠くで他のキャンパーの焚き火がちらほらと見えるぐらいだ。空を見上げれば、星空が瞬いている。


 綺麗な夏の夜空だ。そういえば、ここはずいぶん標高が高い山だった。俺の家より遥かに高いところから街灯もない場所で眺めているのだから当然か。このまま空に吸い込まれてしまいそうな錯覚さえ覚える。


「お〜い、黄昏てますね、お兄さん。お風呂行きましょう〜」


 風呂の支度をした姫乃咲さんが声をかけてきたことに、ようやく気づいた。自分でも驚くほど夜空に見惚れていたらしい。


「ごめん、ごめん。つい星が綺麗で。これだけ見事な星は、家の近所じゃ見られないから」


「そうですね。これもキャンプの醍醐味の一つですよ。ちょっと歩いたところに展望台みたいな場所もあるんで、お風呂入ったら行ってみませんか?」


「それはいいね。そうしよう」


 ひとまずは、お風呂に入って汗を流したい。今日もビールが余計にうまく感じるほどの夏の暑さだったのだ。汗もたっぷりかいているのだ。


 姫乃咲さんと並びながら風呂へと向かう。足元を照らすランタンの仄かな灯りを頼りに、真っ暗なキャンプ場を歩いていく。姫乃咲さんはずっと俺の顔に小悪魔的な笑顔を向けニコニコと笑っているが、それもそのはず、彼女はごく自然に、あまりに自然に、俺の手を握って歩いているのだから。


「あの〜、姫乃咲さん。気のせいでしょうか。俺の手とあなたの手がtんがっているように思えます」


「気のせいじゃありませんね」


「なんで、手を繋いでるの?」


「嫌ですか?というか、顔真っ赤ですよ?」


 無理を言いなさる。こんなシチュエーションで顔を紅くするななんて無理がある。


「嫌じゃないけど、恥ずかしい・・・。っていうか、なんでそんな積極的なんですか?今日の姫乃咲さん、なんかいつもと違う気がしますよ」


「それは、お兄さんに意識して欲しいからです。私を、女として見て欲しいから・・・」


「えっ?」


「続きは、お風呂上がりにしましょう。それではまた後ほど」


 姫乃咲さんは颯爽とお風呂場へと行ってしまった。俺は一人その場に取り残され、感情すらもこの場に置き去りになってしまいそうなほど心が浮ついていた。酒のせいではない。彼女の積極的な行動に、頭がぼうっとする。


 まさかあんな可愛い人とキャンプに来て、手を繋いで、しかもあんなことまで言われてしまったら、今日はどこまで関係が進んでしまうのだろうか。妙な期待と興奮を感じながら、俺は風呂へと入る。


 だが、悲しいことに、これほど姫乃咲さんの積極的アプローチを受けても、我が股座またぐらに飼いし象は、ぴくりとも反応していない。男としてなんと不甲斐ないことか。


 情けなさに塗れながら体を洗い、湯船に浸かる。暑い時期でも、こうして暑い風呂に入ると、体の芯から何かよからぬ物が滲み出て浄化されるような感覚がある。実に爽快だ。


「いい感じじゃない。こりゃ今晩あたりいけそうね」


「なッ、岩女!ついに男湯にまで現れたか!いくら神とはいえ慎みを持て!それに男湯だぞここ!誰か来たらどうする!」


 突如として湯船に浸かる俺の真横に岩女が現れた。慌てて首を背け視線を外すが、ガシッと頭を鷲掴みにされ首の向きを戻される。


「安心しなさい。ちゃんと湯帷子ゆかたびら着てるし、人払いの術もかけてるから」


 強制的に向き直され、俺は岩女と並んで湯に浸かる格好となった。横目で恐る恐る確認してみると、確かに岩女は浴衣のような服を着てどっしりと腕組みをして湯に浸かっていた。


 岩女は今朝も俺の外出を陰ながら見送っていてくれていたが、やはりついてきていたか。日中も外巻きに見守っていたのだろうが、こんなところに出てこられると寿命が縮む。


「今回も例によってついてきたか。まぁ心強くはあるが」


「ほほほ、そうでしょうよ。ところで、首尾の方は?」


「トントン拍子で怖いくらいだ」


「なるほど。あと、これも確認なんだけど、あなた、男色だったりするのかしら?」


「はぁ?男色?なわけねぇだろ。俺はいたってノーマルだ」


「あちゃ〜。とすると、私、ひょっとして今回盛大に失敗した・・・?」


「 え?なんで」


「薔薇の匂いが芳しい・・・」


「え?なんて?」


「ともかく、私も陰ながらご縁の成就の為助力するわ。いくら鈍感でも、流れを読み違えないことね。あと、これもあんたなら大丈夫だろうけど、ちゃんとあの子の話を聞いてあげやってね」


 そう言うと湯煙のようにふっと姿がかき消えていった。流れを読み違えない。話を聞く。ありきたりだが、大事なことだな。肝に銘じておこう。


 風呂から上がり外に出ると、姫乃咲さんは先に上がっていたようで手を上げておかえりと俺を呼んでくれた。驚いた。てっきり女性のお風呂の方が時間がかかると思ったが。


「早かったんですね。申し訳ない。お待たせしてしまって」


「いえいえ、私シャワー派なんで、シャワールームでささっと終わらしちゃいました」


 あぁ、なるほど。それでか。


「それでは、天体観測といきましょうか」


 姫乃咲さんは俺の腕にその細い腕を絡ませ、その上手まで繋いできた。しかも、今度は恋人繋ぎだ。おまけに俺の腕に彼女の胸が押しつけられ、その柔らかい感触が俺の頭をのぼせあがらせる。


 のぼせあがった朦朧とした頭のまま、姫乃咲さんに引っ張られ、暗いキャンプ場内を歩いていき、展望台へと向かった。展望台といってもキャンプ場の中にある小高い丘にベンチがいくつか置いてあるだけだが、周囲に木は無く空は開かれていた。


 思わず言葉を失う光景。こぼれ落ちそうなほど星が綺麗に浮かび上がり、手に取れそうなほど星空が近く感じる。しばし、眺めていると先ほどから組まれている腕をくんと引っ張られた。


 姫乃咲さんも夜空を眺めているかと思ったのだが、彼女が見ていたのは俺だった。頬を赤らめ、こぼれ落ちそうなほど綺麗な星のようにキラキラとさせた二つの眼を潤ませ、じっとこちらを見ているかと思ったら、その瞳を閉じ、唇をこちらに差し出した。


 これは、あれだ。間違いない。俺ほどの朴念仁でもここまでされれば分かる。彼女は、俺に接吻を求めている。今、ここで。


 焦るな、騒ぐな、驚くな。縁結びの女神によって結ばれたご縁がいよいよ成就するだけ。ここは落ち着いて、男としての甲斐性を見せる時だ。据え膳食わぬは男の恥、いざ!


 姫乃咲さんの肩にそっと手を添え、彼女の顔に唇を近づけようとした瞬間。バリバリと雷鳴が轟き滝のように雨が降り始めた。

 

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