第2話 探索
朝霧紫苑のことを知ろうと思い立ったものの何をすればいいのか分からない。
昼休み、教室の自分の机で頬杖をつきながら黒板の上にある時計を見つめる。何か考え事をするときの癖で空間の上の方を見つめてしまうのだ。
今、教室の中に彼女は居ない。どこに行ったのかも分からない。
分からないことだらけだ。
「何か考え事?」
クラスメイトの細崎が話しかけてくる。こいつは常に温厚で優男といった感じの奴だ。
「まぁね」
「やっぱり。何か手伝えることがあったら言ってね」
わざわざ聞いて踏み込んでこないのか。珍しいことをする。
「何を考えているのかは聞かないんだ」
「聞いてみたいけど、相手が話したいかは別だからね」
別に聞いて断られたのなら素直に引き下がれば良いだけだと思うが、これが細崎の優しさなのか。
「なるほど。ところで朝霧がどこに居るか知らない?」
「え、朝霧さん? いや、僕も知らないな」
やっぱり知らないのか。
「そっか。ありがとう」
「力になれなくてごめん。あ、でも北沢さんなら知ってるかも。席が近くてたまに話しているのを見るし」
「そうなんだ。サンキュ」
という訳で一人でスマホをいじっている北沢に話しかけに行く。
邪魔するようで悪いが、こちらとしては友達と談笑中に割り込むよりかはやりやすい。
「北沢、ちょっと良い?」
「……ん? ああええと、新田か。何?」
こちらの顔を見て名前を思い出すまでに数秒かかったようだ。殆ど話したことがないので名前を覚えてくれているだけむしろありがたい。
「朝霧がどこに居るか知らない?」
「知らない。あの子休み時間になるとどっか行っちゃうから」
ふむ。おそらくクラスで一番交流があるであろう北沢も知らないのか。
「というかなんで知りたいの?」
そう言われると返答に困る。単に気になるからという理由はおそらく求められていない。
もっと納得感に満ちた返答が必要だが、生憎そんなものは持ち合わせていない。
正直に答えるしかないのか。
「いつも教室に居ないから気になって」
ちょっとだけごまかした。
「ふーん……」
そう言ってこちらを見つめる北沢の目には疑いが満ちていた。
彼女の少しつり目で大きな瞳に見つめられると少々怖い。
「怪しい。第一そんなふわふわした目的じゃ私に話しかけて来ないでしょ」
「そういう時もあるよね」
「まともに話す気はないと」
別にそういうわけではない。少々答え辛いだけだ。
「それならそれで良いよ。私が勝手に新田は朝霧さんのことが好きって思い込むだけだから」
北沢は俺だけに聞こえるように声のボリュームを下げてそう言う。
そのような気遣いができるのに、随分と攻撃的な物言いだ。
「実は逆かもしれない」
「え?」
「本当は朝霧のことはどうでもよくて、北沢に話しかけたかっただけかもしれない」
「それは気持ち悪いよ。新田」
北沢は心底嫌そうな目でこちらを見つめてくる。
適当な冗談なのにそんな風に見られるのは心外だが、ちょっと思い返すと確かに気持ち悪かった。
俺は冗談を言うのが下手なのかもしれない。
「ごめん」
「まぁ良いけど。それよりも朝霧さんに変なことをしないでよ? ストーカーとかさ」
「そういうことやりそうかな」
「別にそういう訳じゃないけどさ。あの子可愛いから、そういうことされてもおかしくないでしょ?」
はたから見る朝霧は可愛いというより綺麗といった感じだが、まぁ言わんとしてることは分かる。
「それは確かに」
「まぁ今の新田にあの子をどうこうできるとも思えないけどね。病み上がりでしょ?」
「知ってるんだ」
まぁ確かに今朝は少々大きな声でその話をしていた。とはいえ、大して気になることでもないだろうに知っているとは驚きだ。
「朝霧さんが言ってたからさ」
「そんなことあるんだ。珍しいね」
言葉や表情には出さない。というか自分でもびっくりするぐらい流れるように言葉が出た
が、内心衝撃を受けた。
朝霧が人にそんなこと言っているなんて想像ができない。
もっとこう、必要最低限のことしか人と話さないものだと……。
「珍しいなんてものじゃないよ。こんなこと話すのは初めてだったからね」
やっぱりそれはそうなのか。
「新田、あの子になにかした?」
「特に何もしてないけど」
「そんなことは無いと思うんだけど」
そう言われても困る。実際何もないのだから。
だが、このように朝霧のことを調べている根本原因はこれなのだ。
あの俗世に興味がなさそうな彼女が、特段目立った存在でもない俺に話しかけてきた。この異常事態に対する解答が欲しいために調べている。
「そもそも今朝以外に話したことないからね」
今まで体育祭や文化祭など様々な行事があったが、一度も関わったことがない。一応朝霧も参加していたはずだが生憎その機会はなかった。
「今朝話したの?」
「といってもほぼ挨拶みたいなものだけどね」
「ふーん。なるほど」
北沢は何か理解したような顔をしたかと思えば目を閉じて天を仰いだ。
勝手に納得しないでくれ。
「何か分かった?」
「んーまぁねぇー。教えないけど」
「酷い」
「酷いのは特に理由も話さずいきなり朝霧さんについて聞いてくる新田の方でしょ。何するかも分からない人に話す訳……」
と言ったところで北沢は口を噤む。
目を見開いた様子で俺の背後を見つめる彼女に釣られて振り向くと、そこには絶賛話題に上がっている当の本人が後ろに立っていた。朝霧紫苑その人である。
「随分と仲が良さそうね」
「うわ、びっくりした」
振り向くまで全く気配を感じなかった。普段あれだけ存在感を放っているにもかかわらずどういうことなのだろう。
「乙女に向かってびっくりしたとは酷いわね」
そう言って笑う朝霧は実に美しく、そして不自然だった。
「それはごめん。だけど丁度良かった。実は……」
そう言いかけたところでチャイムが鳴る。
「あら残念」
タイムリミットが来てしまった。
次の授業の先生はまだ来ていないが、生憎一切授業の準備をしていない。
急いで教科書をロッカーから取り出し席へと戻る。丁度それと同時に先生が教室へと入って来た。
善良な生徒としての体裁は保たれたのだ。
そして、善良な生徒としてはそれに比べればどうでも良いと言えばどうでも良く、しかし俺としてはそんなことよりはるかに重大なことに、実のところ気づいてはいた。
一つは俺が振り向く瞬間に朝霧が表情を変えたこと。
そして席に戻る際にもう一つ。信じられないものを見るような北沢の視線を朝霧に向けていたことに。
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