第21話 黒印教団  導師カルマ

 都市ガルドの街の地下。

 地図にも記されぬ迷宮の、そのさらに奥――。

 そこに、光の届かぬ“黒の神殿”があった。


 息をするように脈打つ岩壁。

 空気は重く湿り、遠くで滴る水音が不気味な律動を刻む。

 無数の蝋燭が、黒紫の炎を灯していた。


 その中央。

 黒曜石の柱――“黒紋石”が、心臓の鼓動のように淡く脈打つ。


低く、絶え間ない詠唱が響く。


 「我ら、均衡を求む者なり……光の傾きを正す影なり……」


 低く響く詠唱。

 信徒たちは円陣を組み、頭を垂れた。


 その中央を、ひとりの男がゆっくりと歩む。


 銀糸のような髪が灯火に揺れ、琥珀色の瞳がわずかに光を帯びる。

 その瞬間、空気が震えた。


「――静まれ。」


 その声が響いた瞬間、

 全員が膝をついた。


 圧倒的な静寂。


 柔らかな声なのに、

 心の奥を直接握られたような冷たさがあった。


 導師カルマ。

 黒印教団を束ねる、“闇の導き手”――。


「この世界は、光に傾きすぎた。」


 カルマはゆっくりと手を掲げる。


「光は正義を装い、影を罪と呼んだ。 だが、光がなければ闇もまた在らず。均衡を欠いた世界は、いずれ自壊する。」


黒紋石が応じるように鼓動し、波紋のように闇が広がった。

信徒たちは恍惚とした表情を浮かべ、祈りを再開する。


「我ら、導師カルマに誓う。

 闇の均衡を、この地に取り戻す。」


カルマは目を閉じ、低く笑った。

その笑みには狂気ではなく、確信が宿っている。



祭壇の前に立つ信徒長エルドが、恭しく報告した。


「導師。都市ガルド北部にて封印石の調査が完了しました。あと一基で……“完全解放”が成ります。」


「そうか。」


 カルマは杖の先を軽く床に突く。

 鈍い音とともに、円環の魔法陣が神殿全体を走った。


「焦るな、エルド。闇は急がぬ。    光の隙を待ち、静かに染み渡る。

……それが均衡の道理だ。」




エルドは頭を下げる。

その眉間にはかすかな疑問が残る。


「導師……“鍵”とは……本当に存在するのですか? 闇の封印を開ける者など――」


 その瞬間。


 黒紋石が脈打つ。

 闇の中に一条の光が走り、

 空中に少女の幻影が現れた。


 青の髪。

 澄んだ瞳に微かな光。

 その名をカルマが呟く。


「――ミリア・ヴァレン。」


「っ!?」


「封印の鍵……“光の継承者”。

 光の印を宿す者が、すべての封印を解く。我らが探していたのは、まさに彼女だ。」


 信徒たちのざわめきが神殿に広がる。


「封印の鍵、“光の継承者”……」

「まさか、この少女が――」


 カルマの瞳が淡く光る。

 冷たくも、美しい光だった。

 カルマの声は静かでありながら、その奥にぞっとする熱を孕んでいた。


「手に入れろ。だが、まだ“奪う”な。

 彼女の光は未熟だ。

 熟す前に摘み取れば、ただの灰になる。」


「……はっ。」


「闇は忍耐だ。焦ることなく、見極めよ。“光”の側に絶望を教えてやれ。」


 カルマの微笑が、炎の揺らめきとともに薄闇へ溶けていった。




夜のガルドの街。

下層区の路地は、昼の華やかさとは無縁の闇に沈んでいた。

行商の木箱、湿った石畳。

酒と血の匂いが混ざる中、黒衣の者たちが音もなく歩く。


「感知装置、設置完了しました。」

「魔力反応は?」

「カフェ《月灯》。……“光の残滓”がありました。」


報告に、周囲がざわつく。


「例の少女と接触したのか……」

「導師の言葉通りだ。」


 リーダー格の男――信徒バルドは、額に汗を浮かべた。

 仲間の声にうなずきながらも、バルドの胸には小さなざらつきが残っていた。

「……なあ、本当に俺たちのしてること、正しいのか?」


「バルド?」


「いや、わかってる。導師のためだ。

 でも、“均衡を戻す”って言うけど……闇で光を潰すのは、ただの破壊じゃないのか?」


その瞬間、周囲の空気が凍る。

背後の壁に黒い影が揺らめき、そこから低い声が響いた。


「――疑念は、毒だ。」


 全員が凍りつく。

「っ、導師!?」


カルマの幻影が立っていた。

光でも投影でもない、純粋な“闇の魔術”による投影。


「毒は群れを蝕む。忠誠に影を落とす。」


バルドは恐怖に震える。


「ま、待っ――」


言葉は闇に呑まれた。

彼の体が黒い霧に包まれ、溶けるように消えた。

ただ灰のような残滓だけが地面に残る。


 カルマの幻影が淡く笑う。

「疑念を持たぬ者だけが、“真なる均衡”を視る。」


声が消えると同時に、闇が消える。

残された信徒たちは震えながら祈りを再開した。



再び神殿。

カルマは静かに黒紋石の前に立っていた。


「……光の時代は、あまりにも長すぎた。」


 彼はゆっくりと指を這わせる。

 黒紋石の表面が脈動し、波紋が床を這う。


「人は“正義”を掲げ、罪を焼いた。

“悪”と呼んだものの中にこそ、真理があったというのに。」

 

 その声には怒りではなく、

 深い哀しみが滲んでいた。


「闇とは、恐れではない。     思考。静寂。均衡。…光が暴走すれば、闇が正す。」


 そのとき、背後から足音。

 側近の女信徒・レイナが忠実な瞳で跪いた。


「導師、王都の監視網が動いております。聖堂騎士団が、封印石の再調査を――」


「構わぬ。彼らはまだ、“真実”を見ていない。」


カルマは振り返りもせず、闇の球を空中に浮かべた。

球の中には、都市ガルド全景が映し出されている。

《月灯》のある通り、城壁、そして……ミリアの影。


「“光”は美しい。だからこそ脆い。

 傷を知らぬ光は、容易く砕ける。」


レイナが問う。

「導師……彼女を滅ぼすおつもりで?」


「滅ぼす?」


 振り返り、カルマは微笑んだ。

 恐ろしくもどこか慈悲深い微笑だった。


「“理解”させるのだ。

光と闇は、どちらも必要なのだと。

彼女がそれを悟る時――

この世界は一度、終わる。」


レイナが沈黙する。

カルマは指先で闇の印を描き、再び黒紋石に刻み込む。


稲妻のような黒光が走り、神殿の天井が鳴動した。

信徒たちが一斉に跪く。


「見よ。これが均衡の象徴だ。」


「――はい、導師!」


闇の魔力は、もはや人の域を超えていた。

だがその光の奥――カルマの瞳には、微かな疲労があった。


(……闇もまた、私を喰らうか。)


一瞬だけ、彼の手が震える。

しかしすぐにその表情は無に戻る。




儀式が終わる。

神殿の灯火が一つずつ消えていく。


カルマは独り、祭壇の前に立った。


「封印の鍵……ミリア=ヴァレン。

 君の光は、まだ幼い。

だがいずれ……闇に愛される。」


 黒紋石の表面に亀裂が走った。

 そこから黒い光が立ち昇り、天井を突き抜ける。

 まるで“影”が空へ昇るように。


「始めよう。

 光を壊し、均衡を取り戻すための戦を。」


神殿全体が轟音を上げた。

 黒紫の閃光が空を貫き――


 地上、王都の空に“黒い流星”が走る。


 人々はそれを「夜の奇跡」と呼び、拍手した。

 誰も知らない。

 それが、“闇の再誕”の始まりであることを。



そしてその夜、

 窓辺に座るミリアが、ふと空を見上げた。


「……黒い、流れ星?」


 隣で紅茶を飲んでいたセレナが首をかしげる。


「珍しいわね、そんな色。」


「……嫌な、感じがする。」


 ミリアの胸の奥で、淡い光が脈打った。

 まるで、遠くで誰かが呼んでいるように。


(――カルマ。)


 その名を知らぬまま、

 少女の瞳に一瞬、黒い影が映った。


 それは、静かに始まる“均衡の夜”の予兆。


 光と闇が交わる夜明けは、もう――すぐそこにあった。

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