第2話 蛇と誤解とダブルフラグ

 村の朝は、いつもと同じはずだった。


 小鳥のさえずり、薪を割る音、井戸で水を汲む主婦たちの声。

 柔らかな陽光に包まれて、穏やかな時間が流れていく。


 ――そう、いつも通り。

 問題は「いつも通り」が一日も続かないってことだ。


「おーい、悠真! 昨日はすごかったなぁ!」 「すごかったって何がだよ」 「とぼけんなよ、牛を鎮めた英雄さまだろ? リサちゃんも惚れ直したって噂だぞ!」


 ……うん、こうして朝から村人のテンションが無駄に高い時点でお察しだ。

 俺、佐藤悠真。ごく普通の青年。

 なのに――何故か最近、妙に“イベント”に巻き込まれる。


(昨日の牛事件も、たまたまだったのに……。リサのあの告白まがいの勘違い台詞のせいで、変に空気が甘くなってんだよな……)


 いや、俺は目立ちたくない。ただの観察者でいたい。

 誰かの恋を遠くから眺めて「青春だねぇ」って笑ってたいんだ。


「……今日こそ平穏に過ごす。絶対に」


 自分に言い聞かせながら畑道を歩いていたその時――。


「きゃああああっ!!」


 甲高い悲鳴が、朝の空気を突き破った。


(おい、早くない!? 平穏、わずか五分で崩壊!?)


 反射的に駆け出した。

 ……もう慣れてる自分が怖い。


 悲鳴の方向に走ると、茂みのそばで女の子が尻もちをついていた。

 銀髪を三つ編みにした勝ち気な少女――セレナだ。


 村の薬師見習いで、リサとは幼なじみらしい。

 性格はというと、まあ……火花散らして生きてるタイプ。


「どうした!?」 「へ、蛇よ! 薬草を摘んでたら、茂みから黒い蛇がっ!」


 指差す先を見ると、確かにいた。

 鎌首をもたげた、黒光りする蛇。サイズは腕ほど。


(あー……また俺のすぐそばでトラブル。これはもう“主人公補正”というより“呪い”だな)


「お、落ち着け。大丈夫だ、俺が――」


 いや待て。俺、剣とか魔法とか使えないぞ?

 手にあるのは……木の枝一本。

 うん、十分じゃないけど、やるしかない。


「こっちだ、こっちに来い!」


 枝で地面を叩く。蛇がこちらを向く。

 目が合った。背筋がゾワッとした。


「うおおおおっ!」


 とっさに枝を振り下ろす。

 ――パシィン! 乾いた音。蛇は驚いたのか、すごい勢いで逃げていった。


「ふぅ……行ったな」


 全身汗だくだ。

 振り返ると、セレナが涙目で俺を見上げていた。


「ゆ、悠真……助けてくれたの?」 「いや、俺はただ枝で脅しただけだ。たいしたことは――」 「すごい……私、あんな怖い蛇、見ただけで動けなかったのに……」


 え、ちょっと待って。なんでそんな潤んだ目で見てくるの。

 いや、違う違う。これは誤解だぞ。


(頼む、フラグ立つな。立つなよ……?)


「と、とりあえず立てるか?」 「う、うん……あっ!」


 セレナがよろけ、俺の胸に倒れ込んできた。


「わっ」 「きゃっ!」


 柔らかい感触。心臓が跳ねた。

 いやいやいやいや、ラノベじゃないんだから!


「ご、ごめん!」 「……ありがとう。私、悠真に抱きとめられたんだね」 「いやいやいや、支えただけだって!」 「悠真って、本当はとても優しい人なんだね……」


 ――ダメだ、完全にフラグが立った。

 しかも太くて頑丈なやつ。


(頼む、俺はモブなんだ……モブでいたいんだぁ……!)



 午後。

 蛇は消えたが、噂の蛇より恐ろしいものが村を這い回っていた。


「聞いた? 悠真がセレナを助けたんだって!」 「昨日はリサで、今日はセレナ? あの子、やっぱり隠れた英雄なのよ」 「まるで物語の主人公みたいじゃないか!」



「いやいやいや! 俺はただのモブだ!!」


 叫んでも、誰も信じてくれない。

 むしろ「謙遜してて偉い!」とか言われる始末。

 もはや村全体が誤解の塊だ。


 そして、事件は起きた。


「……悠真くんを助けたの、私だよね?」

 声の主はリサ。

 昨日、牛事件で妙な勘違い告白をした張本人。


「違うわ。今日のことは私よ!」

 対峙するのはセレナ。目が真剣。

 というか、二人の間に見えるの、炎? 気のせい?


「えっと……その、二人とも落ち着――」 「悠真くん、昨日は私のこと見てくれたもんね?」 「でも今日は私を助けてくれたのよ? つまり――」 「つまり?」 「つまり、悠真が私を選んだってこと!」


「ええぇぇぇ!?」


(お前らなんでそんな結論になる!? 俺はただの枝持ちモブだぞ!?)


 村の広場、注目の的。

 周囲からは「青春だねぇ」「三角関係か」などと囁きが飛ぶ。


 俺の人生、完全にラブコメ路線に乗ってしまった。


「違うってば! 俺は誰も選んでないし、助けたつもりも――」 「悠真くん、照れてるの?」 「そうそう、そういうとこが可愛いのよね!」


「誰が可愛いだぁぁぁぁっ!!」


 絶叫虚しく、周囲は笑いに包まれる。

 俺の“モブとしての人生”は、今日も静かに崩壊していく。



 夜。

 村の外れの小屋で、俺は一人、天井を見つめていた。


「……今日も疲れた」


 昼間の修羅場を思い出すたび、胃がキリキリする。

 リサとセレナ、二人とも“誤解”という名の地雷を抱えてる。

 いや、俺が原因じゃない。たぶん。


(でもこれ、どう考えても“ハーレム展開”の導入だよな……)


 頭を抱える。

 俺は目立ちたくない。

 恋愛も冒険もごめんだ。平穏がいい。


 けど――物語ってやつは、そう簡単には止まらない。


 遠く、夜空に星がまたたく。

 風が静かに、ページをめくるように吹き抜けた。


「……次は何が起きるんだよ、ほんとに」


 嘆きの独白を残して、俺は目を閉じた。


 ――そう、知らなかった。

 この翌朝、“さらに面倒な女の子”が村に現れることを。



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