第12話 初めての味

 こちらに住むようになってからというもの、ほぼ毎日アレクシスの自室で夕食を共にしている。部屋に招かれ、いつもの席へと腰を下ろすと、テーブルには香味を効かせたお粥が並んでいた。


 かつては何も添えられていなかったそれも、今では彩り豊かなトッピングが添えられ、見た目にも食欲をそそる。未だ生の食材は口にできないが、それでも透真の舌を充分に楽しませてくれていた。今日の香味が効いたお粥もとても美味しい。


「君は、実に幸せそうに食事をとるのだな」


 向かい側からの声に、はっとして顔を上げる。思わず笑顔を浮かべていたらしい。頬が少し熱を帯びた。


「だって、ここの食事は本当に美味しいですから」


 照れ隠しのように口にして、最後の一口をスプーンですくう。

 サプリメント生活を送っていた昔と比べたらどんな食事であっても美味しく感じるだろう。しかし、今自分に出されているものはその中でも美食といわれる部類に入るものだと思っている。


(……この食費って、給料から天引きされるのかな)


 そんなことを考えながら顔を上げると、アレクシスが静かにこちらを見つめていて、心臓が小さく跳ねた。

 動揺する気持ちを抑えるように、ナプキンで口元を拭う。

 最初の頃は落ち着かず何度も畳んでしまい、マナー違反だと指摘されたのを思い出す。今では使った部分を内側に折りたたみ、皿の横へ静かに置くのが習慣になっていた。


 普段ならここで食事は終わる。

 だが今日は珍しく「こちらへ」と促され、リビングルームのソファへ案内された。

 不思議に思いながらも促されるままに大きめのソファーに腰を降ろすと目の前のテーブルに綺麗に磨かれたワイングラスが並べられた。


「酒は、飲めるのだろう?」


 これは単純に酒が飲めるかというより、酒を楽しむことが出来るか、と問われているのだろうと察する。少し思案した末に素直に答えた。


「会社の忘年会で少し飲んだ事があるくらいで、殆ど飲んだことがないんです。飲めない体質ではないとおもうんですが」

「それは結構」


 アレクシスは小さく笑い、赤い液体をグラスに注ぐ。

 透真が思わずグラスを持ち上げかけると、低い声で制された。


「ワインは、テーブルに置いたまま注ぐものだ」


 慌てて手を引っ込める。

 深紅のワインが静かに満たされていく様子を見つめながら、飲んでみるよう促され、初めてのワインというものにドキドキしながら口へ運んだ。

 瞬間、舌の上に広がる渋みに思わず眉が寄る。

 喉の奥に流し込んでも、口の中に残る果実と、何とも言えない香り。正直に言えば――美味しいとは思えなかった。

 だが、アレクシスは気分を害した様子もなく、わずかに口角を上げただけだった。

 その表情に、透真はほっと胸を撫で下ろす。きっと今のワインは、彼がいつも飲んでいるものなのだろう。


「これはどうだ?」


 次に注がれたのは、先ほどよりも軽い口当たりの赤ワインだった。

 渋みは薄く、甘い香りがかすかに残る。少しだけ飲みやすい。

 だが美味しいと呼ぶにはまだ遠く、透真が微妙な表情を浮かべると、アレクシスはふっと笑う。


「あの、感想とか言った方がいいですか?」

「いや。君は顔にすぐ出るから必要ない」


 あんまりな言葉に思わず口を開きかけたが、以前も同じことを言われたのを思い出し、口を閉じる。

 自分はそんなに分かりやすいのか――少し恥ずかしくなりながら、素直に差し出されるグラスを順番に口へ運んだ。

 どれもいまいちピンとこないまま、気づけばテーブルの上には複数のグラスが並んでいた。赤、白、スパークリング――まるで小さな実験のようだ。


 どこかムキになっているアレクシスの横顔を見て、透真は心の中でそっと笑ってしまう。

 そんな中、口に含んだ一杯で――ふと、目が見開かれた。


 ……おいしい、気がする。


 表情から即座に読み取ったのだろう。アレクシスが少し身を乗り出し、低く問う。


「――どれだ?」


 けれど、銘柄なんてわかるはずもない。

 透真は慌てて並んだグラスを見比べ、困ったように視線を彷徨わせた。

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