魔族、軟弱男子に転生する。

でい

第1話 復讐をはじめよう

 ふと、前世の記憶がよみがえった。

 返り血に塗れた、異世界での記憶。


「ちゃんときれいに拭いてから出てこいよ」


「おい田中、チクったらわかってるよなぁ?」


「ぎゃははっ」


 カランと、バケツの転がる音。

 ひび割れたチャイム。

 下卑た笑い声が、扉の向こうで遠ざかっていく。


「僕——いや、俺は、何をしている」


 俺は、ずぶ濡れのままトイレの個室に取り残されていた。


「なぜ、やり返さなかった……?」


 くもった眼鏡を放り投げ、両手を見つめる。

 見慣れた細い白腕。水を浴びせられ、すっかり冷えきっている。

 かつて魔族のエリートだった俺が、なんと無様だ。

 高校生ごときに、このような扱いを受けて黙っている。


「あんなガキども、木っ端微塵に——」


 異世界の魔境アポカリアで、二百年を生きた。

 空を切り裂く翼、漆黒に輝く強靭な体躯。

 大海を穿ち、炎を纏い、雷さえ操る。

 圧倒的な魔力と膂力、そして異能を駆使し、数多の人間どもをほふってきた。

 英雄と崇められる者すら返り討ちにし、最凶の悪魔と畏怖された。


 しかし——


「魔力を感じない。身体能力も、戻っていない」


 いまとなっては違う。

 どういう理由わけか、俺は転生したらしい。

 田中優介たなかゆうすけという軟弱な人間の器で。


「ははっ、あまりに弱い。弱すぎる。情けないカラダだ」


 人間として育った十六年の記憶が染みついている。

 ここ日本国は、呆れるほど平穏な法治国家。

 争いはあっても、生き死に直結しない。

 わざわざ鍛えなくとも生き延びられた。


「凶器なら、いくらでも調達できるが——」


 隙さえうかがえば、この肉体でもやつらを始末するくらい容易い。

 だが、その後の生活は簡単にいかないだろう。

 そのくらいの判断はつく。

 以前の世界とは、ルールが違うのだ。

 そして、俺自身の力もまた——。


 個室を出て、鏡の前で濡れた前髪をかき上げる。

 いまは午後の授業中で、廊下も静まり返っていた。


 魔力は湧かず、身体能力もカス。

 しかし、本能に紐づいた俺の特性ならどうだ。


「まずは——どこまで『異能』を扱えるか、確かめる必要がある」


 触れてもいない蛇口がひとりでに回り、

 ぽつ、ぽつと水が滴り落ちた。




 終業のチャイムが響き、教室のほうから喧騒が巻き起こる。

 まだ人通りの少ない廊下に、見知った姿を見つけた。


「ナツメ、か」


 教室で目立つ部類の女。金色に染めた巻き髪、耳にはピアスを軟骨まで並べている。

 同じ一年、田中優介のクラスメイト。

 榎本夏愛えのもとなつめ

 目が合うと、そいつは眉をひそめた。


「は? えらそうに呼び捨てすんなよ」


 生意気なやつだ。

 いわゆる、ギャルと呼ばれる種族。虚勢を張らずにはいられない性分らしい。


「ふん、このくらい威勢があったほうが、愉しめそうだ」


「え、いきなりなに……てか、いつもと雰囲気違くない? 制服も濡れてるし」


 以前とは違う態度に、動揺を隠せていない。

 そう、俺は本来の自分を思い出したのだ。


 その肢体を眺める。

 カラダは、程よい肉付きをしている。

 容姿も——申し分ない。少し幼いが、人間に転生して好みがだいぶ変化したらしい。

 この学校においては、見栄えするほうだろう。


 これなら、異能の実験台に——


「ちょうどいい。いますぐ校舎裏に来い」


「い、いますぐって。あんた何様——」


「うるさい。黙って、ついて来い。命令だ」


 そう告げて、返事も待たずに背を向ける。

 先を歩き出すと、後ろを大人しくついてくる気配があった。


「なっ……なんなのよ……」


 愚痴を吐いていられるのも、ここまでだ。

 貴様は、この世界で一人目の生け贄となる。




 晩秋の寒空のもと、校舎裏は静かだった。

 目の前に、腕を組んだ榎本夏愛。

 肌寒いのか、カーディガンの袖を伸ばしている。


「急に呼び出して、なに?」


「黙れ、女」


「女、って……そんな言い方。あ、もしかしてこれドッキリ? 嘘告とか?」


「何をふざけたこと言っている」


 さっそく、試してみるか。

 俺の有していた特性のひとつ。

 異性を誘惑し、虜にする異能『魅了チャーム』。

 人間の女どもも、魔族の女も翻弄し、都合のいい奴隷と化してきた。


「貴様には、俺の玩具オモチャになってもらう。——『チャーム』」


「……チャーム? なにそれ、アクセサリーのこと?」


「効かない、だと」


 異能が発動しない。

 先ほど、ほかの異能を試したときは顕現できたというのに。


「あのさ田中、もったいぶらないで、さっさと——」


「口を閉じろ、このメスガキ!」


「ふぇっ!?」


 チッ、まあいい。

 次だ。

 相手の弱点を看破する異能『魔眼インサイト』。

 英雄の急所すら見抜いてきた。

 しかもそれは、肉体的なものに限らず、内面さえ透かす。

 心の闇を暴き、隠し事を捉え、精神を握ることで、傀儡のように操ることもできた。

 犯した罪や、過去の後悔。

 人に話せない秘密を誰しもが抱えている。


 ナツメ。

 おまえの弱点、しかと見せてもらうぞ。


『ギャップのあるオラオラ系男子』


「オラオラ系……?」


「さ、さっきから一体何なのよ……。でも正直、その雰囲気は悪くない、かも」


「は?」


「……あんたって、実はそういう感じ?」


「俺は、俺だ。考えごとをしているから邪魔するな」


「きゅんっ」


 ナツメは胸を押さえて苦しそうによろめく。

 ほう、ようやく精神の掌握につながったか。ずいぶんと弱体化しているようだ。


「あまり気にしてなかったけど……田中って、けっこう可愛い顔してるね」


「誰に向かって言っている。俺を可愛いなどとぬかすな。可愛いのはおまえの顔だ」


「えっ」


 なにやら動揺している。

 遅効性化。おそらく『魅了チャーム』の効果も現世で弱まり、遅れて現れたのだろう。

 つまり——


「ナツメ。泣いて喜べ。おまえはこの瞬間から俺の奴隷だ」


「へっ!?」


「尽くせ。指がもがれようと、舌が千切れようと」


「それはさすがに過激すぎない?」


「命令されることを光栄に思え。俺を悦ばせるために、全身を捧げろ」


 このくらい強い指示を与えれば、チャームの効力が弱くとも作用するだろう。

 その証拠に、目の前のナツメはとろんとした目つきに変わっていた。


「う、うん。わかった……」


「わかりました、だろ。敬語を忘れるな。身のほどを知れ」


「……わ、わかりました。田中」


「田中ではない。ユクリャと呼べ」


「え、誰」


「俺の——真の名だ」


「真の名……ちょいイタいけど、これがギャップ萌えってやつなのかも」


「ぼそぼそ喋るな、気が散る」


「あ、ごめん、なさい……」


 ふん、平伏せろ。

 栄えある一人目になれたことを、せいぜい歓喜するがいい。

 従順に努めれば、しばらくは専属メイドとして扱ってやる。

 だがおまえも、俺を馬鹿にした愚かな人間の一人だ。

 必ず、報いは受けてもらう。


 ははっ——

 笑える。自分でも呆れるほど、小さな野望から果たすつもりとは。


 さて、復讐をはじめよう。

 高校というくだらない箱庭の、薄暗い校舎裏からな。

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