部下は上官の命令に逆らってはならない

 誰かが墜ちた。だが確認する余裕はない。


 ユミフネの機体の上に影が覆い被さった。羽ばたきの音がエンジンの唸りに混じって聞こえる。頭上を取られていた。


「ッーーー……! 武装を最低限にするように言われたのも仕込みか……!?」


 愚痴しか零せない。


 適切な情報を通信で送るべきだが、そこまで頭は回らない。


 ――ただ反射的にスロットルを絞り、機体を急減速させながら右へ深く傾けた。


 次の刹那、機体の残像を切り裂くように竜の鉤爪が機体の翼を掠める。


 攻撃を外した敵の竜騎兵は、【鉄竜】の強引な急減速に反応しきれず追い越していった。


 ユミフネは嫌な汗を滲ませながらも翼竜に向けて機銃の照準を向ける。


 ――発砲。魔石が炸裂して鋼の弾列が広がる。


 竜騎兵も旋回と急上昇で攻撃を避け続けていたが、後方にいたヨミ機が竜の翼を撃ち抜いた。


 火花と血を散らして、巨大な竜の影が雲の奥へと墜落していく。


『視界が悪すぎる……! 眼は竜のほうがいい! 高度を落とせ!!』


 ユミフネは声を張り上げた。


 【鉄竜】小隊機の生き残りは急降下して分厚い雨雲から抜け出すと、初めて敵小隊の数を目視していく。


『敵が多すぎるっす……!』


 ヨミの声が割れる。数は倍以上だった。


 明らかに哨戒任務の情報は割れている。敵は端から【鉄竜】を殺す目的で待ち構えていた。


 ……逃げ切れるのか? 否、全員の生存は不可能だ。


『こちら猫蛇。主翼の一部が破損した私が――狙われてるから、私が囮になるっす。小隊はこのまま離脱しろっす……!』


 ヨミ機が撤退経路から大きく離れ、距離を取っていく。


 【鉄竜】の教本通りの動きだ。旋回、反転。


 そして急上昇して瞬時に竜騎兵の頭上を取って撃ち抜く。


 だが、竜の火球が翼の支柱を掠め、炎が走る。


 竜騎兵たちは確実な戦果を狙い、容赦なく追い詰めていった。


 ――この状況で助けに行くのは無謀を通り越して、彼女の意思を無碍にする行為でしかなかった。


 まして少尉からの撤退命令。


 小隊は既に煙幕を焚いて離脱散開していた。


『こちら狩人。……っ任務前にあんな台詞を言うからこういうことが起きるんだ。迎撃するから一緒に離脱するぞ。少尉をまた助けたとなれば俺も昇進できるかもしれん』


 ユミフネは開き直るようにヨミ機に追従した。


『バカじゃないっすかッ!? 命令違反っすよ!』


『命令順守なら今頃、俺は軍曹じゃないだろうな』


 後方の翼竜へ銃弾を浴びせ撃ち落とす。竜の火球が迫るたびに機体を傾けて旋回、反転、急旋回を繰り返し強引にかわし続ける。


 樹冠すれすれまで降下してから一気に機首をあげて上昇した。


 揚力で減速、反転して追いかけていた竜騎兵の頭上を取り――撃ち抜く。


 さらにもう一騎。弾丸が騎兵本人を撃ち抜くと、二匹の飛ぶ蜥蜴共が墜落していく。


「大丈夫だ……。大丈夫…………。魔王戦争のときのが酷い状況だった」


 いやどうだろう。


 過去は生き延びたが――今は?


 熱線の吐息を搔い潜る。魔力の込められた咆哮が頭を揺さぶるなら、反射的に脚へナイフを突き立てて意識を保った。


 レバーを前へフルスロットル。プロペラが悲鳴を上げるまで加速していく。


 ガタついたプロペラが異音を発するが構わずに加速。加速。加速。


 視界にヨミ機と、追う竜騎兵の影が映った。


『ヨミ! 機首を思い切りあげろ!』


『了解っす……!!』


 ヨミは機体を引き上げ、雲の中へ垂直に突っ込んでいく。激しい加速と重力の負荷に呻き声を漏らしたが、歯を食い縛り続けた。


「グギャアアアア!!」


 翼竜が唸り声を上げ、両翼を広げて急上昇――頭上を奪い返そうと迫る。


「こっちにも【竜】はいるんだよッ――!!」


 敵騎は生物ゆえに柔軟に空中を動けるが、生物ゆえに強引な軌道変更には弱かった。


 翼竜共は必ず標的を目視してからの加速しだす。


 その僅かな硬直を、ユミフネは逃さずに発砲した。


 連射音が空を裂き、竜の腹を弾が貫く。


 魔石が砕けて白煙が上がり、血の霧が散った。


 これで三騎目。いや、四騎か? ヨミも無事で帰還できれば恩賞だけでも相当もらえるだろう。勲章だって受理されるはずだ。


 ヨミはなんて言ってくれるだろう。いや、それどころか小隊の女性全員にキャーキャーと言われたっておかしくはない。


 生と死の狭間を行き来する最中、先のことに想いを向けて気力を保つ。苦痛などかまわず頬は引き攣り笑みだけを浮かべた。


 ユミフネも雲の中へ再び突入し、機体を大きく反転させてヨミと並行して撤退を試みるが僅かな被弾。


 竜の攻撃ではなく騎兵の雷魔法が機体を掠めた。


 だが大きな衝撃はない。


 攻撃を無視して高度上昇。


 雲の上まで突き抜けて態勢を取り直そうとしたものの、昇降舵が動かない。


 ……機体の上昇、降下が制御不能になっていた。


「ああ、糞……! 尾翼がイカれた……!!」


 確認すると水平尾翼の片側が雷撃で大きく裂けてしまっていた。


 それで昇降舵が動かなくなり、機首が樹海に向けて固定された。


 ……地面に向けて飛ぶことしかできない致命的な損傷だった。


『ユミフネ!! 大丈夫っすか!!?』


『問題はあるが生きている……! だが機体がイカれた。不時着する……!』


『無茶っす!』


『無茶だからあとで落ち合おう……! しばらく掛かるがどうにかする……!』


 不時着なんてできるものか――? どうにかなるものなのか?


 下は樹海ばかりで追跡は未だ撒けていない。


 機体は大きく左右に揺れ、まるで壊れた鳥のように暴れ続ける。


 舵を踏んでも動きは鈍く、針路が保てない。


 強引に姿勢を立て直そうとしたが、軋む金属の悲鳴が響くだけだった。


「っ……糞!」


 不運とは重なるものらしい。


 上空から墜ちてくる赤い影。先の流れ弾で制御を失った翼竜だ。


 螺旋を描くように錐揉み落下して――降下角がこちらの進路に重なっていく。


「嗚呼……それはまずいだろ……!!」


 回避を試みたが、ペダルを踏むたび尾部が軋み、音だけが広がる。


 避けることなど無理な話だった。


 お互い制御不能で上手に落ちてるだけだから。


 衝突する寸前、目の前に広がっていく竜騎兵の姿が異様なほど鮮明に、ゆっくりと映り込んでいく。


 深紅の鱗。飛竜の金色の瞳。


 鞍の革の縫い目、発炎槍から零れ出る煙。


 死神が歩み寄るほど時間はゆっくりと、刹那の景色がくっきりと脳に刻まれていく。そして、竜の背に乗る少女――ヨミと同じ年頃の狼人種だった。


 恐怖に耳をぺたんと畳んで、尾が風で千切れそうに靡いている。


 眼が合った。


 激突する瞬間にあってしまった。


 蒼白とした表情、見開いた双眸がゴーグル越しでも用意に目視できた。






 ――――正面衝突。




 プロペラが砕け、支柱が潰れた。


 主翼が大破し、計器盤が吹っ飛んでいく。


 鱗と布と木が混ざった破片が風に散った。


 風防が飛竜の胸板にひしゃげ、裂けた膜がはためいて、機体と竜がねじれながら失速渦へ落ちていく。


 互いの残骸は絡み合い、灰色の昼の空に薄黒い炎の弧が空を裂いて。


 ユミフネと竜騎兵の少女は樹冠の影へ落ちた。

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