ボーダー

櫻葉きぃ

自覚

語りと回想

グアムの別荘にて

 オレの名前は御劔 優作みつるぎ ゆうさく


 皆からは『優』と呼ばれていることが多い。

 しかし、ごく一部、『ミツ』と呼ぶ奴もいる。

 

プールでは長女の優美ゆうみが、全力で水しぶきをあげている。


その隣で一緒に笑っているのは、幼なじみにして妻となった華恵はなえ


彼女のことは、ハナと呼んでいる。


白地に花柄のビキニが太陽の光に照らされて、余計に眩しく見える。


――10年以上経っても、彼女が笑うたびに胸が締めつけられる。

 

結婚して、子どもがいても、あの頃の“好き”は消えないままだ。


3年前にもう1人、娘の優華ゆうかを産んでいる。


産後も変わらぬスタイルで、彼女が2児の母親だなんて、初対面の誰も信じないだろう。


「ミツ、そんなに見とれるなよ」


からかう声に横を向く。


もう一人の幼なじみ、宝月蓮太郎ほうづき れんたろうがそこにいた。


ベンチに肘をかけ、サングラス越しににやついている。


彼も、オレのことをミツと呼ぶ一人だ。



「レン。


お前こそ、オレの妻に見惚れて、めいさんに怒られないようにな」


互いに軽口を飛ばす。

 

けれどその笑いの奥には、言葉にしない懐かしさが滲んでいた。


 蓮太郎は、カガク捜査官になるのが夢だった。

 

実際に両親を交通事故で亡くした後5年間、アメリカでカガク捜査を学んでいた。


 そこでカガク捜査の術を身に付け、オレらが高校の入学式を迎える春休みに日本に帰国した。


いわゆる"帰国子女"。


 だから、英語はお手の物。

 

旅行のチェックインのときも、流暢な英語を話していた。


 もっとも、レンの妻の冥は、アメリカ生まれアメリカ育ちだから、英語はお手の物。


 オレらは今、グアムにいる。


 滞在先は、レンが所有する別荘だ。


 

学生時代の仲間も集めた、毎年恒例の“同窓バカンス”。



 もっとも、仕事の都合で来られない仲間も多い。

 

オレもここ数年、仕事漬けで参加できなかった。


「サンキューな、レン。


優美と優華の世話に追われて、過労死するところだった。

 

優華は、チャイルドマインダー兼保育士の望月さんのところで遊んでるって、さっきハナが言ってたよ」


保育士で、チャイルドマインダーの資格もある。


優華ちゃんも、こうして連れて来れて、良かったよ」


 レンの笑い声が、プールの水音と混じる。

 互いに顔を見合わせて、苦笑い。

 

子どもの頃は、魔導だの異能だのと呼ばれた力を振りかざしていた。

 

それが今じゃ、ただの“普通の大人”。

 

光陰矢の如し、というやつだ。


  「なぁ、レン。

 

オレ、ハナのあの笑顔、あのまま一生見られないのかと思ったよ」


「皮肉だがオレもだ。

 

懐かしいよな。


 あれ……オレたちが小6のときだっけ?」


「……だな」



 レンの言葉を聞いて、胸の奥がふっと熱くなった。

 

気づけば、あの日の情景がよみがえる。

 

太陽の匂い、蝉の声、まだ幼かったハナの笑顔――。


「お父さんたち、何の話してるの?」

 

水の音とともに、優美がプールから顔を出した。

 

目をこすりながら、こちらをのぞきこむ。

 

その後ろで、ハナがゆっくりとプールから上がる。


 オレは着ていたネイビーのパーカーを脱いで、彼女に手渡した。


「ハナ、着とけ。


……一応な」


授乳の時期を過ぎたとはいえ、それなりな大きさのある胸。


レンと、その息子・麗眞れいまの目に晒したくないだけだった。


「ありがと。


……相変わらず気が利く旦那さん。


好きよ、そういうとこ」


 その声が耳に触れた瞬間、今も胸が跳ねた。

 


「チャイルドマインダーの方がね、“せっかくだから、旦那さんと優美ちゃんと、思いきり楽しんできてください”って。

 

レンとメイちゃんには感謝しなきゃ」


「まったくだ」


 ハナは笑いながら、優美の髪をタオルで拭いた。

 

陽光が水滴をきらめかせる。


「で? 


二人して空なんか見上げて、何の話してたの?」


「お互い、思い出してたんだよ。


……自分の奥さんをどうやって落としたかをな」


「えーっ! 


お父さんとお母さんの出会い? 聞きたーい!」

 

優美が身を乗り出す。

 

その声に釣られて、レンの娘で、中学2年生のあや


小学5年生の息子・麗眞も近づいてきた。



「……優美。

 

気になるなら、話してもいいけど、とっても長くなるわよ?

 

途中で寝ないかな?」


「寝ないー!

 

もし寝てたら、彩お姉ちゃんと、麗眞お兄ちゃんに起こしてもらう!」


「彩と麗眞も、大丈夫か?

 

寝てたら、優美ちゃんを起こせるかな?」


 任せて、というように、姉弟が揃って胸を叩いた。


 大人びてはいるが、無邪気な一面もまだ残っているオレの娘。

 

そこは、妻の幼少期に似たか。


 ……愛娘と妻にはどうしても甘い。


「敏腕検察官も、妻と娘にはメロメロだな」


 レンの子供も、お兄さんお姉さん扱いをされて気を良くしたのか、誇らしげだ。


 その可愛さに根負けした。


ハナは少し頬を染めて、オレを見上げる。


「……どうする? 


話しちゃう?」


「もう、ここまで言ったら仕方ねぇな」


 レンと視線を交わす。

 

どちらからともなく、笑みがこぼれた。


 ――そうして、オレたちは語りはじめた。

 

あの夏、ハナと再会して、それぞれの道を歩むことになる、長い長い物語を。


 

オレたち三人は、幼稚園のころからの仲だった。

 ハナ、レン、そしてオレ。

 あの頃から、オレはずっとハナのことが好きだった。


 小学生になっても、それは変わらなかった。

 

むしろ、ハナが誰かと話しているだけで気になって、どうしようもなくなった。

 

だから、レンと二人でわざとちょっかいを出した。

 笑ってもらいたかった。


ただ、それだけだったのに。


 ――結果は、最悪だった。

 

オレたちの悪ふざけで、ハナは心を閉ざしてしまった。

 

それからすぐ、彼女は転校した。

 

別の町へ。


オレたちのいない場所へ。


 残されたのは、後悔だけだった。


 やがてレンは、アメリカへ行った。

 

カガク捜査官になる夢を追って、遠くへ。

 

オレたちは、それぞれの道を歩くようになった。


 ……そして、あの日。

 

レンが一時帰国すると聞いて、オレは空港まで迎えに行った。

 

出発ゲートの向こうから現れたレン。


背が伸びて、声も少し低くなっていた。

 

でも、笑い方だけは昔のままだった。


「行くぞ、ミツ」

 その一言に、懐かしさが胸を刺した。


 オレたちは、そのまま母校の魔導学校へ向かった。

 

門をくぐると、潮風に混じって懐かしい鐘の音が聞こえる。

 

校舎の前に立つ鈴原すずはら先生が、目を丸くしてこっちを見ていた。


「まぁ、蓮太郎くん。


大きくなったわね」

 

いつもと変わらない、やわらかな声。

 

先生は微笑みながら、レンの顔を見上げた。


「少し背も伸びたんじゃない? 


でも、成長期はこれからよ。


ちゃんと栄養摂るのよ?」


「はい! 


無事にFBIカガク捜査官志望の課程も終わりました! 


あとは試験だけです!」

 


レンは、誇らしげに書類を掲げた。


「そう……


よかったわね」

 

先生は少しだけ目を細め、ふと真剣な顔に変わった。


「あなたがいるうちに、“彼女”のことを話しておかないとね」


 “彼女”――その言葉を聞いた瞬間、オレとレンは同時に顔を見合わせた。


 思い浮かぶのは、ただ一人。

 

蒲田 華恵かまたはなえ

 

オレたちが共通で、片想いしている女だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る