再解釈・うろ覚え史記列伝 ~たしかこんな話だったはず……

島アルテ

第1話 孟嘗君列伝より ~馮驩


 馮驩ふうかんというのは、史記・孟嘗君もうしょうくん列伝に、孟嘗君こと田文の参謀として名が出てくる人物です。孟嘗君・田文は戦国四君の一人で、三千人に及ぶ「食客しょっかく」という居候を養っていたことで有名ですね。

 馮驩は田文のピンチを再三に渡って助けます。「鶏鳴狗盗けいめいくとう」では食客達の指揮役、「狡兔三窟こうとさんくつ」では実質一人で行動していました。とんでもなく有能な人物だと推察できるのですが、それはピンチの時だけで、平時はあまり働いていない、どころか、どうしようもないロクデナシとしても描かれているのが面白いところです。

 私が史記列伝の中で、一番感銘を受けたエピソードは、「狡兔三窟こうとさんくつ」の布石の後の、田文が一度、宰相を罷免された後、馮驩の助けによって復帰できた時の話です。私は史記列伝を知ったのは高校生ぐらいの時ですが、この頃、友達があまりいなかったので、この馮驩のエピソードにとても救われた記憶があります。今回は、その馮驩の忠義と田文の葛藤を、現代の創作文化に重ねながら描いてみようと思います。







 田文はせいびんに危険視され、宰相職を追われた。三千人いた食客達は、馮驩以外は全員、ことごとく、田文を見捨てて何処かへ逃げていった。

 しかし、馮驩の活動によって田文が元の地位に返り咲くと、散っていった食客達は、元鞘もとさやに戻ろうと、馮驩を通じて田文にコンタクトを取ってきたのだ。


 馮驩は食客達を再度組織し、田文が引きこもっていた地元のせつと王都・臨菑りんしの中間である、きょ城にて田文を出迎えるように指示していた。

 田文達が馬車で莒城に向かう途中、田文はいまいましさを耐えられなくなって、御者を務めていた馮驩に心のうちを漏らした。


「私は食客達が好きでした。私は食客に望むものは大半与えてきたつもりです。彼らのことを、友だとすら思っていた。ですが、私が宰相の座を追われた時、三千人いた食客は、全員去っていった。残ってくれたのは先生だけです。函谷関かんこくかんで鳥の鳴きまねしていたやつですら去っていったのですぞ?! あいつ、他にどこで雇ってもらえるっていうんだ……? それなのに、今私が先生のご活躍によって、元の地位に返り咲いたら、やつらめ、謝罪の言葉一つなく、そろそろ元の関係に戻りませんか、だと? 先生、この、やつらの手紙を読んだんですよね?!」


「読みました」


「『やっぱり孟嘗君は一味違うと思っていました』『我が君のこと、実は信じてました』『今こそ、我が力を真の英雄のために役立てる時』『状況が変わったので、もう一度再契約しましょう』『問おう、あなたが私の主君か』『当選おめでとうございます。陰から応援していました』『孟嘗君しか勝たん』……ふざけやがって!」


 田文は、怒りに乗せて、馬車の後ろに食客達からの手紙の束を放り投げた。破り捨てないのは、何かあったときに証拠として使えるかもしれないと思っているからだ。


「手のひら返しもいいところだ。やつらは恥を知らんのか……先生、食客どもはどのつら下げて私を出迎えるなどと言えるのでしょうか? 私は奴らの顔に唾を吐きかけて、辱めてやりたい! 恥知らず、厚顔無恥、権威に盲従する犬、と書いた看板を首から下げさせて、莒と臨菑の間の百里を行進させるというのはどうでしょうか?」


 田文のいらだちの言葉を聞き終えると、馮驩は馬車を止めた。

 身をひるがえして、御者台から降り、地に立つと、すぐにひれ伏して、叩頭こうとうをした。

 田文は驚き、自分も馬車を降りる。

 慌てながら馮驩を抱え起こし、


「何をなさる?! 」


 尋ねると、馮驩は黙って目をつむり、静かに拱手し、頭を下げた。


「先生、先生はもしや、あんな奴らのために、謝罪しているのですか?」

「いいえ。食客たちのためではありません。我が君の失言をおいさめする無礼を、あらかじめ謝っているのです」

「私が失言をしたと?」

「はい。我が君は、万物には必然の道理があり、事象には自然の帰結があるということをご存じでしょうか?」

「無学ゆえに、存じていないと思いますが……」


「生あるものは必ず死を迎えるというのが、物事の道理です。富貴な者のもとには人が集まり、貧しく賤しく身だしなみが悪く風呂に入らず歯を磨かない者の下には友人が少ない。これも当然のこと。もともとはPV数が少ない零細Web作家でも、カクヨムコンで入賞すればPV数が一気に増えて、コメント返信が追い付かなくなります」


 前半の意味はよく分かったが、後半について田文には疑念があった。

 田文は馮驩の作風ではカクヨムコンの入賞は難しいのではないかと思ったのだ。

 彼の小説はハードSFだった。それも、冒頭で5000文字、硬派な文体で設定語りをするタイプ。Web小説でこれは厳しい。さらに致命的なのは、その設定がさほど斬新でもないということだった。無論、投稿後6カ月経った今でも★もコメントもフォローも全て0である。


 そもそも、ハードSFをなぜライトノベルレーベルしかもたない角川系のカクヨムで発表するのか、はなはだ疑問であるとも思った。「横浜駅SF」とか、例外中の例外だろう。が、早川系のWeb投稿サイトなんて今のところ無い気がするので、単にカクヨム以外に投稿する場所がなかっただけかもしれない。


 もしかしたら、馮驩はカクヨムコンでの入賞を本気で狙っていないのかもしれないが、真意は測りかねた。知力60~70台の田文には、知力90台後半の馮驩の真意など、読めようはずもないのだ。


 思考が本筋から大分ずれてしまったので、田文はもとに戻すことにした。

 道理、そう、物事の道理のことだ。


「我が君は、朝方、市場へ向かう人々の列を見たことがありますか? 朝には肩をぶつけあいながら、我先にと門をくぐって市場に向かい、まるでゴミのような愚民の群れがごった返しております。しかし、夜になると人っ子一人いないので、奇声をはりあげて一人カラオケしていても、誰にもとがめられない。なぜ朝は人がたくさんで、夜は少なくなるのか? これは、民衆が朝が好きで、夜が嫌いというわけでは、当然、ありません。彼らが求めるもの、すなわち、市場から得られる利益が、朝にはあって、夜にはない。ただそれだけのことなのです。夜に市場に来るのは変人だけです」


 自分が夜、つまり落ち目になった時去っていった食客達は、意外と常識人だったのだろうか? と田文は考えた。

 が、すぐに、いや、やつらは度をこして変人なだけだと思いなおす。

 変人な上に、権威に群がる俗物根性で動く生命体だから、救いようがない。


「先だって、我が君は位を失い、賓客は皆去りましたが、これも同じ道理です。客をもてなす真意は、返報性の原理を期待してのことであり、我が君も彼らがあまりにも足を引っ張るようなことがあったら、途中で見捨てたかもしれず、最初から最後まで面倒を見るつもりはなかったでしょう? 相互フォローは潜在的読者獲得のためにやるのであり、その関係性は戦略的互恵とも言えます。しかし、読み合い評価を明示的に要求したり、強制すると、規約に抵触する可能性があります。あくまで評価も、食客の恩返しも、自発的に行われるのではなくては、ならないのです」


 聞いていて、田文は、いや、ちょっと、フォロワーに対してはあんまり殺伐としたこと言わないで欲しいと思った。

 利害関係だけじゃなくて、友情とか、同じ創作仲間である連帯感とか他にもあるだろう、と。

 まあ、自分と食客達の間にそれはなかったが。よく考えてみると、食客達と自分の間には共通の夢や理想も無かったので、そこが相互フォロワーとの違いだったのかもしれない。というか、田文は投稿していないのでフォロワーはいない。また、本来フォロワーの中には純粋に読者様もいらっしゃるわけだが…………馮驩にはいないのであった。


「手の平大回転してきた食客や元フォロワーをうらんで道を外すようなことは、どうかおやめいただき、我が君には過去と同じように、作り笑顔で食客を遇していただきたい」


 道とはなんであるか。政治における道とは、この世のどこかにあるという、最善のやり方のことを指すのかもしれない。馮驩が言いたいのは、要は丸く治めて何事もうやむやにしておいたほうが、後々面倒が少ない、ということだろう。打算的に思える考え方だが、どうせ唯一の真実など、人間社会にはなかなか存在しないのだから。


「実際、この後、斉国は楽毅がっきという異能生存体みたいなやつに襲われて、荒廃するので、その前に脱出する時のために、食客は必要になるのです」


 しれっと未来予知しないで欲しい。それは今はまだ知らない情報のはずだ。

 しかし、利用価値という点を考えた時、馮驩の言にはいくつもの理があった。

 思えば、今更食客どものような貧乏人をはずかしめてなぶったところで、なんになるというのか。復讐心を満たせて、多少の愉悦やカタルシスを味わう……それは確かに魅力的ではあるが、それをして風評が下がるのも政治家としては考えものだ。自分を見捨てて出ていった薄情さを良心の呵責として内心に持っておかせ、時折それを揶揄してにやつきながら、たくさん雇ったままにしておけば、斉脱出時に今度こそ捨て駒にできるかもしれない。田文はそう、合理的に考えることにした。


「先生のお言葉、胸に染み入りました。……しかし、一つ疑問が。先生は、人は皆利益を求めて集まるのだと仰いました。確かにそれは世の真理でありましょう。利の切れ目が縁の切れ目であるとも。ですが、それならば、なぜ先生は、私の下を去らなかったのですか?」


 実は田文は、この答えは知っていた。

 知っていながら、あえて聞いたのだ。

 この野放図で冷笑的ニヒルなイケオジ気取っている、ひねくれものの自分の参謀が、これを問われてどんな反応をするか知りたかったから。

 馮驩は問われるとそっぽを向いて、顔を合わせようとしなかったが、やがて呟いた。


「……魚、ですかな」

「魚?」

「……以前、臨菑の、御身おんみの邸宅で夕食に奢っていただいた魚がとても美味うまかった。それで、いつかその恩を返さなきゃいけないと思っていた、それだけです」


 言われて田文は思い出した。

 馮驩は田文の下に来た当初、まったく働かず、一日中ごろごろしていた。

 それだけではなく、夕食が貧相だと文句を言ってきたので、仕方なく田文は自分で市場に出向いて夕食用の魚を買って来たのだった。あの時は内心かなり腹が立った。


「ろくでなしでも、客として迎えたからには誠意を尽くす。そんな底抜けのお人よしに、最後まで付いていく、もの好きが一人ぐらいいたほうが、世の中面白いかもしれない。まあ、その程度の感情ですな」


 まったく、素直に言えないやつだ、と田文は思った。

 しかし、この男らしい。


「……なるほど。ならば、臨菑に戻ったら、たくさん魚を買い占めないといけませんな。先生には、これからもっと働いていただきたいですから」

「お手柔らかにお願いします」


 田文は馮驩の肩をぽん、と叩いたのち、彼と共に馬車に戻った。


 士は己を知る者のために命を賭ける、という言葉がある。

 ならば、君主も己のために命を賭けてくれる者のことは、友として遇するべきであろう。

 多くの人々に裏切られ、見捨てられる経験をして、世の中の無情や不条理を味わった。

 しかし今は、真の友がただ一人、ここに共に立っている。

 それだけで、自分は人生の意味を知ることができたのではないだろうか。


 青雲のこころざしはやはり、人間じんかんにこそある。


 もはやお互い中年であり、気恥ずかしくて、多少気色悪くもあるが、田文の胸中には清々すがすがしい風が吹いていた。










「ところで、先生。誰にも読まれないSF作品をずっと投稿し続けていて、つらくはないのですか?」

「虚心坦懐に申し上げますと……正直、すごく、つらい」

「…………」

「…………」

「私がアカウントを作って、身内票を投じましょう」

「身命をして、御身に忠節を尽くすことを、誓約いたします」



 馮驩の忠誠度が最大値になった。





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