第6話 父の誇り、娘の未来
春の訪れは、雪国でもゆっくりやって来る。
凍っていた大地に、小さな緑が顔を出し、風に混じって花の匂いが戻ってくる。
その風の中で、ヴァレンヌ公爵家の旗が穏やかに揺れていた。
ルシアン・ド・ヴァレンヌは、王都の執務室で報告書に目を通していた。
王の命により、彼は新設された“王国再生院”の総責任者に任命されている。
王妃の不正で揺れた国を、もう一度法の力で立て直すためだ。
机の上には、ひとつの封書。
送り主の名は――フィオナ。
封を開くと、柔らかな筆跡が並んでいた。
〈北の村は、ようやく春を迎えました。
子どもたちは元気に畑を走り、レオン殿下――いいえ、“先生”は、今日も一緒に働いています。
彼はまだ罪を忘れていません。けれど、それを背負いながら誰かのために動いています。
私はそれを、毎日、誇らしく見ています〉
文章の最後に、細い線で描かれた小さな絵。
木の下で笑う子どもたちと、微笑む男女――まぎれもなく、フィオナとレオンだった。
ルシアンは、無意識に微笑んでいた。
冷たかった指先に、わずかな温もりが戻る。
「……そうか。あの愚か者も、やっと人になったか」
そこへ、執事クロードが入室した。
「公爵閣下。陛下からの御伝令です。北方復興の指揮を、ヴァレンヌ公爵家に一任されたいとのこと」
ルシアンは一瞬だけ考え、窓の外に目を向けた。
王都の空は高く、青かった。
その向こうに、北の空が見えるような気がした。
「――断る理由はない。だが、現地の指揮官に名を加えておけ」
「は。どなたを?」
「レオン・ヴァレンヌ」
クロードの目がわずかに見開かれる。
「……殿下を、ヴァレンヌの名で?」
「王太子ではなく、人として戻ってくるなら、門は閉ざさん」
数日後。
北方の村では、新しい朝が始まっていた。
フィオナは孤児院の屋根に干していた布を降ろし、レオンと肩を並べる。
「先生、王都からの伝令が来ています」
封書を開いたレオンは、しばらく言葉を失った。
文面の末尾には、父の署名があった。
〈――レオン・ヴァレンヌ。
民のために剣を振るう者として、王国再生院北方支局の任を委ねる〉
彼はその場で深く息を吐き、空を見上げた。
青空が眩しい。
「父上は、まだ私を見ていたのか」
「ええ。ずっと見ています。あなたがどう変わるかを」
フィオナの声は柔らかく、雪解け水のように澄んでいた。
レオンは小さく笑う。
「……なら、もう逃げない」
その日の夕方、村の広場では新しい学校の基礎石が置かれた。
子どもたちが笑い、村人たちが手を取り合う。
レオンはその中央で、一本の鍬を握っていた。
隣にはフィオナがいる。
「昔の俺なら、こんな泥だらけの仕事はしなかっただろうな」
「今のあなたの方が、ずっと輝いています」
風が吹き抜ける。
春の光の中、二人の影が重なった。
――王都では、その報告を聞いたルシアンが、静かに空を見上げていた。
「法も、人も、時に間違う。
だが、正しさを思い出せる者がいるなら――この国はまだ立ち上がれる」
机の上には、白い薔薇が一輪。
かつて娘の婚約式のために用意したものだった。
彼はその花をそっと窓辺に置き、目を閉じた。
暖かな風が、書類の端を揺らす。
父の誇りは、
娘の未来へと受け継がれていく。
そして――断罪ではなく、赦しの物語が、
静かに、王国に根を下ろしていった。
――完――
ルシアン公爵、娘の仇を討つ。〜婚約破棄した王太子を法廷で叩き潰します〜 妙原奇天/KITEN Myohara @okitashizuka_
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