第4話 王太子の罪

 王都に朝靄が降りた。

 広場に集まる民の視線は、王城の高塔へと向けられている。

 その上階――王都裁判の特別法廷。

 本日、再びルシアン・ド・ヴァレンヌ公爵が立つ。今度の相手は王妃クラウディア、そしてその背後に控える王太子レオンハルト。


 


 法廷内は、異様な緊張に包まれていた。

 王家直属の警備兵が左右に並び、貴族たちはざわめきながらも沈黙を保っている。

 中央にはルシアン公爵と、傍らに座る娘フィオナ。

 対する側には、王妃と王太子。その二人の間には、深い溝が見えた。


 木槌が鳴る。

 司法長官マクシミリアンが開廷を告げる。


「案件名、王室特別基金の不正流用並びに婚約破棄に関する共謀疑惑。証人として王太子レオンハルト殿下、王妃クラウディア陛下を召喚する」


 王妃の顔には余裕の笑み。だが王太子の視線は落ち着かない。

 昨日までの高慢さは、もうどこにもなかった。


 


「原告側、発言を」


 ルシアン公爵が立ち上がる。

 声は静かだが、法廷全体に響いた。


「この件は、単なる金銭問題ではない。

 ――娘を守るために、真実を問うものだ。

 王太子殿下が婚約破棄を宣言した理由は、王妃陛下の指示によるものであり、孤児院基金の帳簿を隠蔽するための策略であった」


 ざわめきが広がる。

 王妃は扇をゆるく開き、微笑を浮かべた。


「証拠があるのかしら?」


「ございます」


 ルシアンは書類束を掲げた。

 クロードが差し出した封筒には、王妃自筆の命令書の写しが封入されている。

 孤児院支援金の再分配を指示し、その先に“王室宝飾商グレイス商会”の名が記されていた。


 マクシミリアン長官が目を通し、眉をひそめる。


「この書式、間違いなく王室の印章であり、王妃陛下の署名……」


「偽造です!」

 王妃の声が響く。

 しかし、魔力検知結晶がその文書にかざされた瞬間、淡い青光が浮かんだ。

 署名の魔力波形が、王妃本人の魔力と完全一致。


 法廷中が息をのんだ。


「……王妃陛下、これでも偽造と?」


「そ、そんなはずは――」


「殿下」

 ルシアンが、静かに王太子に視線を向ける。

 「あなたもご覧になったはずだ。母上の許可で寄付金を使った夜会、王立倉庫から持ち出された金貨箱。あれは誰の命で行われた?」


 レオンハルトの唇が震える。

 母を庇うか、真実を語るか――その迷いが、若き顔を苦しめていた。


「殿下、答えてください」


 沈黙が続く。

 その間、フィオナは父の背中をじっと見つめていた。

 怒りでも、憎しみでもない。そこにあるのは、まっすぐな誇り。


 王太子はゆっくり顔を上げた。


「……確かに、母上の許可を得ていた。私は……見て見ぬふりをした。それが罪なら、私はそれを受け入れる」


 ざわめきが爆発した。

 王妃が椅子を蹴り立ち上がる。


「レオン! あなた、何を――」


「母上、もう終わりにしましょう。私は、王として恥ずかしいことをした」


 王妃の顔から、すべての血の気が引いた。

 マクシミリアン長官が木槌を振り下ろす。


「証言を記録する。王太子殿下自身の認めにより、本件の不正および婚約破棄における共謀が成立。よって、王妃クラウディア陛下は一時謹慎、王太子レオンハルト殿下は王位継承順位を一時停止とする」


 会場が騒然となる中、王妃は呆然と立ち尽くした。

 ルシアンは静かに娘の方へ向き直る。


「終わったな」


 フィオナは泣かなかった。ただ、深く礼をした。


「お父さま……ありがとう。私、あのとき、間違っていなかったんですね」


「ああ。正しいことをした人間が報われるようにするのが、法の務めだ」


 法廷を出たとき、王都の空は曇っていた。

 だが、公爵の胸の中には、久しぶりに澄んだ風が吹いていた。


 


 その夜、王城では静かな政変の噂が流れた。

 王妃は王宮を離れ、修道院へ。

 王太子はすべての職を辞して、国外修行の名目で姿を消す。


 


 ヴァレンヌ邸の庭で、フィオナが父に尋ねた。


「これで平和になりますか?」


「しばらくはな」


「……お父さまは、これからどうされるんですか?」


 ルシアンは空を見上げた。

 薄雲の向こうに、朝の光が滲んでいる。


「法を整える。誰かが泣く前に、正義が届くようにな」


 娘が頷く。その瞳には、かすかな笑み。


 白い薔薇が一輪、風に揺れた。

 その花びらは、かつての涙の色によく似ていた。


 


 ――だが、遠く離れた北方の国境都市。

 そこに一人の騎士が立っていた。

 亡命の途中、青い外套を羽織った若者――王太子レオンハルト。

 彼の傍らには、傷だらけの剣と、閉ざされた日記帳。


 その表紙には、ひとつの名が刻まれていた。


 “フィオナ・ド・ヴァレンヌ”


 


 物語は終わらない。

 断罪のあとにも、贖罪の道がある。


 ――第5話「贖罪の王太子」へ続く。

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