たった一人を救うために必要な屍の数を求めろ。

りんどー@書籍化準備中

第1話 元勇者と新たな勇者

「マコト・ハルトフォード? 妾の子の割に目立っていた時期もあったけど、今じゃ落ちぶれたよな」


 かつての勇者について、ある者が言った。


「あの人の全盛期は凄かったです。剣と魔法であらゆる敵をねじ伏せていて……間違いなく最強の覚醒者でした」

「ああ、あいつか。戦場で活躍していた分、兵士からの人気はあったけど、今では逆に蔑まれているよな」


 共に軍で戦った将兵は、そう口にする。


「勇者になった時がピークじゃないかしら? その後は……自業自得だと思うわ」

「力を失って、魔王城から一人で帰ってきたんだっけ? よく無事だったよな」

「仲間を見捨てて自分だけ逃げたって聞いたぜ」

「力を失ったのは魔王と取引したからだって噂もある。やっぱりろくでもないよ、あのハルトフォード家で疎まれている妾の子なんて」


 繁華街の酒場では、そんな噂話が交わされていた。


「ハルトフォードの三男……あの人と関わると損するよ。次期当主に嫌われているからね」

「現当主の息子だとしても、取り入る利点はないな。次期当主であるアーサー様の勢力が徹底的にあの方を弾圧しているのだから」

「ハルトフォード家で出世を望むなら、マコト・ハルトフォードのことはとりあえず見下しておけばいい」


 ハルトフォード家に仕える者たちの認識は一致していた。


「俺はあいつがハルトフォード家の一員だと思ったことはない。リリィ・シトロエンの隣にいることも認めていない。いつか必ず、思い知らせてやる」


 そして彼の兄は、明確な敵意を表明した。


 元勇者、マコト・ハルトフォード。

 彼のたった一つの目的を叶えるために必要な屍の数を、まだ誰も知らない。



「元勇者が、よくこの場に顔を出せたな」


 マコトが大廊下を通り過ぎる際、背後から誰かが憎しみを込めてそう言った。

 マコト・ハルトフォードは大陸屈指の名家であるハルトフォード家の男子だ。

 今年で十八歳になる青年で、黒髪に黒い瞳を持ち、左目には眼帯を装着している。

 その辺にいる町人か冒険者のような簡素な服を着て、腰には二本の剣を携えており、名家の人間らしくない格好だが、当主の三男だ。

 

(裏門への近道だからって、ここを通ったのは失敗だったな)


 大陸に覇を唱えるハルトフォード家が本拠を構える大都市、ハイランド。

 常に活気溢れる都市の中心には、マグナ・ハイランドがそびえ立つ。

 強大な国力と権威の象徴にして、ハルトフォード家の居城だ。

 城内では現在、新たな勇者の門出を祝う宴が催されている。

 ハルトフォードの親族や勢力下にある諸侯、同盟者や教会の重鎮まで、大陸の錚々たる顔ぶれが各地から集まっていた。

 パーティーホールから聞こえる賑やかな声と音楽、漂う食事の匂い。

 マコト・ハルトフォードは、喧騒の中心から少し外れたホール周辺の大廊下を歩きながら、後悔していた。


「あの方、パーティーにも参加せずにみすぼらしい格好で歩いて……何者でしょう」

「この城で黒髪の男性と言えば、あれが例の方では? ご自分の立場を弁えていただきたいですわね」


 ハルトフォードの三男。

 その身分だけで判断するなら、城の廊下を歩いている姿を見かけた際には、すれ違う人々は彼に恭しく頭を下げるのが礼儀だろう。城に勤めるメイドや兵士は最大限の礼を持って接するべきだ。ハルトフォードに取り入ろうとする諸侯や令嬢にとっては、ぜひともお近づきになりたい存在のはずだ。


「ああ、あれが」

「……ふふっ」


 廊下で談笑していた男女が、令嬢たちの会話を聞いて笑い声を漏らしている。

 彼らは招待客でありながら、ハルトフォードの一員であるマコトを見下した態度を隠していない。

 それは、付近にいた他の者たちも同様だ。

 親族や家臣たちも例外なく、マコトを見下すか、無視するか、疎んじている。

 誰も頭を下げないし、聞こえよがしに嫌みを言ってくるし、すれ違い様にわざとぶつかって、いない者のように扱うこともある。

 その非礼について、父である当主や兄、ハルトフォード家に長く仕える忠臣に至るまで、この城にいる者は誰も咎めない。

 いくらマコトが亡き側妃の子であるとはいえ、事情を知らない人間にとっては異常に見えるだろう。


 元勇者。

 それがマコトの現状であり、蔑まれる最大の理由だ。

 だからこそ、マコトは自身の待遇について妥当だと受け止めている。


(居心地が良くないのは事実だけど……どうせ明日にはここを去るから、大した問題じゃないか)


 とりあえず、さっさと裏門から出て、今夜をやり過ごす場所に移動しよう。

 マコトはそう心に決めた。




 マグナ・ハイランドから照明魔法の光と弦楽器の音色が城下まで漏れ伝わってくる中、マコトはハイランドでも場末の路地裏にある酒場で一人寂しく酒を飲んでいた。

 城の宴に乗じてお祭り騒ぎだった繁華街とは対照的に、物静かな雰囲気に包まれている。

 老齢で強面の店主は寡黙で、マコトに話しかけてくることはない。

 腹の内では何を考えているのか知らないが、少なくともマコトを露骨に蔑んだりしない。

 この静けさと薄暗さが、今のマコトにとっては気安かった。

 

(ここの店主には悪いけど、いつ来ても客がいないのが良いんだよな……)


 マコトは酒を呷りながら、周囲の空席に目を向ける。

 しばらく孤独な雰囲気を味わっていたマコトだったが、程なくして静寂は破られた。


「あ、やっぱりここにいた。やっほーマコトくん」


 入店を告げるベルの音に合わせて、一人の少女が酒場にやってきた。

 蒼みがかった長い銀髪が特徴的な、ハイランドで一番と評判の美少女だ。

 あどけなさが残る顔立ちから感じる柔らかい印象とは裏腹に、彼女はハルトフォード随一どころか、世界最強戦力と称される程の武人でもある。

 社交界と戦場の両方で華として中心に立つ彼女こそ、マコトの幼馴染であるリリィ・シトロエンだ。

 リリィは楽しげな表情を浮かべながら、マコトの隣に座る。

 腕と腕がぶつかるような距離から、甘い香りがマコトの鼻をくすぐった。

 

(相変わらず、近いな)


 リリィの距離感が近いことなんて日常茶飯事なのに、未だに心を揺さぶられる。


「ハルトフォードのお坊ちゃまが、こんな場末の酒場で冒険者みたいな格好して……最初からパーティーをサボって抜け出すつもりだったでしょ」

「サボるも何も、そもそも僕は呼ばれてない」


 リリィを前にして気分の高揚を覚えながら、マコトは酒を口にする。

 他の人間に皮肉を言われても何も思わないが、リリィが相手だと楽しさを感じると同時に、穏やかな気分にもなれる。

 リリィは他国の領主の一人娘で、幼い頃に人質としてハルトフォードにやってきた際にマコトと出会った。

 以来、マコトにとっては数少ない友人であり、修業仲間であり、競争相手であり、それ以上の関係でもあった。


「大体、そっちこそ今夜の主役がこんな場所にいていいのか、勇者様?」


 マグナ・ハイランドで開かれている宴は、新たな勇者の門出を祝うための催しだ。

 その新たな勇者というのが、リリィだった。


「名門シトロエン家のご令嬢で、社交界の華なんて言われている割には、今にも魔王を倒す旅に出ていきそうな格好じゃないか」


 本来であれば、ハイランドで一番のデザイナーが仕立てた華やかなドレスを着ているべきリリィは、とてもパーティーに参加するとは思えない装いをしていた。

 まず、帯剣している。

 そして、巷の冒険者と似たような身軽そうな服を着ている。

 機能性を重視しながらお洒落にも気を使っているのか、下にはやや短めのスカートを合わせていた。


「名門のご令嬢って、ハルトフォード家の人に言われると皮肉にしか聞こえないなあ」

「君のセリフこそ、皮肉にしか聞こえないけどな」

「そう?」

「ああ、そうだ」

「うーん、確かにそうかも」


 マコトが肩を竦めると、リリィは悪戯っぽく笑った。


(ああ……やっぱり、居心地がいいな)

 

 冷遇を受けるマコトがハルトフォード家に居座り続けているのは、リリィがいるからだ。

 マコトは浮ついた気分に浸りながら、グラスの酒を口の中に流し込んだ。


「マコトくん、飲み過ぎじゃない? 何杯目?」

「さあ、多分五杯目くらいじゃないか」

「きみってそんなにお酒好きだったっけ」

「別に。どちらかと言えば自分が嫌いだから飲んでる」

「何それ、かっこいいつもり?」


 リリィはテーブルに頬杖を突きながら、胡散臭そうにマコトを見た。


「ありのままの本音だ」

「へー、なんにせよ、飲み過ぎはほどほどにね?」


 リリィは優しげな眼差しで、マコトに向き直る。


「仮にきみが自分のことを嫌いだったとしても、そんなきみを好きな人間だって、ちゃんといるんだから」

 

 誰からも疎まれているマコトを、リリィだけは心から慕ってくれている。

 彼女の笑顔を見ていると、沈んだ気分が晴れやかになる。

 

(……一人の方が居心地がいいなんて嘘だな)


 長年一緒に過ごしてきたリリィの隣こそが、マコトの望む居場所だ。

 

「ありがとう、リリィ」

「そんな素直にお礼されると、なんかむず痒い気分になるっていうか、その」


 リリィは照れ臭そうに目を逸らした。

 完璧な令嬢にして武人であるリリィでも、マコトと二人の時はどこにでもいる少女と変わらない。


「とにかく、きみのことが好きな私としては、もっと君に自分を大事にしてもらわないと困るわけで……って何言わせてるのさっ」


 リリィは一人で慌てふためくと、マコトから酒の入ったグラスをひったくり、誤魔化すように飲み干した。


「うへ、苦い。しかも強い……」


 マコトくんはこんな味の何が良いんだろう、などとリリィは呟いている。

 確かに、他人が飲んだらむせ返るような酒を何杯も飲むのは、健康には良くないかもしれない。


「まあ、明日には響かない程度に留めておくよ」


 マコトはリリィに同行して、明日から旅に出ることが決まっている。

 魔王とその配下である魔軍を討伐するための旅だ。

 勇者であるリリィと、優秀で強力な人材数名が同行する。マコトは元勇者として経験や知識の面では豊富なため、サポート役として一行に加わる予定だ。

 今は万全の状態ではないが、リリィを助けることはマコトにとって本望だと言える。


「あー、明日。明日ね……」


 リリィがどこか気まずそうな様子を見せた。


「その話、なくなったんだ」

「その話ってどの話だ」


 まさか、魔王に負けを認めて討伐を諦めたから旅は中止になりました、なんて話はあり得ないだろうし。

  

「マコトくんは一緒に来なくていいよ。勇者一行に加わるには、さすがに力不足だと思うから」


 どうやら今度は、冗談でも皮肉でもないらしい。

 確かに現在のマコトは、強力な魔軍と渡り合うだけの戦闘能力を有していない。

 元勇者。

 その称号はつまり、かつてはマコトも勇者だったことがあり、世界最強と謳われるリリィと同等の戦力を持っていたことを意味する。

 そう、かつては。

 今のマコトは勇者ではない。そして、勇者ではなくなった出来事が原因で、体内魔力のほとんどを消失している。大魔法を連発することはできないし、超人的な膂力によって高速戦闘を行うこともできない。


「それでも最低限、自分の身を守るくらいはできる。何より、僕は魔軍のことを誰よりも知り尽くしている。僕の知識は君の旅で必要になるはずだ」

「だとしても、マコトくんを連れて行くことはできない」

「……君にとって僕は、足手まといってことか?」

「だって、これから魔王を倒すための過酷な旅をしようって時にきみを連れて行ったらさ、贔屓しているように見えると言うか……色んな人に対して示しがつかないでしょ?」


 リリィの眼差しは至って真剣だ。

 それでいて、どこか寂しげで、優しくて。


(……ああ、そうか)


 マコトは悟った。

 今の僕ではリリィの隣にいることはできない、と。


「マコトくんはおとぎ話に登場するお姫様みたいに、想い人が使命を果たして無事に帰ってくることを祈っていてよ」


 リリィは宥めるようにそう言って、微笑んだ。

 それでも、駄目だ。

 この、リリィが魔王を倒すための旅には、致命的な矛盾が存在している。

 だからマコトは言った。


「魔王を倒すのは不可能だ。少なくとも、君にだけは」


 リリィは目を瞬かせた。それから、不敵に笑う。

 それを最後に、マコトの視界からリリィが消えた。

 直後。

 視界が揺れて、逆さになって、衝撃を感じたマコトは、気がついた時には床に仰向けで転がされていた。

 リリィが仁王立ちでマコトを見下ろしている。

 手には、一振りの剣が握られていた。

 その姿を見たマコトはようやく、リリィが目にも止まらぬ速さで、自分の腰から剣を奪い取ったのだと理解した。

 ただの剣ではない。勇者の証にして、最古の剣と称されながら輝きを放ち続ける伝説の一振り、聖剣だ。

 リリィが勇者になることへの最後の抵抗としてマコトが所有し続けていたが、あっけなく本来の持ち主の手へ渡ってしまった。


「でも、わたし強いよ? 少なくとも今のきみよりは」

「当然だろ。今の僕には、魔力がほとんどないんだから」

「いやいや、昔からわたしの全戦全勝だったでしょ」


 それは好きな女の子を相手にして、模擬戦用の木剣だとしても本気で攻撃するなんて出来なかったからだ、と本人を前にしては言えない。


「なんにせよ、これはわたしが引き継ぐね。マコトくんはもう十分戦ったからさ。後はわたしに任せてよ」


 相変わらず、リリィは軽い調子で笑っている。

 そうしてリリィはマコトに戦力外通告を告げると、酒場を去っていった。


「……」


 リリィを止める術は、今のマコトにはない。


 そう、僕は……とマコトは改めて自分の無力さを痛感する。

 マコト・ハルトフォードは、以前勇者だった。

 彼が勇者になったのは、世界を守りたかったからではない。

 生まれた家の名誉のためでもない。

 たった一人、守りたい人がいたから。

 その一人こそが、ずっと一緒に過ごしてきた幼馴染、リリィ・シトロエンだ。

 マコトが戦い続けたのは、リリィのため。

 リリィと一緒にいられる場所を守りたかっただけ。

 勇者としての使命や、家の繁栄は、そのついでに達成されたに過ぎない。

 結果的に、マコトは史上最強と称されるまでに至り、魔軍の幹部である四天王を全て倒し、魔軍の勢力を大きく衰退させた。

 それでも最後には魔王に屈したと、世間には伝わっている。

 マコトが魔王に敗れ、力の大半を奪われ、仲間を捨てて、自分だけ故郷に逃げ帰ってきた話は誰でも知っている。

 しかし、おかしいだろう。

 そんな状況で、マコトだけ生きて逃れることができたなんて。

 例えば、魔王の軍門に降って自分だけ見逃してもらった……なんて状況でない限りあり得ない。

 だから人々は、マコト・ハルトフォードをこう蔑む。


 神に見捨てられた裏切り者、と。

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