第5話 翼の上の約束

 レギアスはそう時間もかけずにもう一頭のドラゴンを連れて帰ってきた。


「レティシア、俺とドラゴンに乗って帰ろう」

 

 また予測不能の動きで後ろから抱きしめ囁いてくる。

 

「レギアス様、総大将が帰るわけにはまいりません」

「姫様、もう敵は攻めてこないでしょう。あとは我々に任せて殿下とお戻りくだされ」

「タイラー、大丈夫なの?」


 タイラーは顛末を聞いていないのかしら?

 やけにレギアスに好意的に見える。

 

「半数残して様子を見ますゆえ、問題ないでしょう」

「結局術師はいないようだけれど……前回私の結界を見せたのに、何を考えているのかしら」

「結界? 使えるのか?」


 レギアスが不思議そうに口を挟む。

 さっきなんの抵抗もできなかったから、私に力があるとは思わなかったろうな。

 

「ええ。前回は銃弾を跳ね返してやりました。さすがに懲りるかと思ったのですが」

「へえ、凄いんだな。レティシアの結界」

「魔術師相手でもなければ無敵です」


 まさか、絶滅しかけている魔術師に貞操を狙われるなんて想定外だった……


「おお。今回は術師がいそうだったのか? あの弱そうな国に」

「帝国の傘下になりましたからなあ。銃器も術師も無いとなると、目的は姫様だったのかもしれませぬ」


 私を、おびき寄せるため?

 さすがにぞっとする。


「帝国以外がドラゴンをどうにかできるとは思えないし……皇帝が私を拐おうと画策した可能性は高そうね」

「レティシア、早く帰ろう」


 誘拐の話題がレギアスの独占欲を刺激したらしい。不機嫌な声で私を抱きしめる腕に力がこもる。

 

「ははっ、仲がよろしいですな。あの夜は止めてしまいましたが、今度は送り出しますぞ」

「あの夜?」


 何を言っているのかと首をひねると、タイラーは目を丸くしてレギアスに向いた。

 この二人、前に何かあったのかしら? レギアスは気まずそうに顔をそらした。なんだかよく分からない。

 

 元近衛騎士団長で剣の師匠のタイラーは私の能力を知り尽くしている。無理やりなどあり得ないと思ってくれたのかも。

 どうせお飾りだからと、気疲れで早く帰りたい私は将軍の厚意を受けることにした。

 

「わかりました。ではよろしく頼みます」


 将軍にそう言って、初めて自分からレギアスに歩み寄る。レギアスはあからさまに驚いて、とても嬉しそうに微笑んだ。その顔は無邪気な子供のようで、何かを彷彿とさせる。

 

 背に乗るとドラゴンは翼を広げ、嬉しそうに一声鳴いた。次の瞬間、地面がみるみる遠ざかる。戦場は、もう彼方だった。

 ちゃんと、帰してくれるわよね?

 あまりに不誠実だと、さすがに手に負えない。次は全力で逃げて話も白紙にしよう。


「レティシア、どうかしたか?」

「あっ、いえ。……レギアス様。よき妻になりますので……大事にしてくださいね」

「!!」


 微笑みかけると分かりやすく真っ赤になった。随分と簡単で可愛いものだ。

 しばらくするとレギアスは私を抱く両腕に力を込め、耳元で囁いた。


「俺は……レティシアをあ、愛している。……初めて目にした瞬間から、どうしようもなく。必ず、生涯守り抜いて、大切にする」

「レギアス様……」


 軽薄な私の台詞とは違う、絞り出すように紡ぎ出された真摯な言葉だった。暴れる心臓の鼓動が伝わってきて、体温も尋常ではない。

 

 そういうことは初めに言えばいいのに。あんなに無理強いをして、どの口が言うのだ。

 心の中で必死に悪態をつく。私の体も熱いのはきっと彼の熱が伝わったせい。


 私はどんな顔で見つめていたのだろう。

 真っ赤な顔をしたレギアスに唇をそっと塞がれた。目を閉じると彼の柔らかな唇が小さく震えているのがわかる。

 どうしてか、私の胸も、少し震えた。

 

 

 戦場は皇国東の辺境なので、祝福を施した馬車でも皇宮まで半日近くかかる。

 レギアスのドラゴンは私のためにゆっくり飛んでくれたようだ。それでも30分ほどで、夕日を背に大小の浮島に囲まれる白亜の大神殿――カズミア・スピラの長大な塔が見えた。

 

 皇宮敷地の中央に聳える塔には巨大な枝が巻き付き、煌めきながら樹皮を流れる水は堀から皇都の水路へと広がっている。

 黄昏の皇都は境を連なる高層住宅に円く切り取られ、オレンジと黒のコントラストが幻想的で美しい。


 皇宮の南に位置する皇主の住居、聖宮せいぐうに入るとレギアスはいったん客間へと通された。

 ヴァルグと呼ばれていた黒竜は浮島で寝起きすると決めたようだ。国宝のペガサスたちの遊び場だけれど、喧嘩しないかしら。


 レギアスが私の手を握って離さない。しかたがないから謁見の予定を聞くまで一緒にお茶を飲むことにした。

 また何かされては困る。レギアスの気をそらすために適当に話をしよう。


「レギアス様は、この国の成り立ちは知っていますか?」

「確か、ビッチだった美と豊穣の女神セレスティアが人間の男に恋して、他の男とは寝なくなったんだよな。それで神々の恨みを買った男と、大陸の果てまで逃げた」


 同盟国だからかそれくらいは知っているのか。それにしても言葉が悪い。


「それでビッチ女神は誰も住まない枯れた大地を緑豊かな土地に変えて、子供を作って幸せに暮らした」

「ビッチはやめてください! わたくしは、女神の生まれ変わりといわれているのです」

「生まれ変わり? 聞いてはいたが、本当に?」

「少なくとも私の名は、レティシア・セレスティア・アンサリムです」


 レギアスは私を見て不思議そうに目を細めた。

 

「そういや、ここまで追ってくる神々はいなかったのか?」

「伝承にはありません。ただ、セレスティア神は双子の兄が恋人だったので……説得にくらいは来たかも」

「げ……兄とも関係があったのか。さすがビ……奔放女神。どうしよう……レティシアが男好きに目覚めたら……」


 なによそれ、さすがに失礼が過ぎると思う。

 そういう目で見られるのが嫌でいままで貞淑に振る舞ってきたのに。……そもそも男が好きじゃない。

 

 私が怒りに震える横で、そうなる前に全員殺せばいいかなどと不穏なことを呟いている。

 焦点が合わず揺れる瞳が本気というか狂気だ。


 レギアスに怯えつつ呆れていると謁見に呼ばれた。

 もう遅い時間なのに、今日中に謁見がかなうとは思わなかった。

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