隣の桜田さんが俺を避ける理由

ポット

隣の桜田さんが俺を避ける理由

 となりの席の桜田さくらださんに、なんだか避けられている気がする。


 

 国語の授業中。隣の席の桜田さんが机の上に広げていたのは、ノート一冊と筆記用具。

 先生が教科書にそって授業を進める中、桜田さんは必死に板書を写すだけ。授業の進行に食らい付こうとしているのだろうが、時折虚空を見つめ、自分の無力さに愁いたような表情をしていた。


 それがあまりに悲しみと虚しさに満ちた顔だったので、俺も思わず声をかけてしまった。

 

 

「桜田さん、もしかして教科書忘れた? 見せてあげようか?」

  

「えっ?」


 こちらの提案に驚き、固まってしまう彼女。


「……い、いや、大丈夫……ですっ。わ、悪いのでっ」


 ガチガチになった顔で、首をプルプルと横に振る。


「でも、困ってるんでしょ? 一緒にみようよ」


 先生に聞こえない声量でそう言い返し、机を押して近づけようとする。……すると彼女はさっきよりも激しく首を横に振った。


「あ、えと……!ほ、ほんとにっ! だ、大丈夫ですっ……!」


 そして少しのけ反り、開いた両手をこちらにブンブンと振る。

 

 彼女は手首から先が飛んでってしまいそうなぐらい、激しく手を振り続ける。俺も無理に教科書を見せてあげたいわけではないし、ここは大人しく引き下がる事にした。


「そ、そう。わかったよ」


  

 

 桜田さんとは先月の席替えで初めて隣の席になった。そして席替え後にあった数学の授業で、彼女はいきなり教科書を忘れてしまっていた。困っていそうだったので、その時も今日と同じように声をかけたのだが、「大丈夫ですっ」と遠慮されてしまい……。思えばそれが初めての会話だったのかもしれない。

 

 それから約1ヶ月、お隣さんとして仲良くやっていこうと気さくに接してきたつもりだったが、こちらから話しかけても狼狽えたり遠慮されるばかりで、彼女との距離が近くなることはなかった。精神的にも、物理的にも。


 

 しかし仲良くなれなくても、俺もただなんとなく隣にいたわけではない。ある程度観察し、彼女の生態は少しずつ把握してきている。


 隣にいて気付いたのは、桜田さんは本当によく教科書を忘れるという事。俺が隣になってから今回でもう7回目。

 4回目ぐらいまでは"よく忘れる子だな"ぐらいに思っていた。しかし観察していると、遠い目で何か考え事をしている時が多いし、誰かに話しかけられても数秒のラグがあるし、教室に鳥やハチが入ってきてパニックが起きていても全く気にしない。彼女はとにかくボーッとしている。

 でもそれに感情がないわけではない。時には悲しそうな顔で天井を見つめ、時には口元を緩めながら雲を眺め、時には首をコックリさせながら瞼の裏を見ている。いつも上の空なのに、その表情は実に豊かだ。


 そんな彼女だから、教科書を忘れることなんて日常茶飯事。1ヶ月しか隣にいない俺でも、「いつものやつね」ぐらいに思えるようになってきている。なんならその抜けた感じが、ちょっとだけ可愛らしく思えてきている。


 だから本当はもう少し仲良くなれたらと思っているのに、未だに距離は縮まらないまま。

 そしてこんな状況がずっと続くので、今日、ついに自覚してしまった。


  

 もしかして俺、避けられてる……?


 

 その考えが頭を過ってからは、授業中に出された課題も手に付かない。だから俺は真偽を確かめるために、思い切って実験をしてみることにした。


 まずは右隣に座っている桜田さんの方に、自分の消しゴムを落としてみるという実験だ。これを拾ってくれるかどうかを見るという至極単純なもの。


 

 先生が板書してこちらに背を向けているタイミングを見計らい、偶然を装って消しゴムを落としてみた。


「あっ」


 桜田さんはすぐに俺の消しゴムが落ちた事に気が付いた。わざとらしく「ごめん」と言うと、彼女は当然のように椅子を引き、消しゴムを拾う。

 そして小さな両手の上に消しゴムを乗せ、震える手でこちらに差し出す。


 こうやって普通に拾ってくれるなら、生理的に無理とか、そこまでの思いではないのかな……。

 俺もちょっと嬉しくなって、「ありがとう」と笑顔で消しゴムを受けとる。


 すると突然、彼女は「ひゃぁっ」と可愛い声をあげた。 

 消しゴムをもらう時、彼女の手のひらに触れたタイミングだった。


「えっ、ご、ごめんっ」


「い、いやっ。……うぅ……。む、ムリですっ……!」


 ムリ。……拒絶されてしまった。


 ただ手がチョンと触れてしまっただけだが、身体の接触はさすがにまずかったのだろう。

 彼女は俯いて目をぎゅっと閉じてしまい、そこから俺の方を見ることはなかった。

 


 拾ってくれるまでは特に問題なさそうだったのに。手が触れたときのリアクションを見た限り、やっぱり避けられているのだろうか……。

 しかしまだ完全に割り切れなかったので、とりあえず次の実験をする事に。


 次は桜田さんにお菓子をあげてみるという実験だ。


 桜田さんは女の子だ。甘いものは好きに決まっている。なんの根拠もないが、絶対そうに決まっている。


 俺は休み時間になると早速購買に行き、みんな大好きポッキーを1箱買ってきた。シェアするならこれが一番良いだろうという判断だ。

 そして教室に戻ったあと、桜田さんにあげるためにポッキーの箱を空ける。


「桜田さん、ポッキー食べる?」


「ふぇっ?!」


 突然話しかけられてたじろぐ桜田さん。しかし彼女の返事を聞く前に、どこから嗅ぎ付けたのか、友人が俺のもとへ寄ってきた。


「おぉっ、西尾にしお、ポッキー持ってるじゃないかよっ」


「さっき買ってきたんだよ。食べる?」


「おうっ、ありがとな~」


 彼はその場でポッキーを食べた。するとそれを見た周りの男子たちもこぞって俺のもとへ近寄ってくる。

 

「あれっ、ほんとじゃん。俺にもくれよー。」

「俺も俺もー」


 数人の男子たちに囲まれ、俺と桜田さんはお互いの顔が見られなくなってしまった。 

 みんながポッキーを貪る中、桜田さんにも食べて欲しかった俺は身を乗り出して彼女に声をかける。


「桜田さんはどう?」


「いやっ、あのっ、私は……だ、大丈夫ですっ」


 ポッキー作戦、あえなく失敗。

 

 男子たちがポッキーを食べ終えて自席に戻っていった後、ひょっとしてと思い桜田さんへ質問してみた。


 

「桜田さん、もしかしてポッキー嫌いだった?」


「い、いえっ、す、好きですっ」


「え?それなら全然あげたのに」


「わ、私……好きなものはつい避けてしまう……あいやっ、そのっ、みみ、皆さんがいたので、遠慮してしまうみたいな事で……!」


「そっかそっか、その気持ちもわかるな~」


 彼女は固まっていたが、俺の言葉を聞いて激しく首を縦に振った。

 

「でも俺だったら、好きなものはやっぱり欲しくなっちゃうよ」


「私はその……見てるだけでも、いいんです」


「そうなの?ポッキーなんて見ててもお腹空くだけだけどなぁ」


「え?……あ、あぁ。あはは……」


  

 桜田さんはそこから黙っていつものように俯いてしまった。数往復だけ会話できたが、このぐらいが限界のようだ。



 

 休み時間が終わり、次は日本史の授業が始まった。

 先生が「前回の続きで56ページから……」と話し始めた辺りで、俺は自分のミスに気が付いた。


 教科書、どこにもない。


 机の中、鞄の中、椅子の下、ポケットの中、いろいろな場所を隈無く捜索するが、日本史の教科書はどこからも出てこない。

 そんな俺の焦りを察してくれたのか、教壇にいた先生が声をかけてくれた。


「どうした西尾。教科書忘れたのか?」


「はい、すみません。忘れたみたいで……」


「そうか。じゃあ隣の桜田に見せてもらえ」


「は、はい」


「んじゃ、授業再開するぞ~」


 先生はそれだけ言って、淡々と教科書に書いてある内容の説明を始めた。


 隣の桜田さんを見ると、どう見てもアワアワと取り乱している。

 しかし先生に言われたからだろう。チラチラッとこちらを見たかと思うと、何も言わずにそぉ~っと机を近づけ、俺との間に教科書を置いてくれた。


「桜田さん、ありがと」


「いいい、いえっ」

 

 桜田さんのアワアワパニック状態はしばらくすると少しだけ落ち着き、途中からは先生の話もちゃんと聞いているようだった。

 いつものようにボーッとしている時間もなく、隣からはずっと緊張感が伝わってくる。きっと俺が近くにいるせいなのだろう。

 

 

 授業の終わりのチャイムが鳴り、級長の号令で先生に挨拶をした。桜田さんに教科書のお礼を言おうと横を向くと、彼女はもう反対方向を向いている。そして光の速さで教室の外へと逃げていった。


 先生に言われて教科書は見せてくれたけど、やっぱり俺、避けられてるのかな……。



  

 帰りのホームルームが終わると放課後になり、部活の時間が始まった。

 俺も桜田さんも帰宅部なので、体育館や部室に行く必要はない。今日は桜田さんが当番の日なので、彼女が黒板の文字を一生懸命消している姿をなんとなく眺める。


 

 ……あ、上の方が届かないんだ。

 彼女は必死に背伸びしながら腕を伸ばしていたが、残念ながら黒板の上部には届いていなかった。


 ……あ、チョークの粉が降り掛かってきたんだ。

 必死に伸ばした腕の先、黒板消しの方から白い粉が降り注いだようで、彼女は目をぎゅっと瞑ってケホケホと咳き込んでいた。


 なんだか頑張っている姿が可愛らしい。

 ……いや、でも大変そうだから手伝ってあげよう。

 

 俺が自分の机に手をついて立ち上がろうとしたところ、ちょうどそのタイミングで一人の女子が彼女に声をかけた。


「桜田さん、大丈夫? 上の方は私がやってあげるね」


「えあっ……」

 

 声をかけた女子は桜田さんより背が高い。彼女が近くにあったもう一つの黒板消しを手に取ったので、俺も自分の出番などないと察して立ち上がることはやめた。

 そして長身の彼女は、横で桜田さんがあたふたしている間にさっさと作業を終えてしまった。


「あっ、ありがとうございますっ」


 呆気に取られていた桜田さんも、彼女が手をパンパン払っているのにハッとなってお礼を言う。

  

「へへっ。私、背が高くてよかったかも」


「う、羨ましいですっ。シュッとしてて、スタイルも良くて……」


「あはは、そんなに褒めないでよね~。桜田ちゃんのその小柄な感じもすごく可愛いよ。女の私でも守ってあげたくなっちゃうしっ」


「そそ、そんなことないです。……私も大きくなれるように精進しますっ」


「精進って、あはは。私のはただの遺伝だからね~」 

 

「そうなんですね。うちは両親とも身長が高くないので……頑張るしかないです」


「そかそか~。桜田ちゃんは今身長はいくつなの~?」


「えと、身長ですか……」



 

 俺は自席で何をするでもなく2人の会話を眺めしまっていた。……そして気付いてしまった。


 ……桜田さんは、俺以外の人となら案外普通に話すということに。


 いつも感じていたのは、彼女とは目が合わないということ。そして会話はあまり長続きしない。だから俺はてっきり重度の人見知りなのだと思っていた。

 しかし今の彼女はクラスの女子と仲良く話しているじゃないか。内気な感じは変わりないが、「身長は……忘れちゃいました」とか、「昨日の晩御飯は……なんでしたっけ」とか、普通に話しているじゃないか。


 やっぱり、俺だからあんな対応だったんだ。俺だけが避けられているんだ。

 というか、よく考えれば1ヶ月も長引く人見知りって不自然か……。

 納得いく結論が出てしまったことに少しだけ寂しさを感じながら、俺は一人でお手洗いに向かった。



 教室に戻ってくると、桜田さんを含め、もうクラスメイトたちの姿はなかった。皆部活に行くか家に帰ったのだろう。俺も帰宅部らしく帰宅しようと、自分の鞄を持って生徒玄関に向かう。

  

 そして生徒玄関。自分の下駄箱の場所に着くと、すぐそこでローファーを持ったまま緩んだ顔で空気を見つめている女子生徒がいた。……桜田さんだ。

 

 話しかけるか迷ったが、まだお礼を言えていなかったので声をかける。


 

「桜田さん」


「ふぇ?! は、はいっ」


「さっきは教科書見せてくれてありがとね」


「い、いえっ、それぐらいいつでも……」


「ほんとっ? じゃあいつでも頼んじゃおうかな」


「えぇ! い、いつでもは……嘘ですっ。……や、やっぱりムリですっ!」


 きっと勢いで言ってしまったのだろう。彼女は慌てて訂正した。


「あははっ。冗談だよ。……俺、桜田さんに避けられてるの分かってるから、今日も無理させちゃってごめんね」 


「……えっ。そ、それはその……!」


 彼女は俺の台詞に驚いたのか、一歩退いてから自分のローファーを強く掴んでモジモジと話し始めた。


「あの……そう感じるかもしれない、けど……嫌いとかそういうのじゃ……。むしろその……えと……。……あっ、り、理由が、あるだけ……です」


「理由?」


「そそ、そうですっ」


「どんな理由が……?」


「ええっと、わ、私…………ひ、左利きなんですっ! そう!だから右利きの西尾君の隣だと、邪魔になっちゃうと言うか……えと、その……そ、そんな感じですっ」


 これまで彼女を見てきていたから知っている。

 桜田さんは、書くのも食べるのも、全て右利きだ。


「ぷ、ふふっ。そうだったんだ」


「は、はいっ、そうなんですっ」


 良かった。理由は嘘だと分かるが、こうやって口で言ってくれると安心する。嫌がられている訳じゃなかったんだ。

 

「じゃあさ、先生に言って、左右の席入れ替えてもらう?」


「そ、それはっ、だ、ダメです!……な、なしですっ!」


「ふふっ。そっか、なしか」


「……あ、あとっ、話しかけてくれるのも……ほんとは嬉しくて……。で、でもっ。あんまり、顔とかじっと見ないで欲しいですっ」


 彼女はチャンスだと思ったのか、いつもより口数多く要望を伝えてきた。相変わらずあまり目は合わないが、その必死な感じがやっぱり可愛らしい。


「それは見ていたいからね……どうしようかな」


「えええ、だだ、だめ……ですっ!」


「んー、それじゃあ、できるだけ努力するよ」

 

「……ぜ、絶対ですよっ」


 俺が笑って返すと、彼女は上目遣いでそう返事をした。


「でも、嫌われてないみたいでホッとしたよ」


「き、嫌いになるわけ……ないっ」


「あ、じゃあ次に教科書忘れたら、遠慮なく俺のを見ていいからね?」


「……も、もう忘れないからっ! だ、大丈夫です!」 


「えー、ほんとかなぁ?」


「ほんとですっ」


「あははっ」


「え……へへっ」


 2人で笑い合うと、ようやく桜田さんは少しだけ肩の力が抜けたようだった。

  

「……じゃあ、これからもよろしくね、桜田さん」


「はい……。よろしくお願いしますっ」


 彼女は眉をハの字にして可愛らしく笑った。




 

 俺は今日も隣の桜田さんを観察する。

 

 玄関でのやり取り以降、なぜか彼女は左手で文字を書くようになった。書きづらそうで、すごく苦戦しているようだが、それでも必死に左手を使おうとする姿がとても可愛らしい。

 

 そして今日も声をかける。


「ねぇ桜田さん。教科書忘れたんでしょ? 見せてあげよっか?」


「ふぇっ?! い、いや、えと……。ま、まだ……ムリですっっ!!」

 


 今日も俺は、隣の桜田さんに避けられている。





――――――――――――――――――


【★あとがき★】


これから少しずつ小説を投稿していこうと思います!

皆さまからの反応が大きな大きなモチベーションになりますので、よければフォローや星を入れていただけると嬉しいです!



――――――――――――――――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

隣の桜田さんが俺を避ける理由 ポット @pottto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画