エピローグ「おかえりなさい、僕のヒーロー」

 あれから、五年が過ぎた。


 王都の路地裏に佇む『Licht's Backstube』は、今日も甘い香りと人々の笑顔で満ち溢れていた。

 リヒトは、カウンターの中で、訪れる客一人ひとりに丁寧に接客している。その表情は、五年前よりもずっと穏やかで、自信に満ちていた。


 カラン、とドアベルが鳴り、立派な騎士の制服を着たアレクシスが入ってくる。

 その姿は、騎士団長としての威厳に満ちているが、リヒトの姿を認めた瞬間、ふっと表情が和らいだ。


「ただいま、リヒト」


「おかえりなさい、アレクシス様」


 リヒトは笑顔で出迎えると、カウンターの上に、アレクシスのために取り分けておいた、お気に入りのエクレアを置いた。


「疲れたでしょう。どうぞ、召し上がってください」


「ああ。お前の顔を見ると、疲れが吹き飛ぶよ」


 アレクシスは、当たり前のようにリヒトの隣に腰掛け、エクレアを頬張る。その光景は、もはや店の日常の一部だった。


 二人の間には、たくさんのものが変わった。

 リヒトは、ただ守られるだけの存在ではなく、多くの人に愛される店の店主となった。

 アレクシスも、リヒトという温かい帰る場所を得て、以前にも増して、人々に慕われる偉大な騎士団長となった。


 そして、変わらないものもある。


 お互いを想う、深い愛情。

 リヒトの作るお菓子が、世界で一番美味しいと信じているアレクシスの気持ち。

 アレクシスが、自分にとっての世界一のヒーローだと信じているリヒトの気持ち。


「リヒト」


 エクレアを食べ終えたアレクシスが、ふとリヒトの名前を呼んだ。


「お前と出会って、私の世界は変わった。モノクロだった世界に、色がついたようだ」


「僕もです。アレクシス様と出会って、僕は、生まれ変わることができたんです」


 二人は、見つめ合い、自然に微笑み合った。


 その時、店の奥から、小さな足音が聞こえてきた。


「ちちうえ!だんちょーうえ!」


 たどたどしい言葉と共に現れたのは、銀色の髪と、茶色い瞳を持つ、小さな男の子だった。

 アレクシスの髪の色と、リヒトの瞳の色を、それぞれ受け継いだ、二人の愛の結晶だ。


 男の子は、アレクシスの足に小さな体でしがみついた。

 アレクシスは、その子をひょいと軽々と抱き上げる。


「ただいま、アル。いい子にしてたか?」


「うん!ちちうえと、クッキーつくった!」


 アルと呼ばれた男の子は、得意げにそう言って、小さな手で握りしめていた、少し不格好な星形のクッキーをアレクシスに見せた。


 リヒトは、その様子を、愛おしそうに見つめている。


 虐げられ、孤独だった日々。もう、思い出すことも少ない。

 けれど、あの日々があったからこそ、今の幸せがあるのだと、リヒトは知っている。


 アレクシスが、リヒトと、その腕に抱かれたアルを、大きな腕でまとめて優しく抱きしめた。


「愛しているよ、リヒト、アル」


「僕もです、アレクシス様」


「あるも、だーいすき!」


 甘いお菓子の香りに包まれた、小さな店の中。

 そこには、世界で一番幸せな家族の、温かい笑い声が響いていた。


 物語は、まだ始まったばかり。

 彼らの未来は、きっと、リヒトの作るお菓子のように、どこまでも甘く、そして優しさに満ちていることだろう。


 ――了――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

虐げられΩに転生した元αパティシエ。お菓子作りしか生き甲斐がなかったのに、最強の鬼団長に見初められて運命の番として溺愛されています 藤宮かすみ @hujimiya_kasumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ