第9話「二人で紡ぐ未来のレシピ」

 ユーリとの和解、そしてアレクシスとの心の絆を再確認したリヒトは、もう迷いを抱えてはいなかった。

 彼の作るお菓子は、以前にも増して優しく、そして幸せな味がするようになった。


 クレイスト家の厨房は、今やリヒトの城だ。

 アレクシスが国内外から取り寄せた珍しい果物やスパイスが並び、リヒトは毎日新しいレシピを考案することに夢中になっていた。

 そのお菓子は、アレクシスを癒やすだけでなく、騎士団の者たちや、屋敷の使用人たち、そして時には国王陛下をも笑顔にした。


 リヒトの作るお菓子が持つ不思議な力――食べた者を癒やし、元気にする力は、彼の出自と共に、ごく一部の人間の間でのみ知られる秘密となった。

 アレクシスとユーリ、そして国王が、リヒトを全力で守っているからだ。


 そんなある晴れた日の午後。

 リヒトは、庭のテラスでアレクシスとお茶を楽しんでいた。テーブルの上には、リヒトが焼いたばかりのスコーンと、数種類の自家製ジャムが並んでいる。


「このジャムは、初めて作ったんだが、美味いな」


「本当ですか?よかった。それは、隣国から取り寄せてもらった珍しいベリーなんです。甘酸っぱくて、美味しいですよね」


 何気ない会話を交わす時間が、リヒトにとっては何よりも幸せだった。

 ふと、アレクシスが真剣な顔でリヒトを見つめた。


「リヒト。お前に、提案があるんだ」


「提案、ですか?」


 リヒトが首を傾げると、アレクシスは少し照れたように視線を逸らしながら言った。


「……お前の菓子を、もっと多くの人間に食べてもらうのはどうだろうか。王都に、お前の店を開くんだ」


「えっ、お店!?」


 リヒトは驚いて声を上げた。自分が、お店を持つなんて、考えたこともなかった。


「お前の菓子は、人を幸せにする力がある。それは、私や騎士団の者たちが一番よく知っている。この力を、私たちだけで独占するのは、もったいないと思ったんだ。もちろん、無理にとは言わない。お前が望むなら、という話だ」


 アレクシスの提案は、リヒトの心を大きく揺さぶった。

 以前の自分なら、きっと「無理です」と即答していただろう。しかし、今は違う。

 自分の作るお菓子が、誰かの笑顔に繋がるのなら。それは、なんて素敵なことだろう。


 それに、お店を持てば、自分も少しはアレクシスの隣で、自立した存在になれるかもしれない。

 彼に与えてもらうばかりでなく、自分の力で何かを生み出し、社会と繋がることができる。

 それは、リヒトが心のどこかで、ずっと望んでいたことだった。


「……やりたい、です。やってみたいです!」


 リヒトは、目を輝かせて答えた。その返事に、アレクシスは心から嬉しそうに微笑んだ。


「そうか。ならば、すぐに準備を始めよう。場所も、内装も、最高のものを揃えよう」


「あ、でも、そんなに豪華じゃなくていいんです!僕がやりたいのは、街角にあるような、小さくて温かいお店なんです。誰でも気軽に立ち寄れて、ほっと一息つけるような……」


 リヒトが自分の夢を語ると、アレクシスは愛おしそうに目を細めて、その言葉に耳を傾けた。

「分かった。お前の好きなようにするのが一番だ」と、彼は全てを受け入れてくれた。


 それからというもの、二人は店の準備に奔走した。

 アレクシスは、その権力と財力を遺憾なく発揮し、王都の一等地でありながらも、どこか懐かしい雰囲気の漂う路地裏の物件を見つけてきた。

 店の内装は、リヒトの希望通り、木を基調とした温かみのあるデザインになった。


 店の名前は、二人で考えて『Licht's Backstube(リヒトの焼き菓子工房)』に決まった。


 開店準備の途中、ユーリがふらりと様子を見にやって来たこともあった。

 彼は、店の設計図を眺めると、「……悪くないんじゃないか」と、ぶっきらぼうに呟いた。そして帰り際、「開店祝いだ」とだけ言って、最高級の小麦粉が入った袋を無言で置いていった。

 その不器用な優しさに、リヒトは思わず笑みがこぼれた。


 そして、ついに開店の日がやってきた。


 小さな店のショーケースには、リヒトが心を込めて作ったケーキやクッキー、タルトがキラキラと輝きながら並んでいる。

 店の外には、開店を祝うささやかな花と、『OPEN』の看板。


「お客さん、来てくれるかな……」


 不安そうに呟くリヒトの肩を、アレクシスが力強く抱いた。


「大丈夫だ。お前の菓子は、必ずみんなを笑顔にする」


 その言葉に背中を押され、リヒトはきゅっとエプロンの紐を結び直した。

 カラン、とドアベルが鳴り、最初のお客さんが入ってくる。それは、幼い女の子を連れた、優しい笑顔の母親だった。


「いらっしゃいませ!」


 リヒトの明るい声が、温かい日差しが差し込む店内に、心地よく響き渡った。

 二人が共に紡ぐ、甘くて優しい未来が、今、ここから始まろうとしていた。

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