11 エリノラの救出


 祈祷院長やカイルの話では、セレナが祈祷院から姿をくらましてすぐ後にドランが現れたのだと言う。


『金髪金眼の女神官を出せ』


 突然現れた被疑者。騎士たちは懸命に応戦したが、あえなく倒されてしまった。そして、近くにいたエリノラを人質として連れ去ってしまったのだという。


 祈祷院の院長室。話を聞き終えたセレナは、カイルを見つめる。


「ラザルの森の外れで待ってる。……確かにそう言ったんだね」

「目撃者の神官たちの話によるとね。他に誰かを連れてきたら人質は殺す、とも」


 カイルは額を押さえる。セレナは落ち着いた口調で答える。


「じゃあ、私が一人で向かわないといけないわけだね」


 どちらにせよ、ドランにはセレナも用がある。エリノラを人質に取られたのは想定外だが、呼び出し自体は好都合だ。


 セレナは立ち上がる。それを止めたのはカイルだ。


「待ってほしい。今、駐屯所に連絡を入れている。一度ロドリク中隊長とも話し合って作戦を考えよう。ドランの要求を全て飲むのは危険だ」

「でも、だからってエリノラを危険には晒せないよ。今すぐにでもラザルの森に向かうべきだ」


 きっと、騎士団は一般人であるセレナに危険が及ぶ選択肢はとれない。セレナを危険に遭わせず、エリノラも救出できる。そんな魔法のような名案を思いつくのは難しいし、その前にセレナがラザルの森に向かったほうが早い。


 しかし、カイルは不安げな表情のまま、はっきりと言い切る。


「騎士として、一般人を危険な目に遭わせられないよ」


 それは彼の持つ騎士としての矜持なのだろう。きっと、セレナが逆の立場なら同じことを言っただろう。


(でも、私は一般人……ではないんだよなぁ)


 元は勇者。今も大々的には名乗れないが聖女だ。心情は小市民だが、一般人を名乗るのはおこがましいだろう。


 セレナは少し考える。どうすればカイルを説得できるか。


 思いついた答えは大層なものでなかった。それでも、背筋をピンと伸ばす。胸に手を当て、真っ直ぐにまだ若い騎士を見つめる。


「私には神に与えられた使命があります」


 それはかつて、勇者の頃に人々を励ますために言ったような言葉。カイルは面食らったような反応だ。


「それを果たす前に死ぬわけにはいきません。その使命のために誰かを犠牲にするような真似もできません。だから、必ずエリノラを助け出し、私自身も無傷で戻ってきます。そう、お約束します」


 セレナは聖女がどうあるべきかは分からない。でも、勇者がどうあるべきかは知っている。


 勇者は人々に希望を抱かせる存在。彼らを不安にさせるような言動はしてはならない。一切の不安なく、自信と希望に満ちていると示す。それが重要なことだ。


 そして、聖女もまた世界を救う存在なら、求められるものに通ずるものがあるだろう。だから、セレナは堂々と言い切った。


 カイルは呆然とセレナを見つめる。そして、手で顔を覆い、俯く。――その手が僅かに震えていることに気づく。


「どうしてそんなことが言えるんだ。あの男は、あんなに危険なのに……」


 声がどんどん弱まり、小さくなっていく。それを聞いて、セレナは昨夜のことを思い出した。


(……そうだ。カイルは、ドランに殺されそうになったんだ)


 治癒術で彼の傷は癒えた。しかし、体の傷が消えたからといって、心の傷まで消えるわけではない。


 セレナは視線を落とす。


(本当は体の傷より心の傷のが深刻だよね……)


 そのことはセレナもよく理解している。一朝一夕で治るものではないことも。だから、彼を励ますために、笑みを作る。


「信じるものがあるからですよ。だから、私は強くあれるんです」


(本当はそう信じなきゃ、強くいられないだけだけど)


 勇者は弱さを見せてはいけない。だから、セレナは立ち上がり続けるのだ。


 一度、祈祷院院長を振り返る。彼女に一礼し、セレナはリオネルと共に部屋を出た。



 *




 エリノラは自身を平凡な人間だと認識している。


 神官の両親の下に生まれ、ごく平凡に成長した。その最中に両親は魔族に殺され亡くなってしまったが――その後は祈祷院院長の下へ身を寄せた。


 人々を治療する祈祷院には日々、様々な人が訪れる。病気の人も、怪我の人も。時にはもう手の施しようのない重症患者だって。


 まだ見習いのエリノラも、そういった人々の治療を手伝ったことがある。血も、グロテスクな光景も、ある程度見慣れている。普通の同世代の女の子が泣いたり、吐きそうになる場面に出くわしても堪えられる忍耐強さは持っていると自負していた。


 ――だけれど。


 今、エリノラは恐怖していた。手足の震えが止まらない。歯がカチカチと鳴る。エリノラは自分自身を守るように強く体を抱きしめる。


 突然、祈祷院に現れたスキンヘッドの大男――それが昨夜、ハルミナ神殿のセレナを襲ったドランという傭兵だとすぐに分かった。


 姿をくらましたセレナを探していた騎士たちはすぐに彼を拘束しようとした。しかし、斧を振るう傭兵にあっという間に倒され、彼らの姿は血の海に沈む。それを逃げる機会を失い、壁に背中をつけたままエリノラは見つめるしかできなかった。


 騎士を戦闘不能にすると、ドランは今度エリノラを振り返った。こちらを見つめるその瞳は狂気に染まっていた。


 男はエリノラを捕まえると、他の神官たちにセレナへの伝言を伝えた。そうして、エリノラは攫われ、ラザルの森の外れでカタカタと震えている。


 捕まったのは日中。森に到着する頃には日が暮れ、今は夜だ。周囲は真っ暗で星の光だけがぼんやりと周囲を照らす。


 エリノラは真っ青な顔で少し離れたところに立つ男の様子を窺う。


 薄暗がりの中、ドランはこちらに背を向け、何かぶつぶつと呟いている。


「……ああ、分かってる。分かってる。オレもあの娘が憎い。もうちょっと、もうちょっとなんだ。待っていてくれ。今度こそ……」


 その内容は分からないが、虚空に向かって話しかける様子は不気味そのものだ。エリノラは顔をそらし、声もなく涙を零す。


 ――ああ。早く、誰か助けて。


 そんな祈りが届いたのか、はたまた偶然か。急にドランが地面に突き立てていた斧を手に取った。エリノラは顔を上げる。遠くから赤い光が近づいてくるのが見える。


 それはランタンを手にした金髪金眼の少女――セレナだ。彼女はエリノラたちから十メートルほど離れた場所で足を止めた。


「待たせたね」


 それは呼び出したドランか、人質のエリノラのどちらに向けられたものか。それは分からない。


 しかし、彼女はこの暗闇の中一人で現れた。その表情には一抹の不安もなく、立ち居振る舞いも堂々としたものだ。


 ドランがニヤリと口角を上げる。不気味に目を輝かせ、上機嫌に言った。


「遅かったじゃねえか」

「言うなよ。これでも、早く来ようと努力したんだ。文句なら、街からこんなに離れた場所に呼び出した自分に言いなよ」


 呆れたように言ってから、セレナは目を細める。そして、ランタンを地面に置くと、手を差し出した。


「言われた通り、ちゃんと一人で来たよ。だから、エリノラを解放してほしい」


 ドランがこちらを振り返る。エリノラはビクリと体を震わせた。男は「クックックッ」と笑う。


「確かに、周囲に人の気配はねえな。――遠くに控えさせてるとか、ねえか?」

「そうだとして、何かあったときにすぐ駆けつけられる距離だと思う?」

「そりゃそうか」


 ドランは納得したように呟く。それから、ランタンを指差した。


「火を消せ。それから頭巾を破いて猿轡をしろ。詠唱が出来ないようにな」


 口を塞がれる。それは魔法使いや治癒術が使える神官が最も忌避すべき行為だ。詠唱が唱えられなければ魔法は使えない。


「また、魔法で燃やされたらたまらねえ」

「……しょうがないなぁ」


 セレナは指示通り、ランタンの火を消す。それから、頭巾ウィンプルを切り裂き、自らの口に猿轡をした。


「それから、下手に暴れられても困る。残りの布で自分の腕も結んでもらおうか」

「むごむご!」


 続く指示に、セレナは何かを反論する。しかし、当然意味は通じない。


 彼女は諦めたように腕にぐるぐると布を巻き、固く結ぶ。それから、腕を上げ、しっかり結べたことをドランへと見せつける。


「――いいだろう」


 ドランは嗤う。それから、エリノラをその場に残し、ゆっくりとした足取りでセレナへと向かっていく。


 ――解放された。


 遠ざかっていく背中を見ながら、エリノラは安堵する。同時に、罪悪感からポロポロと涙を落す。


(ごめんなさい。ごめんなさい)


 セレナはエリノラを助けに来てくれた。なのに、自分は助かったことに喜んでいる。これから、彼女がどんな目に遭うかも分からないのに。


 ドランがセレナの目の前で立ち止まる。


「本当に、手こずらせやがって。最初から大人しくオレと取引してくれりゃあよかったのに。そしたら、ちゃんと可愛がって、命までは取らずにおいてやったってのに」


 エリノラの位置からはドランの顔を見えない。しかし、その声色は狂気に染まっているように思えた。そんな男を、セレナは静かな瞳で見上げる。


 直後、男が頭を抑えた。それから、またぶつぶつと話し出す。


「ああ、分かってる。もう、それは諦めた。だが、ちょっと遊ぶくらいはいいだろ。最後はちゃんと、終わらせるからよ」


 ゆらりとドランの体が揺れる。それから、その太い腕をセレナへと伸ばす。


「大丈夫、大丈夫。ちゃんと上手くやるから」


 その手がセレナに届く瞬間。――直前まで誰もいなかった二人の横に何かが現れる。そして、赤い血しぶきとつんざくような男の悲鳴が響いた。

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