9 夜鳴き亭
人に道を聞きながら、辿り着いたのは街の中心街から離れた場所。スラム街に近く、治安も良くない。
灰色の煉瓦建ての、どこか暗い雰囲気を漂わせる建物。その看板の『夜鳴き亭』という文字を見上げ、セレナは覚悟を固める。
(――よしっ)
扉を開けるとギィと木が軋む音がした。
受付に宿の主人らしき中年の男がいる。葉巻をくわえ、新聞を読む男にセレナは話しかける。
「あの、すみません」
宿の主人は顔を上げる。軽く観察するようにこちらを見てから、新聞紙に視線を戻した。
「……
「いえ、部屋を借りたいんじゃなくて、人に会いに来たんです。傭兵のルーディスさん、ここに泊まってるんですよね?」
すると、一瞬男はうんざりしたような顔をしかめた。
「誰に聞いたか知らねえが、ここにゃそんな客はいねえ」
「じゃあ、確かめさせてください」
そう言って、セレナは宿の奥へと向かおうとする。しかし、受付から出てきた男がその前に立ち塞がる。彼はじろりとこちらを睨みつける。
「他にも客がいるんだ。商売の邪魔だ。帰れ」
「なら、本当のことを言ってよ。――ルーディス、ここにいるんでしょう?」
セレナは静かに男を睨み返す。
「私はただ、仕事の依頼をしに来ただけだよ。騒ぎを起こすつもりはない」
「それなら傭兵ギルドへ行きゃあいい。うちに来たってことは――金がねえのか」
半分図星を突かれ、セレナは一瞬口ごもる。
「お、お金は、ないわけじゃない」
「なら、傭兵ギルドを通しな。――それで、ルーディスが引き受けるかは知らねえがな」
(ぐ、ぐぬぬ)
セレナは押し黙る。どう言い返すか、必死に考えていたときだ。
「どうしたんだよ、オッサン?」
奥の階段――その上から声が落ちてきた。見上げると、踊り場に緑色の髪の青年の姿がある。セレナはすぐに思い出した。
(――昨日、ルーディスと一緒にいた人)
青年はセレナと宿屋の主人を交互に見て、不思議そうに首を傾げる。それから軽い足取りで階段を下りてきた。
宿屋の主人は苦々しそうな表情を浮かべる。
「……リオネル」
「ルーディスの客人? ずいぶんと可愛らしい子が来たなぁ」
リオネルと呼ばれた青年は人懐っこそうに笑う。それから、セレナの手を握るとぶんぶんと振った。
「どーも! オレ、リオネル。ルーディスなら今出かけてるぜ?」
「え!?」
セレナは目を見開く。まさか外出中とは予想していなかった。
「どこに!?」
「さあ? 散歩、かなあ? ふらっと出ていくことがよくあるんだ。多分そのうち戻ってくるぜ。昨日仕事から帰ってきたばかりだから、しばらくは依頼を受けることもないだろうし」
「……さ、散歩」
厭世的な雰囲気を漂わせる今のルーディスにはあまり似つかわしくない平和な響きだ。
ひとまず、短期間の外出であることが分かり、安堵する。セレナは宿屋の主人とリオネルの様子を窺いながら、答える。
「じゃ、じゃあ、少し待たせてもらおうかな」
宿の主人は明らかにセレナを追い返したがっていた。しかし、ルーディスの連れらしき青年はそういうわけでもなさそうに見える。
「なら、案内するよ。ルーディスの部屋はこっちだよ」
実際、それを聞いたリオネルは笑って二階を指差す。一方の宿屋の主人は舌打ちをした。
「お前たちはいっつもいっつも面倒ばかり」
男は忌々しそうに呟き、リオネルを睨みつけた。
「もう、これ以上騒ぎを起こすなよ。次何かやらかしたら追い出すからな」
「ダイジョーブ、ダイジョーブ。この子は一般人だろ? オレも手ぇ出したりしねえって」
(えっ――!?)
手を出すという物騒なワードに思わず、セレナは青年を凝視する。しかし、屈託のない笑顔からは悪意も、危険性も感じない。
宿屋の主人はため息を吐くと、受付へと戻っていく。セレナも、リオネルの「じゃあ、行こっか」という言葉に大人しくついていく他なかった。
*
セレナは階段を上がる。二階には扉が二つ並んでおり、リオネルが扉を開けたのは奥側だ。
「さあ、どーぞ」
扉を開けたまま、先にセレナを通そうとする青年を見る。ニコニコとした笑顔からはやはり害意は感じない。セレナは小さく「お邪魔します」と言って部屋に入る。
客室はとても簡素だった。ベッドと荷物をしまうためのクローゼットしかない。一つしかないベッドは完璧にベッドメイキングがされ、誰かが使用中の部屋とは思えない。
そこでふと、セレナは疑問を抱いた。振り返り、リオネルに問う。
「ここ、一人部屋なの?」
「そうだよ。ルーディスの部屋」
「……あなたは別の部屋に泊まってるってことだよね? さっき、鍵を開けてなかったけど」
「ああ。鍵がかかってたら、オレが扉を壊して開けるから。いちいち修理を依頼するのが面倒だって、鍵をかけなくなったんだ」
その言葉にセレナは沈黙する。
(……鍵がかかってたら扉を壊すってどういうことだ。鍵がかかってることも分からないとんでもないうっかりさん?)
しかし、セレナはまだリオネルについて多くを知らない。
人の良さそうな青年。ルーディスの知り合い。Bランクの傭兵。
悪い人には見えないが、まだ彼の
「あなた、ルーディスの知り合いなんだよね?」
「ああ、そうだよ」
「どこで知り合ったの? ……友達、なの?」
まだ会って間もない相手にするには不躾すぎる質問。しかし、ベッドに腰かけた青年は気分を害する様子もなく、笑顔で答えた。
「いいや! オレはいずれ、ルーディスを倒す人間だ!」
「…………た、倒す?」
まるで見当違いな答えに、セレナは脱力するのを感じた。てっきり、知人や友人という言葉が返ってくると思っていたのに――。
リオネルは饒舌に語る。
「今まで色んな奴に会ってきたが――間違いない! ルーディスはオレの会ってきた中で最強の男だ! そんな相手に会ったら一度は戦ってみたいと思うもんだろ? 今のところ、オレの五十七戦五十七敗だが、諦める気はねえぜ? 絶対にいつか勝ってやるんだ」
「えっと、つまり、……ライバルってこと? 仲間、とかでもないの?」
「仲間?」
セレナの言葉に、青年は不思議そうに首を傾げる。
「今んとこ、一緒の依頼を受けたことねえしなあ。仲間ではないんじゃないか?」
「そ、そうなんだ……」
腑に落ちない部分はあるが、一旦呑み込む。同じ宿に泊まっていても、二人は親しい関係ではないようだ。
(じゃあ、リオネルに聞いても、ルーディスがなんでああなったかは分からなそうかな……)
ダメ元で聞いてみるという手はあるが、今のセレナとルーディスの接点は昨日傭兵ギルドで助けてもらっただけだ。あまり詳しく聞きすぎても、不審に思われ、ルーディス本人に話されるかもしれない。
それ以上の追求はやめよう。そう思っているときに、リオネルが話題を変えた。
「それで、君ルーディスに依頼に来たんだろ? どんな依頼?」
少し迷ったものの、セレナは首を振った。
「それは本人が来てから話すよ」
「でも、多分ルーディスは引き受けないぜ。基本受けるのはAランク以上向けの仕事ばっかりだし、個人間の依頼は全部断ってる」
「……簡単に引き受けてもらえないかもしれないのは分かってるよ」
セレナはギュッと手を握りしめる。
今のルーディスが昔と違うことは知っている。お金を払ったとしても、今は他人であるセレナに手を貸してくれるかは分からない。
――でも。
力強く、セレナは宣言する。
「でも、絶対に説得する。ルーディスの力が必要なんだ」
昨日、ルーディスは一瞬でドランを倒した。そして、この街で唯一ドランより高いランクを持っている。ドランと渡り合えるのはルーディスしかない。
それに何より、昔から背中を任せたいと思える相手はルーディスしかいなかった。……振る舞いはガラリと変わっている。それでも、昨日セレナを助けてくれたのはたまたまではなく、まだ昔の心が残っているのだと信じたかった。
リオネルはぽかんとした表情でこちらを見ている。それから、クスリと笑う。
「オレも結構強いよ? 面白そうな依頼内容なら引き受けてあげてもいいけど」
「お気持ちだけ受け取っておくよ。Bランクじゃ、ダメなんだ」
「――あれ? なんで、オレのランク知ってるの?」
二人でそんな会話を繰り広げているときだった。
乱暴に部屋の扉が開かれる。廊下に立っていたのは、フードを目深に被った男――心底不快そうな表情を浮かべたルーディスだった。
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