第7話 配信停止
冬の仙台は、昼と夜の境があいまいだ。午後四時を過ぎると街はすぐに陰り、ビルの谷間から漏れる光だけが、世界の輪郭を保っている。
安藤誠は、そんな街の中で“自分の輪郭”を見失っていた。
娘の「気持ち悪い」という言葉が頭の中で何度もリフレインする。
沙織の、何も言わない顔。
ひよりの、無邪気な笑い声。
どれもこれもが、誠の心を深く削った。
彼はその日以来、配信アプリを開けなくなった。
マイクをデスクの隅に置き、ノートパソコンも閉じた。
夜はただ、布団の中で天井を見つめるだけ。
無音の世界に、胸の奥で鳴っていた“声”が消えていくのを感じた。
会社でも、うっかり書類の提出を忘れ、上司に叱責された。
「最近、ぼーっとしてるよな」
「体調悪いんじゃないのか」
同僚たちの心配そうな視線も、誠には遠い世界のものに思えた。
彼はただ、胸の奥で呟く。
「何をしているんだ、俺は」
スマホには、まる。の新着配信の通知が届いていた。
だが、開けなかった。
彼女の声を聴けば、また自分の“逃げ場”に戻ってしまう気がした。家族との溝は、もっと深くなる気がした。
夜、リビングの時計の音だけが響く。
誠は一人、暗い部屋でうずくまっていた。
数日後、会社帰りの地下鉄の中で、ふと通知が目に入った。
【まる。が配信を開始しました】
その文字は、いつもより強く光っているように見えた。
気づけば、親指が勝手に画面をタップしていた。
イヤホンを耳に差し込むと、雑音の向こうから聞き慣れた声が流れてきた。
だが、その声はいつもより静かで、少しだけ震えていた。
「こんばんは、まる。です……久しぶりです。
ちょっと、話したいことがあって」
誠は、胸が詰まるような感覚に襲われた。
地下鉄の車両に揺られながら、耳に届く声だけが鮮やかだった。
「……正直、配信やめようかって思ってました。
母の介護もあるし、私自身も疲れちゃって。
でも、ある人が、私にこう言ってくれたんです。
“誰か一人でも、あなたの声を待ってるなら、話し続けてほしい”って」
その瞬間、誠の胸の奥で何かが鳴った。それは、まる。の声を初めて聴いたあの日の感覚に似ていた。
「だから、私は話し続けることにしました。
もし、もう誰も聴いてなくても、誰かのどこかに届くって信じて」
地下鉄のトンネルを抜ける瞬間、電波が不安定になり、音声が途切れかけた。
しかし誠は、画面を見つめながら息を呑んだ。
その言葉が、自分に向けられたもののように思えてならなかった。
その夜、誠は布団にくるまって、天井を見つめたまま眠れなかった。
まる。の声が、ずっと頭の中で響いていた。
「誰か一人でも、あなたの声を待ってるなら――」
あの言葉は、自分にも突き刺さっていた。
誠が配信を始めたのも、まる。の声に救われたからだった。 そして、誠の声に救われていた誰かが、きっとどこかにいた。
夜更け、机の上のマイクに手を伸ばす。
まだ電源は入れていない。
ただ、その冷たい感触を掌で確かめる。
彼は小さく呟いた。
「……俺も、話し続けるべきなんだろうか」
窓の外では、粉雪が音もなく降っていた。街の明かりが雪に反射して、部屋の中にかすかな光を投げかける。
その光は、ほんのわずかだが、誠の胸の奥にまで届いているようだった
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