第37話『反撃の一手』
第37話 『反撃の一手』
冬の午後、薄曇りの空の下。 窓際に吊るされた風鈴が、冷たい風にかすかに揺れていた。 外では街路樹の枝が小さく軋み、部屋の中にはストーブのやさしい音だけが響いている。
――少しずつ、季節も空気も動き出していた。人々の想いが形となり、誰かの心を動かし始めていた。
テーブルの上には、びっしりと並んだ署名用紙の束。 信吾、美沙、そしていさむんの三人が、それを前に真剣な表情で向き合っていた。
「毎日バタバタしてましたけど……思った以上に集まりましたね。」
信吾が書類をめくりながら、感慨深そうに言った。 用紙の端には、見慣れない名前や、見覚えのある近所の人たちの筆跡が並んでいる。
「そうですね。本来ならもう少し期間を長めに設定したかったのですが、これだけ短期間で集まれば問題ないかと思います。」 いさむんは作業用の眼鏡の奥で目を細めながら、静かに微笑んだ。
その声には、安堵と同時に次の決意が混じっている。
「やっぱり熱男が配信で呼びかけてくれたのが大きかったですね。」
美沙が湯呑みを両手で包みながら言った。 その表情には、ほんの少しだけ疲労の色が見え隠れする。けれど、その疲れの中には確かな“やり切った充実感”があった。
「はい。それは大きかったと思います。でも、ここまでスムーズに運べたのは信吾さんと美沙さんの情熱のおかげですよ。」
いさむんの言葉に、ふたりは思わず顔を見合わせ、照れくさそうに笑った。
「そんな、ぼくたちはただ必死だっただけですよ。」
「そうそう、最初に声を上げたのは、いさむんさんのほうですし。」
信吾と美沙の声が重なり、部屋の空気が少しやわらぐ。 小さな笑いが、まるで冬の日差しのように、ほんのりと温かさを灯す。
いさむんはペンを置き、背筋を伸ばした。 「……後は、私に任せてください。しっかり手続きをしてきます。」
その言葉には、静かだが強い信頼が込められていた。
「お願いします。」
信吾が深くうなずく。 その声は短く、それでいてどこまでも真っすぐだった。
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窓の外で、風が少しだけ強く吹いた。 ベランダに積もった雪が舞い上がり、光を反射してきらきらと散っていく。
――それはまるで、願いが空へと昇っていくようだった。
いさむんがコートを羽織り、玄関に向かおうとしたその時、
廊下の奥から、ぴょこりと小さな影が現れた。
カッピーだった。 ゆっくりと歩いてきて、いさむんの足元で立ち止まる。見上げた瞳が、何かを伝えようとしているようだった。
いさむんがしゃがみ込み、視線を合わせる。
「……どうしたんですか、カッピー?」 カッピーは小さく首を傾げ、そして「クゥ」と短く鳴いた。
その声は、不思議と優しく響いた。まるで“頑張ってね”と背中を押しているかのように。
いさむんは目を細め、ゆっくりと微笑む。
「ありがとう。任せてくださいね。」
その手をそっと伸ばし、カッピーの頭を軽く撫でた。カッピーは目を細め、再び「クゥ」と鳴く。 その声には、確かな信頼と温かさが滲んでいた。
玄関の扉が静かに閉まる。
そのあとには、わずかな余韻と、まだ温もりの残る空気だけが残った。
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信吾が窓の外を見ながら、静かに息を吐く。
「……行ったね。」
美沙がうなずき、微笑む。
「きっと、うまくいくよ。」
カッピーがその足元に寄ってきて、ふたりを交互に見上げる。
「おつかれさま、カッピー。」と美沙が微笑んで撫でると、カッピーは「クゥ」と小さく鳴いて尻尾を揺らした。
その様子に信吾がふっと笑い、
「……よし、ちょっと遅くなったけど、ごはんにしようか。」
「そうだね。カッピーも一緒に食べようね。」
美沙が答えると、カッピーは嬉しそうに小さく跳ねた。
ストーブの音が、再び静かに部屋を包む。
外では、風が止み、薄い陽が差し込み始めていた。
いさむんが手にした嘆願書を抱えて駐車場へ向かう姿が、遠くの道に小さく見える。その背中に、白い息がふわりと上がっては消えた。
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――声を上げることは、小さな一歩かもしれない。 けれど、その一歩が誰かの心を動かし、未来を変えるきっかけになる。 まさに“想いの重み”が、いま“反撃の一手”へと変わろうとしていた。
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