第4話 気づかぬ恋心

クロウは、ラウンジに早めに着くと、

冴子がいつも座る席の“死角”に腰を下ろし、様子を伺っていた。


やはりあいつか——新堂。

いや、レイヴンか。


(まだ俺の報告も聞いてないのに......先に動くとは。二枚舌な女だ)


グラスを持つ手が震える。

冴子の嬉しそうな顔が見えた。

まさか、もうあいつの手に——。


(落ち着け。まだ巻き返せる)


一瞬、立ち上がって新堂の仕掛けを全部暴いてやろうと思った。

だが、このタイミングで信頼を失えば、今までの苦労が水の泡だ。


——イライラして、ついグラスを重ねすぎた。

なぜ、こんなにも腹が立つ。

……なぜか、あの女が気になって仕方がないからだ。

俺以外の詐欺師に、まんまと騙される姿なんて、絶対に見たくなかった。


気づけば、二人の姿がない。

しまった——見失ったか。


外で張り込んでいるダヴに連絡を取ろうとした、その時——


「あら、鳳さん? いらしていたんですか?」


入口から、冴子が戻ってきた。


(.....戻ってきた。アイツと一緒じゃないのか)


胸の奥を、安堵と苛立ちが同時に駆け抜けた。


「よかった。やはりここでしたか。実は、例の物件について少しおかしな点を見つけまして......。どうしても気になって、来てしまいました」


冴子は穏やかに微笑んだ。


「その件でしたら、明日お会いする予定でしたよね?」

訝しげに眉を寄せながらも、彼女はクロウの前に腰を下ろし、カクテルを頼んだ。


「お一人なんですか?」

「ええ」


(さっきまでアイツといたはずだろ。なぜ言わない)


冴子はそんな彼の心を見透かすように、わずかに瞳を濡らして言った。


「鳳さんの“気になる点”とは? 実はさっき、新堂さんにお会いしていました。どうしてもと。——内金を入れたいという人が現れたそうで」


「......ずいぶん煽りますね。それで、どうなさるつもりですか?」


「だって、鳳さんが調べてくださるって仰っていたから。少しお返事をお待ちください、と伝えました」


クロウは胸を撫で下ろした。

まだ、こちらに傾く余地がある。


「よかった。危ないところでした」


「え? どういうことですか?」


「断定はできませんが......彼は詐欺師の可能性があります」


クロウは彼女の隣へと移り、真剣に資料を読む彼女の横顔を見つめた。

その瞬間、ふと——制服姿の彼女が脳裏に重なった。


気づくと、冴子がこちらを見返していた。


「わたし、詐欺師が許せないんです」


クロウは胸の奥で何かが跳ねたが、表情を崩さず応じた。


「ええ。この資料を見てください。彼の会社、最近買われたばかりのペーパーカンパニーです」


「そんなもの......買えるんですか?」

「ええ、裏ではそういう取引もあります」


「でも、彼のオフィスは普通の会社でしたよ」

「そんな演出、いくらでもできます。——あなたを騙すためなら」


冴子は信じられないという顔で、彼を見つめた。


「怖いわ......。実は昔、両親が詐欺にあったことがあるんです」


「どんな詐欺だったんですか?」


(まさか——気づいているのか? わざと知らないふりを......?)


「まだ学生でした。スーツを着た若い青年でした。父は彼を信頼していたけれど……私は、何かが引っかかっていて」


「その青年、本当に詐欺師だったんですか?」


しばらくの沈黙の後、彼女はぽつりと呟いた。


「ええ、多分。——彼が父を騙したんだと思います」


「どうして、そう思ったんです?」


「彼の目。——あの目は、忘れない」


クロウは思わず目を逸らしそうになったが、必死に彼女のまっすぐな瞳を見つめ返した。

彼の中で、過去と現在の境界線が音もなく崩れていく。


「......恨んでますか? その詐欺師のこと」


冴子はフッと微笑み、グラスを手に取った。


「ええ、もちろん——」


クロウの胸に、一瞬、鋭い痛みが走る。


「家庭をめちゃくちゃにした相手ですもの。当たり前ですよ」


「——と言いたいところですが、あのとき、少し“ゾクッ”としてしまったんです」


「ゾクッと?」

「恐怖、というより......ときめき、だったのかもしれません」


クロウは言葉を失った。


「悲しかったのは、それ以来、彼が二度と現れなかったこと。......もしかしたら初恋だったのかもしれません」


沈黙。

クロウは喉の渇きを覚え、グラスの水割りを一気に飲み干した。


「変な話をごめんなさい。もう昔のことです」


「ご両親は、ご健在なんですか?」

「遠くへ行ってしまいました」


(......遠くへ”って、まさか——)


「僕が、ご両親の居場所を調べてみましょうか」


彼女は驚き、そしてわずかに微笑んだ。


「でも、仕事とは関係ないですから」

「いいえ、昨日も言いました。あなたのことが気になって仕方ない。そのくらい、やらせてください」


冴子は涙を溜めた瞳で頷いた。


「もし見つかったら......お会いされますか?」

「会いたいです。でも、連絡をしても返事がなくて。きっと、私のことを忘れたいのかもしれません。だけど——生活に困っているといけないので、せめてお金だけでも送りたい」


「わかりました。ご両親の件は僕が責任を持って調べます。それと——新堂は詐欺師です。どうか、判断を誤らないでください」


冴子は安心したように微笑んだ。


「はい。あなたを信じます。よろしくお願いします」


その微笑みは、甘くも、どこか危うかった。


——彼女が本当に信じたのは、いったいどちらだったのか。

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