珍しいお話

増田朋美

珍しいお話

今日は、中秋の名月と呼ばれるお月様のとても美しい日なのだそうである。だけど、いずれにしても、今年は曇っていてよく見えないということであるから、あまり期待できなさそうである。

その日の午後、製鉄所に諸星正美さんが訪ねてきた。なんだか偉く落ち込んでいて、つらそうな顔であった。ちょうどその時、月光ソナタを練習していた水穂さんは、ピアノを弾くのをやめて、正美さんの方を向いた。

「どうしたんですか?」

「ええ、うちの中が、本当にめちゃくちゃで、もうどうしたらいいかわからなくて、ここへ来ました。」

と、諸星正美さんは言った。

「そうか。悩んでいるやつは、だいたい腹が減っているんだ。ひとまずな、カレーを食べてからしっかり話せや。」

いつの間にか、カレーのお皿を持って、杉ちゃんがやってきた。

「いえ、うちで寿司を食べてきましたから。私が、寿司を台無しにしてしまったんですけど。」

正美さんはそういうのであるが、

「でも、手作りのあったかいご飯をずっと食べてないって顔してるから、もう一回食べ直してみるか?」

と、杉ちゃんがいうので、正美さんは、そのとおりにすることにした。一応食堂へ行き、カレースプーンをもらって、杉ちゃんのカレーを食べてみた。

「すごい!うまい!」

正美さんはそう言ってしまう。

「だから手作りのものはうまいんだ。それは、絶対既製品の食事では味わえない。ましてや、ドリング剤とか、そういうものではもってのほか。そうじゃなくて、うまいもんは、しっかり食べなくちゃな。」

「そうね杉ちゃん。」

杉ちゃんにそう言われて正美さんは言った。

「あたしはね。確かにみんなで食べると美味しいってことは、わかるんだけど、だけど、今はそれが苦痛で仕方ないのよ。」

「はあ、その何が悪いんだ?隠さずに話してみな?なにか、理由があるんかな?初めから頼むよ。そして終わりまでちゃんと聞かせてもらうぜ。」

杉ちゃんは、すぐにいつものクセでそう言ってしまうのだった。そして杉ちゃんというひとは、答えが得られるまで何遍も聞き続けるクセがあった。

「そうですね。ちゃんと話をしたほうがいいかもしれないわね。」

「そうそう。話してみなくちゃ、何があったかわからないし、それに、話していれば、自分で答えを導き出してくれることもあるよ。」

杉ちゃんにそう言われて、正美さんはちょっと身構えて、

「ええ。実はねえ。あたしの祖父がね。デイサービスに通うようになったんですけどね。」

と、話し始めた。

「それで、ちょうど母が何でもクラス会か何かに出ることになってね。一日家を留守にすることになったのよ。父も、仕事で出かけなくちゃいけなくて、ちょうどその日が、出張で一日いないのよ。私は私で、一人で精神科の診察を受ける日だったんだけど。」

正美さんは、そう話した。

「つまり、その日は、おじいさんが一人になるわけか。」

と、杉ちゃんが言った。

「そうなのよ。それだってどこの家でもあることでしょう?そうよね。普通よね?」

正美さんは、確認するように言った。

「まあ、よくある話ではあります。最近は、デイサービスなどがあったり、ホームヘルパーのようなひとを頼んで話を聞いてもらうことだってできるのでは?」

水穂さんがそう言うと、

「そうよね!そうやって考えることだってできますよね。」

と、正美さんは興奮していった。

「ええ、そういうサービスが有るってことは、使ってもいいとは思いますがね。」

水穂さんが言うと、

「そうですね。誰だってそう思いますよね!誰も家にいないから、一日デイサービスを利用することは悪いことじゃないですよね!それなのに祖父ときたら、一日利用してくれと話したら、なんで俺を追い出すんだ、そんな都合のいいことできるわけないって怒鳴るんです。なんで一日利用できないのかと言ったら、半日利用するだけでも疲れるのに、一日利用するなんてもってのほかだと怒鳴りだして。あたしは、どうしたらいいものか、わからなくなってしまいました。疲れるから、一日利用できるわけないって。もともと、悪いところしか見ないから。どこへ行ったって、悪いところばっかり見て、なんにも楽しそうな顔をしないし。今回の施設だって、こういう道具がないだとか、設備が悪いとか、そういうことばっかり見て、楽しいということはしようとしないんです。だから、もうどうして、一日利用できないのかなと思って。母も同じような考えであって、それで今日、大喧嘩になってしまいましてね。祖父が、もう行きたくないだとか、そういうことばっかり言うから、私も父も、頭に来てしまって、怒鳴ったのよ。まるで、酒のんで暴れるようなひとと、おんなじような感じで。でも、血の繋がりがあるから、別れられないようなところもあるのよね。そういうわけだから、もう、一緒にいるのは、つらすぎるっていうか、そんな気がする。」

正美さんはここまでを一気に話した。

「そうですか。それでは、おじいさんが、一日利用を嫌だと言っているので、それで困っているわけですか。」

水穂さんがそう言うと、

「そうなんです。デイサービスも、いろんなことしてくれたり、工作を企画してくれたりしているようですが、祖父は、半日だけでも血圧が上がるとか、そういう事を言って、利用しようとしないんですよ。まるで、働いてない私を監視してるみたい。きっと、そうなんだと思います。私が、働けてないから、それで監視しているんだと思います。あたしが、何をやってもだめだから。きっとそういうことなんでしょうね。」

と、正美さんは言った。

「そうですか。デイサービスがそんなに嫌だというんですね。」

水穂さんがそう相槌を打った。

「それだけじゃありません。換気扇をつけることも許さないし、電気の消しっぱなしとか、そういう事をすれば、すごい怒鳴られますし。テレビも、長時間見てれば消されてしまうし。なんでも、カネがないカネがないって怒鳴って。いろんなものを買ってくれば贅沢は敵だとか言って、新しいものはお金がかかるから、いつまでもボロボロのスリッパを使い続けるし、もう、うちでは新しいものは使えませんよ。テレビもエアコンも買い替えるとき、大喧嘩ばっかりして。まず初めにテレビを買う業者を選ばせないんですから。まあね、もちろん、街の電気屋さんは、すぐに親切にしてくれて、色々やってくれるというのはわかりますけどね。家電量販店を、怒鳴りつけるような真似はしないでもらいたいわ。ご飯だってそうですよ。この料理は血圧が上がるばっかりで、うちでは、洋食を食べては行けないし、マクドナルトとか、そういうところも、いかせてもらえないんですよ。体に悪いからって。」

「そうかそうか、おじいさんに、色々制限されてるわけね。変な人だねえ。ケアマネさんとか、そういうひとの話は聞かなかったんですか?」

杉ちゃんが言うと、

「ええ、一応、ケアマネさんや介護用品店のひとと話をするなど外部との接触はありますが、うちの中に入って介入できるような力のあるひとではなくて。」

と正美さんは言った。

「でも、乱暴者は、権力でないと、抑えることはできないんじゃありませんか。水戸黄門だって結局はそうでしょう。」

水穂さんが言うと、

「ええ。でも、そういうひとは女性であることが多いじゃないですか。うちの祖父、女のことをことごとく馬鹿にするから。母の言う事聞かないのも、私がいくら言っても聞かないのも、みんな女だからなんです。祖父にとっては、女は自分の道具でしかありません。なくなった祖母だって、そういうふうに扱われていたから、立ち直れなかったんだと思います。」

と、諸星正美さんは話を続けた。

「それで、お昼に寿司を食べながら、その話をして、大喧嘩になったわけか。それで、お前さんは、なにかひどいことを言ってしまったわけ?」

杉ちゃんが言うと、

「あまりにも、頭にくるので、私、祖父が残した寿司を無理やり取り上げて、庭へ投げ捨てたんです。女が勝ってます!女性の勝利です!と叫びながら。」

と、正美さんは答えた。

「『女が勝ってます!女性の勝利です!』か。なるほどねえ。これは名言だな。なんか、『女性は太陽であった、しかし今は月である。』の答えのような言葉に見える。」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。

「そうしたら、母が、すごい怒って。私は、母のことを助けたつもりだったのに。だから、もう行くところもなくて、それで、ここへこさせてもらったんですよ。なんか今日は、母のところには帰りたくなくて。それに、祖父のこともあるし。」

諸星正美さんは、がっくりと落ち込んだ。

「そうですか。昔の人は、ことごとく女性をバカにしましたからね。そういうことは、本当に、辛いですよね。まさか家を出るわけにもいかないでしょうし、他のところに行くこともできないってこともわかりますからね。それに、正美さんは、お母さんがあまりにもひどいことを言われているので、それで寿司を庭へ投げ捨てたのでしょう?お祖父様に、反抗しているんだってことを示すために。」

水穂さんがそう言うと、正美さんは頷いた。

「理論的に、こうしろああしろというわけにはいきませんから。そういうことしたって、通じないんですよ。とにかく、聞こうとしないんです。耳が遠いって言いますけどね。それだけではないんです。まず初めに、聞こうという意思がないから、もうとにかく、バカにして、バカにして、バカにして。どんな時があってもだめ。どんなときでも女はただ、祖父の持ち物でしかないんですね。」

正美さんは、つらそうに言った。

「そうですか。女性は、おじいさんにとって、持ち物でしかないですか。聞こうとしないっていうのも確かに大変ですね。」

「仏教は聴聞であるというが、聞くというのは、本当に難しいってことだね。」

杉ちゃんも水穂さんもそう言い合った。

「まあ、お前さんにできることといえば、お前さんは、本当に大変だということはわかるけどさ。そういうことなら、まあ、少しでもわだかまりや悩みを訴えられるやつを見つけてだな。それで相談に乗らせてもらうことが、一番なんじゃないのかな。そういうプロのひとを頼るのも、悪くないと思うぞ。」

「そうですね。そういうひとのところへ行って、話を聞いてもらうというのも、必要かもしれませんね。例えば、包括センターみたいなところに行くとか、色々あると思います。身近なひとでそういうひとが得られないのなら、インターネットで探してみることも必要ではないかと。最近では、交通手段が発達していますから、東京のコンサルタントのところに行って、お話を聞いてもらっているひともいるようですし、アプリで聞いてもらっているひともいるようですよ。」

杉ちゃんと、水穂さんはできるだけのアドバイスをした。正美さんは、そうですねそうですねと言いながら、涙をこぼして頷いた。

「そうですね。あたし、頑張ってみます。そういう人が見つけられるように、探してみます。杉ちゃんどうもありがとう。カレーまで食べさせてくれて。」

「いやあ、いいってことよ。それよりも、うまいもんを食べてさ、それを、美味しいって食べられることほど幸せなことはないよ。」

正美さんは杉ちゃんの発言に黙って頷いた。

「じゃあ、今回のことはお母さんにちゃんと謝ってさ。それで、またもとの生活に戻ろうか。」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。

「ええ。私も、頑張ります。できるだけ、うまく話を聞いてくれる人を、探すようにします。」

正美さんは言った。

それから、二三日たったある日のこと。正美さんが、この間のお礼だと言って、製鉄所にやってきた。自分にはカネがないので、体で払うしかないという彼女に、そのようなことはしなくていいからと水穂さんは言った。だけどなにかお礼したいと言い張る彼女に、杉ちゃんは庭を掃いてもらうことにした。

正美さんが庭掃除をしていると、

「おーい杉ちゃん、風呂貸してくれ。もう、捜査が難しくて、本当に困っているんだ。」

と、いいながら華岡保夫がやってきた。警察の捜査で困ったことがあると、華岡は製鉄所へやって来るのである。

「外はやっと、涼しくなってきた。俺、エアコンの効いたところで、ずっといるからさあ。もう一年中いつも同じ風景ばっかりだから、こうして風呂に入ることは、久しぶりだなあ。」

華岡は、そう言いながら、製鉄所の浴室へ向かった。ああーと言いながら、風呂に入る音がする。それから鼻歌を歌いながら、40分間たった。杉ちゃんの方は、すぐに冷蔵庫を開けて、カレーを作り始めた。

「いい湯だった!あとは美味しいカレーが楽しみだなあ。」

と、華岡は、頭をタオルで拭きながら、食堂にやってきた。杉ちゃんがテーブルにカレーを置くと、すぐにスプーンを受け取って、いただきまあすと言って、食べ始めた。

「それで、今日はどうしたの?なにか事件があったのか?」

「俺が来たからには、それに決まってるさ。それも、すごい事件でもなければ、こういうところには来ない。」

華岡は、カレーを食べながら言った。

「まあ、胸糞悪くなるような事件だったよ。若い女性が逮捕された。何でも、介護している母親を殺害して、家族を楽にしてやりたいのだと言うのだ。まあ取り調べをしても、罪の意識はまるでなくて、楽をさせてやったの一点張りだ。あれでは、被害者も浮かばれないよ。」

「そうなんだね。罪の意識がまるでないというのは、お母さんを殺したという事を、認めてないってことか?」

杉ちゃんがそう言うと、

「殺していることは、認めてるんだがな。いつまでも楽にしてやったとしか言わないんだ。悪いことはしていない。母はこうしないと、他の家族もだめになってしまうんだって。」

と、華岡は話を続けた。正美さんは、庭を掃くのを止めて、

「そのお母さんは、認知症とか、そういうものがあったんでしょうか?」

と、華岡に聞いた。

「いや、それはなかったんだ。だけど、かなり頑固な人だったみたいで。意思の疎通がとにかく大変だったらしいんだ。俺達から見たら、なんであんなふうに意思が通じなくなっていったんだろうなと思うわけ。だって、容疑者は、結婚して家を出てるんだ。そして、子供だっているんだぜ。それなのになんで、お母さんのことになると、わけわからないことを言うようになるのかなあ?」

華岡は、そういうのであった。

「なんか私の将来を示しているような事件だわ。」

正美さんはそういった。

「まあねえ、機械じゃないからボタンを押せばどんな命令でも実行するというわけでは、ないわなあ。だから、大したことじゃなくても、すごい拒絶反応を示したりすることだってあるんだ。まあ、そうならないために日常生活というものがあるんだと思うんだが。」

と、杉ちゃんが言った。

「それで、その女性は、本当に反省しているということがないんですか?」

正美さんはそういった。

「うん。俺達、どうしたらいいもんだろうか。お母さんを殺害したと言うのを、自分や家族を楽にしてやるためだと言い張ってる。そして、きっと、その周りの人、ご主人だったり、子供さんと言うものがいたりするもんだと思うんだが、それに危害があるとか、そういうことは考えなかったのかなあ?」

華岡は、正美さんの質問に答えた。

「そうだなあ。止める役。確かに無いってのは、僕も気になる。この事件は、その女性が誰かに相談していれば、発生しなかったような気がするし、それに彼女が、事件を起こすまで固まってしまうこともなかったような気がする。」

杉ちゃんは、腕組みをした。

「だから誰かに止める役になってくれるような人材がいてくれればいいけれど。難しいのかなあ。まあ、日本はプライバシーがどうのと最近うるさくなってきたけどさ。そういう家族の中に入って、なにか事件が起きるのを止めてくれる存在ってのは、必要じゃないかと思うんだよな。だって、事件が、これだけ起きてるんだから。」

華岡は警察らしいことを言った。

「本当に誰にも相談できなかったんですかね。例えば私が、こうして杉ちゃんや水穂さんのようなひとに、相談させてもらってるような。」

正美さんがそう聞いてみると、

「いや、そういう相談相手がいるひとは、意外に少ないぞ。俺、事件を担当してるというか、長年取調官をやっててわかるんだけどね。事件をする前に、誰かに相談していれば、こんな事件は起こらなかったんじゃないかってことは本当によくあるもん。日本は、話を聞いてくれるとか、そういう人材がまだまだ足りてないな。」

華岡は、お茶を飲みながら言った。

「そうですか。あたしは、ああそうか、あんたもそうだったんかっていう言葉に、何度救われたかわからないわ。同じ事例でなくてもいいのよ。ただ、同じような思いをしている人が他にもいるってことを知ってれば、なんかまだやってられそうな気がするのよね。きっと、その事件の女の人は、そういう存在がいてほしかったのね。」

「そうだねえ。そういうひとが現れてほしくて、事件を起こすということもありえないことじゃないな。」

正美さんがそう言うと、杉ちゃんもその話に応じた。

「そうか!それだよ!だから彼女は、取調べ中も、あんなに突っ張って、反省していなかったんだ。俺は、彼女を取り調べていて、どうしても、彼女のことを本当に悪いやつだとは思えなかったんだよ。だって、誰か親族で犯罪をした人物がいるとかでもないし、カネに困っていたわけでも無さそうだもん。それなのになんで、危害を加えた事を認めていないのか、俺は本当にわからなかったが、そういうことだったんだね!」

華岡は、すぐにテーブルから立ち上がって、杉ちゃんにカレーをありがとうと言った。そして、よし、これでまた取り調べを頑張れる!といって上機嫌な顔をして、製鉄所を出ていった。

「今日は、華岡さん、呼び出しを食らっては行きませんでしたね。」

水穂さんが、空っぽのお皿を眺めながら言った。

「全くだ。」

と、杉ちゃんも言う。正美さんは、この間、自分が杉ちゃんたちに話を聞いてもらったのは、すごく珍しいことだったのかと思って、庭掃除の仕事に戻った。もう、中秋なのだから、いくら暑くても日が暮れるのは早かった。



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珍しいお話 増田朋美 @masubuchi4996

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