地球新生エクシリオン

@youichiro

第1話 悪鬼復活

 伝説


 いくつもの文明が興っては消えていく。

 その一つ、まだ名前のない文明に、空に浮かぶ白き月から一人の乙女が舞い降りた。

 

 月の乙女は告げる。


「災いが来ます。深き夜海やみの底から大いなる災いが現れるでしょう。集めなさい、6人の勇者を。世界を救えるのは彼らだけなのだから」

 

 月の乙女の予言通りに北の海に突如、魔の島が浮上する。

 

 島からおびただしい数の魔物が解き放たれ全世界を襲った。

 恐怖と絶望が人々を支配していく。

 そして、混沌の中から、大邪神デスアースが現れた。

 

 月の乙女の啓示を受け、一人の青年が勇者を探す旅に出る。

 幾多の苦難の末、6人の勇者を集めた青年は邪神へと挑む。

 

 だが圧倒的な強さを誇る邪神の前に一人、また一人と勇者達は倒れていく。

 

 それでも青年は諦めない。


 青年の命の輝きが世界を包む。すると人々の中に不思議な力が発現する。

 それは人の心を具現化した固有能力。

  

 力に覚醒した人々は力を合わせ、ついに邪神を魔の島へと押し返した。


 残りの勇者達がその命と引き換えに邪神を島の地下深くへと封印した。


 その時、魔の島から大量の魔力マナが放出され、世界を満たす。

 人々は魔力を用いて万能の術、魔法を得る。


 そして、青年と月の乙女との間に生まれた子供は青年の名を継ぎ、エレクシニアスと名付けられ、エレクシア聖王国の初代聖王となった。

 

 聖王は命をかけて邪神と戦った勇者達を称え、聖王家の紋章に聖王を示す大樹と共に勇者を示す6つの花が描かせた。

 人はそれを【六ツ花】と呼んだ。


 こうして、名のなかったその文明は、【魔の文明】と呼ばれるようになる。


 白き月に見守られ、聖王国は悠久の繁栄を迎える。



 ・・・はずだった。






 

 エレクシア聖王国 

 千年の歴史を刻む、『聖王』エレクシニアスが統治する世界。

 現在の聖王国には十の国があり、一部例外を除きそれぞれに聖王の子供達が提督として赴任し統治している。

 聖王国の人々は世界に満ちる魔力マナを体内に取り込む事で魔法を使える。魔力は個人の生まれ持った魔力許容量キャパシティによって取り込める量に差が生じる。この差が魔法の性能の差となる。

 この個々の性能差を埋めるために作られたものが『魔導器』である。

 魔導器は使う場所、使用者の魔力量によって左右される事なく安定した魔法を発動可能とした。魔導器は聖王国全土に普及し、医療や交通、軍事兵器から文房具まで様々なモデルの開発、改良が続けられている。

 又、聖王国の人間には魔法とは異なる『固有能力』がある。

 固有能力とは超能力のようなもので、例えば『風のように速く走れる』といった身体能力を向上させるものや、『枯れ木に花を咲かせる』という自然に干渉するものもある。

 固有能力は誰もが持っている力だが誰しもが必ず使えるわけではない。生まれつき使える者と、何らかの要因で覚醒し、使える様になる者に分けられる。さらにより強力な『上位能力』に覚醒する者もいる。だがそのメカニズムは未だに解明されていない。


 そんな固有能力や、魔導器をはじめとする魔法科学文明の発達によりエレクシア聖王国は千年の繁栄の刻を極めていた。誰もが今の平和で豊かな時代がいつまでも続くと信じていた。その影で暗躍する者達がいる事など知る由もなく・・・

 



 時は魔の文明。聖暦S50年。

 聖王国の首都国、【アの国】。聖王エレクシニアスと二人の王子が統治する【聖王都エリュクシオン】。

 聖王都の南の郊外に人を寄せ付けない惑わしの森がある。

 特殊な結界が施されたこの森は何人たりとも、聖王ですらその深奥にたどり着く事が出来ない。それほどにして守られているもの、それが『蜃気楼の館』と呼ばれる隠れ家である。

 この蜃気楼の館は【月の民】と呼ばれる異邦人達によって建てられたと言われている。

 月の民は高度な知識と技術、常人とは異なる不可思議な能力を持つ者達。神出鬼没で誰もその姿をとらえる事は出来ない。

 月の民と聖王家は密接な関係にある。それは月の民は聖王国建国以前に『夜空そらに浮かぶ白き月』からやって来て、一人の青年に加護を与え王位を与えた、と言われているからだ。

 その後も月の民は度々聖王に助言し聖王国を今の繁栄に導いたと言われている。その月の民が十年前、聖王の末の姫を引き取りたいと申し出てきた。月の民の目的はその王女の持つ『固有能力』にあった。これには王女の固有能力を恐れ、疎ましく思っていた王宮内の者達にとって利害が一致する。

 臣下から賛同すべきと進言されるも一度はその話を却下した聖王だが月の民は引き下がらない。

「幼い王女にはまだその力を制御できないだろう。故に蜃気楼の館にてお守りしたい」という月の民に説得され、聖王は仕方なく王女を預ける事となった。

 その後聖王は事ある毎に王女を帰せと打診するも「まだその時ではない」と頑として聞かなかった月の民だったが、10年たった今、唐突に王女を帰すと言ってきたのだ。確かに帰すように促しては来たが、実際には受け入れ準備をしていなかった宮中は降って湧いたこの事態に上を下への大騒動になった。

 そんな宮中のいざこざなど気に留めず、一人の男が王女の出迎えに向かうために部下達を集めていた。彼の名は騎士ナイトタカラ。

 聖王国聖陽騎士団団長補佐だった彼はその地位を捨ててまで王女の騎士となる事を選んだ男だ。 

「遂に姫様が城に戻られる。この日をどれほど待ち侘びた事か」 

 王女の帰還を待ち焦がれてきたタカラは年甲斐もなく胸を高鳴らせ、意気揚々と王女の出迎えへと向かう。そんな三十一歳の春であった。




 しん、と静まり返った森の中。少女はゆっくりと瞳を開ける。

「あ」と小さく声を漏らすと後ろを振りかえる。そこには森の中にわずかな空間が開けているだけで何も無かった・・・・・・

 腰まで伸ばした黒髪が揺らめく木漏れ日に照らされてまるで星空のように煌めく。雪のように白い肌、聖王国一美しいと言われる紅玉ルビーの瞳を潤ませて森の中で立ちつくす少女。彼女の名はアズサ・S・エレクシア。

 エレクシア聖王国第三王女であるアズサは持って生まれた“力”故に兄弟達からも疎まれ、王宮での居場所がなかった。彼女は月の民に引き取られ、彼らの庇護のもと蜃気楼の館で過ごしてきた。アズサの“力”を恐れる事なく接してくれる月の民は実の兄弟達よりもずっと家族と呼べる存在だった。

 月の民はアズサに様々な知識を与えた。アズサは日がな一日蜃気楼の館の書庫に入り浸り、古今東西から集められた数々の書物を読み耽るのが日課だった。その中でもアズサが特に興味を惹かれたものが『勇者』にまつわる物語だった。

 勇者伝説は聖王国民なら誰でも知っている建国の伝承内で語られる寓話である。とはいえ、現在広まっているものは事実としてではなく、大衆向けに脚色された英雄譚になっている。

 そんな物語に語られる勇者と月の乙女に憧れて、いつか自分だけの勇者様うんめいのひとが迎えに来てくれる、と夢見る少女に唐突に現実が付きつけられる。

「姫よ、貴女を王のもとに帰す時が来た」

 そう月の民に告げられ、アズサは戸惑いながらその理由を問う。

「もうすぐ、この世界に絶望が来る。これはあなたたちが越えなければならない試練。ですがこのままではあなた達の未来は失われるでしょう。希望を集めなさい。101の絶望に打ち勝つ、六ツむつの大いなる希望を。貴女の“力”はその選定のために必要となるでしょう。これは貴女だけに与えられた“使命”なのです。これよりは正しき王のもとで使命を全うされますよう」

「お、お待ちください!私はまだッ(私はまだ、書庫の本を全部読んでいませんッ)」

 カッとアズサの目の前が白い光に包まれる。目が眩む光の中から月の民の声が聞こえる。


 ――そうそう、既に森の外ではいつも・・・の騎士殿が貴女のお迎えに来ていますから・・・から・・・から・・・(エコー)



 しん、と静まり返った森の中。少女はゆっくりと瞳を開ける。

 振り返るとそこには実家のような安心感のあった蜃気楼の館は影も形もなく消えてしまっていた。暫し呆然としていたアズサだったが紅玉の瞳ににじんだ涙をそっと拭うとぺこりと頭を下げる。

「今まで・・・ありがとうございました。・・・さようなら」

 やさしさに包まれていた日々と、愛すべき読みかけの本たちに別れを告げてアズサは巣立ちの一歩を踏み出す。

 と。森の外ではアズサの到着を今や遅しと待ち構えていた騎士タカラが、唐突に姿を現したアズサに気付き、今まさに口に入れようとしていたホットドッグを落としそうになりながら慌てて頭を垂れる。

「んおぅ、おお、姫様。お待ち申しておりました」

 周りにいた部下達もわちゃわちゃと整列し、タカラに倣ってお辞儀をする。

 

 超箱入り娘のアズサはそもそも運動が苦手である。当然森の奥深くにある蜃気楼の館から一人で森の外まで歩いて出られるはずもない。そこで月の民の計らいでアズサ専用に森の外までテレポートできる装置が用意されていた。その装置の前で待機していたタカラから見れば、アズサは文字通り一瞬で目の前に現れたのである。


「タカラ、いつもご苦労様」

「は、不肖この騎士タカラ。姫様のおんためなれば、例え地の果てであろうとも駆けつける所存でございます」

 タカラはアズサの前にひざまずき、アズサの差し出した右手の甲に口づけをする。

「ささ、姫様お車へどうぞ。積もるお話は車内にて。いざ聖王都へ凱旋いたしましょうぞ」

 タカラは王室専用の装飾の施された魔導自動車リムジンへとアズサをエスコートする。アズサを乗せたリムジンの前後に部下達の乗る護衛車を配置し、自身はアズサと同乗し、意気揚々と発車させる。

 アズサの向かいの座席に着いたタカラは改めてアズサの姿を眺める。

(前にお会いしたのは4年前か・・・うむ、まだ幼さは残しつつも立派なレディに成長されー、つつあるな。年頃の娘らに比べるといささかボリュームが足らなくもあるが・・・まあそれは今後に期待すると)

 などと思いつつ頷くタカラ。

「・・・タカラ、言いたいことがあるのなら今なら笑って聞きますわよ?」

 タカラの考えている事を読み・・、笑みを引きつらせているアズサに「滅相もありません」と謝ると「それはそれとして」と話題を逸らす。

「月の民はなぜ急に姫様をお帰しになられたのでしょうか?」

 その言葉にアズサは顔を曇らせる。家族のように育ててくれた月の民が十分な説明もなくアズサを手放したのだ。自分は彼らからも嫌われてしまったのか・・・いや、きっと何か意味があるのだと自分に言い聞かせるようにかぶりを振る。

「月の民は告げました。世界に絶望が来るのだと」

「絶望、でございますか?それはいったい」

「分かりません。が、その前に私に六ツの希望を集めよ、と」

「絶望と希望・・・これは何かのなぞかけなのでしょうか?それにどこかで聞いたことのあるような物言いですな。はて・・・」

「そうですね、どこか“月の乙女”の言葉と似ていますね・・・あ」

 月の乙女とは勇者伝説に登場する人物であり、エレクシア聖王国の国母ともいわれている女性である。

 

 月の乙女の言葉とはこうである。

『災いが来ます。深き夜海やみの底から大いなる災いが現れるでしょう。集めなさい、六人の勇者を。世界を救えるのは彼らだけなのだから』


 アズサが何度も読み返してきた物語の文言にそっくりであるのに、タカラに指摘されるまで気付けなかったのは蜃気楼の館を追い出されて内心テンパっていたためだろう。

「ハッ、だとすれば絶望とは災い・・・まさか古に封印された邪神が蘇ると?と言うことは六ツの希望とは六ツ花の勇者様のことなのですね。勇者様を探し出す事、それが私の使命!」

 いい顔で呟くアズサを見てタカラはブフーッと吹き出してしまう。

「いやいや、いくら何でもそれはありますまい。邪神とか勇者とかそんなものはおとぎ話フィクションでございますし。は、もしやそれは貴族ノーブルギャグだったりするのでしょうか。ハハハッ」

「まあタカラったら。あなたまでそんな風に思っているのですね」

 タカラの反応は特別おかしなものではない。すでに大衆娯楽と化し、アニメやゲームの元ネタとなっている勇者伝説を信奉する者は少ないのだ。

「こんな話、きっとお父様もまともに取り合ってはもらえないのでしょうね」

 アズサの憂い顔にタカラはハッとなる。

「コホン、失礼しました。ですが勇者伝説と来ましたか。月の民の思惑は測り得ませんが、姫様が信じられるのでしたら私は全力でご支援いたしますぞ」

 自分の胸をトンッと手でたたくタカラ。アズサは「ありがとう」と微笑むと車窓の外に目を向ける。車は森林区を離れ、既に都市部に入っていた。そしてその先にそびえたつ千年王城。城下に近づくにつれてアズサの口数は減っていく。けっしていえに帰りたくないわけではない。アズサは父はともかく、兄達が苦手である。特に下の兄には。(ここで言う下の兄とは第三王子イツキの事を指す。アズサは十人兄弟の末っ子だが、同じ正妃ミズキを母に持つ第一、第三王子以外とは腹違いの兄弟なのである)

 イツキはアズサを目の敵にしている節があり、事ある毎にアズサに手を上げる暴君だった。だからといってアズサを庇うものは居なかった。イツキに逆らえばどんな目にあわされるか分からないから、というよりはそれ以上にアズサの“力”に関わりたくなかったのだろう。

 あの城にアズサの居場所はない。それでも今は戻らなければならない。自分に与えられた使命を果たすために。

 決意を新たに、アズサは4年ぶりに聖王都へ帰還するのだった。



 聖王都エリュクシオンは聖王城を中心に城下街が広がるアの国最大の都市である。千年の歴史を感じさせるその荘厳な街並みはこの街自体が芸術品であると言える。

 そんな聖王都では今、王女の噂でもちきりだった。これまで特別な催しの時にしか表に出てくる事がなかった王女が戻ってくる。「となれば婚約発表に違いない!」だの、「宮廷の陰謀に違いない」だの、好き勝手に盛り上がる市民達は、王女の帰還という歴史的瞬間を一目見ようと王城へと続く大通りに集まっていた。

 王女の到着を今や遅しと待ち構える人々からやや離れた物陰に、様子をうかがう様に佇む一人の女がいた。その服装から買出しに来た城の女中である事が分かる。その彼女の背後に黒いローブを纏った男が音もなく忍び寄る。

「あら珍しい。あなたもお姫様見物?」

 女は身じろぎしないまま背後の黒ローブの男に声をかける。男は何も答えないが肯定であると僅かに頷く。

「あーあ、せっかく優雅な宮廷生活を満喫していたのになあ。こんな早く帰ってきちゃうなんてさ。聞いてないわー、みたいな?」

 黒ローブの男はフードからのぞかせた目だけを女に向ける。それで何かを察したのか女は肩をすくませる。

「はいはい。わかってますよー。女中こっちはあくまで副業。本命は・・・」

 大通りの方からドッと歓声が上がる。どうやらアズサを乗せた車が到着したようだ。手旗やら何やらを振る人並の合間に車窓からアズサの横顔が見えた。

「へえ、噂に違わぬ美少女っぷりじゃない。すましたお顔が絵になるわあ。イジメがいがありそ、おっと」

 指でカメラのフレームを模してのぞき見していると、アズサの隣の騎士と目が合いそうになり、スッと身を翻す。

「ようやっと可愛い子ウサギちゃんが巣穴から出てきてくれたわけだけど、そっちの準備は出来てるの?ってあら?」

 振り返るが今の今までそこに居た黒ローブの男は忽然と姿を消していた。代わりに男のいた場所に一冊の本が落ちていた。女はその本を拾い上げると「ふぅん」と鼻を鳴らす。

「これを使えってこと?ま、いいわ。さてと、あたしもそろそろ戻らないとまた女中長ババアにお小言もらっちゃうわ」

 そう言いつつも女はアズサを乗せた車を見送った後、城下でウィンドウショッピングを堪能してから何事もなかったように何食わぬ顔で城の仕事に戻るのだった。そこに思わぬペナルティが待っているとも知らずに。




 聖王城。

 アズサの乗る車が城門を越えた、と報告が届いてから数分後、王女の出迎えのために、正門前に使用人達が仕事を中断して集められていた。

 女中長が女中達を整列させながら「アウルさんはどうしました?」と、ここに居ない新米女中の行方を尋ねる。

「あの子なら街に買出しに出てますが」

「買出しに?そんなものは後でいいと言っておいたのに。まったくあの子はまたサボって・・・そうだわ」

 新米とは思えない要領の良さに呆れつつ、逆にこの場に居ない事をいい事に、事後承諾で仕事を押し付ける事を思いつくのだった。

 そうこうしているうちにアズサを乗せた車が姿を見せると全員が一列に整列し到着を待つ。執事の一人が停車した車のドアを開けると一斉に頭を下げる。

「おかえりなさいませ、アズサ姫様」

「我ら一同、アズサ様のお帰りを一日千秋の思いでお待ち申し上げておりました」

 そう言うもこの場の誰も頭を下げたままでアズサの姿を見ようとはしない。それどころか何人かは緊張と畏怖の表情でカタカタと震えている。宮中で働く者の間でアズサの“能力”について噂されている。「アズサに近づいてはいけない」「アズサを見てはいけない」「アズサに見られてはいけない」と。

 アズサは自身の噂を特に咎めはしない。それは事実だから。幼かったとはいえ、力を制御できなかったのは自分のいたらなさだと自覚しているから。

「姫様、私はここで失礼いたします。のちほど改めてご挨拶に伺わせていただきますので」

「はい。ありがとうタカラ。美味しい紅茶を用意してもらいますね」

 宮中でアズサがどんな噂をされていてもタカラだけは変わらず尽くしてくれる。それだけで百万の味方を得る思いだった。

「アズサ様、こちらへ。聖王陛下がお待ちです」

 執事に促され、アズサは父の待つ謁見の間へと向かう。謁見の間へ続く廊下でもすれ違う女中たちは一様に頭を垂れ、決してアズサの顔を見ようとはしなかった。

 道すがら、アズサは執事に兄達の事を尋ねる。

「現在両殿下とも諸国漫遊、いえ、査察の旅に出られております」

 兄達がいない、これはチャンスかもしれないとアズサは思う。兄達がいたらきっと父を説得・・は出来ない。少なくとも長兄シユウは話を聞く耳すら持ってくれないだろうから。

 謁見の間の扉の前に着くと、「こちらでお待ちください」と言い残して執事は去っていった。

 どの位待たされただろうか、ギギィと音を立て、中から扉が開かれる。

「お待たせいたしました。どうぞお入りください」

 ようやく入室を許され、「失礼いたします」と一礼し中へ入る。

 そこには宰相をはじめ、各省の大臣達、各騎士団の団長、副団長が並んでいた。だが彼らもまたアズサと目を合わせようとはしなかった。

 謁見の間の最奥、玉座に座る初老の男性、白い髭を生やし、金の王冠をいただく彼こそがエレクシア聖王国の統治者、聖王エレクシニアスS世、その人である。

 アズサは玉座の前へと進み出ると、聖王ではなく、玉座の前に突き立てられた一振りの剣に跪く。

「アズサ・S・エレクシア、ただいま帰還いたしました」

 そう告げてその剣に口づけをする。


 それは王の剣。かつて始祖エレクシニアスが手にしたと言われる伝説の≪聖剣≫。

 聖王国では王が聖剣を継ぐのではなく、聖剣が王を選ぶのだ。王族は王ではなく聖剣に信を誓うのだ。


「よくぞ戻ったな、我が姫よ」

 アズサは聖王の前で改めて頭を垂れ、スカートの裾をつまみ一礼する。

「ご無沙汰しておりました、お父様」

「ふむ、母の面影があるな、若いころの生き写しのようだな」

 アズサは母の事を覚えていない。アズサの母、正妃ミズキはアズサを生んですぐに亡くなってしまったから。だから母に似ていると言われるとうれしくなる。

「お父様はお変わりなく・・・少し痩せられました?」

「おお、判るのか?最近大臣どもがメタボメタボとうるさくてな毎朝ジョギングしておるのよ」

 と、ガハハと笑う。

「とてもお若く見えますよ。かっこいいです」

 娘におだてられ、満更でもなく髭を弄る聖王。先ほどまでの張りつめた空気が少し和らぐ。

「王都に戻るのは4年ぶりか。では後ほど忍んで城下を一緒に回ってみるか?」

「フフフ、どうしましょうか」

 と談笑していると、冷や汗を拭きながらあわてて大臣が止めに入る。

「へ、陛下。さすがにそれはおやめください」

「大臣殿、なんなら我々が護衛いたしますが?」

 騎士団長も乗ってきた。

「ちょっ、団長殿まで・・・」

「いっその事、今日は国民の祝日にでもしてみますか?」

「姫の帰還記念日か、悪くないのぉ」

「だーれーかーとーめーてー」

「ハッハッハッ、ジョーダンよ冗談。相変わらず固いのぅお主は」

 豪胆に笑う王に大臣はハァとため息をつく。

「しかし月の民にも困ったものだな。お前を帰すように何度も使いを送っていたというのに、いざ帰すとなったらこちらの都合はお構いなしなのだからな」

「・・・」

 アズサは寂しげに表情を曇らせる。

「お父様、その事なのですがよろしいでしょうか」

「ん?よい、申してみよ」

 コホンっと咳払いをして、まっすぐに父王を見上げる。

「月の民は世界に危機が迫っていると告げました。私はこれを、勇者伝説の再来なのではないかと考えております」

 ザワッとどよめきが起こる。

 聖王はしばらく考え込むと、ふうっと吐息をつく。

「勇者伝説か・・・つまり月の民はお前を月の乙女に見立てて伝説を再現させるつもりなのか」


 古の昔、世界を滅ぼそうとした悪しき大邪神に立ち向かい、これを打ち倒し世界を救ったという6人の勇者たちの物語。誰もが知っているおとぎ話。そのなかでキーパーソンとなったのが月の乙女である。


「はい、そうです。ですので私は勇者を探しに・・・」

 その時、「お待ちください」とアズサの言葉を遮って大臣が口を挿む。

「勇者だの邪神だのとそのような戯言、姫は真に受けておいでか?」

「ええ、そうですが」

「馬鹿馬鹿しい、ありえない。姫は謀れたのではありませんか」

 周りからククッと失笑が漏れる。

「大方世間知らずの姫をからかっているのですよ、月の民などという得体のしれぬ者どもは」

 侮蔑を込めた笑い方に、アズサはカァっと顔を赤らめ俯いてしまう。

 自分のことはどの様に思われようとも構わない。でも彼らのことを、アズサにとって家族ともいえる月の民のことをこき下ろされるのは耐え難い屈辱だった。思わず瞳が潤む。

「まあ待て、そう姫をいじめるでない」

 今にも泣きだしそうなアズサを見かねて大臣達を黙らせる。

「姫よ、お前は信じるのか月の民の言葉を?」

 アズサは俯いたまま小さく、「はい」と頷く。

「わかった。ならば探そうではないか、6人の勇者を」

 ええーっと再び周りがざわめく。アズサも聖王の言葉に驚いている。

「陛下、正気ですか?」

「お考え直しを」

「陛下ー」

 大臣達は口々に聖王を諌めようと声を上げる。

「やかましい、これは王命だ。とは言え、いざ探せといってもどうしたものか。捜索隊を派遣するか、それとも」

「あ、あのお父様。それでしたらぜひ私に捜索の・・・」

 アズサの言葉をさえぎるように大臣が前に出る。

「陛下、そのような当てのないものに人員を割くわけには」

「うむ、であれば触書でも出すか?『我こそは勇者だと思う者は余のもとへ参れ』とでも」

「あ、あのお父様。私も捜索に加えて・・・」

「姫、お前は何もしなくてよい。余に任せておけ。で勇者とはどうやって選定するものか」

「勇者と呼ぶのであればやはりそれ相応の地位のある者ではないかと」

「もしくは何かしら成果を出した者なのではないのでしょうか。世界大会の優勝者とか」

「ではオリンピックでも開くか?」

「お言葉ですがそのような予算は計画しておりません。今から準備するのであれば1、2年はかかりますが」

「お父様!これは私に与えられた使命です。ですので私は自ら勇者を探しに行きたいのです!」

 父に袖にされ、思わず声を荒げるアズサ。

「ならん!!」

 雷のような怒号が謁見の間に響く。その声にアズサも圧倒され竦んでしまう。

「お前が城を出る必要などない。分からんか、かつて月の民どもに言いくるめられ、お前を手放してしまった余がどれほど後悔したかを。心配するな。月の民が勇者を探せというのであれば探してやるとも。だが余はもう二度とお前を手放すつもりはない。よいな?わかったらお前は部屋に戻りなさい」

 それでも「ですが」と食い下がろうとするが聖王の険しい眼光にそれ以上は何も言えなくなってしまう。

「誰か、姫を部屋に連れてゆくのだ」

 聖王が手を鳴らすと女中たちがすごすごとアズサのもとへとやってくる。女中に連れられながらアズサは振り返るが、聖王はもうアズサを見ていなかった。



 謁見の間の扉が閉じられ、気落ちするアズサに女中長が声をかける。

「アズサ姫様、お部屋へ戻られる前にご紹介させていただきます。今日よりアズサ様のお傍でお世話いたしますのは」

 女中長はついさっき買出しから戻った女中、アウルを呼ぶ。

「お世話係となるアウルでございます。どうぞ、何なりとお申し付けください」

「はあッ!?ちょっ、ババアっじゃない。じょ、女中長様?わたくし何も聞いておりませんのことですのですが?」

 突然の事に動揺を隠しきれないアウル。

「おや?さっきミーティングで言ったはずですが・・・ああ、あなたは買出しに行っていましたね。まあ特に反対意見もありませんでしたし、もう決定事項なので。あしからず」

「あしからずじゃねーでしょうがッ欠席採決とかエグいっしょ」

 抗議の声を上げるアウルに「おだまり」とデコピンを食らわせて黙らせ、女中長はアズサに一礼するとそそくさと自分の仕事に戻るのだった。

「~ッあんのくそババア。チッまあいいわ。コホン、ええっと、ではアズサ様、お部屋に向かいましょうか」

 できるだけ自然に作り笑いをしてみせるが、当のアズサは心ここにあらずで「え?あ、はい・・・」と頼りない足取りで歩きだす。

 アズサの私室は東棟の二階にある。先導するアウルは緊張しつつ普通に階段を昇る。

(さすがにいきなりあたしの正体・・がばれたりはしないでしょうけど、用心に越したことはないし、なるべく関わらないようにしなきゃ。ってもそれはそれで変に勘繰られても困るし・・・)

「って、あれ!?」

 2階に着いたアウルが振り向くと、そこに居るはずのアズサの姿がない。階段の手すりから身を乗り出して下層を覗き見る。

「あ、いた」

 アズサはまだ階段の下層に居た。後ろ髪をひかれるようにちらちらと後ろを振り返っている。

「・・・そんなにパパに怒鳴られたのがショックだったのかしらねえ。かわいいかわいい」

 そう嘲笑しつつ、アズサが昇ってくるのを待つ。

「・・・」

 三分後。

「・・・」

 さらに五分後。

「・・・ちょっと」

 アズサは数段昇る度に足を止め、後ろを振り返るのを繰り返す。

 さらにさらに十分後。

「ッうっだあぁあ!!とっとと昇ってきなさいよ!ねじの切れたおもちゃですか!!」

 と叫びたいのを堪えることさらに数分後、ようやく階段を昇り切ったアズサを満面の作り笑顔で出迎える。「さ、さっさと行きましょうか」と切れ気味なのを隠しつつ歩きだす。

「・・・?」

 この時、アズサはアウルに何か違和感を感じたが、今は彼女に関心を向けられる余裕はなかった。父に相手にされなかった。わかってはいた事でも自身の無力感に打ちひしがれてアウルに促されるまま私室へ入る。

「・・・あら、あらあら?まあまあまあ」

 アズサの私室は薄いピンクを基調とした少女らしい小道具でまとめられている。もっともアズサ自身は四年前に数日過ごしただけだったが、この部屋はその当時のまま、いつか帰る主を待ち続けていたのだ。だがアズサが注目したのはそこではなくて、部屋に運び込まれた大量の書物の方だった。数時間前に、今生の別れのごとく諦めた蜃気楼の館の蔵書たち。それがこの部屋に山積みにされている。

「まあ、なんという事でしょう。またあなたたちに会えるだなんて」

 アズサは先程までの落ち込みっぷりから一転、目を輝かせて本棚に駆け寄ると一冊ずつ本を手に取り、頬ずりをするほどの喜びっぷりだった。その様子を見ていたアウルは「なるほど、そういうことね」と城下で受け取った本をアズサに気づかれないように注意しながら本棚に紛れ込ませる。

「ではお姫様。何かあればお声かけください」

「あ、はい」

 空返事を返す、本に夢中のアズサにお辞儀をしてアウルは部屋を出る。怪しく光る瞳をフッと細めながら。




 アズサが現実逃避どくしょしている間、聖王による勇者選考が始まった。


『勇者よ我がもとへ出でよ』


 全世界に張り出された突然の聖王の呼びかけに誰もが困惑し、何かのイベントが始まったのかとその動向を見守る。

 第一次募集に集まったのは所謂町一番の力自慢達だった。そこで勇者たるもの武勇に通じるべき、と言う事で参加者達と金翼騎士団との模擬戦による選考会になった。金翼騎士団は聖王都でもトップクラスの騎士団。当然有象無象の素人に騎士団が後れを取るはずもなく、騎士団の圧勝で終わり、「勇者適合者無し」で解散となった。



「うーむ、さすがに聖王国第二位の金翼騎士団をけしかけたのは大人げなかったかのう」

「そうですな。ですが騎士に劣るようではとても勇者と呼べるものでもないかと」

「ですが今回集まった者はチンピラのような者ばかりでしたし、根本的に募集方法を改めなければなりますまい」

「と言うと?」

「如何に勇者と言えど、我らが精鋭ぞろいの騎士団にまともに戦って勝てる道理もなく、であれば勝つためにあらゆる手段を講じる者こそを集うべきではないでしょうか」

「だがそのような者をどうやって集める?」

「フフフ、そのように狡いものなどは餌で釣るのが常套でしょう」

 前髪をワサアっとかき上げる仕草をする宰相。(前髪は無い)

「餌とな。してそれはどのような?」

「無論、庶民の欲するものなどいつの世も同じでありましょうや。すなわち、地位、名声、金!」

 宰相のあまりなゲス発言にドン引く一同。見かねて大臣が言い直す。

「ええっと、つまり勇者に選ばれた者には望むものを与える、と言う事でよろしいか」

「なるほど。それならば日和見していた者も集まりましょう」

 まとまりかけた所で、なぜかテンションの上がっている宰相が「もう一声!」と口を挟む。

「いっその事、こういうのはどうです?『勇者に選ばれた者にアズサ姫がお嫁がれになられる』のです」

 ブフ―っと噴き出したのは聖王唯一人。他の大臣たちは意外と肯定的に互いの顔を見合わせる。

「なるほど、それならば地位も名誉も金も得られますな。姫様もそろそろ良いお年頃でございますし、妙案かと」

「いやいや待たんか。姫はまだ14ぞ。ようやっと余のもとに取り戻したばかりではないか」

「お言葉ですが、姫様とていつかは結婚なされるのです。それが勇者であるのならば姫様も本望でございましょう。陛下も子離れのお覚悟を持たれなければ」

「ごもっとも!」

 大臣達の間から拍手が巻き起こる。彼らからすればアズサは扱いの難しい目の上のたんこぶである。それを合法的に排除できるのであれば願ったり叶ったりなのである。が、さすがにこれには聖王の怒声が飛ぶ。

「バカ者どもがッ!これは勇者の選定じゃぞ。姫の婿探しではないわ!!」



 結局、聖王の反対は押し切られて、宰相の案通りに第二次募集が始まった。だが!その効果は絶大だった。勇者に選ばれれば富も名声も思うまま、ましてや王女と結婚できる(権利が与えられる)となれば世の男どもが黙っていられるはずもなく。一次募集とは何だったのかといわんばかりに来るわ来るわで、あまりの応募過多に急遽、書類選考から行われることなった。

「いやあハッハッハ。大漁大漁でございますなあ。餌が上物ですから当然といえば当然ですかなあ。おっと失言失礼」

「お、陛下。この者などいかがでしょう。元騎士将軍サー・フランクのご子息ですよ」

「おっとそうきますか、ではこの者は?あの世界有数の資産家、ムラサト・コーポレーションの御曹司ですぞ」

「おや?これはダンシャーク家のドラ息子か。さすがに姫様とは釣り合いませんなあ。却下で」

「・・・のうお前たち。何度も言うがこれは勇者の選定じゃぞ?姫の婿探しではないからな。わかってる?わかってるよな?」

 

 その後も数回、選定オーディションが行われたが、勇者は見つからないまま募集は打ち切られた。




 季節は春から夏へと移ろい、平穏な日々は続く。

 今日も又、日は傾き、薄暗くなった街にあかりが灯り始める。

 部屋の窓から黄昏の空を眺めながら、アズサは読み終えた本を閉じ、ふぅとため息をつく。

「はぁ、これからどうしたらいいのかしら。いつまでもこうしているわけにはいきませんし・・・何か手掛かりがあればいいのだけれど」

 父達があれだけの人を集めても勇者と思しき人物は見つからなかった。

 天井を見上げるアズサの脳裏に蜃気楼の館での事が思い出される。



 惑わしの森の館の鐘が鳴る。聖堂で祈りを捧げていたアズサに、後ろから声がかけられる。

「姫よ」

 アズサは振り返り彼を見た。彼はこの蜃気楼の館の主、夜空に浮かぶ白き月から来たという月の民だ。

「姫よ。あなたはいずれこの館を巣立っていくだろう」

「・・・はい」

 と少し戸惑って答える。

 アズサは聖王国の王女であり、いずれは聖王都へ戻らなければならない。でも、本当はこの館を離れたくはないのだ。

「あなたの固有能力ちからは特別なもの。人類を導き新たな世界へと誘うだろう」 

「・・・本当にそう、なのでしょうか?」

 アズサは自分の固有能力がきらいだった。この力のせいで家族はバラバラになってしまったから。

「こんな固有能力なんて・・・要らない」

「恐れないで。あなたは一人ではない。あなたの固有能力ちからを理解し、あなたを頼り、あなたが頼ることのできる者たちと出会えるだろう」

 みんながアズサを嫌ってる。アズサはそう思っている。大人たちがアズサを見る目が怖い。あれは化け物を見る目だ。怯えるアズサの肩を抱き、彼は穏やかな声でささやく。

「時が来たなら固有能力ちからを使うことを決して躊躇わないで」



「・・・躊躇わないで、か」

 アズサは膝にのせていた本を本棚に戻そうと立ち上がる。

 コンコンっとドアがノックされ、女中アウルが声をかける。

「ひ、姫様。お食事をお持ちしました」

「どうぞ、入って」と答える。

「し、失礼します・・・」

 恐る恐るドアを開け、アウルが入ってくる。

 アズサは基本的に自室で食事をとる。忙しい父達とは食事の時間が合わないという事もあるが、結局はアズサが避けられている事に変わりはない。

 アズサは、何気なしにカチャカチャッとテーブルに食器をならべる彼女の仕草を見ていた。

 アズサの視線に気づいたアウルはびくっと肩を振るわせる。

「あ、あのアズサ様・・・どうか見ないで下さい・・・・・・・

「ッ・・・ごめんなさい」

 そう言ってアズサはアウルから目をそらす。城に勤めていれば誰かからアズサの“力”について聞かされた事だろう。そう、アウルが悪い訳ではない。アズサの“力”の事を知れば誰でも同じ反応をする。むしろ三か月、長くもったほうだと思う。

「もういいわ。あとは自分でやるから。下がってちょうだい」

「え?あ、え、と?」

 窓の外を向いたままのアズサに、アウルは返事を詰まらせる。

「後で引き取りにきて下さいね」

「は、はいっ」

 言うが早いか逃げるようにそそくさと部屋を出ていってしまった。

(これでいい。私は誰とも関わってはいけない)

 そう自分に言い聞かせても寂しさに泣き出しそうになる。だからアズサは本を取り、読書に耽る。本を読んでいる間は現実を忘れていられるから・・・

 と、再びコンコンっとドアがノックされる。アウルが戻ってきたのかと思って、アズサは顔を上げる。

「姫様、よろしいでしょうか?」

 タカラの声だ。アズサの「どうぞ」と言う声に他の者にかけるのとは違う親しみが込められる。

 タカラはドアを開けると、テーブルに並べられた料理を見てペコリとお辞儀する。

「おっとお食事中でございましたか、失礼」

「ええこれからだけれど、さ、どうぞ入って」

 だがタカラは首を振りその場から動かない。

「いえ、今日はこのままで」

 いかにアズサの騎士であるとはいえ、男がおいそれと王女の私室に入るわけにはいかない。

「実は姫様のお耳にお入れしたいことがございまして」

「改まって何かしら」

「はっ、女中たちが話していた事なのですが、実はシユウ殿下方が諸国行脚を切りあげて近々聖王都にお戻りになられるとのことです」

 兄の名を聞いたアズサはハッと息をのむ。

「お兄様がお戻りに・・・」

 未だ父一人説得できていないのに、兄達が戻ってきてしまったらもう説得などできるはずもない。そうなれば勇者を探す使命を果たす事はおろか、城から外出する事すら許されないだろう。その事はタカラも承知済みだ。ゆえにアズサに忠告に来たのだった。

「姫様、どうか後悔の無いご決断を」

 タカラはそういって敬礼し立ち去る。

「お兄様が帰ってきてしまう・・・どうしよう、どうしたら・・・」

 残されたアズサは膝を抱えてしゃがみこんでしまう。と、テーブルの上の料理のにおいに誘われて、ぐぅっと腹の虫が鳴き出す。

「こんな時でもおなかは空くのね」

 アズサは手短に食事を終えて、とりあえず問題は先送りにして次に読む本を選んでいると見覚えのない背表紙に手が止まる。

「あら?こんな本あったかしら?」

 その本を手に取ってみる。パラパラっとページをめくる。その内容は勇者伝説について書かれていた。もう何度読んだかわからない、特に代わり映えしない内容だった。本棚に戻そうとした時、何かを感じてもう一度本を開く。

 本の中で描かれる勇者の戦い。

 北海に浮かぶ魔の島、現在ではマの国とよばれるその場所こそが邪神との決戦の地だった。

「邪神を封じた島・・・これだわ!」

 天啓ひらめきに思わず声を上げるアズサ。

 ドアの外でその様子をうかがっていたアウルはクスッと口角を歪める。アウルはなかなか例の本に手を出さないアズサにしびれを切らし、どさくさに紛れて本棚の本を並び変えていた。さっきの怯えた仕草はアズサに自分の正体を気付かれないための演技だったのだ。

「せいぜいがんばりなさいな、お・ひ・め・さ・ま」




 聖王執務室。

 アズサが聖王に拝謁を申請してから三日後。アズサはタカラを伴って聖王の前に立つ。執務室には聖王の他に宰相をはじめ、聖王に呼び出された大臣や騎士団長達も控えている。

「それで、話とは何か?姫」

「もちろん勇者の捜索に関する事でございます」

 聖王はふうとため息を吐く。

「そうせかすな。すぐに次の募集をはじめるとも」

「それで勇者は見つけられますでしょうか?」

「うん?さあな。まあいつかは見つかるやもしれんさ」

「それはいつ?明日でしょうか、それとも一年後でしょうか?」

「・・・何が言いたい?」

「私はお父様のやり方では勇者は見つけられないと断言いたします」

「ひ、姫様。いかに姫様といえど陛下に対してその物言いは不敬すぎると言えましょうや」

「そうでしょうか?私は事実を述べただけですが」

「なっ!?」

 周囲からざわっとどよめきがおこる。聖王が片手を上げ「よい」とそれを静める。

「ならばお前には勇者を見つけ出す術があると?」

「いいえ、それはまだ分かりません」

 と、かぶりを振るアズサにヤジを飛ばそうとする大臣だったがタカラに睨まれて身をすくませる。

「話にならんな。もうよい下がれ。ともかく余に任せて姫は部屋にて待つがいい」

「お父様、私は今は・・まだ分からないと申したのです」

 珍しく食い下がる娘に聖王は眉間を押さえる。

 ――私が父を困らせている。

 その罪悪感に胸を締め付けられながらもアズサは深呼吸して動揺を抑え、自身を奮い立たせる。

「勇者を探す手がかりはやはり勇者伝説にあると思います。であれば伝説に語られる勇者たちと邪神の決戦の地となった場所、北の海に浮かぶ魔の島、現在のマの国にこそ手掛かりがあるはずだと思います。ですから」

「だからマの国に行きたいと?」

 頷くアズサに聖王は頭を抱える。

「あの、姫様?マの国についてですが、既に過去何度も調査は行われてまして、あそこは何も無い、ただの無人島であると結果が出ております」

「どこぞに引き籠られていた姫様はご存じないかもしれませんなあ」

 アズサが反論しようとしても大臣達はクックッと薄ら笑いで嘲り、辱めるだけで誰もアズサの話をまともに聞こうとしない。羞恥に顔を伏せるアズサに、聖王はアズサをなだめるように声を和らげる。

「何度も言うが、姫は何もしなくてよいのだ。大人しく余の傍に居れ。よいな。これでこの話は終わりだ」

 アズサは俯き、スカートを握りしめる。

(だめ・・・私はやっぱりお父様には逆らえない)

 今にも泣きだしそうな顔をするアズサを見かねて聖王は場を和ませるべく声を和らげる。

「それと今姫をいじめた者ども、後でお説教じゃぞ」

 ひえっと、肩をすくめる誰もがもうアズサの事など気にも留めない。ただ一人、アズサの傍らに立つ騎士を除いて。

「お顔を御上げなさいませ姫様。胸を張られよ。使命に殉じようとなさる姫様は正しいのです。正しいのであるのだから俯いていてはなりません。顔を上げ、前へ、姫様が前へ進まれることを望まれるのならば不肖この騎士タカラ、貴女の盾となり共に参りましょう」

「タカラ・・・」

 タカラはアズサが蜃気楼の館に預けられるときも、聖王都に戻るときも、いつもそばにいてくれた。誰もがアズサの“力”を恐れるのに、彼だけは恐れることもなく忠義を尽くしてくれた。彼はいつも、アズサの背を押してくれる。

「ありがとうタカラ。ええ、私は私を信じてくれる貴方のために覚悟を決めましょう。私は、使命を果たします!」

 アズサは瞳ににじんだ涙をぬぐい、顔を上げまっすぐに聖王に向かい歩み出る。

「お父様、改めて申し上げます。私にマの国の調査に赴くお許しを下さい」

「姫よ、その話はもうよいと言っておろう。下がるがよい」

「そうですよ姫様。あの島には何もないと結果が出ておりますので何度調査しようと無駄でございます」

「無駄、ですか・・・そうですね。凡夫たるあなた方ではそうなのでしょう。ですが・・・あなた方は私の“力”についてはご存知でありましょう?」

 嘲笑を浮かべていた大臣達にゾクッと悪寒が走る。

「そうであるならば、このわたくしを、あなた方と同じだと思わないでいただきたいですね」

 アズサはスゥっと瞳を細める。

「姫?なにを・・・」

 聖王はそう言いかけて、ガタっと立ち上がる。

「それはッ!?や、やめよ姫!」

 アズサは聖王の制止を聞かずゆっくりと聖王国一美しいとされる紅玉ルビーの瞳、その奥に秘められたもう一つの瞳を開く。アズサの持つ上位固有能力、“この世のすべてを見通す神の瞳”『神眼』である。


 その瞳に射抜かれた者は全てをさらけ出される。これはかつて幼かったアズサが制御できず城内を恐怖のどん底に叩き込んだ忌むべき力。

 

 アズサは目についた一人の大臣に瞳を向ける。それはまさに極寒の地に裸で放り出されたような感覚。彼は「ヒィッ」と悲鳴を上げる。彼の前に彼の姿が現れたからだ。それは彼の心。可視化された彼の心は何をはばかることなく彼の記憶を語りだす。自らの生い立ち、今の地位に着くまでにどれだけ尽力してきたか。その手をどれだけの汚職で染めてきたか、分不相応に抱いた野心、そのすべてを。

「ひっ、いやあぁぁッ見ないで!みないでぇぇ!!」

 年甲斐もなく泣きじゃくりながら心を隠そうとする大臣。だが他の者達も他人事ではない。アズサの“神眼”は次々にその場にいる者達の心を可視化させていく。誰もが自らの心を暴かれる事に恐怖し、半狂乱に陥る。

 阿鼻叫喚の中、アズサは今一度聖王に訴える。

「今、聖王国に災厄が迫りつつあります。ですがこの眼の力があれば必ず手掛かりを見つけられましょう。ですから」

「な、ならんッお前を行かせるわけには」

 いつもは父の言葉には逆らえないアズサも、覚悟を決めた今回ばかりは引かない。

「月のみな様は仰られました。この力を正しき王おとうさまのもとで使う様にと。私はお父様の為ならばこの力を使う事を惜しみはしないのです。私はこの力でお父様のお役に立ちたいのです。ですからどうか、私に使命を果たさせてください」

 アズサは神眼を机の後ろに身を隠す聖王に向けるが微妙に視線を逸らす。父の本心、それだけはアズサも視たくはなかったから。だが、それで十分だった。

「わ、分かった。もう分かったから、その眼を閉じよ。早く!」 

「私が城を出ることを許可していただけますか?」

「ううっ分かった許す・・・許す、くぅ」

 聖王の許しを得た事でアズサは神眼を閉じる。自らの力の反動で倒れそうになるアズサの背をタカラが支える。

「まったく、無茶をなさる。ですが・・・」

 その先をタカラはあえて口にせずウインクしてみせる。

「フフ、貴方が側にいてくれるから無茶もできるのです。ありがとう、タカラ」

 タカラの腕の中でアズサがあらためて部屋の中を見渡すと、いまだにガタガタと怯えている者もいる。

(でもやっぱりこの力は・・・)

 タカラに支えられて体を起こすアズサ。

「皆様、無礼をお許しください。ですがこれもお父様の聖王国のため、どうかご理解のほどを」

 アズサに反論できるはずもなく、彼らはただうなだれるのみだった。

「お父様、私はこの旅にはタカラに同行してもらいたいのですがよろしいでしょうか」

 椅子に座りなおした聖王はアズサの進言に小さく頷く。

「ふむ、そうだな。騎士ナイトタカラか。どうかな騎士団長?」

「彼であれば適任かと」

 間違ってもこの大任を自分たちに押し付けられたくない騎士たちは満場一致で肯定する。

「よかろう。ならば騎士ナイトタカラよ。勅命を以て姫の護衛を命ずる!」

「ハッ、謹んで拝命致します」

 ビシッと敬礼を決めるタカラ。それを見てアズサはホッと胸をなでおろすのだった。



 出発の日。

 タカラはアズサの護衛兼マの国の調査団として同行する、信頼できる部下の兵士十人を選び、出発の準備をしていた。

「お疲れ様タカラ。準備は出来ました?」

 アズサに声をかけられ、タカラは作業の手を止める。

「ハッ、概ね準備完了しております。姫様の方はよろしいのですか」

「ええ、必要なものはまとめて運んでもらいました。とは言っても私、他の国に旅に出た事はありませんので十分かは分かりませんが」

 あまり感情を表に出す事の少ないアズサにしては珍しくどこか浮足立った様子。

「此度の旅はきっと姫様にとって良き経験となりましょう。存分に楽しまれるものよいかと思いますよ」

「いえ、そういう訳にはいきません。これは決して観光あそびで行くわけではないのです。ええそう。私はお父様の名代として恥ずかしくないように振舞わなければいけませんね」

 見栄を張り襟元を正すアズサはどう見ても愛らしく、タカラはつい頬を緩めてしまう。

「しかし残念です」

 コホンと一つせき払いをしてタカラは城を見上げながらつぶやく。

「やっと姫様が戻られたと、みな喜んでおりましたのに」

 城に戻った日、城下の民はアズサの帰還を喜び、アズサを一目見ようと集まったを思い出した。城内の者達と違い、皆とても嬉しそうだった。たとえそれがアズサの神眼を知らないからだとしても、アズサに向けられた笑顔はとてもうれしかった。

「・・・そうですね」

 と言うアズサも同じように城を見上げる。だがどうしても思ってしまう。

 ここには私の居場所はない。と。

「姫様?」

「フフッ何でもありません」

 と、タカラの部下の兵士がアズサの前で敬礼し、「準備完了しました」と告げる。

「さあ、出発いたしましょう」

 タカラが待機させていたリムジンを呼び、アズサを車内へ促す。

 アズサは「はい」と答えると見送るもののいない城に向き直り、聞こえるはずもないが父に向かって「行ってきます」と頭を垂れる。

 その様子を城の二階の窓からうかがっていた者がいた。女中アウルだ。

「やれやれ、やっと行ってくれたか。手間のかかるお姫様だこと。これでひとまずあたしのお仕事は終了かしらね」

 んー、と背伸びをするアウルの背後に忍びよる影。

「おほほ、終了するのはあなたの休憩時間ではないかしら?」

(いっ、女中長さま!?)

「このあたしがまるで気配を感じなかっただと!?このババア一体何者?」

 ゴツンとゲンコツが飛ぶ。

「誰がババアですか」

 心の声が漏れていた。

「いったあーい。パワハラで訴えてやるう」

「はいはい。訴える前にお仕事しましょうね。まだまだ覚えることは山ほどあるのですから」

 聞く耳を持たない女中長に引きずられ仕事に戻るアウルでしたとさ。



 ちなみに、アズサと入れ違いに聖王都に帰還した第一王子達だったが既にアズサが旅立ったと聞いて怒り狂い、自ら後を追って連れ戻しに行くと言い出したのを臣下総出で止めたのだった。






 アズサ達の向かったマの国は、アの国のある聖央大陸から遥か北西の最果ての海にある国だ。聖王都を出たアズサ達はまず、大陸鉄道に乗って西海岸のサの国に入り、そこから船に乗り、南西の諸島連合国タの国へ行く。そして用意されていた王室用に装飾が施された船で一路マの国を目指す。



 タの国を出て航海二日目。既に日は落ち、月のない夜。星明かりを頼りに船は進む。波は凪、静か過ぎる夜だった。

 アズサは船室でマの国にまつわる資料を読んでいた。


 マの国は国とは言ってもそこは岩壁だらけの無人島で動物はおろか植物すらほとんど生えない枯れた土地だという。周囲の海域は霧が多発し、通りかかった船が浅瀬に乗り上げる事も多く、船乗り達からは文字通り、魔の島として恐れられている。なかには居るはずのない獣の雄たけびを聞いたという者もいたらしい。


 ふと気づくとなにやら外が騒がしい。

「・・・何かしら?」

 アズサが船室を出て甲板に向かうと兵士たちが集まっていた。

「なにかあったの?」

 近くの兵士に尋ねると、彼らは暗闇の海を指差す。

「姫様!あれをご覧ください」

 アズサは指差された先に目を向け、驚いた。

「あれは、黒き月!?」

 真っ暗な海なのにそれははっきりと見える。

 巨大な漆黒の球体、『夜海やみに浮かぶ黒き月』。

 アズサは実際に見るのは初めてだった。だがどこか懐かしいような、以前に見た事のあるような既視感を憶えた。

「黒き月があんなにくっきりと見えるなんて聞いたことがありません」

 いつの間にか側に来ていたタカラが呟く。

 普段の黒き月は輪郭がおぼろげに見える程度なのだという。そして黒き月は不吉の前兆として忌み嫌われている。

「なにか、良くないことが起こるのかも・・・」

 マの国を目前にして全員が言い知れぬ不安を感じていた。




 航海三日目。一行はついにマの国に到着した。島の沖に船を泊め、2隻のボートで上陸する。

「ここが・・・邪神を封じたと言われるマの国・・・・」

 無人島と聞いてはいたが周りを見渡してもむき出しになった岩壁ばかりで、命の息吹が全く感じられない。それなのに何かに見られているような妙な感覚がある。立ち眩みするアズサをタカラが気遣う。

「大丈夫ですか?慣れない船旅でお疲れになられたのでしょう」

「ええ、そうかもしれません」

「よし、まず姫様がお休みになられるテントの設営だ。それから手分けして勇者の手掛かりになりそうなものを探すぞ。何か見つけたなら姫様のもとへ持ってくるのだ。姫様はそれらの確認をお願いします」

「はい」と頷くアズサ。

 意気揚々と調査に繰り出す一同。だが調査は困難を極めた。どこに行っても岩ばかり。とても手掛かりになりそうな物など見つからなかった。

 最初は調査を手伝っていたアズサだったが持ち前の体力の無さからテントでお留守番する事が多くなる。そうなるとアズサもその表情に焦りが見えはじめる。父達にあれだけの大見栄を切って出てきたのだ。「やっぱり何の成果もありませんでした」などと言えるはずがない。このままでは父を失望させてしまう。

 なんでもいい。何か手掛かりがあれば・・・

 そう願うもただ時間だけが過ぎていく。


 マの国の調査を始めて六日目。その夜アズサは夢を見た。

 年頃の少女の見る華やかなものではなく、もっと暗い、深い闇の底から覗く夢。

 アズサの目の前には地平線を挟んで赤い空と黒い大地の世界が広がっている。

 異様なほど巨大に映る白き月を背に、燃えるような赤い空を引き裂いて漆黒の大地に何かが迫ってくる。

 1つ、2つ、3つ・・・5つの流星。否、あれは“龍”だ。5体の龍が輝く光をまき散らしながら空から落ちてくる。

 暗転。

 上も下も、左右さえも分からない漆黒の闇に揺蕩うアズサ。今垣間見たものは何だったのか、果ての無い闇を見つめていると誰かの囁く声が聞こえる。それは懐かしさを覚える声。アズサはその声に魅かれるように闇の底へと沈んでいく。そこには光があった。光の中から誰かがアズサに手を差し伸べる。その手に手を伸ばそうとした時アズサは目を覚ます。


「・・・いま、のは夢?」

 夢の中でアズサは誰かに呼ばれていると感じた。それが誰かは分からないが何か妙な胸騒ぎがする。その事をタカラに告げ、その日の調査に同行させてもらう。

 

 

 調査隊はアズサの指し示す道を行く。アズサにも確証があるわけではない。それでも己が心に導かれるように瓦礫のような山を越えたどり着いた場所。

「姫様、ここは・・・?」

 開けた小高い丘の上。眼下にはアズサ達の船が停泊する海岸線が見える。

「タカラ、少し離れていてください。“力”を使います」

 タカラはすぐに兵士達を退がらせる。彼らはアズサの“神眼”の事を知らないからだ。アズサがひとたび神眼を開けば自身の意思とは無関係に周囲の心意を拾ってしまう。だが今はその事で躊躇している時ではない。かつて月の民に言われた通り今が力を使うときなのだ。

 アズサは瞳を閉じ、ゆっくりともう一つの瞳を開く。タカラ達がゾクッと肌寒さを感じた時、異変が起こった。

「な・・・これは一体?」

 何も無いむき出しになった岩肌だらけだった景色が一変し、木々の緑あふれる世界が広がっていく。別の世界に来てしまったのかと振り返ると海岸線には変わらず船が停泊している。

「姫様、一体何が起こったのです?」

 タカラ達と同じく想像していなかった事態に絶句していたアズサは動揺を抑え、勤めて冷静に事態を分析する。

「おそらくですが、何かしらの結界が張られていたのでしょう。今私たちが見ているものこそがこの島の本来の姿なのです」

 アズサは事も無げに言うが、彼女の“力”でなければ見つけられようもない事だ。

「これがマの国の本当の姿・・・」

 草木だけではない。見られぬ動物たちがこちらの様子をうかがっている。

「あの獣・・・確か絶滅したはずの種では?」

 獰猛と伝えられた獣たちが威嚇するように唸り声を鳴らす。タカラは兵士たちに警戒するように指示する。

「結界の内にいた事で外界との生態系がずれているようですね・・・それに気になるのはあの巨木でしょうか」

 まさに天を衝くかのような大樹をアズサが指さす。

「なるほど、木だけに気になると」

 タカラのおやじギャグに兵士たちはおろか、獰猛と恐れられた獣たちすら沈黙する。照れ隠しに一つせき払いして「行ってみましょう」と行動する。

「あ、タカラ。私は今の駄洒落は面白いのではないかと思いますよ」

 フォローしてくれるアズサの優しさが逆にいたたまれない。

「ほ、ほら、姫様あれをご覧ください。祭壇のようなものがありますよ」

 タカラが指さす大樹の前には石段があり、その上に祭壇が設置されている。

「あの大樹は御神体なのでしょうか?」

「姫様、この石段は崩れてお足下が危のうございます。私めにお掴まりを」

 石段を見上げていたアズサを自然な流れで抱き上げると慎重に石段を上る。

「しかし、これは明らかに人工物でありますな。と言う事は結界といい、一体誰がこのようなものを造ったのでしょう」

 マの国は古くから無人島だと伝えられてきた。それが覆れば歴史的大発見だ。となれば調査隊を指揮したアズサの名は後世に残されるに違いない。タカラはしてやったりとほくそ笑む。

「タカラ、何かおかしいとは思いませんか?」

「はて、何かありましたか?」

「ここが遺跡なのだとしたら他の痕跡があってもいいはずなのにあるのはこの祭壇のみです」

 この石段にしても岩山をくり抜いたものだ。この遺跡には人間のあるべき営みが感じられない。


 ――我々の文明は失われた・・・


「え?タカラ、今何か言いました?」

「いえ何も?」

 どこからか聞こえてきた声をたどってアズサは祭壇を見渡す。が、自分たち以外に誰も居るはずがない。


 ――我々の声が聞こえるか・・・


「あ、また。聞こえました、よね?」

「いえ・・・」

 タカラはアズサが何を言っているのかわからないと首を振る。

「・・・私にしか聞こえていない?これって」


 ――来る・・・奴らが来るぞ・・・


「奴ら?奴らとは誰の事です?」

 祭壇で声なき声に問いかけるアズサをタカラ達は不安そうに見守る。


 ――月の乙女の再来よ。我らの遺言を聞き届けたまえ・・・


「遺言・・・?」

 突然アズサの体に電撃が走る。「あぅッ」と悲鳴を上げ、ビクンッと体を仰け反らせるとその場にしゃがみこむ。

「姫様!大丈夫ですか!?姫さま!ひめさま・・・」

 タカラは必死にアズサに呼びかけるもアズサの耳には届かない。


 ドクンッドクンッ


 鼓動が早鐘を打つ。そして、つうっと熱いものが頬を伝う。

 

(これは私の涙?いえ、血?)

 アズサの眼から血の涙がポタッポタッとこぼれ落ち地面に滲みこんでいく。

「あ、ああ・・・」

 アズサは呻き、両手で頭を押さえる。頭の中に無数の言葉が怒涛の叫び声となって押し寄せてくる。


 

 滅び  誕生  願望  絶望  嘆き  憤怒  憎悪  破壊  太陽  夜空そらに浮かぶ白き月  夜海やみに浮かぶ黒き月  侵略  侵攻  信仰  地球  新生  文明  消失  六ッ花  大樹  101なるもの    守護者  六つなるもの  火  空  海  機  獣  光  勇者  108にして1つなるもの  選定  王  民  龍  大いなる翼  祈り  誓願  神の眼  神  大邪神  星の意思  希望  悪鬼  悪鬼  悪鬼  悪鬼  悪鬼悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪  



「キャアアアアアッ」

 アズサが頭を抱え絶叫する。

「姫様っ姫様!」

 泣き喚き、のたうち回るアズサを支えながらタカラは必死に呼び続ける。

「う、うう、タカ、ラ?」 

「姫様、良かった」

 アズサが正気に戻ったのを見てホッと胸をなでおろす。そのままアズサを抱きかかえる。

「さあ、船に戻りましょう」

「・・・待って」

「いいえ待ちません。これ以上の無理はさせられません」

 アズサが「そうじゃなくて」と言おうとしたその時。


 ズドンッ


 大地が揺れた。

「地震?」

 突如暗雲がたちこめる。周りにいた獣達はいつの間にか姿を消していた。

「一体、何が?」

 皆が異変に気付く。乾いた風が島に集まってくる。そして集まった風が渦を巻き始める。

「このままでは・・・いけない!?」 

 アズサの直感が告げる。

「タカラ!逃げるのです、急いで!!」

 アズサが叫ぶ。

「え、何故です?」

「説明している時間はありません。お願い急いで!」

「ッ!?わかりました。総員、船に戻れ!!」

 タカラの号令に従い兵士たちが海岸へと移動しようとした、その時。突如風が止んだ。突然の静寂、そして・・・

 

 キィィィィィン

 

 突然の耳鳴りに全員が耳を押さえる。

「来るッ!!」

 アズサの声と同時に、ズドンッと島の中央から空へ向かって光の柱が立ち昇る。

「うわあああッ」

 衝撃波のあおりを受けて兵士たちが悲鳴を上げる。

「ま、まさかッ邪神か!?」

 曇天の空を見上げ、タカラが叫ぶ。

「違うッ・・・あれは!!」

 光の柱に無数の影が浮かぶ。影は次々に光の柱から飛び出していく。

「間違いありません、あれは【悪鬼】です!」

「悪鬼?悪鬼とは何です?」

 聞きなれない言葉に聞き返すタカラ。

「文明を滅ぼすもの。人間の敵、101体の悪鬼です!!」

 それはアズサにもわからない、見た事も聞いた事もない言葉が口をついて出る。

 

(勇者の手掛かりを探しに来たはずなのに、邪神ではない別のものが現れてしまうなんて。この事を早くお父さまにお伝えしなければ)

 アズサの頭の中ではいまだに“彼ら”の声が頭痛を伴って氾濫していてひどい吐き気を催す。

「タカラ、急いで聖王都へ戻りましょう・・・?」

 不調を必死に堪えていると、いつに間にか周囲が元の岩壁に戻っていた。考えたくはないが、自分が結界を解いてしまったから、あの悪鬼たちを解き放ってしまったのではないかと後悔してしまう。



 全員の乗船を確認して出港準備を終えたその時、兵士が叫んだ。

「上空より何か落ちてきます!!」

 皆慌てて空を見る。

 悪鬼だ。

 1体の悪鬼がこの船目がけて急降下してくる。

 兵士達に動揺が走る。

「狼狽えるな!総員迎撃準備!」

 タカラが叫ぶ。兵たちは武器を構えて甲板に並ぶ。

「化け物を姫様に近づけさせるな!」

「応!」

 皆が声を上げる。

「魔導器をセットしろ!」

「応!」

 それぞれの武器に銃器型魔導器を装着する。

 魔導器には用途にとって様々なモデルがある。彼らが準備しているのは市販されている汎用モデルではなく軍用の兵器魔導器だ。当然威力は汎用型とは雲泥の差がある。

「悪鬼来ます!」

「構えろ!目標、敵悪鬼!姫様は船内に戻り耳を押さえててください」

 アズサは言われたとおりに船内で耳を塞ぐ。

 悪鬼がさらに近づく。

「撃て!!!」

 タカラの号令と同時に魔導器から魔法弾が発射される。この魔導器は通常の弾丸を発射するものではなく、魔力マナを弾丸として発射する。魔力がある限り弾切れにならないという利点があるが、対象が対魔法防御コーティングしていた場合は相殺されてしまうのだ。

 轟音が耳をつんざく。

 何発かの魔法弾が直撃したものの、悪鬼の降下は止まらない。

「撃て撃て撃て!撃ち続けろ!!」

 ガツンっという炸裂音と共に悪鬼の降下角度が変わった。

 悪鬼は船尾を掠めて海へ落下する。その衝撃で船が激しく揺れる。

「やったか?」

 タカラは手すりにつかまりながら海をのぞき込む。

 海面が激しく波打つとザバアッと勢いよく悪鬼が飛びあがってくる。

「無傷だと!?」

 あれだけの魔法弾を受けても悪鬼は傷一つなかった。否、受けた傷がたちどころに超回復しているのだ。

「くそッ怯むな!撃って撃って撃ちまくれ!」

 攻撃を再開する。

 魔法弾が直撃する。が、やはり瞬く間に傷が治っていく。

「くそっ化け物がッ船を出せ!」

 悪鬼が迫る。

「機関最大!」

 船の魔導機関がうなりを上げる。

 悪鬼の足止めをするべく、なおも撃ち続ける。止むことの無い弾幕に一瞬、悪鬼が怯む。

「今だ!最大船速!一気に引き離せ!!」

 船は速度を上げて悪鬼との距離をとる。

 それでも悪鬼は追いかけて来る。

「せめてこの船に兵装があれば」

 王室用に改装された船であるため大砲などは全て取り外されていた。

 代わりに船の大きさの割に速度を出す事ができる。そのおかげで何度か追いつかれるも、なんとか逃げ切ることができた。






 大海原に漂う船。

 悪鬼の攻撃によって船体はかなりのダメージをうけてしまった。応急修理はしているものの残りの燃料が心許なくタの国まで戻るのは難しかった。

「どう、なにかわかった?」

 海図とにらめっこしていたタカラにアズサは声をかけた。

「姫様・・・すみませんでした」

 タカラはアズサに頭を下げる。

「どうしてあやまるの?みんなよくやってくれたわ」

「ですが・・逃げるのに必死で航路を大きく外れてしまいました。燃料と食料も残り僅かしかない。一刻も早く聖王都に戻らねばならないというのに申し訳ございません」

「もうっ」

 肩を落としてすっかりへこんでしまっているタカラを背中からギュッと抱きしめる。

「ひ、ひめさま!?」

 思わず声が上擦る。

「私はねタカラ、あなたにとても感謝してるのよ。いつだってあなたは私を守ってくれる。悪鬼から逃げられたのだってあなたのおかげよ」

「・・・」

 タカラは何も言わない。

「だから元気を出して。ありがとうタカラ」

 そっと、タカラの頬に口づけをすると、タカラは盛大にぶっ倒れる。

「きゃっどうしたの?大丈夫?」

 アズサはタカラを抱え起こそうとするが重すぎて無理だった。

「タカラ?」

「だ大丈夫、ダイジョーブであります。自分は幸せ者であります」

 顔を真っ赤にしてふらふらっと立ち上がると「ちょっと潮風に当たってきます」そう言って甲板へ出ていく。

「???」

 アズサは首を傾げて見送った。ふと、机の上の海図を見ると赤線で目的地が記されている。

「タリアシティ?」

 どうやらここから一番近い港街のようだ。だがそこは聖王都のある聖央大陸ではなく、東の大陸にある【ラの国】らしい。

「ラの国・・・確か自由交易都市のある民間統治の自治国よね」

 どんな所なのかしら。不謹慎だと思いつつもまだ見ぬ世界に胸が高鳴る。そっと、瞳を閉じて、細い白魚のような指を地図に這わす。その【神眼】に朧げに何かが視える。

 

 時は聖歴S50年。

 聖王エレクシニアスS世が統治するエレクシア聖王国。

 

 数時間前までそこはどこにでもある、ごく普通の平穏な街だった。

 誰もが今日もいつもと同じ、何も変わらない退屈な日々が続くと思っていた。

 だが、一隻の船が、一人の少女がこの街に降り立った時、その静けさは破られる。少女の姿を一目見ようと、港に押し寄せる人々の好奇の眼差しに晒されながらも少女は告げる。

「災厄が来ます。速やかに避難の準備をしてください。」


 少女の警告に耳を貸さなかった人々は、悲鳴を上げ逃げ惑っていた。我先に街から脱出しようと慌てふためき、他人を押しのけ街の出口に殺到する。その後方で爆発が起こった。

 熱風に煽られた人々は見た。

 この災厄の正体、その姿は5メートルはあろうかという黒き巨体、蝙蝠の翼、狼の牙と爪をもった化け物が道端の雑草を刈るかのように人々を薙ぎ払っていくのを。


 街を見下ろす高台から見る景色はまるで悪夢のようだった。

 美しく整えられてた街並みは見るも無残に破壊され、港に停泊していた船はすべて沈められてしまった。

 命からがら高台へ避難してきた人々が目にしたのは黒き化け物と対峙する一人の少年の姿だった。

 少年の後ろには傷ついた少女がいた。

 少女を守るため、2本のナイフで戦う少年。誰の目にも無謀なのは明らかだった。

 だがその戦いは異様なものだった。化け物の爪が少年の体を貫いた、確かにそう見えたのだが少年は無傷だった。両手に持ったナイフをでたらめに振り回す少年、ナイフを避け空を飛び距離をとる化け物、少年のナイフが空を切ったその時、化け物の翼が切り裂かれ墜落する。

 何故か少年の右手のナイフは砕けていた。砕けたナイフを捨て、左手のナイフを右手に持ち替える。

 再び地上で化け物と対峙する少年。

 まるで状況をつかめずにいる人々と違い、少年の戦いを見守り続けていた少女はそっとつぶやいた。


「あなたがそうだったのですね。あなたが、私のーーーー」





                                  つづく

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地球新生エクシリオン @youichiro

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