第6話 信仰の炎
砂漠に、再び炎が上がった。
それは神々への祈りの炎であり、同時に恐れの炎だった。
星の粉――チョークの噂が広まり、人々の心をざわつかせた。
夜空から降る白い光の粒。
それを拾い、壁に文字を描く者が現れたのだ。
“言葉を刻むと、神々が去る”
そんな古い迷信が、村々に蘇っていた。
神官たちはその恐怖を煽り、祭壇に火を灯した。
そして、星の粉を拾った者たちを次々と捕らえた。
その中心に立っていたのは、アークとセリアだった。
「なぜあなたたちは、星を汚した?」
神官長の声は怒りに満ちていた。
彼の背後では、火柱が天に向かって伸び、空気を震わせている。
その炎の赤は、もはや祈りの色ではなく、憎悪の色だった。
アークは、燃え上がる祭壇の前で目を細めた。
「汚したのではありません。拾っただけです。」
「拾うことが罪だと分かっていながらか?」
「罪とは、誰が決めるんですか?」
アークの声は穏やかだった。
しかし、その静けさが神官長をさらに逆上させた。
「神々がお決めになった!
人は地に頭を垂れ、風に祈るだけでいい!
空を見上げ、星に触れようとしたその行為こそ、傲慢なのだ!」
セリアが一歩前に出た。
「では、なぜ神々は星を落としたのですか?
誰にも拾わせたくなかったのなら、
なぜわざわざ地に届くように光を落としたのです?」
神官長は一瞬言葉を失った。
その一瞬の沈黙が、広場全体の空気を変えた。
「セリア殿下、退け。
あなたは王族でありながら、神に背く言葉を口にしている。」
「私はただ、知りたいだけです。」
少女の瞳は炎を映していた。
恐れはなかった。むしろ、その光は炎よりも強かった。
アークが静かにセリアを庇うように前に出た。
「あなたたちは、神々の声を“恐怖”として語る。
けれど本当の神々は、きっと“沈黙”の中にいる。」
「沈黙だと?」
「そう。
祈りを聞くために、何も言わない。
俺たちは、その沈黙の意味を“書く”ことで知ろうとしているんです。」
群衆がざわめいた。
誰もがその言葉に心を動かされながらも、
神官の命令一つで再び沈黙に押し戻される。
神官長は杖を振り上げた。
「ならば、その“沈黙”の中で焼かれるがいい!」
火が放たれた。
炎が砂を舐め、風を巻き上げる。
白い石壁が熱を帯び、空気が震えた。
アークとセリアは逃げなかった。
「先生!」
「大丈夫です。」
アークは腰の袋から、最後のチョークを取り出した。
星の光を閉じ込めた粉の塊。
それを掌で転がしながら、炎の中に一歩踏み出した。
「アーク! やめて!」
「セリア。
教えることは、守ることじゃない。
見せることだ。」
彼は燃え上がる白壁の前に立ち、
チョークを手に、焦げゆく石に触れた。
熱で指が焼ける。
それでも、線を描く。
一。二。三。
壁が鳴いた。
石の中から低い音が響く。
まるで、世界が呻いているようだった。
神官たちは恐怖に後ずさった。
炎の中で、アークの身体が光に包まれていく。
チョークの粉が溶け、光の筋が空を昇る。
「……神々よ、
もし“知ること”が罪なら、
この罪を――未来に残してやる。」
アークの声が空へと消えた瞬間、
炎が爆ぜた。
轟音とともに白壁が崩れ、粉塵が舞い上がる。
赤、白、そして――黒。
焼けた壁の奥から現れたのは、深淵のように黒い板だった。
風が吹く。
灰が舞い、星の粉が散る。
黒い表面に、白い光がかすかに揺らめいた。
「……黒い。」
セリアが呟いた。
その声が、崩れた神殿に響く。
アークは息を整えながら、焼けた壁に手を当てた。
冷たかった。
焼けたはずなのに、まるで夜空のように穏やかだった。
「白を焼くと、黒になる。」
アークの声は掠れていた。
「黒は、光を隠す色じゃない。
――光を、抱く色だ。」
その黒い面に、セリアが手を伸ばす。
掌の上の粉が落ち、白い線となる。
炎の残光を受けて、かすかに輝いた。
そこに浮かび上がったのは、一つの言葉。
《学び》
風が止み、炎が鎮まった。
黒い壁が微かに光を放ち、周囲の人々の顔を照らした。
誰もがその光から目を離せなかった。
やがて神官長が震える声で言った。
「……これは、何だ。」
アークは静かに答えた。
「あなたが燃やした“信仰の炎”の跡です。
信じることを恐れた結果、
神々が残した最後の板――“黒板”です。」
神官長は何も言えなかった。
ただ、目の前の黒に映る自分の姿を見つめていた。
それは、祈る者の姿でも、支配者の姿でもなかった。
ただ、一人の“学ぶ者”の顔をしていた。
夜が明けるころ、アークとセリアは焼け跡を後にした。
砂の上には、黒い石片がいくつも転がっていた。
そのひとつをセリアが拾う。
表面に、うっすらと白い粉が残っている。
「これは……」
「黒板の欠片です。」
アークは微笑んだ。
「白から生まれた黒。
それが、これからの学びの色です。」
セリアはそれを胸に抱いた。
黒い石は冷たく、それでいて不思議な温もりを持っていた。
その日から、
人々は燃え残った黒い石片を“聖なる板”として祀るようになった。
だが、それを“黒板”と呼ぶ者は、まだいなかった。
その名が世界に刻まれるのは、
この夜の炎が完全に鎮まり、
砂漠の空に再び星が昇る、もう少し先のことだった。
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