第2話 神々の授業
夜の静寂を破るように、焚き火がぱちぱちと鳴っていた。
洞窟の奥で、アークは白い壁を見つめていた。
昨日、神官たちに命じられて消された線の跡。
それは薄くなっても、完全には消えなかった。
白の奥に、わずかに浮かぶ灰色の影。
それを指でなぞると、粉が舞い、光にきらめく。
「……やっぱり、残っている。」
神々の声は風にしか宿らない。
そう信じていた世界で、壁が“記憶”を持つなど許されないことだった。
けれど、彼はもう知ってしまった。
言葉が形を持つとき、それは祈りを越える。
そして、そこから“考える”という行為が生まれるのだと。
翌朝。
洞窟の前に子どもたちが再び集まっていた。
皆、恐る恐る、けれど目は輝いている。
「また、やってもいい?」
「怒られるかもしれない。」
「でも……昨日、先生が言ってた。“足す”って、まだやってないよ。」
その言葉に、アークは思わず笑った。
「……やり残しは、授業を終わらせられない理由になるな。」
彼は粉袋を開き、指先に白い粉をつけた。
壁に向かい、静かに線を引く。
一、二、三。
子どもたちも続いて描く。
今度は数字ではなく、鳥や麦の形、太陽の模様――それぞれが思いつくままに線を重ねた。
線は絡み合い、まるで誰かが見えない糸で導いているようだった。
「先生、これ……動いてる。」
キヤが声を上げた。
確かに、白の上で粉がかすかに脈打っている。
光の粒が線の中を流れ、壁全体が呼吸していた。
「……神々が、見ている。」
サリが呟いた。
その声に、アークの背筋が冷たくなる。
空気が震えた。風が吹いていないのに、焚き火が揺れた。
白い壁の中から、声が響いた。
『――誰が、我らの領域に“言葉”を刻んだ』
それは低く、深く、石の奥から響くような声だった。
子どもたちが悲鳴を上げ、洞窟の外へ逃げ出す。
アークは一人、壁の前に立った。
声は続く。
『祈りは風に帰すためにある。
お前はそれを止めた。
壁に留めた声は、やがて神を超える。
それを許してはならぬ。』
アークは唇を噛みしめた。
「なぜですか。教えることが罪なのですか。」
『教えることは“選ぶ”ことだ。
選ばれぬ者が生まれ、分け隔てが生まれる。
知は平等ではない。』
「けれど、知らなければ……人は何も選べません。」
白の壁が震え、粉が一斉に舞い上がる。
神々の声が重なり合う。
『それでも、知を持つことは傲慢だ。
人は祈り、我らは与える。
それが秩序だ。』
アークは拳を握った。
「ならば、俺はその秩序を変える。
学びは与えられるものではない――掴むものだ。」
次の瞬間、洞窟の天井が音を立てて崩れた。
眩い光が差し込み、白の壁が裂ける。
壁の亀裂から溢れた粉が空中で渦を巻いた。
それは白く輝きながら、やがて静かに地に降り注ぐ。
アークはそれを掌で受け止めた。
光は温かく、柔らかく、そして確かに“生きていた”。
「……チョーク?」
口にした瞬間、神々の声が遠ざかる。
壁の輝きが消え、ただ風の音だけが残った。
洞窟の外では、逃げ出した子どもたちが空を見上げていた。
白い粉が光の雨のように降り注いでいる。
そのひと粒ひと粒が、手のひらで淡く光る。
「これ……先生の言葉?」
「ううん……先生の“授業”だよ。」
キヤの言葉に、アークは微笑んだ。
掌の上で光が溶ける。
それが世界のどこかへ、誰かの胸の奥へ、
“学びの種”として届くことを祈りながら。
「神々の授業は終わった。
次は――人の授業の番だ。」
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