第3話 寝違えたらしい
アイダは「珍しい夢を見るものだな」と呑気に考えながら、天界から落ちていた。
はるか昔、雲より高い場所から下界を見下ろす仕事をしていた時。
その時に何度か見た程度の、こういう落下する夢は大抵が突拍子もない出来事がおき、それに突っ込みを入れるところで目を覚ましたものだ。
「おわぁあ。すごく綺麗だ。たまには下界をのぞくのもいいかもしれないねえ」
眼前にどこまでも広がる朝と夜の境界。
紫煙たなびく視界の先から、ぼうっ、と淡い光がこぼれだし、楽園にも引けを取らない美しさが世界を照らす。
「なんだかすごく胸が軽い。冷たい空気が美味しくて心地いいなー」
珍しく。本当に珍しく普段はくるまっているだけの翼を広げてみる。
久々の感覚で浮かぶことはできないが、風をより多くの身で受けたアイダは、静謐な空気が体の芯に染み込むような感覚を全身で堪能する。
「あれ、あれれ?これはもしかして...夢じゃない?
...まあいいか。バレないように降りたって、また静かに上に帰れば」
呑気なことを口走り、そういえば試したことがなかったな。風に乗って寝ころんでみた。
「ほおおぉ。これはまた、なかなかに心地よくって...綺麗な景色を見ながら微睡むのも、幸せだねー」
それを最後に、またアイダは眠る体制にはいる。
しかしその姿は普段のミノムシのような格好ではなく。2枚の翼を大きく広げ、天から光とともに落ちていく神々しいものだった。
「貴方が私の契約対象なのですか!なんとまあ、愛らしい。。。」
震える声で、眠りから目覚めたアイダ。
多くの人間が遠巻きに彼を眺める中、一人だけアイダの目の前にいた少女が手を差し出しす。
「私の名前はマリア。貴方はなんというお名前なのですか?」
「んんんぅ???」
どうやら自分は決定的に寝違えてしまった。とようやくアイダが気づいた瞬間であった。
〜〜〜〜〜〜
ぶるぅ ぶるぅん
何かすごい生暖かい空気を感じる、と思いアイダはゆっくりと目を覚ました。
「おわぁー」
のんびりとした声をあげ、ゆっくりと身を引くアイダ。
今さっきまで寝ていた場所をすっかり忘れていた彼は重力に逆らうことなく、木のベンチから滑り落ちた。
「ふふんふ」
大丈夫か、と言わんばかりに回り込んできた下半身が魚の尾になっている馬が、アイダの顔を舐める。
「んふふ。大丈夫だよぉ。ちょっと驚いただけ。久しぶり...だよね?カンムリ」
「ふるる」
カッ カ
カンムリなりの挨拶として鼻先をちょん、とアイダの胸元に押付け、「早く座り直せ」と言わんばかりに足音を鳴らす。
「よっこいしょ。それで、今日はどうしたんだい?んあー。ごめんね、まだちょっと眠くってねえ。」
カンムリは下半身の尾をパシパシと叩きつけ一枚の鱗を差し出す。
「ああ、もうそんな時期だっけか。うん、今回は頑張って起きてみて、参加するよぉ。毎回休んでばかりじゃあ、レイメナス君に悪いもんねー」
鱗にはもう少しすると、恒例の演奏会が行われることが描かれていた。
七色に輝き、視覚にまで影響を及ぼすことで有名な演奏会に毎度毎度アイダは呼ばれていたが、大抵寝ていて(ごく稀に働いていて)行くことが出来ないまま、何年も立っていた。
「あの演奏の後っていい夢見られるんだよねぇ」と、今回こそは頑張って起きる決意に満ち溢れていた。
いつものんびりとしているアイダから謎の光が出ているのをみたカンムリは嫌な予感に包まれた。
「レイナメス様に報告しておさかなきゃ。」
と鱗に記録をしておき、アイダに突進を敢行。
「ぉぉー、相変わらずいい毛並みですなぁ」
カンムリが歩いて来るのを受け止め、首元の最もやわらかそうな金色の毛を弄ぶ。
これでケープを作ったらさぞ気持ちいぞ、と考えながら目線を合わせると、「これはやらん」と視線で返されるアイダ。
そのまま満足いくまで三つ編みを編まれたカンムリは上機嫌で空中をスイスイ、カカカと駆けていった。
「なんだか変なタイミングで起きちゃったからちょっと変な気分だあ。今日は別のところで寝ようかな」
よっこらしょと立ち上がった彼は、蔓を伸ばしている黄金の山葡萄をひと房つかみ、口に含みながら次の寝床に向かうのであった。
「今日はみんなによく会うなぁ。いったいどうしたんだいイェルスラグダ。君も普段は下で寝てるんだろ?」
深い森に囲まれた淡く輝く沼の湖面から、見知った顔が伸びてきたのでアイダはとても驚いた。
イェルスラグダ。
自力で地上から天界まで登ってきたとても大きな蛇で、初めて見かけた時はさすがのアイダも目が覚めた。
以降たまに遊びに来ていたが、それもパタリと無くなったので飽きたのかな、とかんがえていたが、当のイェスルラグダはちょっぴり遠出していただけだった。
そんな遠出も終わったので久々に天界まで上がってきたら、目的のアイダが珍しく木のベンチの上で寝ていなかったのでこうして探していたのだ。
「そうかそうか。それで真紅の海なんてものは本当にあったのかい?ああ、大きな水溜まりだったんだ」
真紅に染まるという海を物珍しさから探していたようだが、近界にはなく、100個ほど先の世界まで体を伸ばしていたらしい。
そレを聞いて、「たしかにそんなに先立ったら僕はあんまり知らないなぁ」と思うぐうたら天使。
本来なら知っていなければ行けない。
「そうだ。ちょうどいい所で出会った。ここからもう少し行った所に、綺麗なお月様が浮かんでる小川があるからさ。ひと咥え連れてってくれないかい?僕の足じゃあ遠くて遠くて。たどり着く前に寝ちゃいそうだよお」
イェルスラグダは小さな友人のこのいっそ溶けてしまいそうな雰囲気が気に入っていたので、ひとつ手を貸してやるか、と承諾。
頭の上に放り投げると、体をバネのようにしならせて、一瞬で物音立てず、アイダをゆらさずに目的地まで運んでやった。
「うぉお。すごいね。一瞬だね。やっぱり君のような速さがあると、すごく便利で羨ましいやあ」
半ば寝ている声音でイェルスラグダに感謝を伝えるとゆっくりと水に浸かっていく。
月の上まで行こうかと悩んだが、どうせ寝ている間に流されるのだし、と考えたアイダは今度こそ眠りについた。
イェルスラグダはアイダが眠りについたのを、じっと、眺めると体を綺麗に折りたたみだし、水底にスルスルと沈んで行った。
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