アフォリズム

オカザキコージ

第1話

アフォリズム

―そのプロセスの先を求めて―


 この周りが、スペースが、視界に入るモノどもが、限定されているにせよ、整うことがすべてと言われれば、そうかもしれなかった。この感じが、この状(情)況がなければ、この日常に向き合うことも、そこに棲まうことも、とうぜん漂うことも、もちろんたゆたうなんて思いもよらぬことだった。どう言えばいいのか、気持ちよく汗をかいた後の爽快感とまではいかなくても、ちょっとした抜け感というか、実際は何も変わっていないのに…。清明な、透徹した、というような全き感というのでも、完(まったい)感でもなく、あいまいでぼやけているのに、内側も外側もしっくり来るというか。

 刻一刻と変化して、というより徐々に退化していくだけで、もちろん細胞レベルで、とくに脳髄の、そこから神経系へ、肉塊の劣化はもちろんのこと、精神に関わるものすべてが下降線をたどっていく、そういうデイリーの、当たり前の宿命を前にして。有機的なプロセスの、生理的な自覚はもとより、心細さや居たたまれなさ、割り切れなさ、いわゆる不安感とか、不条理とか、文学的なモチーフになりそうな、日常生活では役に立てそうにない、余計なモノどもコトどもがそこいらに漂うだけで。

 このままではフェードアウトも近いと、終息と言わぬまでも、収束というか、隅の方へ縮み込み、固化していくような、そういうなんというか、減退を伴う集約、いや凝縮? どういうものなのか、と。心身ともに機能不全に堕ち込んでしまう、そんな分かりやすい表現に収まらない、複雑怪奇というにはちょっと的外れの、重層的というか、相乗的というか。ソリッドと思いきやバリエテというより、たんにバラバラになっていくだけで、纏まりがつかなくなって、元に戻しようがなくチリチリに、それでいて柔軟で御しやすくってこともなく、ただ底へ沈むばかりで、どんよりと鈍く、微妙に漂い揺れ動いている、そんな感じで。

 錨を下ろすように滞留するのではなく、いつ引き上げられても構わないと、かといってひと時の、一時しのぎというほどの、たんなる一過程というのでもなく、よく見ると打ち震えているというか。ちょうどプロセスの中ほどで、揺籃している、ふわふわとわずかに、感じないほどに、微妙に上下動して、もちろん左右にも、両サイドから守られることもなく。まさかそこで、栄養を摂ろうとか、なにかゲインしようなんて、そんな浅ましい、不埒な考えを払拭して、ただ少しの手応えを、取るに足らない感触を、この手に、いや包まれようと、ただ。

 どうしても勘違いしがちで、広がるビューに、この視界の果てにとか、だから心身の重なりを、たとえ幻影であっても、とりあえずスタビリティを、少しの弛緩を求めて、たゆたっていければ。ずっと続くことに、シークエンスの果てしない、心細くも進むプロセスに、じっと身構えるのも、いまさらながらに、かろうじて定められたベクトルに従うしか、そこでディスティニーを感じて? けど、デイリーから離れているわけでも、神経症を患っているのでもなく、内と外の関係が、二項の間柄がしっくりと、ただたんに上手くいってくれさえすれば。

 いずれ乖離していくのが、離ればなれになって、互いに振り返らず、ことを収めようとするのが、目に見えて煩わしく、軽い嘔吐感を隠せずに、あらためて独りになって、細々したことに、日常に沈み込んで。カチッと嵌まるのでなく、だいたい合わさる程度で、ときにふわっと離れても、すぐに引き寄せられて、付かず離れずに、微妙にけん制し合って、元のところへ戻れなくても。マグネットのSとS、NとNが弾き合うように、けっしてSとNの組み合わせでなく、互いにテリトリーを守って、つながりと言わずとも、程よい距離を保って、ちょっとした関係性を。

 それなら今の子と変わらず、とにかくタイトで、それこそ緊縛するような、もっと言えば粘膜系の、もう何でもありの結合を、回避したいのと同じように。遺伝子を残そうと、それも愛を介して? そんな不気味で尊大なこと、吐き気がするほどに、ただ気持ち悪くて、このプロセスを断つには。でも、どこかに残余が、余白に、境目で、影響を及ぼすどころか、アンコントロールの、モンスターと化して手の施しようがなく、あの世から眺めるしか…。しっかり環を閉じて、充足したプロセスを、できるだけ継ぎ目がないように、無限軌道に乗れるのなら。

 この歳になっても、いやこの歳だから、薄めていくのが、離れていくというより、解かれ放たれていく、そういうところに、浮かび漂うならば。しだいに融けて極小化していく、無には程遠くて限りなくゼロへ近づく、限界値へ収束する、接線すれすれのところで、なんとか生きていくには。たとえ往生際が悪くても、多少ジタバタしても、ご愛敬と受け止めてくれないかと、照れ隠しに引きつった薄ら笑いを、気持ち悪がられても、そのぐらいの図太さを持って。とにかくレベルに、その場、隔たりを保とうと、下降でも上向でもなく、コンサーバティブにキープできれば、なんとか取り繕いができそうで。

 とにかく感じないように、こうなれば不感症にでも、たとえ表情をなくしたとしても、強いる日常から、デイリーの宿痾から、逃れ離れて。だから、風下へ入らないように、どうにかプロテクトするも、表面をざらりと、表層をかすめるように、すっぽり覆い被さって。身動きできないよう、羽交い絞めまでいかなくても、なかなか抜け出せなくて、穏やかにその意志を挫く、強力な何ものかに対峙する術もなく。でも、受け入れ従うしか、けっきょく時と隔たりの、移り変わりに、その流れに身を任せて、多少自由が利いたとしても。いまさら運命とか、偶然とか、神の配剤とか、そういう掴みどころのない、それこそノンバディに言い含められたとしても。

 しだいに振り幅が小さくなって、いずれ停止するに、ゼロに近づくのを、命が途絶えるように、静かに待つしか、劣化した表層に恃んで。内心の行き場に、ただ右往左往して、もろとも引っ付いて行ければと、取り残されないよう外殻の動きに注視して。いまさら足掻いてみたところで、その距離を詰めきれなくて、どうしても一定の間隔を、どちらからというのでもなく、重なり合うには力不足で。近似値を計ろうにも、ゼロに成らないなら、自暴自棄にならないまでも、諦め顔で身体も心も持て余して。こうなれば慣性の法則に、日常のぬかるみに、もうどうにでもなれと、投げやりに弛めていくしか。

 アンコントロールだからと、アンタッチャブルに逃げるのも、すっと受け入れて、何ごともなかったように、日常を埋めていく、卑怯とか醜悪とか言わないまでも。たんに居心地が悪い程度なら、内側に、心の内に、少なくとも底の方へ、溜まるものがないならば、少しは身軽に、足をバタつかせるほどでなく。とぼけた仕草でお茶を濁すのも、一つの手に違いないと、無理に内側へ、表層に上らないのをいいことに、押し込んだままで、知らぬふりをして。それで気が持ち直すわけでも、レベルが引き上げようとか、まさかプロセスを前へもって行こうなんて、思ってもいないけど。

 ひとところにぐずぐずして、スローテンポでコトが動きそうになくても、積み重ねに、蓄積に期待できなくとも、価値に引き戻されず、日常に差し込まれずにいるには。あれやこれやと外から、デイリーに名を代えて、タイプを、既成を、凡庸を促して、強制(矯正)しようとするのに。カタチにそぐわなくて、変幻自在というのでもなくて、ただ流れていくだけの、少しの可能性というか、気慰めを、ずれを、違和感の心地よさを享受して、うち震わせ流動化させるのを。たとえ生み出せなくても、無軌道で意味がなくても、後ろ向きに減じるものでさえ、わざわざ掬い取るように、わが身わが心の内に広げて。

 外へ繋がる、抜け出せるルートを、はなから避けて、けっきょく諦めて、嫌悪することになるのも、仕方なく思うしか。ただ勝手に充足して、この内部で完結するのも、しぜん円環のまわりを、でなければ、底辺を這うように、たとえ埒が明かなくとも、そこで漂うしか。どこかにずれが、隔たりが、それこそ小さな穴のような、出口があるかもと、少し期待するのも、凡庸さの証しと、じっとり汗をかくしか。それも気晴らしになるからと、一時しのぎの振る舞いに、納得というより諦めの、ここも表情を変えずに受け流して、何を待つのでもなく、ただぶらりと、おのれに向き合うしか。

                   ◆

 今朝はめずらしく二度寝でぐっすり、少しばかり気分がよくて、起き上がるのにそれほど力がいらなかった。でも、たいして意味のないルーティンに、この日常を預けるのかと、どこか気分が下がってしまって。そんな感じだから重たくて、倦怠感というのだろうけど、いつもの感じが襲ってきた。だからと言って、心まで持って行かれないように、ベッドの縁に座りながら、じっと身体を固くして、逃れようとするものを、懸命に抑え込もうとして。いつまで経っても、それがどういうものか、なぜ離れていくのか、はっきり分からず、けっきょく袋小路に陥らざるを得なかった。

 まずは窓を開けようと、いくら異界と並走したところで、日常に沿わぬかぎり、やっていけないのだから、濁った空気を、鬱屈した気分を吐き出そうとした。視界から入る、この空間が、隔たりが刻々と、流れる時間を前にして、開けていくのを、ソファに身を沈めて、ただぼんやりと眺めて。頭が動き出すのを待って、その猶予に心も委ねて、でもすっと入って来るものがなくて、できるだけ緩い感じを保ちながら、とにかく、周りのモノどもコトどもに馴染んでいこうとした。ぐっと姿勢をかがめて、だからと言って頭を下げ過ぎないように、心身を制御しようと試みるも、うまくいった試しはなく、ただ、ずれを修正しようと心をくだくだけで…

 ポットが沸くのを合図に、性懲りもなくすっくと立ち上がり、急須の煎茶を大きめの湯飲みに、ゆっくり注ぎ込んだ。うまくカフェインが効かなくても、でも気のせいかホッとして、刺激がほしいわけでもないのに、べつにこうした感じから始める必要も。やっぱり助走がいるってことで、なにを行うのでも、たいした考えも浮かばず、ただゆったりと身体をのばした。いつ途切れるかもと、とりあえず続くのかと、せめてシークエンスでなければいいと、ソファから腰を浮かせて。

 少しは手触り感のあるものを、心身へ滋養を与えなくとも、何かを進めるような、少なくとも潜在して来るものを、ぐっと引き寄せて。やにわに包丁を取り出し、半日先の夕飯の支度を、流し台の前で少し踏ん張って、目の前の玉ねぎを刻んだ。主菜づくりはさておいて、添える野菜とか、副菜のおひたしを、パックから納豆を、みそ汁の具を、どうにかカタチにしようと。時間つぶしのつもりも、強いられているのでもないのに、ただ家事として、ルーティンの一つに引き上げて、日常を寿いだ。勘違いとも、ごまかしかもと、ゆるいひとときを、とにかくレベルまで引き戻そうと、すくなくとも保つのに躍起だった。

 一応プロセスの中に、役に立つ、多少とも益になる、喜んでくれるかは別にして、モノどもコトどもを入れ込むことで、少しでもデイリーに馴染ませようとした。まあ心地よい、その印象を、余韻を、インターバルで感じ取り、気を紛らわして、生き繋いでいくことの意味を、しっかりこの身に沿わせられれば…。フィットすることの、しっくりいくように、ふわっと覆われるこの感じを、この時とばかりに、取り逃さぬよう力を込めた。固まりきれない、カタチになる寸前の、流麗な姿態に、肩透かしを食わされようと、流れに掉ささず、フィットさせようと、できればそのカケラでも摂り込めればと思った。

 すぐに洗いものを、皿を重ねて流し台へ、散らかったままが嫌なだけで、次から次へと流れ作業で、すみやかにコトを収めようとした。これでどのぐらい、時が経て、隔たりが守られ、プロセスが充たされるのか…。計り知れないのをいいことに、それほどでもないのに、少し上がった感じが、べつに納得しなくても、違和感さえなければ、と。そのまま受け入れて、多少のズレとか、はみ出しなんて気にせずに、ただここから下がらないよう、はっきり歯止めをかけるのでも、なんとか持ちこたえようと、周りのモノどもコトどもを慈しむ、それがせいぜいのところだった。

 生理的に満たされるよりも、やるせなさというか、ぼんやりとした不安を生じさせないよう、どこかへ逃れさせようと、充填したばかりのエネルギーを、さっそくそこへ注ぎ込んだ。消化することに、血を巡らせて身体の隅々まで、脳髄をそちらへ逸らして、要らぬ考えが、余計な思いが、浮かばぬようきつく目をつむって。内側でふわっと漂うものを、奥底からふらっと立ち昇るものを、引き上げて、そこへ委ねようと、トレースなんて思いも及ばず、ただ襞に沿って均そうとした。その程度のところに、心身を任せるのが関の山というか、諦めとともに心地よさを、余儀ないプロセスを、ただ延ばしていくだけで。

 このあと、どう行けば、どこに寄り添えば、なにを生きればと、部屋の隅にうずくまって、壁の二辺へ身体を傾けても、どうにもならないことぐらい、じゅうぶん分かっていた。いまさらジタバタしたところで、だからと言って、落ち着きはらって事もなげにってこともなく、とにかくレベルを保とうと、日常にそってそこにたたずむしか、無表情にそれを受け入れるしか。一筋の明かりが、アリの一穴を、でなくても、ネズミがこじ開けたような、みっともない亀裂であっても、すこしの可能性が感じられれば。取るに足らないサブジェクトでもすくい取り、おぼろげなベクトルに沿わそうと腐心した。

 いちがいに雰囲気といっても、視界から入る、表層に過ぎないオブジェクトを、あいまいで多少ゆがんでいようとも、たとえば色相や光彩、それこそ反射による波長を、いちいち気にするわけもなく、ただ映るものに。窓から射してくる、やわらかな日差しを、細かいほこりが浮かび上がる、穏やかな気流を、ざらっとした不安が高まる、きらめく微塵を、性懲りもなく内側に漂う、はかない流心を、ともども感じ取ろうと。このまま時が移り変わり、隔たりのズレが収まるならば、もしかして重なり合うかもと、窓際をかすめる、流麗で清らかなものに、相乗しようとした。

 一日のどこかで、ほんの些細な過程であっても、多少ともこの内側を満たす、モノどもコトどもを養い育てる、そんな詮無い努力であっても、続けるべきであったと。このプロセスから逃れられないのだから、はみ出そうにも、そもそも方法が見つからないし、そういう意識も働かなかった。けっきょく落ち着くところに、必然と言わないまでも、足掻いてみたところで、どうにもならないと分かっているつもりでも、どこか諦めがつかないところがあって。ここは肯定的に、それがナチュラル、自然な道行きなのだと、窓際から離れて、脚に力を入れて、ただ意識の上のことかもしれないけど。とにかく日常へ戻ろうと、その境目が、次元の違いがわからないままに、ソファーのある部屋へトランスポートした。

 この程度でハウスワークを終えようと、ダイニングテーブルの上に、パソコンを取り出して、ばらつく心身を、映し出さずとも、相乗させて、拙いドキュメントを上書きして。遅々として進まないのをいいことに、とりとめのない別のことを、時間つぶしのつもりもなく、ただ頭にめぐらすだけだった。生産的には程遠い、情緒作業といっても、プロセスをくぐるわけだから、少なくともトレースぐらい、自己顕示じゃなくて、微かな足跡らしきものを残す、そんな具合や様子で。文字を、語をつないでいく、慣習に従って、一定のルールのもとでテクストを編んでいく、センテンスごとに、フレーズを起こして、ここも性懲りもなく、意味を付与していった。

 ほんとだいぶ前から、その枠の中に、桎梏と言わないまでも、凌辱されたわけでもないのに、真綿にくるまれて、飼いならされて、気づくと表情をなくしていた。魂の、精神の、ガイストの多くの部分をもっていかれて、残されたもので、もちろんエッセンスでなく、澱のようなドロッとしたもので、やっていけるなら。肩の力が抜けて、いい按配と言い聞かせる、そこへ戻っていく、べつに甘い蜜を求めて、とか、ましてや益になるような凡俗さを、ただ遠ざけようと、それだけだった。けっきょく、どっちつかずの、行ったり来たりで、ふたつのあいだを、優柔不断にあきらめ悪く、保留にうつつを抜かし、プロセス優先とうそぶくほかなかった。

 うまくコンセントレートできなくて、脳髄から神経系へ、血液の力を借りて、筋肉を機能的に、心身を合致させようと、ただコトを運びたくて、限られた表層を、陳腐な画面を凝視していた。降りて来ないかと、身体を固くしたからといって、この内心へ響くものを、引き寄せられようとは、ほんの少しも思えなくて、ただ得体が知れないものに振り回されているだけだった。この感覚を、ふわっとあいまいでも手触りを、できれば文字に起こせないかと、身もだえするほどに、細胞を稼働させて、テクストを編み上げようと…。言霊ってわけじゃないけど、ワードに、センテンスに気持ちを乗せて、下らぬドキュメントにならぬよう、身と心の重なりに、合わさりに注力した。

 たとえ出来が悪くても、広く共感を得られなくとも、少しでもエボリュートできればと、そこいらのバリューを置き去りにして、おざなりのレベルをものともせず、辛うじて程度の意味を与えた。あとはテクニカルの問題で、組み合わせの、構成の力だと、行きつく先はワードの配置、文字の並べ方に過ぎない、そう思考停止で割り切るしか、上りも下がりもしない、この感じでいくしかなかった。だからと言って、内側からしぜん、上がって来るものまで、払いのけようと、テキストにそっていくしか、だからプロセスをたどれなくて。

 これまで培ってきた、インサイドに保っていた、それこそ細胞に刻み込まれた、ぼんやりとカタチにならない、穏やかに螺旋状に上っていく、外環にそって流れる、そういったものに沿おうとして。掬い取ろうと両の手のひらで、こぼれ落ちるのを防ごうと、指先に力を入れても、ほとんどすり抜けて、ただ足元に溜まり手応えなく、引き離されるだけだった。身体の中で、きっと脳髄が差配している、脇に外れたモノどもコトどもを、懸命にかき集めようと、たとえ最大公約数にすぎなくても、せいぜい衛星のようであっても、ぐるぐる円環をめぐって。

 やはり纏まらないで、バラバラに伸びていく、放射線状に広がってくれればと、願いもかなわず、ただ不規則に拡散していくだけで、ベクトルを定めようにも術がなくて。だからニュアンスを残そうと、行間を匂わすように、文字通り語と語のあいだで、ろ過されない砂というか、塵のようなものを、俎上に乗せようと試みた。たとえつかみ得たとしても、内実が伴わないのなら、内側を満たすものでないなら、それこそ吸収されずに、外へ排出されるだけで。骨折り損になって、それでもつらつらと、意味から距離をとって、ぎこちなくとも、不整合をノマドしながら、未知の領域へ近づこうと、淡々とキーをたたいていった。

 クリアな脳髄を、スムーズな神経系を、どうにか鈍化させて、だからしぜん消化器系に恃んで、凝り固まった内心を、解きほぐそうとした。深く息を吸い込み、背筋をのばして、口触りのいいものを摂取して、自律神経の乱れを、これ以上崩れないよう、できれば修復できないか、と。糖質に脂質、肝心なタンパク質を、調整役のビタミン類も、バランスよく摂って、速やかに消化し、効率よく吸収して、程なく排出する、一連のサイクルがすべてだった。ことのほか甘いものを、たとえ血糖値が上がろうと、スクリーンの脇に置いて、指先の油分を気にしながら、エンターキーを押さえて、性懲りもなくセンテンスをつないでいった。

 有益なものを、必要な栄養素を、血液を通じて各臓器へ、無数の細胞の中へ、エッセンスを余すことなく、行き渡らせようとした。そこから先の、有機質から気化質というか、きほん脳髄から生じる、感覚とか思考とか感情とか、それらつかみどころのない、精神なのか心なのか、けっきょく正体のわからないモノどもコトどもに、相変わらず振り回されて。ニコチンでごまかせないから、たとえ血液中のブドウ糖が増えようと、その程度のリスクならばと、小皿のチョコレートに指をのばし、テクストをつむいでいった。

 一時間もすると、集中力も萎えてきて、せっかく他所へ、異次元と言えないまでも、トランスポートしていたのに、またこちら側へ、いつの間にか、ふやけたデイリーに囲まれていた。こうなれば、元に戻そうにも、ふたたびあちら側へ、そう簡単にもっていけなくて、甘いものの力を借りても、指先を汚すだけで、ビヨンドのタイミングどころか、ただそこに滞留するしかなくて。此岸と彼岸の違いほどには、非連続なのかシークエンスに延びているのか、三途の川で右往左往するように、行ったり来たり、知らぬうちに相乗している、そんな感じでやっていくしか。

 しだいに日が傾くにつれて、ダイニングからリビングへ、サッシ越しの光彩も相まって、視界の落ち込みに居たたまれなく、ソファーへ心身を放り出した。音を引っ張り出して目をつむるも、流れる動画を眺めるにしても、たんに表層をなぞるだけで、そこにあらずと、しっくり来ないで。いつまでたっても、デイリーに馴染めなく、組んだ脚がしびれをきかせて、そこを合図に立ち上がり、慎重に身体を立て直そうとした。取りあえず、ベランダへ出て、両腕にランドリーを抱えて、早々とリビングへ戻り、なにをしようかと立ち止まって。取り入れた衣類を放っておいて、だからと言ってソファーに戻るのも、この時とばかりベッドメークを、寝室にいる仲間たちを前にして、ふとんを軽く持ち上げた。

 幼子もいないのに、枕元に、専用ラックに、絨毯の上に並ぶ、かわいい子たちに、なかには三十年近い付き合いの、やんちゃなのも、おとなしいのも、来たばかりで照れているのもいっしょに、内側で遊んだ。たとえこの身の反映であっても、ここぞとばかりに一心同体だと、はからずも心身の合一へ向かって、そうした幻影を抱いて、ひとときの戯れに高じるのも。ベッドの端に腰を下ろして、しばらくのあいだ、かれらの息吹を感じて、勝手に思いをめぐらせて、深く息を吸い込んで、広く心身に行き渡らせようと、少なくとも中枢を満たそうと、無数の襞へ沿わせていった。

 気がつくと一人の子が、いっしょに付いてきて、横にすわって、こっちを向いていた。ただ抱きかかえて来たにすぎないのに、だから見つめ返すも微笑みを浮かべるだけで、いつもと変わらず。イノーガニックであっても、いや有機物よりもずっと、しみ込んで来るというか、しっかり入ってきて癒してくれて。こうして並んでいると、同じように無機質に、ややこしい細胞とか組織とか、生理から、遠ざかって心地よかった。異次元で時空を共にして、漂っている感じが代えがたく、ただオーガニック・リレーションが苦手なだけで、かれとふたり、尊いプロセスの中に…。

 ファンタジーの世界だろうけど、ちゃんとコミュニケーションが、声にならない心の響きが、なにより表情がくみ取れるぐらいだから、幻影や幻想にしてはどうかと思った。関係性という意味で、そこに媒介するものが、第三者的にどうのこうのと言われる筋合いも、ただ二者間の通じ合いというか、そのあいだに生じる、象形とかじゃない、コトやモノじゃ表わせない、つかみどころのない、そういう感じで。しっかりとこの子が感じられて、たんに化繊の布と綿で出来ている、そんな無機物じゃなくて、だからと言ってカタチに、タマシイが宿るってわけでも、生理が芽生えるってこともないけれど、ぐっと、しっくり来るんだから…。

 ここにヒントが、プロセスの本筋というか、リレーションシップの本質かもしれない、もしかして真理があるのかもと、たとえファンタジーやイリュージョンの類であっても、信じるに足るものならば。でもそこまでと、それ以上は神の領域だと、今度こそリビングのソファーでただぼんやりと、心身をあずけてじっと、できれば何ものにもとらわれず、意味なくそこにいて。こうして時間を経るのも、隔たりが際立ってくるにしても、その過程に、流れにそって、デイリーライフをやっていくしか、心身がそれを求めていると、思い込もうとしていた。

 一日も後半へ入って、すっと前が拓けて来るかもと、淡い期待を抱くも、ベクトルが示されるほどに、分かれ広がってくれなくて。だからってわけじゃないけど、そろそろ栄養を摂取する頃合いと、キッチンへ入って冷蔵庫をのぞき込んだ。すべてはエネルギーに絡んで、ベースになるものだから、ただ底の方で蠢きただよっていても、いずれ心身の糧となるわけだから。きょうの主菜のために、チルド室の食材を確認して、できれば良質のたんぱく質を、糖分・塩分は控えめに、油は機能性のものに、ここは理屈っぽく構えて、流し台の前に立った。

 あとはできれば効率的に、野菜を切ってサラダに、茹でておひたしに、まずは副菜を二、三品こしらえて、ほかに加工食品を器に盛って、簡易にたんぱく質を付け加えた。ここぐらいはバランスに配慮して、身体を養うものだから、きっと精神にも響くだろうし、おろそかにできなくて。ボリュームを控えめに、カロリーオフとまでいかなくても、さじ加減に気を配って、それでいて満足感を得ようと、真摯に食材に向かった。日常を実感できる、数少ないプロセスとして、意義を問わずとも、ふつうにしぜんに流れる、心地よいビヘイビアーに、ただこの身を心をあずければよかった。

 やっと日が暮れて、だからしっかりカーテンを閉めて、でもスマホでラジオを流して、それでもソファーに沈んで、こうして時間を追いやるのもどうかと。寝るまでの二時間ほど、当たり前のように手持ち無沙汰になって、だから深く息を吸い込んで、ついでに背筋をのばして、腹式呼吸を繰り返し、軽いストレッチをした。この程度の負荷ならば、たいして家事と変わらない、おだやかな日常の範疇だと、退屈を紛らわすに過ぎなくても、わずかでも効くようならば。心拍数が上がるほどに、血液のほか体液の循環がなめらかに、自律系も含めて神経の起伏がなだらかに、思いのほかうまくめぐっていった。

 おだやかに消化していく、エクササイズも相まって、くまなくカラダに血液を行き渡らせる、組成を維持・構成する、滅していく細胞をよそに、生理に合わせる、そんな感じだった。ただ、神経のバランスを保つのに、内心のざわめきを抑えるには、たいして役に立たないと、エネルギーを摂取したところで。逆立つ神経を、ざらつく気分を、ぼんやりした不安感を、意味なく苛立つ心身を、どこへもって行けばいいのか、いつもその辺りに佇んでいた。

 ただ、この子がそばにいるから、内側へすっとぐっと、入り込んで来るので、じっさい昇華を促して心を養う、そんなふうにプロセスが充たされていくなら。無機物に過ぎない、ただカタチを成すだけの、いわゆる張りぼてに、こうした能力が、機能があるのかどうか。次元を異にする、パラレルワールドってわけじゃないけど、ボクとこの子だけの、そのあいだに漂う、キズナっていうか、引き合うものを、きっと尊かろうものを、とりあえず信じようと。コミュニケーションと言うには、希薄というか、濃淡の差が際立つ、いわば純化された関係性なのかもと、思った。

 この子を席に残して、流し台の前で、手荒れを気にせずに、次から次へと処理していく、無心とまでいかなくても、うまくデイリーを流していけた。夕食の余韻を引きずって、すっと時間に乗って、さっと隔たりに入り込み、癒しとまでいかなくとも、しぜん皿を洗って穏やかに、表情がゆるんでいって。こんなふうかもしれない、この感じを覚えておこうと、思わず蛇口を閉めて、心身をめぐる流れというか、血液循環じゃないけれど、広くカラダに染み渡っていくようなものを…。意識して日常に添おうと、デイリーにフィットするのも、この子とともに、そう、関係性を持ち込んで、苦手のはずがめずらしく、こうしてコンフォートしているのが不思議だった。

 あとは眠るだけでどうしようかと、そんなことよりこの子が横にいるから、例のプロセスへ入る前の、妙な不安も抑えられた。一日の総仕上げのつもりも、走馬灯のようにってわけにも、ただ軽く頭をめぐって、でもぐっと遡っていく感じだった。べつに過去と対峙しようとか、とりわけ今に生かそうなんて、そんな腹積もりはなく、逆にその波を抑え、追いやりたいぐらいで。過去へ引き戻すプロセスを、そこでたゆたうのを、恨めしく思うほどに、やはり違和感を、差異やずれを覚えてしまうのだから、このどっちつかずの感じに、性懲りもなく戸惑って…。

 こんな感じで一日を終えるのなら、まんざらでもないというか、たとえゲインとか、物質的に得るものがなくて、よしんばリセッションしても、元へ引き上げられずとも、しずかに奥底にただよえるなら。こうしているあいだも、エイジングしていく、一つひとつ細胞が死んでいくのだから、いまさらジタバタしても、ただみっともないだけで、しずかに構えようと努めた。そこへ向かうプロセスを慈しみ、かけがえのないものにまで、言うまでもなく自然の摂理で、心身の不具合も低減していく、そろそろ眠りの過程への、その日も寝室で終える、そういうデイリーの究極のカタチを受け入れるほかなかった。

 しだいに意識が薄れていくなかで、呼吸も心臓の刻みもおだやかに、このままプロセスを終えるのならともかく、まだ当分生かされるのだから、明日へ向かっていくしかなかった。この巡りあいを、円環をぐるぐると、果てなく日常を繰り返す、漸増も漸減もなく、レベルを保ちながら、すっとトランスポートしていく、あと腐れなく、何も残さずに。消えて無くなる前に、ただ有機質が滅びるのを待って、感覚とか意識、思考も、そう、情念や欲求まで、それこそ本能も含めて、もともと捉えられない未明なモノどもコトどもが、取って代わってプロセスのベースに、主旋律になるならば…

                 ◆

 夢想と言われようと、たんに可能性に過ぎなくても、何もかもが崩れ落ちた、大きな物語が終焉した、もうこれまでと諦めが来ないほうがおかしかった。事が事だけに、ちょっと難しいワードを羅列して、景色を変えてみたところで、しっくり来るはずもなく、混乱するばかりで。しぜんキーをたたく指がフリーズして、すべてが固まっていく、辛うじて流れていたものに、引導を渡すしか、ピリオドを打つほかに、もうだいぶ前から詰んでいた、そういう…。初心を失って凝り固まった、悪弊にまみれて機能不全に陥った、ストラクチャーというか、オーガニゼーション、そうシステム全般を恨んでみたところで、いまさらどうにもならなかった。

 たんに構造が腐りきって、理論と実践がそぐわないから、リアルに沿えず、けっきょく目を背けて、知らぬうちに浸蝕されていた、そんな有り様だった。好悪は別にして、これまで培ってきた、この身この心に巣くっている、たんに理論というより、外殻を、皮膚を透過して内核へ、一つひとつの襞へ染み入るように、入って来たモノどもコトどもを、慈しむべきと。だからセオリーが、それに従うプラクティスが、相対的に力を失くしたからと、敵対勢力にねじ伏せられたからといって、もう用済み、意味を失くしたかといえば…。捲土重来を期して、嵐が通りすぎるのを、潜みやり過ごす、姿勢を低くして俟つしかなかった。

 たんに情勢が変われば、長い時間軸で構えていれば、プロセスの先に、止むことのない流動が、あり得べき姿が、理想郷が現出するものと、いみじくも信じていた。もっとかみ砕いて、この状況を、心的な情況も、数限りない衛星のように、周りに沿わせれば、無限軌道を描いて、たとえぐるぐる円環をまわって、レベルを保つだけであっても。それらを引き寄せよう、少しでも距離を縮めよう、できれば関係性を築こうと、下手に出たところで、目の前でタガを外す、四方八方に拡散していく、そんな始末だとしても、ここはそのままにしておくしかなかった。

 これまで手応えのあった、内側へ入って来たものが、あのエポックをさかいに、情勢が変わってしまったと、すっとすり抜けていく、指からこぼれ落ちていく、どう足掻いてもって感じだった。もともとカタチに成りづらい、イズムという厄介なものを、しっかり手触り感のある科学とか、曖昧に情動で遊ぶ文学とか、それこそ人を惑わす宗教などと峻別し、ずれを修復して前へ進めていく、そうした可能性に賭けようと。ひとことにソーシャルサイエンスと言っても、そこにカテゴライズされても、その程度ではレボリューションに事足りず、あくまで一つのエレメントとして機能するに過ぎず、モメンタムを保てるはずもなかった。

 セオリーとプラクティスを並立させて、相乗的に浸潤するぐらいに、できれば重ね合わさるほどに、少しでもアチーブメントを得ようとするも、軋みやズレが増幅し気分が下がっていった。もともとそぐわない、対立しかねない二項を、引き合わせたのが不幸の始まりと、理論が高じて夢想へ、たんに現実をなぞるだけの実践に、けっきょく双曲線をたどるように、けっして交わることなく。うまく作用し合うわけも、端からうまくいくはずも、だからある程度の、最低限押さえておくべきことを、本筋から大きく離れなければ、融通無碍にやっていけると安易に構えていた。

 たんに乖離していくだけで、些末なモノや、軽薄なコトしか残らない、だからレジストする力も、対峙する思いも減じ衰え、けっか相手にやり込められて、打つ手がなかった。追いかけるも離れるばかりで、もともとそぐわないと思うぐらい、その状(情)況に引きずられて、いわゆる社会に取り込まれて、挙句の果てに去勢されてしまう始末だった。この機に及んで脚をバタつかせるのでも、すっかり意気消沈するのでもなく、ただ諦めが先にきて、身体が動かなくなってしまう、内心で感じるものが、一つひとつ消えっていく、円環をゆっくりまわって元に戻る、そんな感じで。

 日常の片隅に巣くっていれば、セオリーから、イデアルから離れてしまう、次から次へと迫ってくる、凡庸でシビアなモノどもコトどもに、対処するのに忙殺された。蓄えていた滋養分というか、これまで培ってきた、それとは異なるモノどもコトどもが、きれいさっぱり排されるわけもなく、けなげに底に漂って…。反り合う二項を近づけようと、そこが基本だろうと、手に負えないのは明々白々だけど、何もしないわけにもいかなくて。粛々とおのれに向き合って、内心の動きをたどり、外殻に沿わせようと、掬い上げる手立てを探ってみたところで、結果は同じようなものだった。

 とてつもなく大きな対象というか、捉えきれない状(情)況に対し、茫然と立ち尽くしかなくて、そこに包含されながら、だから逃れられない、ただやり過ごすしかなかった。桎梏が、矛盾が、諦念があるからと、たとえ些細な行き違いであっても、理論を盾に立ち向かえるほど、強靭な心身を備えているわけもなく。為すが儘に巻き込まれて、徐々に諦めの境地へ至っていく、セオリーといってもストーリーとか、通りいっぺんのプロセスに過ぎなかった。けっきょくプラクティスへ回収されて、ゆめまぼろしに終わってしまう、未来を照らすなんて絵空事と、どこかでわかっていたけど。

 このままデイリーに囚われて、その沼から脱せられず、あてなくラウンドするだけで、慣性に抗する手立てもなく、ただ漫然と流れる時と、纏わりつく隔たりに、心身をさらすほかなかった。そこに馴染んで、親しく居付いて、程よく醸成される、その生の過程にフィットしようと、内心もがいてみたところで、ずれや軋みを思い知らされて。いずれ感じなくなると、エイジングが進んで、ゆるやかに内側の襞に沿って、何となくしっくりして来る、そうした機会にたゆたえる度量というか、必要以上のモノどもコトどもを排して、感度を落として、何を得られるのか、と。

 この内側と外殻、イコール・デイリーとのバーサスに過ぎないと、そこにこだわっているかぎり、この沼から抜け出せない、客観情勢はそういうことと、ひも解けばけっこう単純な構図だった。対抗策も出て来るだろうと、安易に構えて出だしでつまずいてしまう、あらためて二項対立だと、やり易いのか、面倒なのか、いずれにしても奥底で足を取られて、身動きしづらくなって。意欲が失せるのも、対する構えに隙が出ても、内から外へ出られない、そんな始末だから、決まり事のように、襞に沿ってただよい、ズレとともにさまようしかなかった。

 そこに他者の、第三者の視点と一概に言うには、少し違う気がするけれど、そんなふうに関わらないと、取り入れないことには、プロセスが進まないように思えた。でも、うまく動けなくて、迎え入れる準備ができずに、とうぜん内心も付いて来なくて、ただ戸惑い下がっていく一方で。異物が入って来る、そう思うだけで拒絶反応が、表層にポツリと突起物が生じるものだから、しぜん身体に力が入ってしまう、そんな臆病風を吹かせていた。ここも一概に、排除の論理だと、思考停止するのも一考かもと、そうして免れようとしても、問題解決にはつながらないこと、わかっているはずなのに。

 いわゆる関係性という、リレーションシップのことわりに、こだわろうにも神経がそば立って、上がり方が違うというか、ベクトルが逆向きに内心へ向かっていった。両者を結び付けようにも、第三者を介在させようとしても、はね返されて、けっきょく触れることも、ましてや交わろうなんて、思いもよらなくて。だからソーシャビリティが足りないと、コミュニケーションが苦手という次元でなく、モノどもコトどもがことごとく、卑しくて醜くて、吐き気をもよおすほどに、嫌悪感を覚えて。だから、とりあえずディストラクションを、この時空間から一掃する、具体的な手段は別にして、結果を顧みずに、この身この心を差し出すべきだった。

 だからと言って、レジストしようにも、差異化して脱構築を試みたところで、徒党を組まなければ、細胞の一つになって、隊列の中で、足並み揃えて、行進しないことには、事が進まなかった。バラバラのままで、散逸して収容がつかない、ベクトルが多方面に延びていく、そんなふうにふらふらと、ほっつき歩くばかりで、ちゃんとプロセスに沿えなくて。リセッションとまではいかなくても、いまどこにいるのか、心細くなってどうにもこうにもって感じで、引き潮のように、ざざっと、じわっと、砂に染み入るように、後ろ髪を引かれるように、脚にまとわりつくのを。

 そうであっても猶予期間に、戯れるといったら言葉は悪いけど、そこで力を蓄えて、合一したときに備えて、けっかベクトルを変えるぐらいの、革新性というか、ずれや隔たりに端を発していようと、モメンタムを保ち続けられるのなら。凝り固まったモノどもを、すぐに固化してしまうコトどもを、清らかとまでいかなくても、自由に動けるよう流れをつくって、カオスも厭わず取り入れて、血肉にせねばならなかった。たとえはみ出しても、混乱が生じようとも、いや、そのぐらいじゃないと、旧弊にやり込まれるだけで、もちろんプロセスを差延するとか、ましてや充たそうなんて、どだい無理な話だった。

 たしか純化のメソッドとして、目くらましだと言われようが、気化を変態の一部として、けっきょくカタチに、塊になっても、その過程に意味があると、できればスパイラルに流動させようと試みた。外形的に、視覚の及ぶ範疇で、変化が見られなくとも、どこかで感じられるのなら、ほどよく蒸気に触るように、しっとり表層が潤って、少し馴染んでふやけた感じで、無から有へ、ではないにしても。変遷を俯瞰するつもりも、身近で観照するわけでも、やはり推移を、とりわけトランスポートを、もっと言えば飛躍を、できれば皮膜を破るように、すり抜けていくのを感じていたかった。

 細胞が増殖していくように、変異を伴いながら、ほとんど死にゆくなかで、DNAが受け継がれていく、言ってみれば、余りものとか、穏当でないけどカスとか、そんな類かもしれないのに。それこそ変態の一例で、連なる鎖のようにプロセスが形成される、螺旋状に積み重なっていく、ゆっくりと漸増している、とりわけ相乗していって、いずれ浸潤していくのを見守っていた。優性劣性をとやかく言う前に、結合による総合力というか、離れる前の、フィットしているからこその、押し合いへし合いの、けっきょくそこでのバランスに、乖離していくにしても、うまく収まっていく、そんな感じを。

 優勝劣敗が理(ことわり)で、とうぜん淘汰されるものと、選良というカタチで現れる、スマートな規格品に、のっぺらぼうの既製品に、任せられるほど、このプロセスはかんたんでないの、わかっていたけど。ただコンプレックスに、不定形の襞に沿っていくには、出来の悪い方が、粗雑に組み立てられた、何やらわからないほうがしっくり来るようで、もっと言えば役に立つ、有用であると。ベクトルの定められない、ほうぼうに延びていく、バラバラに散らかっていく、放射線状では捉えられない、まとまりの悪さ加減がプロセスに生きる、そういう充ち溢れる感じに、寄り添っていければよかった。

 いわば、こうした行儀の悪さというか、あっちこっちに迷惑かけながら、数々の襞をかすめていく、けっして後戻りせずに、プロセスを全うしようと努めた。面倒でも一つひとつ掬い上げて、識別する必要はないにしても、もとより関係性を持ち出すまでもなく、ましてや親しくなろうなんて、そう、文字通りかすめる程度で。常道を歩むのでなく、曲がりくねった道であっても、顔色一つ変えずに、淡々と内側をめぐって、機会をうかがい一気に浮上するぐらいでないと。最後に皮膜を突き破って、表層が、スキンが、センシティブに大気に触れて、抵抗に押し戻されながらも、おのれから離れ、日常を逃れていった。

 だからって目の前に、無限の可能性が広がるわけもなく、少しの引っかかりに、取捨選択は難しくとも、とりあえず当てずっぽうに、腕をのばしてつかみ取ろうとした。その手が空を切ろうと、手のひらに何も残らなくても、すっと身体が軽くなるのを、しっかり抱きしめて、広がり延びていくプロセスをたどっていった。ところどころで足を止めて、辺りを見回してみたところで、どこか注意を引かれる、何となく気配を感じてしまう、その程度のことで。そうした曖昧な、それでいてフレームワークが浮かび上がってくる、おぼろげながら姿を見せる、それが何かの前触れだとしたら…。

                   ◆

 たとえ一つのイデオロギーであっても、サイエンスを装った、まやかしであったとしても、多感な時期に、すっと表層を包み、ぐっと内心へ入って来るなら、どう足掻いてみたところで、終生囚われの身になって、後悔先に立たずに。よく血肉になるって、身に備わるって、それこそ心に沁み入るって言うけど、まさにそんな感じで、表面から叩いて落とそうにも、内側から搔き出そうとしても、奥底に溜まってどうしようもないって感じで。そのエネルギーを活かそうにも、グツグツとマグマのようにでないし、たいして応用が利きそうになく、ただ無駄に垂れ流して、揮発させてしまって、けっきょく役に立ちそうになく。

 そうであっても、まだ可能性が残っているかもしれない、このさきまったく使い道がないわけじゃないと、性懲りもなく言うつもりはないけど、微視的な変異を促す要素まで、ちょっとしたディファレンスに関わりそうなエレメントをも、無視して排除してしまうのはどうかと。捉えどころのない、不規則に拡散していく、ときに激しやすくも、ゲバルトまでいかずに、軽いカオスを生じさせるような、長く引きこもっている、出来の悪いモノどもコトどもであっても、それこそ前衛になるならば。気勢を削がれて、思わず動きを止める、そう、虚を突くって感じで、先制攻撃を仕掛ける、駆け引きが行われる前に、こちらのペースに引き込む、もともと五分五分であるわけないので。

 カタチを拒むつもりも、たんに流動化させればいいと、挙句の果てに気化させてってわけじゃないけど、ただそのプロセスに、一連の動きというか、トランスポートに、そこに生じるズレとか隔たりに、救いを求めようと。つねにウロウロと、地べたを這いつくばって、というのでもなく、ふわふわ漂う感じで、できればノマドのように、自由気ままに周遊する、見知らぬ地をめぐっていく、あてもなくただ。客体でも主体でもなく、イーブンに相乗するというか、まわりを巻き込んで馴染んでいく、関係性を結ぶまでもなく、双方の意思に関わらず、重なり合って、いずれ合一できるかも、と。

 理論と実践もそういう関係性で、もともと上手くいかないのを、どう抗っても並走するというか、けっきょく交わらないものを、十分承知の上でやっていく、そういう。セオリー通りにいかないのは、プラクティスに沿わないのも、とうぜんで仕方なく、それこそ世の習いと、すっとその場を通り過ぎて、後ろを振り返らずに。だから、両者を近づける努力とか、あいだに流れるモノどもコトどもを整えるとか、きょくりょく関係性を結ばないように、不規則にうごめく感じのままにしようと。それぞれエレメントを取り込んだり、手放したりして、無理なく沿うように、その状(情)況に合わせて、やり取りしていく、そんなふうに。

 たとえ、未来を照らしていようと、理想を追求したところで、よく言う現実がついて来なければ、このプロセスに、この身も心も乗せられない、何も掬い取らずに行くだけで。要は比率の問題かもと、割り切る必要はないけれど、絵空事にならないように、物理的に何も動かせないなら、ちょっとした場面転換も、変化を促すことすらできなくて。ある程度まとまりがついたとしも、一見したところ前と変わらず、少し動いたぐらいで大勢に影響がないなら、取り込まれても仕方のない、けっきょく同じ状(情)況に覆いつくされているのだから。

 サイエンスかどうは別にして、まず起動させる力を、どこからか引っ張り出して、セオリーのうちに乗せ、たとえ潜在しているだけであっても、いずれ浮かび上がって来るものと期待して。多少のカオスを経ても、当初は後ろ向きであっても、一時的に騒擾状態が生じたとしても、プロセスの果てが見通せるのなら、この状(情)況であっても。ゾンビのように邪悪な、なかなか打ち負かせない輩が徘徊するなか、そこいらじゅうに、地雷とまでいかなくても、落とし穴が隠されていそうだから。あくまで慎重にトランスポートしないと、軽快に跳び越えながら、うまくかわして、ただプロセスを充たすために、ちゃんと結果がついてくると思い込んで、それぐらいでない、と。

 リアルが事を動かす、たしかにそうだろうけど、そこに含まれるエレメントというか、構造化されたモノどもコトどもを、なかでも粘着質で動きの悪い、既得権益に浸かった奴らをどう処理するか、そこが肝の一つに。そううまくいかなければ、きれいに丸め込まれて、内側に整序よろしく並べられ、朝礼台に向かって演説を聞く羽目に、ただ無駄な時間が過ぎゆくだけで。ぐるりとゲバルトに、強制装置に囲まれているわけじゃないけれど、何となく手も足も出ない、そんな感じで妙にほほ笑みをたたえた、死んだ目の無機質な何ものかが、横にいるだけで。

 いっしょにいるだけで、徐々に浸蝕されていく、表層から内側へ向かって、デイリーをオブラートに包んで、人懐っこい笑顔を見せて、話しかけてくるのを。ここに馴染ませようと、あの手この手でアプローチして来るも、すぐに底が見えてしまって、一応ほほ笑み返すも、どうしても腰が引けてしまって。後ずさりするものなら、ぐっと腕をつかんで、こわもて顔で、噛みついて来そうな勢いで、ずかずかと土足で踏み入ってくる、こんなふうだから。だから隙を見つけて、うまくかわして、できれば距離をおいて、そう、きょくりょく関係性を生じさせないように、素っ気なく振る舞って、内心を固くして。

 しばらくのあいだ、雌伏のときと、ぐっと身体に力を入れて、見えない気流をはね返し、表層の微細なピットに、落ち込まないようガードを固めて、やり過ごそうと。おいしそうで、やさしい感じの、役に立ちそうな、思わず手が伸びてしまう、そうしたモノどもコトどもを並べて、さあ、と言われても。しぜん用心深く、生理的な反応にしたがって、けっして触れまい、すべてをはね返そうと、頑なに構えて、いっけん無駄なふうも、このプロセスに必要だから。ぐずぐずして、とにかくパスして、見過ごして、ただ時を稼いで、気に留めずにフローしていく、じっと通り過ぎるのを待って。

 様子をうかがっているあいだも、内側の襞を養って組成を高めようと、筋線維とともに神経系統も、できれば良質に保ちながら、来るべきときのために、即戦力になるように、ただ備えるだけでも。熟成とか、成就とか、べつに充ち広げなくても、ポテンシャルでありさえすれば、表皮を破って殻を割るように、顕われるときのために力を蓄える、そう、可能性にかけるのを厭わずに。奥底にちょろちょろ流れている程度でも、たとえ大きな波を引き起こさなくとも、一筋ひとすじある方向へ、ベクトルらしきものが現れるのなら、一つひとつ水滴を数えるように、でなくとも。

 しばらくのあいだ、顕在化しなくても、プロセスが一時的に滞ろうが、揺るがず構えて、いわば軟禁されているこの身を、慈しむぐらいでないと。これを機会に、おのれと向き合って、内側に沈むモノどもコトどもと対話する、近すぎないか、隔たりを感じて、一つひとつの関係性というか、距離をはかって。イレギュラーに跳ね回ろうが、ときにフラクタルでさえも、できれば鷹揚に見守るように、だからと言って整序しようとか、番号をつけようなんて、思いもおよばず。解き放して、好き勝手にさせて、行き過ぎたとしても、咎めるのでなく、そのままに、それこそ褒め称えるぐらいで、あえて図に乗らせるように。

 跳躍とか、飛躍では収まらない、不可解で不規則な動きに、嫌がらず呼応して、モメンタムを削がずに、自由に漂わせる、突然変異とまで行かなくても、そういうトランスポートを手助けして。シークエンスにセオリーを、めげずに繰り返し実践を、一連のプロセスのなかで、しっかりこの身に、その心に沿わせて、ズレとか隔たりも引き入れ、相乗させて、らせん状に上っていく、そういう…。円環をぐるぐる回るのも、増減なくただ推移していくのも悪くないけど、はみ出したり、遠回りしても、何度も前を通り過ぎて、僅かに徐々に上っていく、そんな感じで。

 イメージはそのぐらいに、セオリーとプラクティスの、そのラティオというより、程よいリレーションシップというか、いずれにしても、ピッタリ合わさらないのだから、ズレとか隔たりに焦点が当たるのも、仕方なくて。それぞれほどほどにってことかもしれないけど、あくまで理論主導にプロセスをアレンジして、いわゆる未来を照らす、理想を追求する、多少の犠牲はあっても、現実は残酷であろうと、戦場の司令官のごとく、厳格でシビアに。実践にそぐわないのを前提に、その時その場で、すり合わせる努力を、できるだけ近づけるのを、厭わずにやっていく、その心構えと振る舞いが、哀しくも尊くて。

 最後の最後まで、というより、シークエンスに続くプロセスのなかで、ジタバタしながらもどこか冷静に、目の前を、まわりを充たそうと、微力を承知のうえで、動くしかなく。けっきょくコンティニューがポイントになって、困難なビヘイビアーであっても、地味にこなしていくほか、根気よく付き合っていくしか、現実はそういう、手ごわいもので。リアルが先なのか、イデアルがずっと彼方にあるせいか、互いに相手へたどり着けない、シーソーゲームではないけれど、行ったり来たりの、合わさりそうで物足りなく、突き放されて寂しくなって、もうそのあいだにいるだけで。

 塁を盗もうとリードを大きく、けん制に怯むことなく、プロセスを累乗するように、次の一歩を、はるか遠くの目標へ向けて、踏み出そうにも、往々に躓き絡み合って。たとえタイミングよくスタートを切っても、寸前で減速してしまうのがこれまでの、習わしというか、落ち着きどころじゃないけど、けっきょく塁間に挟まれて、得意の苦笑いで。背中にタッチされて、一応ぼうぜんと立ち尽くす、ゆっくりした足取りでダッグアウト裏へ、のどの渇きをそのままに、固いスツールに腰を下ろして。汗が乾かぬうちに、この内側を後にして、舞台から降りる、そうすることで…。

 サークルの呪縛から、円環の心地よさから、解き放たれて、塁上で追われたり、ホームへ返るつもりもなく、ただ抜け出して外れるだけの、とりあえずプロセスをなぞろうとして。放り出されたあとの、ほうぼうへ乱れ飛ぶ、不連続のベクトルを、捉えようとせずに、この身に、この心に取り込もうと、できればしみ込んでくるような、きっちり嵌まる感じで。不格好でそれぞれ異なる、不定形のでこぼこを均すように、少し強引に引き寄せる、多少のずれや隔たりを気にせずに、できればしっくりいくのを、大きく腕を広げて。しぜんふわりと、地面から離れて、内側から引っ張られるように、しだいに昇っていく、そんな感じが…。

 死を引き入れる、という感じでもなく、生を彼方へ置く、のとも違って、それこそ循環とか、サイクルとか、そういう感じでもなくて、琴線が張り巡らされて、端緒と終極を行ったり来たりする、そんな様子で。二点間にとどまらず、先端をかすめるように、多極を経巡っていく、ここで関係性を、望むと望まざるにかかわりなく、そのネットワークに、匿名性を条件に囚われ安堵して。こだわらずに幅広く、希釈して純度を保って、粘りを排してさらっと、たとえ触感がなくとも、交わっている感じで、コミュニケーションというほどでもなく、いわば意識し合うっていう…。

 というより、交信しているような、言葉がなくても、妙な手ぶりも必要なく、対象物の、有機体の、相手のニュアンスを、言わんとするところがわからずとも、何となく感じて。表情を読み取るとか、素振りに引き付けてって感じでも、もちろん当てずっぽうでもなくて、使い古されているけど、ピンと来る、というか、ふつうに直感的に、ダイレクトに感じる、そういう。内側の襞に触る、それも物理的な触感でなくて、かすめるぐらいの、気のせい程度の、何らかの気体がやさしく、そう、サジェスチョンに近い感じの、だけど包み込む感じで。

 臨場に際して、キャッチする能力が、あいだに漂う、それこそ示唆程度のモノどもコトどもを、どう捉えて咀嚼するか、気が進まなくても、ここは意味のようなものを付与して。手探りでやっていくしか、これまで培ってきた、心身に備わる、それらを総動員して、けっきょく取捨選択し、たんに気が合うとか、うまくやっていけるかもと、ただマッチングを期して。うごめく細胞どうしで、くっ付いたり離れたり、俯瞰すると一つのカタチに、グラデーションよろしく薄まったり、あとかた残さずってことに、逃げ足早く追うこともなく、ただプロセスにしたがって。

 べつに分けなくても、互いに浸蝕し合って、あいまいな感じで、どっちでもよくて、まさに過程のなかにいるのだから、へんにジタバタしても。安易に自己肯定しているわけでも、現状に愛想つかしているのでもなくて、ただ違和感を覚えずに、それこそ大した負荷もなく、ちょうどいい、しっくり来る感じでありさえすれば。どうしても理論を優先しがちで、けっきょく実践にそぐわなく、こうして話が終わらない、プロセスが充たされない、無意味に進んでいくしかなくて。身体と心を別々に、乖離する必要もないのに、整理するために、言葉で表すしかないので、不要なものまで添加して、プロセスに乗せるから、不自然に心身が固まって、デッドラインをウロウロと。

                   ◆

 これまで培ってきた思想というか、その考え方が稚拙で猿真似にすぎなくても、内側へぐっと引き寄せて、一つひとつ襞をかすめるように、じんわり浸透していった、モノどもコトどもならば、その扱いについて。できるだけ現実に近づけよう、うまく当て嵌めようと、でも悪戦苦闘のまえに、いつものように怯んでしまって、もういいかって、場当たり的になって、とにかく終わらせようと。そこは面倒でも嫌でも、たんじゅんに粘り腰で、コアを守りながらも、表層に近いところは削って、ある程度の修正を厭わずに、まあ、バランスよくやっていくしか、処世術にはちがいないけど。

 一口にイデオロギーと言っても、社会集団や社会的立場を反映するとは限らず、たしかに思想や行動、生活の仕方を根底的に制約しているけれど、そこが厄介なところで、へんに自縄自縛にならないように、未来を照らして。たいして根拠もなく理想を掲げるってのも、真っ当かもしれないけど、なかなかプロセスに乗らなくて、それどころか方々に散らかって、元に戻そうにも、あとは祭りってことで。こだわりすぎて本道を見失うっていう、よくあることがこのケースにも、だからと言って、ただ言いなりになって、リアルに流されるだけで、スポルトされるようならば…。

 サイエンスじゃないのだから、どこにも縛られず、ふと頭に浮かんだ、すっと身体へ入ってくる、いわゆる観念というか、たんにイメージでも、しっかりものの数に入れて。得体が知れなくもなく、もちろん怪しいとか、卑しいとか、そういうレベルに、カテゴリーには程遠く、奥底で揺らめいている、ささやきほのめかすって感じで。はじめから客観的にカタチにしようとか、理路整然にすまして延びゆく、その線に沿って、思考停止の道行きに、安心して乗れるほど愚鈍でもなく、しぜんはみ出そうとして、まとまらないのをいいことに。

 個に執着しないで、種とか類にまで広げて、もちろん利害に振り回されず、できれば初心を思い描いて、理論を尊び、実践を抑えてってわけじゃないけど、ぐっと拓けて、すっと沿える、その感じを奉って。とりあえず先走って、あとでついて来るかどうかは別に、おのれのことはさて置いて、まわりのベクトルに相乗する、そこまででなくても、寄り添って並走できれば。相手のペースに合わすのが、パートナー探しと同じように、互いの領域を侵犯しないよう、だいたい同じ方向へ流れるならば、細かいことは気にせずに、添っていくのも。

 なにもおおやけにして、感触のない公共へ向けて、内側を広げる必要も、外殻に閉じ込める理由もなくて、シンパシーのある、ほんのまわりに、ちょっと声をかけて、表情が曇らなければ、とりあえず向き合おうと。利害が重なるような、ほんと稀なケースに期待するより、当てにならないエモーショナルに、いわば頼りない関係性をベースに、しぜん漂いさまようぐらいで。圧倒的な力を持とうとか、いずれ勢力になればと、もともと権力が目的でなく、あくまでプロセスの手段として、まやかしたり、強いたりするのでなく、サークルに集うような、か細く、ひ弱であっても、そこに…。

 即自・対自でないならば、対象との関係性に、それが無機質であろうと、有機質であっても、対他であるならば、独り自足しようにも、プロセスに乗るのも、そう簡単にいかなくて。まったく影響がないように、無風状態に誘おうが、大きく距離を置いていても、目の端に入るだけで、なにか漂っているような、それこそ内側の襞にそって、すっと五感を超える、そういう…。いわゆる第六感とか、山勘という、霊感まで行かなくても、まあ直感としか言いようのない、レアな誘い、漂い、彷徨いに頼るしか、そんなことでプラクティスを云々するのも、馬鹿げていて。

 ただ観念というには、だから科学かと言えば、まあ、あやふやにするしか、決め込もうとしても、みずから逃がして、どっちつかずにするのが、たんにエイジングの効果かも、と。そこに理想というか、できれば未来と符合しながら、らせん状に上っていくような、漸進していくプロセスを、この内側にしたためて、外殻を壊すまでもなく、ひびぐらい入れば。パッと前が拓けなくても、ナローな道行きであろうと、たいして支持を得られなくとも、前衛のまま終わってしまおうが、ただプロセスを充たすことに、そんな独りよがりでいるほかないって。

 ここでふたたび利害というか、インタレストに関わる、下卑たとは言わぬまでも、下世話な感じのする、やはり目を背けたくなるような、デイリーに囚われて、ことが進まぬことぐらい、わかっているつもりで。もともと個別なものが、特殊へ、叶うなら普遍へと、コンセンサスとかコモンセンスまでいかなくても、アバンギャルドの少し手前の、いい頃合いのところに、ぎりぎり見渡せるフィールドで、事を処していくのも。セオリーを緩くして、許せる範囲で、無理なくプラクティスに沿わせる、けっきょくラティオの、アローケーションの問題なんだけど。

 個別―特殊―普遍の、おのおの利害の過程で、まわりの状(情)況に、おのれの立ち位置を、うまく感じ取って、削ぎ落していく、できればソフィスティケートに、しぜんめぐっていけば。ただ、どの段階であっても、貴賎というか、上下はないのであって、それぞれ分をわきまえて、思うように転変できなくても、とにかくトランスポートを繰り返す、投げ出すのでなく。たとえ物足りなくても、内側に留め置かれた、モノどもコトどもに寄り添いながら、エボリューションを、誉れ高き漸進を、次のステージへ向かって、シークエンスに円環から螺旋状へ、理論から実践へ、歩みを止めず。

 それぞれのインタレンツを重んじて、難しく構えず、どんどん取り込んで咀嚼していく、好き嫌いはあるにしても、プロセスに生かせるのなら、プログレスの養分として。妥協というより広く薄く馴染んで、しっくり来るように内側の襞に沿わせて、迷わず相乗させる、そんな繰り返しでデイリーをたゆたって、おのれと向き合えるならば。エレメントとして充溢するように、強いるのでなく穏やかに誘って、しだいに隊列に組み込んでいく、けっきょくミリタリーかと言われても、洗練されたその身に、その心にしぜん、沿わしていって。

 べつにマインドコントロールするつもりも、どこかに監禁して凄みを利かすってわけでもなく、ちょっとしたスペースで、ニュアンス程度に示唆するぐらい、許されるかもと。強引に取り込んだり、頭を押さえて言うことを聞かせたり、それこそ教唆したりとか、犯罪への加担でもあるまいし、だからと言って、ソフトタッチにごまかそうとするのも。スタンスの構えどころが、対象の、相手の出方次第という、どこまで立ち入って、どのあたりで引いて、あるいはそのままにしておくのも、そんなふうに一つひとつ根気よくやっていくしか。

 いわゆる説得というには、相対して言葉を交わそうにも、フィーリングを置き去りにして、頭で、ロジックで済ませようとするかぎり、うまくことを運べなくて。だから、以心伝心でいこうにも、そう容易く感じられるような、モノどもコトどもが漂っているわけもなく、けっきょくこれまでため込んできた、コモンセンスに、共通項に、最大公約数に基づこうとして。イレギュラーに反応するとか、悪趣味を面白がるような、少し道を外れても、前衛になりそうならば、このうちに取り込んで、デイリーを蹴散らしていく、そんな感じも。

 俗にいう、はねっ返りというか、アウトローに活路を見出す、誤解を招きかねなくとも、けっして利用するんじゃなくて、それこそメインストリームで生かしていく、そのぐらいでないと。扱いが難しいのは織り込み済みで、その破壊力に恃んで、プロセスを開いていく、できれば前衛に、ディストラクションを生かして、状(情)況を変える原動力になるならば。いわゆる先兵として、これまたミリタリーかと、べつに例えじゃなく、戦場と変わらぬ荒涼とした日常に、ところどころ落とし穴のあるデイリーに、すました手練手管にごまかされないよう構えるのも。

 再構築して立て直そうと、またしてディコンストラクションを、秩序を取り戻そうとか、とりあえず落ち着こうなんて、思いもよらずに、次の破壊に備えて、スパイラルに少しずつ。たんなるプログレスでなく、円環に沿いながらも至るところで外れて、浮遊する塵まで引きつれて、しだいに上がっていく、カタチにならなくとも、渦巻く気流のようにモメンタムを保って。吹き飛ばすほどでなくても、しぜん身体を持って行かれるような、気づかぬうちにトランスポートしている、そんな感じにプロセスを養い育んでいくのなら。

 あとはどう肉付けしていくか、カタチに限らず起動するために、それこそ内心へ、合一を見越して延びていくベクトルに、すみやかに相乗していく、そんなシチュエーションを行き渡らせて。できるだけ個別利害を脇に置いて、とりあえず特殊利害を広く募って、しだいにモメンタムを高めていく、勢力地図を少しずつ変えていく、遠く普遍利害に手が届かなくても、めげずにプロセスにそっていくしか。あまり関係のないモノどもコトどもまで、引き付け巻き込んで、ちょっとしたムーブメントになるように、前衛を後景にするぐらい、ジェネラルに寛容であるべきかもと。

 そうであれば真面目に、けっこう深刻にコンテンツを詰めて、すみやかに紐解いて敷衍させていく、そういうビヘイビアーをおろそかにして、たんに勢いを恃みにしても。たとえ論理的であっても、それこそ科学に沿っているからと、受け入れられるわけも、だから毛嫌いしたり、避けて通ったりする、ふつうで厄介な連中もそばにいて。だからって、エモーショナルに偏るのも、そこが基本だとしても答えのない話だから、けっきょくプロセスを充たせなくて、ソリッドなモノどもコトどもに取り囲まれる羽目になって。

 またも二項対立へ立ち戻って、動きが取れなくなるほどでもなく、状(情)況のなかで右往左往して、どっちつかずにうろつくだけで、それでもそろそろ理想へシフトするのも。観念をこねくりまわして、イデオロギーに執着するつもりも、なにぶん雲をつかむような、じゅうぶんに手応えのない、つねに神経に障る、面倒なエレメント、厄介なシチュエーションであっても。そこは多くを取っ払って、コアな部分を延ばして、プロセスに乗せていく、その広がり具合に充たされようと、良否や好悪は別にして、たいしてハザードがないならば、そのまま歩んでいくぐらいの…

 それならどのあたりで、基準というには、べつにスタンダードでなくても、ただ水準というか、一定のレベルに乗らないと、後にも先にも、おろおろするだけで、充溢いぜんの話に陥って。たとえ取捨選択の、吟味する時間がなくても、ただ周りに、隣にいるから相乗していく、そんなふうでも、いやそれぐらいでしか、つながりをもてなくて、関係性という意味で。そこで成否を分ける、分水嶺というには、やはりこれまでの経緯を、もっと言えばそれぞれの歴史を踏まえた、リアルとイマージュのあいだで、ラティオを気にすることなく、おのおのの状(情)況に合わせて。

 清濁併せ呑んで、というほどじゃなくても、その配分が問題になって、できれば清らかなモノどもコトどもが、濁ったそれらよりも、ふつうに好まれたり、逆に嫌がられたりして、程度の差はあるにしても。澄み切っているのに、やはり抵抗力の、免疫力の点でどうしても、なかには濁ったほうが、水清ければ魚棲まずっていうのも、あまり規律が厳しくても、あの一番古い生業のような、そういう濁った水があって…。たとえ理路整然と抜かりなく、非の打ちどころがなくても、クリアだからスムーズに相乗するってわけも、クラウドにぼやけて取り逃すってことでもなくて。

 やはりセオリーは控えめに、とにかくプラクティスへ相乗しないことには、変化を促せない、トランスポートできない、けっきょくプロセスを充たせない、だからレボリューションもずっと先に。なんども練り直し、はじかれても繰り返す、めげずにリスタートし、理論を 現実に摺り込んでいく、前衛を強調することなく、マスのなかに沈み馴染んで、たとえ愚鈍と言われようと。それぞれのシーンやフィールドに合わせて、いわばストラテジックに、それこそ常在戦場の意識で、少なくとも情勢を悪化させないよう、一進一退でにらみ合っていても、セオリー通りでなくとも。

 要はおのれの利害を捨てて、そこいらの特殊な利害に振り回されず、普遍的で清らかな、未来を照らし出す、できれば有機物を寿ぐように、絶対的な状(情)況をつくり出す、危険を顧みずに。そこには糧となる、生命維持に欠かせない、肉体を養うエレメントに加えて、捉えどころのない、精神にまつわるエモーションをも、バランスよく包括する全体というか、魂とか精霊とか、そういうアブソリュートな…。それこそホールアースな、すべてを柔らかく包み込む、けっしてカタチにならなくても、流動しながらスパイラルに、渦のように巻きこんで上っていく、そんな感じで創造していって。

 少しでも良くしようと、ちょっとした改善にとどまらず、たんじゅんにそういう、心と身の構え方に、その美しいマインドとビヘイビアーに、近道というか、ストレートなプロセスを見出して。こうなれば極力、醜く卑しいモノどもコトどもを排して、美しく清らかなそれらを目いっぱい取り込んで、思い通りいかなくても立ち戻らずに、多少ベクトルが的外れでも。滅私奉公といえば時代錯誤に、普遍的な利害に生きるというか、少なくとも寄与して、有機体はもとより無機質なモノどもコトどもにとっても、未来を見通す、エデンとか、アルカディアと言えば、絵空事に過ぎないかもしれないけれど。

 ただ頭に描くだけで、べつに実現しなくても、ベクトルがそこへ向けられ、ぐっと前が開けるなら、できるだけ周りを引き連れて、プロセスに相乗する、語弊を恐れずに言うならば、一つの勢力となって。前衛であっても、ずっと同じように、図に乗っているようなら、振り向くと誰もいない、退屈な光景にならぬよう、走りながらもしっかり向き合って。できるかぎりイマジネーションをこらし、広くグラデーションを効かせて、穏やかにウエーブを起こす、所どころマディーを避けながら、そうしてクリエーティブに乗せる、プロセスを開く、ここは万難を排して。

 シークエンスに過程のなかで、デイリーに挫けることなく、退屈なループに嫌気をささず、ぐるぐる回って、シリアスとかシビアな感じを抑えて、スローピーに、あまり深刻にならず、適当にやるぐらいでないと。そのあいだにポロポロ落ちる、無駄とは言い切れない、たとえ無機質なものであっても、フォローしないのなら、合理的で効率的であっても、モメンタムを維持するには。要は使い分けと、メインストリームはこれで、サブはそれで、というふうにやっていくしか、プラクティスってそんなものと難しく考えず、セオリーをかすめる程度で。

 少し傾斜のある、円環をまわっているあいだに、ちびくろサンボに出てくるトラのバターみたいに、どんどん分厚く嵩高くなって、その教訓は別にして、変態の、流動体の好例として。狂暴で手に負えないものから、健やかで滋養の高いものへ、こじつけっぽくみえても、相乗のイメージで、プロセスはそれほど見通せずとも、コンプレックスにこんがらがっていても。雑多なもの、それこそ邪悪で下らないものであっても、この内側へ巻き込んで、表層を突き抜けるような、流動というか、たとえ底の方で蠢いて、ねっとり鈍くても、すっと抜ける、軽い感じがあるならば。

 流れにまかせて、プロセスに染み入って、周りを引き連れ充たす、相乗していく、けっきょく突破口がなくても、ちょっとしたほころびを探しながら、そこは慎重に見定めて。反転攻勢を遅らせるために、なるべく力を漲らせて不意を衝く、ことは戦略的であらねばと、陣地を一つひとつ広げて、普遍利害へつながるよう、可能なかぎり根気よく。捕虜の扱いも丁寧に、とくに内側の、寄って立つ考え方とか、たとえ宗教的な怪しさがあっても、頭から否定せずに、共存できなくとも、そこは寛容に要らぬ争いを避けて、真摯に向き合うぐらいでないと。

 プロセスの先にある、有機質にとって未来を拓く、矛盾のない純化された世界へ、ここは手段を択ばずに、ただ研ぎ澄まして広く募り、隊列を整えてトランポートする、波状的に目的へ向かって。打ち負かしたり、強力(ごうりき)に恃んだり、何がなんでも、というのではなく、少し凄みを利かせながらも、納得させるまでもなく、こうなれば仕方ない、と思えるような状(情)況をしつらえて。弥縫策も繰り出しながら、この内側へ取り込んでいく、なだめすかしてつかず離れず、甘やかさずにおのおのワークさせて、レボリューションを遂行していく、そこは現場の状況に合わせて。

 戦況悪化で隊列が崩れつつあっても、一進一退へ戻そうと、つねにフォワードを心掛けて、ここは前衛をかって出て、先頭を切って突っ込んでいく、玉砕も厭わずに淡々と。けっして革命家を気取らずに、死語になっているからでも、たいていは後世から糾弾されるからでもなく、それは永続しなければ意味ないと、なによりもリレーションシップで。次々と引き継いでいく、それぞれのレベルはさて置いて、おのおののパートを充たし、できれば面的に連鎖させ隙を与えないよう、めいっぱい身も心も延ばして。

 なにより情勢判断が、俯瞰しようにも、もうここまで来ると、セオリーとかプラクティスに、そのラティオって言っている場合じゃなくて、カオスまでいかなくても混交して、単体の跡も影もないほどに。ただ各項どうしが重なり合わさって、いわば練り切り餡のように、色とりどりに混じり合う、加減しだいというか、美しく調和しプロセスを彩っていけば。きれいにグラデーションを描いて、一期一会の瞬間に可能性を、ぐっと拡散しても、しっかり内側へ取り込んで、繰り返し循環しながら、プロセスへ相乗させる、そこいらのモノどもコトどもを引き連れて。

 ミックス・トゥゲザーというも、二項に止まらず多項に、単体から化合物へ、集合体へ、リレーションシップを甘受して、網目のように連鎖していく、それぞれ引っかかりを求めるなら。ちょっとした感触でも、こする程度であっても、おのおの手を握り合って、互いに微笑みを交わし、足並み揃えてプロセスを渡っていく、そういうアイディールなプロセスに、嫉妬したり嫌悪するのも。もとより参考にする必要もなく、淡々と通り過ぎ、ぞろぞろと群れをなして、個性も利害もいらず、一つの勢力となって、ウェービーに波打ちモメンタムを保ちながら。

 思いを一つにして、とまで言わずとも、大枠のところで、粗いベクトルにしたがって、流れ広がっていく、スポイルされぬようフローして、それこそストリームを、流動をシークエンスに。べつに、はみ出させようとか、微妙にずらせたり、それこそ肩透かしを食わせようなんて、端から考えているわけもなく、しぜんベクトルを放射線状に、ブロードに解き放ち各々にまかせて。混沌とまで言わずとも、この乱雑とした状(情)況を、まとめようとか、でこぼこを均そうとか、正そうとするのでなく、放ったまま微笑みを交わし、あと押しするほどに。

 教条的になろうものなら、立ち止まって引き返す、これまでの過程をたどりながら、後退を強いられようと、たとえ元へ戻ろうとも淡々とやり直す、リスタートと構えなくも、別の展開に乗って。タイミングもリズムも、だからベクトルも、けっきょくコンテンツをも違えても、プロセスが延びていくならば、濁りなくクリアに、狭量を排しブロードに、囚われることなく、コアを包み込んで。ドグマに嵌まらぬよう、核心を保持するという、なかなかの芸当をすっとできるようじゃないと、もはや前衛を気取る必要はないにしても、そうかんたんな所業でないのは確かで。

 何となく自信なさげに、だけど神経症というわけじゃなくて、外形的には挙動不審でも、いちおう過程の中に、多少はみ出しても心配せずに、ただしぜんにやっていくならば。融通無碍におのれを顧みて、修正を恐れず向き合って広く募る、むやみやたらってほどじゃなくても、流れにそって受け入れる、うまくプロセスに生かすなら。忌み嫌う悪い癖を押しとどめ、微笑みを浮かべながら、鷹揚に振る舞うほどじゃないと、この先うまくいかない、そんなことわかっているつもりでも、コアな部分がどうしても、表情が硬く内心もついて来なくて。

 かなり薄まり後ずさりして、正体もなくなるほどに、だからセオリーとか、エッセンスを軽んじて、しかたなくもリアルにそって、プラクティスを敬い延ばしていく、そんな感じでしか。とにかくプロセスに乗せようと、かろうじて奥底の襞をかすめる程度で、ほとんど痕跡も残さずに、名残惜しむ暇があるのなら、ぐっと先へ延ばして、面倒なモノどもコトどもを振り切って。たとえ見込み外れでも、目的からほど遠くても、けっきょくうまく辿りつけなくも、おおざっぱに充たしているなら、たいしてアチーブメントしなくても、とりあえず積み上がっていけば。

 うまくフルーツしなくても、実り具合がもう一つでも、トランポートするならば、飛躍というよりただ跳んで、多少の不具合があっても、たしょう状(情)況に左右されようと、軽くパスするほどに。この機に及んで気にするようなら、プロセスの途中で引き返しても、チャラにする覚悟をもって、本道さえ見失わなければ脇道へ逸れようと、スパイラルに上っていくのなら。何がなんでも充たそうとか、きれいにコンプリートしたところで、それぞれの関係性のなかで、オーガニックとまでいかなくても、微妙につながって、できればゆるく連鎖するようでないと。

 ネーションのレベルだから、それならカントリーでとか、逆にステートへ下っていくのも、あえてこだわりの段階から、ディコンストラクションを、死滅とまでいかなくても、軒並み壊し一掃して。枠から外れたり、逃れようとするならば、やさしい言葉で押しとどめ、ぐっと手を引っ張り上げる、凄むまでいかなくても表情をガラリと、不敵な笑みをたたえて。内側に取り込んでソフトに、でも有無を言わさず拘束する、軟禁と言ってもおかしくなく、このエリアの中で飼いならし、監視の目を逃れようものなら、鋭くチェックを入れ、肉体に食い込ませ…

 その道のりが長くとも、到達できないプロセスであっても、ここはセオリーにもたれ掛かって、かりに王道じゃなくても、たとえプラクティスがついて来なくとも、性懲りもなくミライを開くのなら。思いのほかプレッシャーがなくて、できればストレスフリーで、リバティを勝ち取って、フリーダムを底上げする、おのおのアビリティに合わせてワークする、ニードに応じてレシーブする、そんな感じで。コミュニズムのドグマ、例の常套句と言って切り捨てるのでなく、理論としての実効性を、それぞれの過程で確かめていく、たとえ肌に合わなくても、どうもしっくり来なくとも、それこそ理論に信を与えて。

 真かどうかは別にして、とりあえずプラクティスして、そのプロセスにバリューがあると、それこそヒューマンレースに普遍的だから、ここは尊大で高慢にも思考停止するぐらいで。そこに利害が合わさって、たいていのモノどもコトどもが異議を申し立てず、しだいに馴染んでいくならば、ところどころにハザードがあろうと、気にせず進んでいくのも。先へ先へとセオリーが、後追いでプラクティスが、枝葉は変われど幹の存在感そのままに、ホールアースに映して向かう、たいして違和感なく、プロセスに沿っているならば、引き返すことなく。

 この身が朽ち果て、いずれ命が尽きるとも、この魂、精霊として、スピリッツとか、ガイストへ転変し辛うじて永らえる、シークエンスを地でいって、状(情)況へ投げ出されるも。右往左往は避けられず、ノマドのように寄る辺もなく、ただ地と空のあいだを、ベクトルを定める術も、おのれを制御する手段も持ち合わせず、ただ漂いさまようだけで。脈絡もなく方々へ延びる、ストリームから逃れて勢いもそのままに、枠をはみ出し突き抜ける力に、反作用を厭わず放下する、事は動くかと、背筋をのばして。

 穏やかな清流を俟つのでなく、たとえ濁流であっても、その勢いにまかせて、プロセスを充たしていく、ズレや隔たりを包み込み、大きな流れにふわふわと、大海原を渡るごとく。あえて多勢にのみ込まれ、そのコンフォートを抱いて、メインストリームを下っていく、多少の不安を覚えながらも無勢の力を借りて、無駄死にさせないよう沿うて。居どころを探して、隅であろうと活躍する場を、たとえずれ隔たっていようと、残して生かす、そのぐらいでないと、ホールアースを充たせないのなら、総崩れになってしまう、そこはぐっと力を入れて。

 つねに総力戦かと、トータルウォーを覚悟のうえで、プロセスすべてを巻き込んでいく、しっかり充たしていく、溢れ出る情動というか、ハザードをクリアするのに、濃厚で激しい流れを。ここに相乗を利かして合一を図り、見果てぬ夢を果たさんと勢力を広げて、できれば濃さを均して、だまをつくらぬよう中枢を、権力へ進む固まりを、一つひとつ潰し排していって。制御するシステムを、ソフトに強いる装置を、内面を放つ自由と機会を、外殻を破る力と気運を、おのおのに許し授けて、全体を広げ高めていく、その辺りを目指し辿っていくのも。

 機動戦から陣地戦へ、仕掛けては守り、つねに形勢をうかがいながら、徐々に戦線を広げていく、避けられない摩擦を、有機物を含めた対象との競い合い、優性劣敗、けっきょく適者生存へ行き着く、プラクティス≒戦闘で。セオリーの介在する余地なく、過酷で無残な肉弾戦でしか、多くのモノどもコトどもを置き去りにして、空しくともリアルに沿うしか、あとは状(情)況にまかせて、この身この心を、その過程に投企する、みっともなくとも。残骸が、屍が土の還るのを、やさしい循環を、たとえ見届けられぬとも、オーガニックにスパイラルしていくのなら。

 アソシエーションというより、自発性を基本としながら、あくまで強いるのでなく、ただ促すだけで、核なき広がりというか、中枢を排した繋がりを、等間隔の連鎖を紡いでいく、そんなふうに。放射線状に延びるベクトルを、収れんとまでいかなくとも、ラフに束ねてまとめ上げる、過程のなかでおのおの解き放たれ、手足だけでなく思いや感じまでも、のびやかに差延していって。だから利害というより個性を、それぞれの違いを削がずに、プロセスに沿って相乗させる、ズレや隔たりを力にして、ホールアースに生かしていく、そこでセオリーとプラクティスの、心身の合一を試みて。

 せめぎ合うのでも、共生というほどでもなく、スルーするも、影響し合うも、あくまで程々に、セル構造のように、ズレを修正し隔たりを埋めて、劣性細胞の発生を抑えながら、順次取り除いていって。ストラクチャーのなかで、それこそホールアースに、すべてを包括する駆動体というか、小魚の群れのごとく、自在にカタチを変えて、出入り自由に流動して。まわりを巻き込み、スピードを上げて跳躍する、内側の襞に沿って、舐めるように充たしていく、その厚みへ染み入り、まとわりつく外殻をすり抜ける、カタチに合わせて広がりはみ出して。

 個体の劣化を補って、新陳代謝を促し更新していく、他性との間合いをとって、関係性とまでいかず、多少キメが粗くとも、微かに関わり、できれば緩くつながっていくならば。どこに引っかかろうと、たとえフックが効かなくても、それならかすめる程度で、けっきょく物理的な接触は別にして、それこそ惹きつけて誘い合うように。利害が合わなくても、嗜好に違いがあろうとも、おおざっぱにメインストリームに集い、おだやかに群れていく、それだから。お行儀よくとか、まわりに合わせる必要もなく、おのおの自由に振る舞い、てんで流れ散っていく、ノマドで行こうが、朽ち果てようが。

 充たした果てに、しっかりしたコンテンツを、それこそカタチとか、固まりまでいかなくても、流動したモノどもコトどもを、奉らずとも抱きつつ解き放って、ここぞとばかり相乗して。瞬間しゅんかんの、感じとか考えとか、そうイメージも、文言とか絵図までも、浮かび上がって来るすべてを、ぐっと引き込んで襞に沿わせる、生理にまかせて浸透させる、そうしていって。とりあえず入力してうまく出力へ、プロセスを無難にこなしてトンネルの中を、円環のスパイラルにそって、そっと抜け出そうと。

 しっかりした手応えを、できれば成就するように、だから清濁併せ呑んで、ただプロセスをたどっていく、強引に勢いへ紛れて、おのれと向き合い、充たされようと。良否、好悪は別にして、他性を意識することなく、出来上がりを気にせずに、ただトランスポートするだけで、しぜんコンテンツを伴って、この過程を過ぎていくならば、きっと。おのおのが能力に見合って、それぞれの領域、持ち場で、思うがままに自己を発展させ、すみやかに実現していく、生理的な劣化を抑えて、感情・思考・イメージなど内的発動を伸ばしていく、限りなく先へと。

 前衛とか、それこそ優性思想じゃなくて、各個が修練して本来の生を活きる、おのれと向き合い、それぞれ出来得る範囲でレベルに合わせ、各層がベクトルに沿っていく、プロセスを充たす感じで。潜在するものを、内に秘めた感性や情動を、どこまで引き出し、開花させられるか、ときにただよい、さまよいながらも、充溢を求めて歩んでいく、そこに…。いつも張りつめて、先を先をってわけじゃなく、おもむくままに自律神経を気づかって、プロセスに他性を取り込み、おだやかに相乗していく、多様化を、重畳化を目論んで、この過程が華やぐのも。

 関係性に振り回されず、おのれを取り崩さず、コアのまわりを剝がしていく、外部へ、環境に、日常に馴染んで、多少取り込まれようとも、肩の力を抜いて淡々と。手に手を取ってとか、必要以上に関わろうなんて、意識するのでなく、すっと通り過ぎる、目を交わすぐらいに、ちょっと相手へ思いを馳せる程度で。知らぬうちに響き合うも、しぜん離れていくにしても、そのあいだの、見えぬものを介して、つながっていく、ときに結びつき重なり合って、スパイラルに跳ねて。たとえホールアースを包み込んでも、そこで止まらず、非連続にトランポートしていく、終わりがなくとも。

 外れたモノどもコトどもを、細かい網ですくい上げ、隊列へ組み入れていく、できれば脱落者を出さぬよう、出来るかぎりあいだを詰めて、厚く充たしていって。つねに全体の底上げを、まずは量的拡大を、玉石混交であっても、極力ふるいにかけず、質的向上を後まわしに、そのときどきの手駒を信じて、効果的に駆使することで。いずれ前線で活躍できるよう、心身ともに伸張し、サーキュラーリングにそって螺旋状に、戦力に加えてレボリューションを、非連続の繰り返しというか、けっきょくエターナルに構えるにせよ、プロセスを充たしていって。

 言葉は悪くもトータルウォーでいくしか、まわりのモノどもコトどもを巻き込んで、重なり合って相乗していく、融け込むように流動し、合一を望みながら過程をたどる、個体の限界を超えて。たんにシナジーとか、すみやかにコオペレーションしようみたいな、カルキュレーションとも違って、有機質を募っていくにも、その程度で収まるようなら、旧弊を改めるなんてそもそも無理な話で。そこいらの特殊利害を引き連れて、なだめすかしながら、それこそユニバーサリーに総合する、抽象を厭わず普遍的にスパイラルしていくよう、ほうぼう目を配って。

 個々の過程で可能なベクトルを、潜在するモノどもコトどもを、ブラッシュアップしなくとも錆びないようホールドし、満を持してリアルフィールドに立てて。絶え間ない変異に有機質を連鎖させながら、無機的な動きに備える、至るところに群在する細胞を、重畳させようと、はじき合う者どうしを、プロセスの筒にしっかり収めて。性懲りもなくコンテンツの純度を高めて、だから雑多なモノどもコトどもを排するのでなく、コアにまといながら勢力を広げる、リアルに乗ってデイリーを動かす、ともども体躯に相乗し、微視的に躍って。

 セルレベルでグローアップしようと、それも突然変異じゃなく、ある程度規則にそって穏やかに殖産し、しぜん領野を占めていくよう、うまくプロセスを歩んでいければ。個別利害を尊び生かしながら、それぞれのキャラクターを養い、有機質を健やかに育んでいく、高度化とかクオリティ云々じゃなく、できれば無機質をまとわせてフォワードに。ネットワーク上に細胞を漂わせ、ある一定のまとまりを勢力に、いくつかの器官を形成する、ユニットの連鎖の網を広げて、プロリファレイトさせていく、いわゆる無性生殖で他性の関与なしに、たとえ単細胞であっても。

 速やかに劣化していく、オーガニックな組織体に、いつまでも執着するのも、それなら周りの無機質に、そこいらのモノどもコトどもを巻き込んで、流動し相乗する、そんな感じでないと。いっそうのこと、纏うコンテンツを流し去り、こだわりをきれいさっぱりと、難しくも他性とかかわって、二者間から多勢へ、それこそホールアースを肉厚に改めていくとか。内と外を、上へ下へと行ったり来たり、境界線をまたぐように、その繰り返しが重畳を、差延を、相乗をエフェクティブに、できればクリエーティブに、プロセスのなかで充たしていく、自己実現にとどまらず。

 インフルエンサーのように、意図してとか、無理して広めるのでなく、ここで内容が、充溢したものか、本物かどうか、けっきょく淘汰されずに漂い、ただ流動するかどうかと。ソリッドでフィジカリーじゃなく、けっこういい加減であっても、かすかにかかわり合う、たとえ表層をなぞるようでも、反らず染み入って緩やかに相乗していくなら。それでもカタチを求めようと、フィルムの一コマのように、流れに掉さしてモーメントを切り取る、残滓かどうかは別にして、コンテンツの具現化だと、モノになったと納得しているのならば、それで。

 なにも一色に染め上げようとか、きれいに規則正しく並べるつもりも、それこそ全体主義へ向けてってわけでなく、はみ出し外れていても、戯れていようが、いい加減であっても並列していれば。微妙な傾斜にスパイラルされて、引き継ぐパラレルから逸れていく、両サイドの溝にはまりながらもトランスポートし、状(情)況をつくっていこうと、ここはしっかり向き合って。てんでばらばらでなく、かすめる程度であっても、ゆるくかかわり合って、表層をなめるぐらいに、けっして深まらないよう、ここはコンプレックスを避けてシンプルに浮遊して。

 かりにオブジェクトが見つからなくても、どこかにハザードが隠れていようと、たぶん手応えがなくとも、ほかの有機物を、たんなる無機物も、出来得るかぎり引きつけて、ラフに巻き込もうと。前衛にならずとも、しぜん引き連れていくような、それぞれのプロセスを重ね合わせ、すみやかに相乗し、うまく総合させる、むしろ一大勢力にならぬよう、速度を落としてローカルに甘んじて。ただ、各々のリージョンに、たとえディストリクトに分かれても、どうにかユニオンを組んで、おだやかにアライアンスを試みる、けっきょくフェデレーションとか、アソシエーションに行き着いたとしても。

 おのおのスポンテニアスに、せいぜいサジェスチョン程度に、物理的なエリアだけでなく、心的なリージョンも、漂い行き交うドメインをも、大きな流れのなかへ注ぎ込んで。ただ集うだけではどうかと、ある一定の考えに加えて、思いとか感じとか、たんに浮かぶ像をも共有するような、信じる行為さえ含めて、心身ともに全的とまでいかずとも。それぞれ能力に応じて、必要に合わせて、健やかに身を処し、豊かに心を養う、おのれに偽りなく向き合って、自由に、可能性を追い求め、全的発展を期する、そう構えるだけでも、拓けていくものと。

 けっきょくコミュニズムに、けっこうアナーキズムであっても、なかでもトロツキズムを、そう強くイズムに寄せなくても、しぜん状(情)況に合わせて、そのまま柔軟に向き合い、ぐっとトランスポートして、重畳し相乗しないことには。たとえ純化の手段であっても、それも究極の目的と、そこで思考停止するなら、プロセスが行き詰まるって、分かり切ったことなのに、どうしても身動きできなくて。こんなふうだから、ずっと手前にとどまって、充たそうにも、成就しようとしても程遠く、だからセオリーとプラクティスを、どちらを優先させるっていうのでなくて。

 結果次第というわけでも、成り行きに任せるのでもなくて、やはり一定の理論に裏打ちされた、常道というか本道を、多少ズレや隔たりがあっても、しっかりたどっていく、実践というシビアにそって。最大公約数の、普遍的利害に寄せて、実質的に動かしていく、二者間の関係性を、周りの有機質を、その外側の環境というか、無機的なあれやこれやも、プロセスのなかで。だから心身のすり合わせを、できれば合一へ向けて、それこそ重畳を深く、相乗を広く、速やかに行き渡らせて、状(情)況を革新していく、ここは濁りを排し、清らかに躍って。

 内側から漲ってくる、情動とか、思いや感じのベクトルを、放射線状に延ばしていく、しぜん外殻を突き破り、次のスペースのなかで遊泳する、何ものにも邪魔されず、大の字に伸び切って。宇宙塵というも、この世界から離れて制限をあざ笑い、それこそただ漂うだけで、時空の概念を捨て去って、ノマドのように超越を楽しむ、生死の境をさまよい漂って。ただのダストが、これまで用をなさなかった、役に立たなかった、モノどもコトどもが微妙にきらめいて、流星のトレースを描き、星雲を形づくっていく様に、勇気づけられ、相乗していけば。

 やっとここで関係性とか、連なりとか重なりを気にせずに、スペースの果てへ、無限軌道のなかで、しぜん構成された流動体に、ほどよく重力とか引力に翻弄されながら、相乗し差延して。もはやフィジカルに惑わされず、煩わしいメンタルからも解放されて、ただ流れて、できれば揮発するぐらいに、スピリットの、ガイストの、それこそ気配を漂わせる程度の、カタチが消え失せた跡の…。絶えずフローするチェンジアブルな、そういう勢力というか、ゆるく誘い合い、向き合うモノどもコトどもに、見通しが悪くも清らかなベクトルを、純化のプロセスに託して。

 べつに無理して改変しなくとも、徐々にプロセスを充たしていけば、その流動のなかで、外形的には判別がつかずとも、勢いをかってスパイラルに相乗していく、ゆるやかな傾斜にそって。意図して変化を促す必要も、優勝劣敗とか、適者生存と諦め顔にならず、じわりじわりとプロセスをたどっていけば進化というか、人類の転変に、それこそ脳髄の高度化に。だから個別じゃなくて、特殊から普遍へと、利害の質を上げていく、良質なモノどもコトどもを、適時DNAに刻み込み、けっきょく悠久をさまよって、果てなくプロセスを歩んでいくしか。

 たんに一つの駒として、隊列に加わることで、また戦場(いくさば)と笑われようと、そこは真の革命家にならって、たいして戦力にならずとも、それこそ革命の正念場で活躍できなくても。広がるプロセスのなかで、心身ともに投げ打って、充溢を求めるなら、たとえ屍となり粗末に放置されようとも、無慈悲に踏み越えられ、ミリタリーのシビアに翻弄されようと。広く有機質のしみわたる、そのフィールドでプロセスを充たして、楽しむぐらいでないと、それがレボリューションの本質かと、べつに納得しなくとも。

 フェノメナンに振り回されず、インサイドというよりエッセンスへ、べつに客観を避けて主観に逃げているつもりも、ただ無事ホールアースを勢力にしようと、流動をそのままに、あくまでカタチを排して。ズレや隔たりを意識しながら、トランスポートに重きを置く、逸脱を伴おうと跳躍を、ゲインを期して、一進一退であっても、重畳し相乗しながら、少しずつ陣地を、それぞれポジションを。どんどん更地を広げていって、のぼり旗を打ち立てる、流れに反していようと、とりあえず過程のなかで、前衛として立ち振る舞う、淡々とプロセスのなかで。

 同時に心身の合一へ、二項対立の解消に、おのれの流動化にそって、やっとコンプリートするかと、顧みるのが怖くとも、プロセスが進んでいくのなら、相乗とか総合ということに。細胞がひしめいて、いずれ構成体を、ストラクチャーを、内外の実感がなくとも、そこを起点にやっていくしか、改め延ばしながら、セオリーとプラクティスの縫合を。アップデートの煩わしさに、ベースまでアップルートするわけにも、これまでの流れにのって内側を充たし、硬直した外皮を抜けていく、あくまで微視的には。

 あまりプロセスを意識せずに、成り行きに任して、いい加減に済ます、肩の力を抜いてやり過ごす、デイリーのなかで逆らわず、しぜんやっていこうと、それで力を蓄えられるなら。たとえ道行きが険しかろうと、クリアするメソッドにたのんで、リアルに馴染み寿いでいく、バトルフィールドと構えずに、相乗することに、プロセスを充たそうと。だからと言って、どうアプローチしようとか、神経質にならずに、ただ勢力のなかで、ある程度ベクトルをそろえて、おのれを流動させれば、すっとホールアースが充溢するか、と。

 内と外の差異を、襞と襞のあいだで、ズレや隔たりに構わず、奥底に流れるよう、流動体を生成する、純度を保ちながら、プロセスを充たしていく、できれば放射線状に、ゆるやかにスパイラルして。カタチを忌み嫌うわけも、外形とか外枠に対峙するつもりもなく、ただエッセンスをまとった、いわば粋を集めた流れゆくものに、それこそ揮発する前の、清々しいモメンタムを、顕在に惑わされずに。シークエンスに繰り返しながら、性懲りもなくプロセスのなかで、円環を渡っていく、らせん状に上って、たとえ漸進的であっても、ゆっくり充たしていって。

 たいして実を伴わなくとも、コアが備わっているのなら、ずれや隔たりが生じようと、それこそはみ出したり、はじき出されても、残るものが微少でも、彼らそれらとともに、もちろん彼女らとも、関係しているのだから。共同体というほどでも、国家なんてとんでもなく、アナーキーにてんでばらばらってわけでもなくて、そのときどきの流れにそって、時流というか、しぜんそこへ流れ込んで、相乗しながらプロセスを充たしていく、そういう…。セルの突然変異に期待するつもりも、だから成り行きに任せようとも、かんたんにノマドでもなく、ほどよくただよい、さまよいながら、しぜんトランスポートしていくのなら。(了)

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