第2話
矢上は、皿を水を張った桶に漬けた。桶の中は皿が溢れそうになっていた。
一息つく。壁掛け時計は20時を指していた。店内はようやく静けさを取り戻していた。
珍しく、出入りの多い日であった。夕方あたりから客が途切れなかった。
一ヶ月に一度くらいはこういう日があった。こういう日に限って心春がいなかったが、営業に支障は無かった。元々、1人で回すことを想定して作った店だ。
矢上は自分用に淹れたコーヒーを含む。口内に、苦みが広がっていく。自分が飲むときは豆をかなり粗く挽いている。
リモコンを操作して、録画していた「どさんこガイド」を再生する。
本当はリアルタイムで見たかったが、今日に限ってはのんびり見ている暇がなかった。
アナウンサーと、エプロンを着用した学生たちが5人映っていた。心春も映っていた。いや、良く見ると心春ではなかった。髪型も髪色も服装も似ていたので間違えそうになった。その隣にいる、表情の強張っている学生が、心春であった
アナウンサーが快活な笑顔をカメラに向ける。
『今日は神居大学の料理研究部『Stella Kitchen』さんの活動にお邪魔しておりまーす! 『Stella Kitchen』さんは学生でありながら、様々な企業とコラボしているんですよ! じゃあ早速お話を聞いてみましょう!』
学生たちがはきはきとインタビューに答えている。心春は顔が強張ったままだ。
心春にマイクが向けられる。目が潤んでいた。
『え、えーと……き、北区にある『すのうどろっぷ』って喫茶店、良い店なので来てくらさいっ』
『あ……はい! 神居大学料理研究部『Stella Kitchen』のみなさんでしたー! スタジオの赤石さーん!』
テレビを消す。矢上は苦笑した。場違いな宣伝だとは思ったが、嫌な気分にはならなかった。
飲み終わったコーヒーカップも洗い桶に入れる。腕をまくり、スポンジに洗剤を出す。心春は「収録終わったら友達と寄ります」とは言っていたが、来る気配は無かった。大方、友人たちと飲みにでも言っているのだろう。
こんな喫茶店に来るよりは、そちらの方が健全だ。矢上はそう思っていた。
スマートフォンが3回短く振動する。矢上の表情にかすかな影が差す。秘匿性の高い通信アプリからだ。
画面を開く。「42.64 141.69 KN」というメッセージと共に、画質の粗い画像が添付されていた。
写っていたのは心春であった。体格の良い男たちに、車に無理やり乗せられている。
矢上のこめかみを汗が伝う。KNは誘拐を示す符牒だ。
「心春さん……!」
矢上はすぐさま外に出る。2人組の若い男女が立っていた。
「『どさんこガイド』を見て来たんですけど……」
「申し訳ございません。本日は諸用で早く閉めることになりまして」
戸惑っている2人に、矢上は深く頭を下げる。
「機会があったらまたお越しいただけたらと思います。サービスいたしますので」
じゃあまた来ますと、男の方が言った。矢上はもう一度頭を下げる。
裏手に行き、バイクのキーを回す。
エンジンを全開にする。
バイクは、唸りを上げて北へ向かった。
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