第21話 死街の夜、牙を剥く
その後、鴉羽に案内されながら、基地内をひと通り見て回った。
簡易的なトレーニング場、共用のトイレや大浴場、武器庫など。
そして最後に通されたのは、自分の寝床だった。
部屋は、ひどく簡素だった。
置かれているのは、ベッド一台と小さな棚だけ。壁はところどころ剥がれ、雨漏りの跡もある。
――でも、雨風がしのげればそれで十分だ。
ここ、スラムでは“贅沢”なんて言葉は通用しない。
「それにしても……夜が本番か」
スラムでの活動は、基本的に夜が中心だ。
理由は単純。
幻影が現れるのは、たいてい夜。
それに、柄の悪い連中が動き出すのも夜が多い。
日が落ちる頃になると、隊員たちはそれぞれ持ち場につき、警備や巡回にあたる。
何も起きなければラッキーだが、大抵は揉め事や小競り合いの一つや二つは起きるのが常だという。
日中ですら空気がどんよりしているこの街だが、夜になると雰囲気は一変する。
街全体が“牙を剥く”ような緊張感に包まれ、外を出歩くのは危険行為に等しい。
だから、スラムの店はみんな、夕方には片付けを始め、夜にはほとんど閉まってしまう。
人通りのない路地。
灯りの落ちた通り。
闇に潜む何かが、こちらをじっと見ているような感覚――
ここは、そういう場所なのだ。
もともと明るさなんてものはない。
最低限の灯りと、錆の匂いと、風に転がる空き缶の音。
それがこの場所の“日常”だった。
「しかしどこを見てもボロいな」
瑠衣は崩れかけた鉄骨の壁に目を向けながら、ぼそりと呟いた。
その隣で、鴉羽が缶コーヒーを片手に腰を下ろしている。
「そりゃそうだろ。整備班なんて派遣されたことねぇ。水も電気もギリギリ。てかお前、水道の蛇口、左に回すと黒いの出るから気をつけろよ」
「それはもう水じゃないだろ……」
乾いた笑いが二人の間に生まれた、その時だった。
――ウウウウウウ……ッ!!
突如、基地全体に警報が鳴り響く。
「……来たか」
鴉羽が立ち上がり、近くの端末へ駆け寄る。
画面には“緊急対応要請”の赤文字。
どうやらスラム住民からの通報で、街の東部に幻影が出現したとのことだった。
「お、早速任務か。タイミングばっちりだな」
鴉羽は軽い口調でそう言い、背伸びを一つしてから振り返る。
「義影、ついてこい。お前も“お披露目”だ」
その言い方に少し引っかかりつつも、瑠衣は黙って頷いた。
「了解」
スラム東部は、特に治安の悪い区画だった。
崩れかけた家屋が連なり、道路の舗装もところどころ剥がれている。
浮浪者や薬物中毒者が隠れる路地も多く、昼でも近寄りたくない場所だ。
だが今は、そんな通りの中央に――血の海が広がっていた。
「……酷いな」
鴉羽が低く呟く。
民家の前で、複数の遺体が横たわっている。
服は裂かれ、内臓がむき出しになっている者もいた。
まだ温かい血が地面を濡らし、その匂いが鼻を刺す。
「現着、5分前だったんだがな……間に合わなかった」
「通報者は?」
鴉羽が顔を上げると、近くの民家の前で怯えている女性がいた。
顔色は真っ青で、膝を抱えて震えている。
「お、おねがいです……助けてください……!」
鴉羽がそっと膝を折って話しかける。
「幻影の姿、見たのか?」
「は、はい……そこの路地に……」
女性は震える指で、すぐ隣の裏路地を指差す。
瑠衣はその先を見た。
細く、暗く、底の見えないような裏通り。
視界の奥で、何かがふらふらと動いた。
「いたな」
鴉羽もすぐに武装刀を抜いた。
そして吸っていた煙草を捨て、足で踏みつけた。
「よし、俺が行く。見とけ、義影。新人にはいい勉強になる」
そう言うと、鴉羽は一歩前へ出た。
動きに無駄がない。
路地裏の闇の中から、幻影が姿を現す。
人間の形を模しているが、歪んでいる。
骨が足りてないような、ねじれた関節の動き。
口が裂けたように開き、粘ついた音で呻く。
「下級か……こいつなら余裕だな」
幻影が走る。
地面を這うような低い姿勢で、一直線に鴉羽へ向かってくる。
だが彼は微動だにしない。
冷静に、間合いを測る。
――ガッ!
爪が振るわれた瞬間、鴉羽が踏み込む。
一撃。
幻影の左腕が、空中で舞う。
さらに――
ズバン!
鴉羽の武装刀が、まっすぐ幻影の胸へ突き刺さる。
心臓と核を同時に貫く精密な一閃。
幻影は、くぐもった音を立てて崩れ落ちた。
「ふう……やれやれ、ウォーミングアップにもなりゃしねぇ」
刀を軽く振って血を払うと、鴉羽は肩をすくめた。
そして、一仕事終えたかのように、再び煙草を吹かし始める。
その一連の動きに、瑠衣は目を細める。
(流石、手慣れているな)
余計な力みがない。
剣筋も正確、間合いの詰めも絶妙。
新人とは明らかに格が違う。
「なるほど、序列持ちの実力、か……」
瑠衣は、内心で納得していた。
自分とは異なるタイプだが――
確かに彼は、“戦いに慣れている”。
「よし。せっかくだし、このまま見回りでもしていくか」
鴉羽が鞘に刀を納めながら言った。
「どうせ暇だしな。それに……真白上官に、サボってたって言われたらたまったもんじゃねぇ」
「なるほど、それは困るな」
「お前も言われるぞ。“義影くん、おサボりはだめですよぉ?”ってな」
あのメイド服の狂気が脳裏をよぎる。
あの目。
あの声。
あの“笑顔”。
……あれは冗談で済まされるものじゃない。
「まあ、確かにそれは面倒だろうな」
苦笑する。
「だろ?」
二人は、血の臭いがまだ残る道を抜け、次の路地へと歩き出す。
夜のスラム。
命が消え、風が吹く、死の街。
血の気配が残る夜のスラムを、二人の影が歩いていく。
寂れた荒野。
廃棄された建材と、空き缶が転がる通り。
どこかから視線を感じるような、張りつく空気。
「……なあ、義影」
沈黙に耐えかねたように、鴉羽が口を開いた。
「なんだ」
「このスラム、妙な感じするだろ?」
「ああ。いつもそうなのか?」
先程からまるで誰かに監視されてるような感覚が抜けない。
「まあな。ただ、これまでに何か起こったことはないから放置してるけどな……あ、見えて来たな」
空を見上げると、月は半分欠けていた。
闇は深く、街灯の少なさが一層不気味さを引き立てる。
そんな中、視界の先に明かりが灯り始める。
「ここが、繁華街?」
スラムとは思えないほど、わずかに活気がある通り。
酒場や古びた娯楽施設が立ち並び、路地には人の気配がちらほらとあった。
そして――その通りの中心に、見覚えのある後ろ姿が立っていた。
白いメイド服。
ふわりと揺れる黒と白のツートンの長髪。
細く、華奢で、それでいてどこか異様な存在感。
「っ……!」
隣の鴉羽が、音を立てて動きを止める。
「まさか……」
その呟きと同時に、彼の表情がみるみるうちに引き締まっていく。
さっきまでの軽口は完全に鳴りを潜め、背筋を正し、軍人としての“礼儀”を思い出したかのように姿勢を正す。
「黒羽上官……。任務で出てるって話だったが、もう戻ってきてたのかよ」
その声が届いたのか、彼女はくるりとこちらを振り返る。
「――あ、いたいたぁ!」
満面の笑み。
キラキラした声で手を振りながら、黒羽は走ってくる。
「ずっと探してたんだから~っ!」
その言葉に、鴉羽がきょとんとする。
「え……俺を、ですか?」
「ん? 違う違う~」
真白は首を傾げてから、ぴたっと瑠衣の前で立ち止まった。
「探してたのは、瑠衣くんなの♡」
その言葉と同時に、真白の目が、ふにゃりと細まる。
まるで仔猫が主人にじゃれつくような、一見すると無垢な笑顔。
「どこにもいないから、迷子になっちゃったのかと思ったよ~?」
言いながら、すいっと一歩、瑠衣の懐に踏み込んでくる。
瑠衣は眉をわずかに上げ、
「俺に何か用か?」
とぶっきらぼうに問いかけた。
すると、隣にいた鴉羽が瑠衣を窘める。
「おい義影、お前なぁ! 上官にその口の利き方は――」
「いいのいいの~」
真白は、くるくると指を回しながら笑う。
「私、そういうの気にしないし~。上下関係とか、お堅いの嫌いなんだよねっ」
「……いえ、しかし規則というものが」
鴉羽が口を挟もうとした瞬間。
「――あれぇ?」
空気が、変わった。
部屋に満ちていたぬるま湯のような雰囲気が、一瞬にして凍りつくように変わる。
笑顔のまま、黒羽の声色が少し下がる。
「……今、私に口答えしたぁ?」
その一言で、鴉羽の顔が真っ青になる。
「い、いえっ! めっそうもございません黒羽上官! そのようなつもりでは――!」
背筋を伸ばし、手を前で揃え、まるで皇族にでも拝謁するような態度で謝罪を口にする鴉羽。
黒羽は、じーっと彼を見つめた。
瞳の奥には、笑顔と同居する殺意のような何かが潜んでいる。
けれどそれを、彼女自身が意識しているのかは、定かではなかった。
「うんうん、それならいいの。うふふ♡」
ころころと笑い、再び視線を瑠衣に戻す。
その瞬間――空気がまた、ぬるく戻る。
「それでね~瑠衣くん。私と――遊ぼ♡」
「何して遊ぶんだ? おままごとなら付き合えんぞ」
瑠衣の声音は、半分呆れ、半分本気だった。
「うーん、そうねぇ……」
黒羽真白は人差し指を唇に当て、少しだけ考える仕草をする。
その表情は、年相応の――いや、それ以下の無邪気さだった。
「“主従ごっこ”とか?」
ぱちん、とウィンク。
冗談めかした仕草なのに、どこか背筋が寒くなる。
「お前、本気で言ってるのか?」
「うん。本気の冗談♡」
その軽さが、逆に異常だった。
――そのとき。
「おいおい、そこのメイドのねーちゃんよぉ」
酒と油と安っぽい欲望の匂いを纏った男たちが、ふらつく足取りで近づいてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます