第5話 出会い


  木漏れ日がちらちらと揺れる山道を、瑠衣は静かに歩いていた。

 冷たい風が梢を揺らし、枯葉を踏むたびにパリパリと乾いた音が鳴る。


 目指すは、東方にある天之都あまのみやこ

 SEUの本部がある、大和皇国の中心地だ。

 そこへ行くには、ここからさらに山を二つ越え、「大商丁だいしょうちょう」と呼ばれる街を抜けねばならない。

 道のりは長いが、瑠衣の足取りに迷いはなかった。


 義影瑠衣よしかげるい──彼は、混血新人類である。

 幻影と新人類との間に生み出された、規格外の存在。

 かつての正史では幻影皇帝に仕え、人類に刃を向けた存在だった。


 ──そして、自らの手で大和皇国第一皇女・柊咲夜を殺めた。


 その瞬間だけは、今でも鮮烈に脳裏に焼きついている。

 彼女の血の温もり。

 何かを訴えるような、あの眼差し。

 自分が“何をしてしまったか”に気づいたのは、すべてが終わったあとだった。


 その直後、幻影皇帝の命令で処分された。

 自分の存在が、ただの“使い捨て”でしかなかったと悟った瞬間だった。

 そして気がつけば──瑠衣は過去へと戻っていた。

 咲夜がまだ生きている、“始まり”の前へ。


「幻影皇帝……お前は必ずこの手で俺が殺す」


 だが、記憶は完全ではない。

 正史の出来事はすべて思い出せるわけではなかった。

 むしろ、ほとんどがもやに包まれている。


 確かに、咲夜を殺したこと。

 そして人類が滅亡寸前まで追い込まれたこと。

 その未来の輪郭は、記憶としてはっきりと残っている。


 だが──それ以外は、まるで夢の中の出来事のように曖昧だった。


 どこで誰と戦ったのか。

 敵がどのように動いたのか。

 誰が味方だったのか

 細かい地名、人物名、作戦内容……すべてが断片的にしか思い出せない。

 記憶を掘り起こそうとすればするほど、頭に鈍い痛みが広がっていく。


(まるで……砕けた鏡の破片をかき集めてるみたいだ)


 

 けれどそれができない。だからこそ、彼は今ここを歩いている。


 それでも確実に覚えているのはということ。

 そして、このままではこの国――いやこの世界は幻影によって支配されるという暗黒の未来。

 そんな未来を変えるためには、諸悪の根源である幻影皇帝を抹殺する必要がある。


(……だから、まずは仲間が要る)


 幻影皇帝を倒すには、その護衛たる混血新人類達を倒さねばならない。

 自分はかつて序列一位だったとはいえ、それは一対一での話だ。

 一度に複数を相手取れば、勝てる保証はない上、相手の権能が何かも覚えていない。

 だが正史では、SEUの中に混血新人類を倒した剣士がいたはずだ。

 まずはその者達の協力を取り付け、邪魔な混血新人類を倒さなければならない。

 瑠衣は断片的な記憶だけを頼りに、天之都あまのみやこを目指していた。


 SEUとうまく協力が得られれば、皇帝を倒すための力になる。  

しかし、もし瑠衣の正体がバレれば捕縛され、処分されるだけの存在でもある。    

 仮に「未来から来ました」などと打ち明けても、信じてくれる者がいるとは到底思えない。

 むしろ即座に尋問、または抹殺が関の山。


(ならば……口より先に、行動で示すしかない)


 人を救い、幻影を倒し、力を示す。

 そうすればいずれ、誰かがその行動を見てくれるかもしれない。

 それが、信頼への第一歩になる。


(……その機会が、うまく巡ってくればいいが)




 


 瑠衣はようやく大商丁だいしょうちょうへとたどり着いた。


「ここが大商丁か。人の賑わい方が尋常じゃない」


 大商丁はかつて大阪と呼ばれ、人口300万人を超える物流と商業の一大中心地だ。数多くの商人が出稼ぎに訪れる場所であり、刀鍛冶も多く住んでいる。天之都ほどではないものの、商業都市として栄えている。

 天之都へ行くためには、ここから更に蒸気機関車に乗って半日揺られる必要がある。

 駅に向かい、宗一からたくされたお金でチケットを購入すると天之都行きの蒸気機関車に乗り込んだ。

 しばらくすると、発車時刻を知らせる汽笛の轟音と共に列車が動き出す。

 瑠衣は少し安堵したように自由席へと腰を落ち着けた。


「やっと少し落ち着けるか……」


 何しろ寝ずに数日間歩きっぱなしなのだ。

 レベリスの時は1か月間不眠不休で戦った事もあった。それに比べれば楽だが、それなりに疲労はたまってきている。

 車窓の向こうに広がる景色をぼんやり眺めていると、隣の席の方から話し声が聞こえてきた。


「……幻影に襲われたりしないですよね、ここって?」


 不安げにそう漏らしたのは、ひとりの少女だった。

 年の頃は十五、六といったところだろうか。

 艶やかな桃色の髪が胸元まで流れており、その色合いが制服のくすんだ灰に映えている。

 細い指でぎゅっと袖を握りしめる仕草には、どこか場に馴染めない気弱さがにじんでいた。

 制服の肩章は新兵を示しており、その小柄な体躯にはまだ軍服が大きすぎるように見える。

 怯えるように窓の外の森を見つめるその姿は、今にも立ち上がって逃げ出しそうなほどだった。


(……何か見覚えのある服だな……まさか、SEUか?)


「大丈夫よ、星風さん。この蒸気機関車にはがついてるらしいわ。まぁ、気休め程度かもしれないけどね」


 そう返したのは、少女よりも年上らしいもう一人の女性だった。

 背筋を伸ばして座る姿勢に落ち着きと気品があり、どこか“できる女”の雰囲気を漂わせている。

 栗色の長髪を高めの位置で一つに結い、きりっとしたポニーテールを揺らしながら、手帳にさらさらと何かを書き込んでいる。

 細身ではあるが、脚や腕には鍛えた筋肉の線が浮かび、軍服も彼女の体にぴたりと馴染んでいた。

 鋭い眼差しと整った目鼻立ちから、彼女が“現場慣れしているタイプ”であることは一目瞭然だった。


「……にしても、蒸気機関車に幻影避けの護符って、本当に効くのかしら?」


 ふと呟いた女性に、すかさず後ろの席から軽口が飛ぶ。


「うわ、また出た。森園の“すぐ疑う癖”」


 のんびりと背もたれに寄りかかっていたのは、女性の隣にいた若い男だ。

 年齢は二十歳前後といったところ。

 細身ながらも無駄のない筋肉が服越しにわかる体つきで、その身のこなしには一種の“軽さ”と“間”がある。

 短く刈り込まれた黒髪に、やや鋭さのある目つき。

 気取った様子はなく、声もどこか飄々ひょうひょうとしているが、目の奥には冷静な観察眼が潜んでいる。

 軍服はややラフに着崩しており、前のボタンはいくつか外されている。だがその姿に緩さはなく、逆に彼の“余裕”を感じさせた。


「疑ってるんじゃなくて、確認してるだけよ。効果の有無を理論的に考えてるだけ」


「いやいや、それを“疑ってる”って言うんじゃないの?」


「違うわよ。私は常に合理的でありたいだけ」


「それを一般的に“理屈っぽい”って言うんだって」


「……あなたねぇ……」


 森園と呼ばれる女性は呆れたようにため息をつく。だが、どこか楽しげでもある。

 そんなふたりのやり取りに、星風がふふっと小さく笑った。


「お二人は本当に仲がいいですね」


「仲いいも何も、俺たち付き――」


「いやいや仲良くないわよ」


「否定すんの早っ!?」


「まあまあ。鷹野さん、また森園さん怒らせてますよ」


 星風が苦笑しながらなだめると、鷹野はヒョイと肩をすくめた。


「だってさぁ、今回の任務、拍子抜けすぎるんだもん。

 “商人の荷物運びの護衛”だぜ? そんなの俺、配属前に宅急便でやったわ」


「……それただのバイトでしょ?」


「うん。意外と給料良かった」


「お二人とも、話がそれてますよ…!」


 星風が少し頬を膨らませる。

 その様子に、鷹野はさらにからかうようにニヤリと笑った。


「あ、わりぃわりぃ。んで、なんだっけ。幻影に襲われないかだっけ。大体なぁ、星風。そんなビビってちゃ幻影に笑われんぞ? 俺たちはSEUさ。もっと堂々としてたらいいんだよ」


 やはり、SEUの隊員だったようだ。


「……そんな簡単に言われても、怖いものは怖いんです」


 星風は、唇を噛みしめながら小さく言った。

 その横顔は真剣で、まるで自分を言い聞かせるようだった。


「そりゃまあ、幻影って見た目からして不気味だもんな。黒いもやが人の形してて気持ち悪いし、怪物みたいな低い声で鳴くらしいし」


 鷹野がわざとらしく声を低めて言う。


「ちょ、やめてくださいよ! そういう話聞くと余計怖くなるじゃないですか!」


「ははっ、反応いいな。ホラー苦手なタイプだな、星風は」


「苦手とかじゃなくて……前に町が襲われた時、目の前で……」


 そこまで言って、星風の声が途切れる。

 空気が一瞬、重くなった。

 森園がそっとペンを止め、穏やかな声で言う。


「……怖がっていいのよ。あんなの、誰だって怖いわ。“平気なふり”してる人の方が、たぶん危ない」


 その言葉に、星風は小さく頷いた。

 鷹野も、軽く息を吐いて腕を組む。


「……悪かったよ。つい冗談で言っちまった。でもまあ、今回の任務は本当に安全らしい。ルートにも幻影の目撃情報はないし、護衛対象の商人も腕っぷしが強いんだとさ。“殴り合い上等”なタイプらしいぜ」


「商人っていうより、格闘家ね、それ」


 森園が苦笑する。


「ああ。幻影が出ても俺たちの代わりに倒してくれるかもな」


「……それでも、やっぱり嫌な感じがします。だってこの森、さっきから静かすぎませんか……?」


 星風の声に、ふたりの笑顔が少しだけ消える。

 確かに、外からは鳥の声ひとつ聞こえない。

 虫の羽音も、獣の遠吠えもない。

 ただ、蒸気の吐き出す音だけが、不気味に、乾いた音を繰り返していた。


 まるで世界が一瞬、呼吸を止めたような――そんな静寂だった。


「……いや、流石に気のせいだろ。心配しすぎだって」


 鷹野が軽く笑って言った。

 だが、その笑顔の奥に、ほんの僅かな緊張が走っていた。

 指先が、わずかに膝の上を叩いている。癖のようで、習慣のようでもあるが、それが無意識の警戒心を表していた。


 森園もメモの手を止め、ペンを挟んだまま外をじっと見つめている。


 列車は森の中の緩やかなカーブに差しかかっていた。

 周囲の木々が濃くなり、車窓から見える空が、じわじわと狭まっていく。


 ――そのときだった。


 ふいに、何かが遠くで「カン……」と鈍く響いた。

 金属が石を弾いたような、妙に人工的な音。

 しかし誰も、それが何の音か判断できなかった。


 その直後だった。


――――キイイイイイィィィッ!!


 突然、列車が激しく揺れた。

 警笛のような甲高い悲鳴とともに、車体が不自然に傾く。

 車輪が軋みを上げ、壁が悲鳴のような音を立てる。

 乗客たちが驚きの声を上げ、悲鳴が車内を走る。

 席にいた者たちは必死に手すりや椅子にしがみつき、立っていた者は床に投げ出された。


 うとうとしていた瑠衣も、その揺れで一気に目を覚ます。


「おい、今の揺れはなんだ!?」


鷹野が眉をひそめ、険しい表情で車両先頭の車掌の方を見やった。

車内がざわめく中、機関室から車掌の緊急アナウンスが流れる。


『皆様、ただ今、機関室で故障が発生しました。点検作業のため、一時停車いたします』


「故障? こんなところでか? ……ったく、驚かせるなよな」


「でもこんな深い森の中で停車なんてなんだか不気味ね」


「も、森園さんやめてくださいよぉ!」


 腕をぶんぶんさせながら泣きそうな顔をする星風に、森園は苦笑する。


「ごめんごめん星風さん。大丈夫よ」


(確かに妙だ。本当に故障なのか?)


 瑠衣の胸には不穏なものが渦巻いていた。

 彼はこの静まり返った森の中で停車することに、どうしても危険を感じ取っていたのだ。

 3人も、初任務に緊張している様子の星風を中心に、不安げに辺りを見回している。

 しばらくすると、蒸気機関車は再び汽笛を鳴らしゆっくりと動き始めた。


「何だ、本当にただの故障かよ。ついてないな」


 男が溜息をつきながら話すと、女性が軽く微笑んで返す。


「さっきまで『簡単すぎる』って言ってたのに、現実はこんなもんよ」


「そりゃあそうだが、だからってこんな森で停まることないだろ。あーあ、幻影でも現れてくれたら張り合いがあるのにな」


「鷹野さん、冗談でもそういうこと言わない方がいいです。何があるか分かりませんし――」


 星風が慎重に忠告する。

 その声が言い終わる、まさにその瞬間――


 キャアアアッ!!


 遠くの車両から、甲高い女性の悲鳴が響き渡った。




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