第7話 嵐の初陣

――嵐の初陣:義と虎の邂逅


太鼓が鳴り響き、矢が雨のように降り注いだ。

馬の嘶き、槍の折れる音、人の叫びが、土煙とともに渦を巻く。

それは「戦」ではなく、「嵐」だった。

そして北信愛は、その嵐の只中に立っていた。


竹林を抜ける風が、まだ若き北信愛の頬を打つ。

その目は恐怖よりも、燃えるような好奇心で輝いていた。


「敵将、甲斐の若武者――武田信玄――若くして軍を率いると聞く」


副将の声に、信愛は軽く頷く。

剣を握る手に、父・北致愛の教えが蘇る。


「義をもって戦う者は、敗れても恥じぬ」

父の教えに恥じぬ戦いを、今こそ。


前方には、逃げ出した敵兵の背を撃つ味方の兵の姿。

「背を討つな! 敵にも道理がある!」


北信愛の叫びが、戦場の喧噪を裂く。

戦場で、敵への慈悲を叫ぶ者などいない。

だが――彼の声は、戦の流れを揺るがす力を秘めていた。


その声に、わずかに眉を寄せた一団があった。

甲斐の若き軍神――武田信玄の騎馬隊である。

北信愛が作った隙を逃さず、鋭い突撃が横合いから襲いかかる。

策だ。――信愛は瞬時に悟った。


信玄は戦場の流れを読む。


義を貫く者は常に正面に立つ――その習性を利用し敵を操るのだ。


「面白い……だが、戦は義だけで動かぬぞ」

若きながら冷静かつ老獪な声が響く。

信愛は息を整え、槍を構え直す。


「ならば――理なき勝利など我が剣で正す!」


次の瞬間、馬と馬がぶつかるように疾走する。

槍と槍が衝突し、火花が散り、轟音が戦場を震わせる。

信愛の槍は信玄の袖をかすめたが、信玄は微動だにせず、逆に圧倒的な力で返す。


痛みを感じながらも、信愛は胸の奥で確かに悟った。

この男こそ、己の時代を象徴する存在――戦場における真の天才だと。


だが、戦は終わってはいなかった。

山裾の霧の向こう、まだ動かぬ軍勢がある。

信玄が指先ひとつで、それを動かすのを見た瞬間――

信愛は初めて、戦とは「一人の意志」で動くものだと知った。


「若き者よ……その義、どこまで貫ける?」


霧の奥で信玄の声が響く。


信愛は唇を噛みしめ、再び槍を構えた。


嵐は、まだ静まらない。


歴史の記録には武田信玄の栄光だけが刻まれる。

北信愛の名は、まるで風のように消え去った。


だが、歴史が忘れたものがある。

――義を貫いた剣の軌跡と、時代に挑み続けた一人の男の鼓動。


戦国の荒波の中で、義を信じ、友を想い、歴史に埋もれた男――北信愛。

その物語は、ここから静かに、しかし確かに始まる。


そして、この戦が、二人がなぜ争うことになったのか――その全てを語り尽くす。

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